表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『AGISS -対神機関-』  作者: 羽吹南瓜
黒瀬特区編
PR
13/59

第十一話 『海母』

「がっ……ぁぁぁぁっ!!」


 久城透真の絶叫が、夜の港へ響き渡った。


 右目が焼ける。


 いや、身体そのものが軋んでいた。


 ヴァルグレイブが暴れている。


《高次接触開始》


《侵食率24%》


 頭の奥へ、大量の映像が流れ込む。


 深海。


 暗闇。


 沈んでいく人々。


 壊れた研究施設。


 そして――巨大な“母”。


『カエシテ』


 女の声。


 泣いているようにも、笑っているようにも聞こえる。


「っ……!」


 透真は頭を押さえながら膝をつく。


 視界がぐらぐら揺れていた。


 自分がどこにいるのか、一瞬分からなくなる。


 海の底へ沈んでいく感覚。


 冷たい。


 苦しい。


 なのにどこか安心してしまいそうになる。


 深海系統は危険だ。


 頭では分かっている。


 でも、あの声には抗いたくなくなる。


 それが一番怖かった。


「透真君!!」


 白い光。


 神代八重の結界が透真を包む。


 鈴の音が響き、頭痛が少しだけ和らいだ。


 透真は荒い呼吸を繰り返す。


「……はぁ……はぁ……」


 息が乱れる。


 指先が震えていた。


 恐怖。


 それもある。


 だがそれ以上に、自分自身への嫌悪感があった。


 今、自分はほんの少しだけ、“海へ行きたい”と思ってしまった。


 あの深海へ沈みたいと。


 そんな感情が、一瞬でも頭をよぎった。


「……最悪だ」


 透真は吐き捨てるように呟く。


 八重はそんな透真を見つめていた。


 心配そうに。


 でも同時に、どこか苦しそうに。


 彼女も分かっている。


 透真の侵食が、もう普通じゃない速度で進んでいることを。


「まだ……意識はありますか」


「なんとか」


「無理をしないでください」


「無理しないで済む状況かよ」


 思わず強い口調になる。


 だが八重は怒らなかった。


 ただ少しだけ視線を伏せる。


 透真はすぐ後悔した。


 八重だって限界なのだ。


 大量の結界維持。


 住民の浄化。


 それを一人で続けている。


 額には汗が滲み、呼吸も少し荒い。


 なのに弱音を吐かない。


 透真は視線を逸らした。


 自分だけが苦しいわけじゃない。


 分かっている。


 分かっているのに。


 怖かった。


 自分が壊れていく感覚が。


「……悪い」


 小さく謝る。


 八重は一瞬驚いた顔をしたあと、静かに首を振った。


「気にしてません」


 その声が妙に優しくて、透真は余計に胸が苦しくなる。


 その時。


 海が、鳴いた。


『■■■■■■■■』


 低く、重い咆哮。


 黒瀬特区全体が震える。


 透真は反射的に海を見る。


 海母(シーマザー)「ダゴン」。


 巨大な女型神格。


 海上へ半身を現したその存在は、まるで海そのものだった。


 長い髪が海流みたいに揺れている。


 白い肌の表面には無数の顔が浮かび、苦しそうに呻いていた。


 人間の顔。


 取り込まれた人たちなのか。


 透真の喉が詰まる。


「なんだよ……あれ……」


 レオンが険しい顔で答える。


「深海系統上位個体。《ダゴン》」


 その声は重かった。


 普段冷静なレオンですら、明確に警戒している。


 透真は少し驚く。


 レオンはいつも強かった。


 何が来ても動じない印象だった。


 でも今は違う。


 拳銃を構える手に、僅かに力が入っている。


「……知ってるのか」


「十年前に見た」


 透真が目を見開く。


 レオンは海を見たまま続けた。


「ネレイス事件の日、俺はここにいた」


 夜風が吹く。


 海の臭いが強くなる。


 レオンの横顔は、いつもより少しだけ大人びて見えた。


「……当時、欧州支部から調査団が派遣された」


「調査?」


「ネレイス研究施設が、“何か”を発見した」


 透真は黙って聞く。


 レオンがこうして自分から話すのは珍しかった。


「海底遺跡。正体不明の神話構造物。そこから深海系統との接触が始まった」


「……」


「最初は小規模だった。幻聴、失踪、軽度汚染。だが突然、施設が沈んだ」


 レオンの目が少しだけ揺れる。


「その時、海母が現れた」


 透真は息を呑む。


 レオンは実際に見ている。


 十年前、この地獄を。


「何人死んだんだ」


「……数え切れない」


 短い答え。


 でも、それだけで十分だった。


 レオンの拳が僅かに震えている。


 透真は初めて気づいた。


 この男も、怖いのだ。


 強いから平気なんじゃない。


 恐怖を押し殺しているだけ。


 それでも戦っている。


 その事実が、透真には少しだけ眩しく見えた。


 その時。


 コンテナの上で羽吹南瓜が笑った。


「いやぁ、説明イベント助かるなぁ」


「黙れ」


 レオンが即座に銃口を向ける。


 羽吹は気にした様子もない。


 むしろ楽しそうだった。


「でもまぁ、レオン君も変わったよねぇ」


「……何?」


「昔はもっと余裕なかったじゃん」


 空気が止まる。


 透真は目を瞬かせた。


 “昔”?


