第2話
イレブンが生まれてから、しばらくの時間が過ぎた。
最初は立つことすらできなかった身体も、今では研究所の廊下を自由に歩けるようになっている。
言葉も会話も覚えた。
今はもう年相応の発達を見せている、
「おはよう」
「……おはよう」
「眠い?」
「ちょっとね」
「お腹空いた?」
「うん」
そしてイレブンには、他の子供とは違う教育が施されていた。
戦闘訓練。
身体能力測定。
武器の扱い。
異常生物への対処。
そして――任務。
「イレブン」
「はい!」
御堂玄真が名前を呼ぶ。
それだけで、イレブンの顔が明るくなる。
「今日の任務だ」
「任務!」
「ああ」
御堂が端末を渡す。
そこに表示されているのは、研究所から逃亡した実験体の情報だった。
「これを処理してこい」
「分かった!」
イレブンは嬉しそうに笑った。
任務の内容そのものに興味があるわけではない。
ただ。
先生から頼まれた。
それが嬉しかった。
「頑張ります!」
「ああ」
御堂が短く答える。
それだけで十分だった。
イレブンは満面の笑みを浮かべ、付き添いの戦闘員とともに研究所を出ていった。
◇
数時間後。
研究所のモニターに、任務中のイレブンの映像が映し出されていた。
相手は、人間ではない。
研究所から逃げ出した異常な生物。
普通の人間ならば恐怖を覚えるような存在だった。
だが。
イレブンは笑っていた。
「見つけた」
楽しそうに呟く。
異形が襲いかかってくる。
ヘルメットを投げ捨て、服を引き裂きイレブンは身体を変化させる。
骨が手の甲に皮膚を貫き鋭利な刃が出現し、足もチーターを模した形状へと、肉体そのものが、戦闘に適した形へと変化していく。
「ぐっ、あ゛あ゛あ゛!」肉体が変形する壮絶な痛みに耐えきれずイレブンは苦痛な声を漏らす。
だが、歯を食いしばって耐える。
「先生が待ってるから」
イレブンは笑った。
「早く帰らないと」
一瞬で距離を詰め骨の刃で手木を突き刺し戦いが終わる。
イレブンは息を切らしながら、カメラに向かって手を振った。
「終わったよ!」
研究所では、職員たちがその映像を見ていた。
御堂は満足そうに頷く。
「良い結果だ」
その隣で。
由奈だけが、何も言わなかった。
彼女は画面の中のイレブンを見つめている。
笑っている。
嬉しそうにしている。
任務を成功させたことを、心の底から喜んでいる。
けれど由奈には、それが恐ろしいことのように思えた。
◇
「ただいま!」
研究室の扉が開く。
イレブンが戻ってきた。
服には汚れが付き、身体にも疲労が残っている。
それでも、彼は笑顔だった。
「先生!」
真っ先に御堂のところへ駆け寄る。
「任務、終わったよ!」
「ああ」
「ちゃんとできたよね?」
「問題ない」
「本当?」
「ああ」
イレブンの顔がさらに明るくなる。
「やった!」
由奈は少し離れた場所から、その様子を見ていた。
「……イレブン」
「ん?」
「大丈夫?」
「なにが?」
「でも――」
「大丈夫だよ」
イレブンは笑っている。
「先生にちゃんと褒めてもらえたから」
由奈の胸が痛んだ。
「……そう」
「先生、僕、頑張ったよ」
「ああ」
「じゃあ、また任務していい?」
「必要なら頼む」
「うん!」
嬉しそうに笑う。
由奈は、その光景から目を逸らした。
◇
その夜。
由奈は研究室に残っていた。
誰もいなくなった実験区画。
静かな機械音だけが響いている。
由奈は、今日の任務記録を見返していた。
イレブンは命令に従った。
痛みに耐えた。
そして敵を迅速に処分した
それは研究成果として見れば、完璧だった。
けれど。
「……違う」
由奈は小さく呟いた。
「こんなの……違う」
イレブンは子供だ。
まだ幼い。
世界のことをほとんど知らない。
それなのに。
人を傷つけることを教えられ。
命令されれば戦い。
