-35- 許し
わざと勇者に居場所を明らかにしてルシフ様をおびき寄せるという作戦を提案したのは他でもない私だった。ルシフ様に付き従い、彼の性格を最も理解しているのは私だという自負がある。裏切り者の居場所が分かれば、そこがどこであろうと飛んでくる。仲間など連れずたった1人で。
案の定、ルシフ様は単身で乗り込んできた。予想外だったのはその顔つき。怒りを向けられると思っていたが、そこに浮かんでいたのは慈愛に満ちた表情。ルシフ様の考えが分からず、私は口を一文字に結んだ。
罵倒されると覚悟していたのに、ルシフ様の口から出てくるのは私を思い遣る言葉ばかり。自分でも分からない体重の変化をルシフ様は見ただけで当てて見せた。
これ以上話していたらせっかく固めた覚悟が揺らいでしまう。私は臨戦態勢を取った。
それに対し、ルシフ様は構えることなく、私のことを受け入れるかのように両手を広げた。
私が手を出せば気持ちも変わるだろう。
私は距離を詰め、ルシフ様の顔面に拳を打ち抜いた。後方へと吹き飛ぶルシフ様の身体。拳も痛んだが、それよりも心が痛かった。しかしこれも罰の一種だと自分に言い聞かせる。
戦う意思を見せないのなら追い詰めるしかない。私は追撃し、膝をつき低い体勢のルシフ様の顔面に膝蹴りを放つ。しかし、またしても防御せず私の攻撃を受ける。そこから何度も何度もルシフ様に攻撃を仕掛けたが、避けるどころか防ぐことすらしない。
「……なぜ手を出さないのですか」
「鬼人の攻撃がどれほど強力なのか味わってみようと思ってな。鬼人と言っても名ばかりだ。そこらの女性と何ら変わらん腕力だった」
私の覚悟が甘かった。本気で殺す気でかからないと相手も本気になることはない。
集中すると眉間に皺が寄った。左手の拳を開いて前に突き出し、右拳の位置を顎から腰へと移動させる。正拳突きの構え。右手の一撃に全ての集中を注ぐ。
「鬼拳・正拳」
右手を回転させながら射出した一撃はルシフ様の鳩尾に直撃し、肉を抉った。
ルシフ様の身体を貫通する衝撃波がパン、と鳴った後、ルシフ様は膝から崩れ落ちた。
これで本気になってくれることだろう。
「いい加減戦ってください。裏切ったとはいえ過去お仕えした相手です。無抵抗の方をいたぶるのは心苦しいです」
「まだ理由を聞いておらん。お前はまだ俺の秘書だ。部下に手を出すわけにはいかぬ」
こんな私の何を信じているのか。圧倒的な地位を築き上げたルシフ様を転落させただけでは飽き足らず、仲間だと騙って付き従うフリをし、また裏切ったかと思えばルシフ様を痛めつけている。
「退職届なら提出しました」
リーゼロッテ・アーベルという1人の女としての義理は通せていないが、秘書としての義理は通している。給与分の仕事は行っていたし、退職の手続きも滞りなく済ませた。
「そんなもの燃やした」
驚いた。いくら捏造されたとはいえ、あれだけの罰を与えられた身だというのに、更に罪を重ねようとしている。あまりに横暴な行いに思わずため息が出た。
「貴方という人は……。そんな自分勝手だから部下に裏切られるんですよ」
「その性格を評して魔王という責務を全うしたと言ったのはお前だろう!」
「それは本当のルシフ様の姿を知りえたから出た意見です」
「リゼよ。いま、ルシフ様と言ったな?」
ハッと我に返って口を押える。緊張感のないやり取りについ素が出てしまった。
「今までの呼び方が染みついていただけです。他意はありません」
私はそのまま手で口を拭った。
「戯れは終わりです。これでケリをつけます」
ルシフ様のペースにつられてはいけない。
あくまで私はルシフ様を殺しに来たのだと自分に言い聞かせた。
私は体内に残った酸素を全て吐き切るように深く息を吐いた。徐々に酸素がなくなっていき、息苦しさを覚える。視界がぼんやりと暗くなっていき、意識が飛ぶ寸前のところで大きく息を吸った。取り込まれた大量の酸素は、血液を全身に運ぶために働く。その全てを右腕に集約させると、私の二頭筋が膨れ上がった。
「鬼拳・三日月」
右腕を大きく振り、ルシフ様の顎に目掛けて弧を描いた。ただでさえ強靭な筋線維を持つ鬼人という種族がその全ての力をこの一打に集約させている。当たれば無事ではすまない。それどころか、命を奪う危険すらある。
それでもまだルシフ様は避けなかった。命が危険に晒されているというのに、私の真意というあるかどうかも分からない不確定な要素に自身の命を懸けていた。
私は右腕の動きを止めた。紙が入るかどうかわからないほどの皮一枚の距離。その風圧でルシフ様の髪の毛が立ち上がった。
「どうした。振りぬかぬのか?」
「なぜ戦ってくれないんですか!」
自分の口から出た大声に自身で驚いた。これほどまでに感情を揺さぶられたのは初めての経験だった。
「戦う理由がないからだ。何度も言うが俺は部下に手は出さん」
裏切ったという事実は確定しているというのに、ルシフ様は私のことをまだ部下だと言ってくれている。喜々とした感情は一切湧き上がらず、ただただ申し訳が立たなかった。
「私がルシフ様を殺そうとしてもですか?」
「それでもだ」
その言葉に嘘はない。【眼光炯炯】を使用しなくてもルシフ様の目を見れば分かる。
「……ヤリエス様からはルシフ様を殺すように命を受けております。私に残された道は2つ。ルシフ様の首を持ち帰るか、ルシフ様の下に戻るか。ただ、ルシフ様を裏切った私にその資格はありません。ルシフ様を殺せない私に出来ることは死して償うことだけです」
「死という楽な道を選ぶな。死んだリゼを許すのは他でもない自分自身だ。それは俺からの許しでは断じてない」
「ならどうすればいいのですか。ルシフ様もヤリエス様も裏切った私に残された手段なんて……」
ルシフ様が私の首を掴んだ。
ああ、私の懇願を聞いてくださった。
同情か呆れか施しか。死と言う罰を与えられるのならばどんな理由でも良かった。
「生殺与奪。指定、【生殺与奪】【万古長青】を除くルシフ・テスタロッサの全能力」
ルシフ様の光った掌から、膨大な経験値とスキルが流れ込んでくる感覚があった。命を奪われると思い込んでいたが、ルシフ様の取った行動は真逆だった。
力を剥奪されてから取り返した能力を裏切り者の私に与えた。
「なぜ……」
「俺をヤリエスのところへ連れて行け」
思惑が分からず呆然とした私にルシフ様は命令した。