 まるで以前から知り合いみたいな口ぶり。


 レオンの目が鋭くなる。


「貴様……」


「おっと」


 羽吹は笑ったまま口を閉じた。


 だがその時。


 海母が動いた。


 巨大な腕が、ゆっくり持ち上がる。


 その手の中には、人影が見えた。


「……っ!」


 透真の顔色が変わる。


 住民だ。


 まだ生きている。


 海母の肉体へ半分沈み込みながら、苦しそうにもがいている。


『カエシテ』


 海母が囁く。


 その声は、悲鳴みたいだった。


 透真の胸がざわつく。


 敵なのに。


 化け物なのに。


 なぜか、“悲しんでいる”ように見えた。


「……なんで」


 透真は呟く。


 なんでそんな顔をする。


 なんで泣いてるみたいなんだ。


 その瞬間。


 ヴァルグレイブが反応した。


《深層同期開始》


 透真の視界が反転する。


「っ!?」


 海底。


 研究施設。


 白衣の研究員たち。


 その中央。


 一人の少女がいた。


 長い黒髪。


 白い服。


 彼女は、泣いていた。


『……いや』


 少女の周囲で海水が蠢く。


 研究員たちは何かを叫んでいる。


『戻せ!!』


『封印しろ!!』


『まだ間に合う!!』


 警報。


 赤い光。


 そして。


 少女が、“海母”へ変わる。


「――っ!!」


 透真は現実へ引き戻された。


 息が乱れる。


「今の……」


 八重が透真を見る。


「何が見えましたか」


 透真は少し迷ったあと、答えた。


「……女の子だ」


「?」


「海母の中に、女の子がいた」


 レオンの顔色が変わる。


「まさか……」


「知ってるのか!?」


 レオンは苦い顔をする。


「ネレイス研究施設には、一人の被験者がいた」


 透真は息を呑む。


「水面友香。海との異常共鳴を持つ少女」


「……それが海母の正体?」


「恐らくな」


 透真は海母を見る。


 巨大な神格。


 怪物。


 街を侵食する化け物。


 でも。


 もし本当に元が人間だったなら。


「助けられないのか」


 その言葉に、レオンが目を見開く。


「正気か」


「だって……!」


 透真は叫ぶ。


「あれ、元は人間なんだろ!」


「もう違う!」


「でも!」


「透真君」


 八重が静かに透真を呼ぶ。


 透真は振り向く。


 八重は苦しそうだった。


 たぶん彼女も分かっている。


 透真が間違っていないことを。


 でも。


 現実はそんなに甘くない。


「……助けたいんですか」


 八重の問い。


 透真は少し黙る。


 怖い。


 自分でも分からない。


 正義感なのか。


 ただ見捨てたくないだけなのか。


 それとも。


 自分自身が、化け物になりかけているからなのか。


「……分かんねぇよ」


 透真は本音を吐いた。


「でも、見捨てるのは嫌だ」


 八重が小さく目を伏せる。


 そして。


 少しだけ微笑んだ。


「……透真君らしいです」


 その笑顔に、透真の心臓が跳ねた。


 一瞬だけ。


 本当に一瞬だけ、戦場なのを忘れそうになる。


 だが次の瞬間。


 海母が絶叫した。


『■■■■■■■■■■!!』


 轟音。


 港全体へ津波のような海水が押し寄せる。


「来るぞ!!」


 レオンが叫ぶ。


 透真は反射的に翼を展開した。


 海母の巨大な腕が、夜空を覆う。


 その掌の中心。


 黒い穴みたいな口が開いていた。


 そして。


 そこから大量の“子供”が落ちてくる。


「……は?」


 透真の背筋が凍る。


 子供たち。


 いや、違う。


 子供の形をした眷属。


 濡れた身体。


 裂けた口。


 真っ黒な瞳。


 それが何百体も港へ降り注いだ。


 海母が、泣いていた。


『カエシテ』


 その声が、どうしようもなく悲しく聞こえた。

【次回予告】


 黒瀬特区、全面戦闘開始。


 海母ダゴンが生み出した大量の幼体眷属によって、港は完全な地獄へ変わる。


「数が多すぎる……!」


 レオンは住民救助を優先しようとするが、眷属化はすでに街全体へ広がっていた。


 一方、透真は海母の中に残る“少女”の意識を感じ始める。


『……たすけて』


 敵なのか。

 救うべき存在なのか。


 その迷いが、透真の戦いを鈍らせていく。


 しかしヴァルグレイブは、さらに侵食を加速。


《侵食率27%》


《第二戦闘形態移行可能》


「待て……それ以上は危険だ!」


 制止するレオン。


 揺れる八重。


 それでも透真は、海母へ手を伸ばそうとする。


 そして羽吹南瓜は、海を見ながら静かに笑う。


「物語的には、“主人公が救済を選ぶ回”って熱いよねぇ」


 次回――


『海哭』


 深海は、まだ泣いている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