褒められるために危険へ飛び込む。
それを本人は幸せだと思っている。
由奈は拳を握った。
「このままじゃ……」
そして。
決意した。
◇
翌日。
「御堂先生」
研究室に入った由奈は、御堂へ声をかけた。
「なんだ」
「話があります」
「言ってみろ」
由奈は一度、深呼吸した。
「イレブンの教育方針についてです」
「問題があるか?」
「あります」
御堂の視線が上がる。
「私は……あの子を、もう少し普通に過ごさせてあげたいです」
沈黙。
「普通?」
「はい」
由奈は続ける。
「任務のことだけじゃなくて、もっと普通のことを教えたいんです」
「例えば?」
「外に出ること。学校へ行くこと。友達を作ること。遊ぶこと……普通に笑って、泣いて、怒ったりして」
由奈の声が少し震える。
「自分が何者なのかを、自分で決められるようにしてあげたい」
御堂は何も言わない。
「先生」
由奈は真っ直ぐに御堂を見る。
「イレブンは兵器じゃありません」
その瞬間。
御堂の表情が変わった。
「……君は」
御堂が呟く。
「情を持ちすぎたな」
「え……?」
御堂は立ち上がった。
「研究者として失格だ」
「えっ?」
「もう遅い」
「先生、何を――」
由奈が後退する。
御堂が懐から銃を取り出した。
「……御堂先生?」
由奈の顔から血の気が引く。
「何を…」
御堂は表情を変えなかった。
「君は、この研究にはもういらないな。」
「待って……!」
乾いた音が、研究室に響いた。
◇
廊下。
イレブンは小さな花を抱えて歩いていた。
今日の戦闘帰りに見つけた小さな花。
「ゆな、喜ぶかな」
そんなことを考えながら歩いていた。
そして。
研究室の扉が少し開いていることに気づいた。
「……?」
中を覗く。
「ゆな?」
返事がない。
イレブンは扉を開けた。
そして。
見てしまった。
「…………え?」
床に倒れている由奈。
そのすぐ近くに立つ御堂。
手には銃。
時間が止まったように感じた。
イレブンの頭が、何が起きているのか理解できない。
「……先生?」
御堂が振り返る。
「イレブン」
いつもの声だった。
いつも通りの、落ち着いた声。
けれど。
イレブンは動けなかった。
「……ゆな?」
返事がない。
「ゆな」
もう一度呼ぶ。
返事はない。
床に小さな花が一輪落ちた。
「……なんで?」
声が震える。
「先生……なんでゆな動かないの?」
御堂は答えない。
イレブンの中で、今まで積み上げてきたものが崩れていく。
先生は正しい。
先生は自分を褒めてくれる。
先生は自分を必要としてくれる。
先生は、自分に命令してくれる。
だから。
先生の言うことは、正しい。
ずっとそう教えられてきた。
なのに。
「……ゆな、死んじゃったの?」
初めてだった。
イレブンが、先生に質問したのは。
「……」
御堂は答えなかった。
その沈黙が。
何よりも怖かった。
「……嫌だ」
イレブンが一歩後退する。
「嫌だ……」
身体が震える。
涙が出る。
「先生……」
御堂が近づく。
「待って」
イレブンはさらに後ろへ下がる。
「来ないで……」
その言葉を口にした瞬間。
イレブン自身が一番驚いた。
先生に対して。
初めて拒絶した。
御堂の目が細くなる。
「……そうか」
イレブンは走った。
何も考えられなかった。
ただ怖かった。
研究所の廊下を走る。
警報が鳴る。
扉が閉まる。
職員たちが叫ぶ。
「十一号が逃げたぞ!」
「止めろ!」
イレブンは振り返らない。
ただ走る。
頭の中には、一つの光景だけが残っている。
床に倒れた由奈。
そして。
銃を持った先生。
「……嫌だ……」
涙を拭うこともできない。
「うわぁぁぁぁぁ!」
初めて。
イレブンは、先生から逃げた。
そして。
AGISS第六研究所の深い地下から。
一人の少年が、外の世界へと走り出した。




