凍てつく白銀と、掠れる魔法
鉄の都ギアハイムの黒煙が遠くの地平線に消え、景色は徐々に彩度を落としていった。
しかし、それは色彩を失った国の「死の灰色」ではない。すべてを純白で覆い尽くす、厳しくも美しい『雪』の白だった。
北の果て、世界の屋根とも呼ばれる大雪原。
吹き荒れる吹雪が、カッターナイフのようにイリスの頬を撫でる。女将から譲り受けた茶色いマントはすっかり雪に覆われ、彼女はまるで雪原を歩く一匹の白い獣のようになっていた。
「……フンッ。雪くらいで、私の足は止まりませんわよ」
強がって腕を組もうとするが、寒さで腕が思うように動かない。
しかし、彼女の足取りは驚くほど力強かった。バルトが打ち込んでくれた「鋼の靴底」が、凍りついた雪面をザクッ、ザクッと確実に捉え、滑ることなく彼女を前へ前へと運んでくれる。靴底の厚みのおかげで、雪の冷たさが足先に伝わってくることもない。
(あの時、この不格好なブーツを履く決断をした自分を、一生褒めちぎってあげますわ)
イリスは、吐く白い息の向こうにそびえ立つ、巨大な連峰を見つめた。
ご先祖さまのスケッチブックの最後のページ。あの美しい『花畑』が描かれている場所は、星の配置と山の稜線から推測するに、間違いなくあの雪山の奥深くにあるはずだった。
「……とはいえ。少し、寒すぎますわね」
日が落ちかけ、猛烈な吹雪が視界を奪い始める。
このまま野宿をすれば、間違いなく凍死する。イリスは雪を掘って簡易的な雪洞を作り、その中に身を潜めた。
身を切るような寒さの中、彼女は震える手で鞄から『銀のペン』を取り出した。
絵を描く魔法。第一話の森で描いたような「役立たずのゆるキャラ精霊」ではなく、今の彼女の観察眼と感情の乗った線なら、一晩中燃え続ける完璧な暖炉を実体化させることができるはずだ。
真っ白なスケッチブックを開き、ペンを走らせる。
カリカリ、と音が鳴る。
しかし、異変はすぐに起きた。
「……え?」
ペン先から出るはずの銀色のインクが、掠れていたのだ。
線を引いても、紙には薄い跡が残るだけ。振っても、温めても、かつてのような眩い銀色の光は放たれない。
「嘘でしょう……? ここへ来て、魔力切れですの!?」
屋敷にいた頃から無限に使えると思っていた魔法のペンは、ここまでの長旅で無数の奇跡を起こし続け、ついにその命を全うしようとしていた。
数分かけて必死に描き上げた炎の絵を破り捨てる。ポンッという小さな音と共に現れたのは、親指ほどの大きさしかない、マッチの火のような頼りない灯りだった。
「っ……!」
絶望がイリスの胸をよぎる。
魔法という「お嬢様の最後の命綱」が絶たれた。自分は、ただのボロボロの服を着た、無力な少女に戻ってしまったのではないか。
親指ほどの小さな炎は、ものの数秒でチリッと音を立てて消え去った。完全な暗闇と、恐ろしいほどの静寂、そして死の冷気が雪洞の中を支配する。
「……だめ。泣きませんわ」
イリスは、暗闇の中で自分自身を抱きしめた。
そして、目を閉じて、これまでの旅を思い出した。
市場で老婆に温かいスープをもらった時、彼女の手を満たしていたのは魔法の銀色ではなく、ただの『黒い鉛筆』だった。
絶壁の街アイリエの千の石段を登り切ったのは、魔法の力ではなく、彼女自身の『二本の足』だった。
鉄の都で機械の衛兵に己の価値を示したのは、狂いのない魔法の線ではなく、彼女の『揺らぐ感情の線』だった。
(魔法がなくても。私は、とうに「本物の旅人」になっていますわ)
イリスはもう一度顔を上げた。
彼女はマントをきつく巻き直し、鞄を抱え込み、ご先祖さまのスケッチブックの温もりだけを頼りに、長く残酷な吹雪の夜を耐え抜いた。




