004 「緑の本・Morteの寄り道」
「思ったより買い過ぎたかも」
馴染みの店を出て間もなく、モルテは両手で抱えた袋を見て溜め息をついた。中身は今日の晩御飯になる食材と直に足りなくなるであろう日用品、加えて買う予定の無かったお菓子の箱。発売されてから売り切れ続出の人気者に出会えるとは幸運と、思わず3つ掴んで『お買い上げ』して来たというわけだった。
視線を前に戻して帰路に就く。その場で地を蹴り上げ、文字通り宙に浮かび上がる。翼も詠唱も無く空へ飛び立てる理由はモルテが持つ証に由来するが、一度飛び立ってしまえば誰も気に留めないのだ。
二つに結わえられた金髪が風に揺れ、夕暮れに跳ね返る度に煌めく。帰宅までには少し距離があるものの考えている時間までには帰れそうだ。帰ったら晩御飯を作って、食後に話題のお菓子を味わうことにしよう。以前いただいたお茶にも合うはずだ。そのためにもまずは無事に帰らなければ。人や障害物が少なく、かつ広い場所を選んで、抱えた荷物も落とさないように飛ぶだけ……だが。
突如、右手の腕時計が小さく震える。『電話』だ。先程まで針と文字盤で時刻を示していた面が光り、発信者の名前が浮かび上がる。一抹の不安を覚えつつ電話に出ると、聞き慣れた女性の声が聞こえてくる。お疲れ様です、と返すとやや申し訳なさそうに不安の正体を告げた。
『今、モルテちゃんがいる町に、お迎えを拒否する者が姿を隠しちゃったの』
……予感的中。飛行を止めて話に耳を傾ける。
『なかなかの暴れん坊でね、追っていた子が大怪我を負っちゃったってわけ』
シャレじゃないよ、と付け足して相手は続ける。
『せっかくのお休み中に申し訳ないのだけど、ちょっと助太刀いただけないかしら?』
拒否権はあった。適当な理由をつけて断ることは出来た。しかし同時に、今の状況が急を要する困りごとで、電話の主では解決できなくて、迅速な対応の為に非番の人員を呼び出す程の事態だということも分かっていた。相手は返答を待っている。
「わかりました。これより向かいます」
『ホント!? ありがとうモルテちゃん! 報酬はキッチリ弾ませてもらうわね』
手短に詳細を聞き、電話を終えて元来た道を引き返す。途中で馴染みの店に寄り、手荷物を預かってもらう。店主はモルテの再訪に驚いていたが『仕事』だと分かると快く引き受けてくれた。店を出ればすぐにでも目的地まで。被害は、少ない方が良いに決まっているのだ。
伝えられた場所は既に悲惨な状態になっていた。大地が抉れ、木々が倒れ、人々が散り散りに逃げ出していた。上空から見渡すと標的はすぐに見つかった。真っ黒い塊があちこちに触手を伸ばし、そのうちの一本が今度は家屋を破壊せんとばかりに大きく振り下ろす。その間にモルテはいち早く割って入り、左手に大鎌を召喚して受け止める。力強く押し込もうとしていた標的は、攻撃できないと悟ったのか触手を引っ込めた。モルテは改めて地面に降り、真正面から相手を見据える。
「どオしてアタシの邪魔をすルのよォオオォオォォ!!」
真っ黒い塊の頂上が裂けて甲高い怒声が響き渡り、モルテと向かい合う面に巨大な目玉が一つ見開かれる。血走った目玉は自身に立ち塞がる存在を捉えると再び天に向かって吠えた。
対するモルテは毅然とした態度で大鎌を両手に構え直し、宣言する。
「死後もこの世に留まり、終わりを認めず悪霊へと変貌せし者。エヴィル・レディ。死神が冥界よりお迎えに上がりました」
地を蹴って飛び出し、三日月型の刃がエヴィル・レディを真っ二つにする。しかしすぐに元の塊に戻り、叫びながら触手を叩きつける。宙を舞ってかわしながら体制を立て直し、もう一度斬り込む。
「死神ごとキがァ、アタシの人生を邪魔してンじゃアないわよオッ!!」
エヴィル・レディが新たに触手を生やし、大鎌を押し戻そうと力を込める。ぶつかり合うも互いに譲らず、離れてはぶつかることを繰り返す。が、更に触手を生やしてモルテを横から殴打する。まともにくらったモルテが瓦礫の山に吹っ飛び、衝撃で音を立てながら山が崩れていく。ざまあみろと勝ち誇って目玉を細めた。
(これは……)
モルテは瓦礫にこそ埋もれたが、四肢まで奪われたわけではなかった。僅かな時間、状況を整理するべく頭を働かせる。情報通り、巨体から触手を生やして自在に操り、周囲を荒らして回っている。素性は剛腕の戦闘狂、その病的な執着が今もこの世界に居座らせる原因となっているのだ。
(……早めに、決着を付けなければ)
死神とは、世の理を外れてしまった魂を導くために在る。今回は魂の導きに失敗しただけでなく負傷者も出ている。目の前で対峙する標的には、すぐにでも冥界からの宣告をする必要があるのだ。
瓦礫を押しのけて立ち上がる。愉悦に浸っていたエヴィル・レディが、信じられないと言いたげに目玉を大きく見開く。
「人生の邪魔も何も……」
モルテは呟いて大きく飛び上がり、エヴィル・レディの真上で大鎌を振りかざす。
「寿命が尽きた時点で、あなたの人生は終わりなのです」
黒い塊が口のように再び裂け、狂った絶叫が耳をつんざく。臆する事無くその中に飛び込み、塊を構成する核に大鎌を深々と突き刺した。
「月の刃に身を委ね、世の理に導かれなさい」
凛とした声が木霊すると大鎌が銀色の光を帯びる。徐々に明るさを増して、突き刺した核から紫色に燃え上がる炎のような球が現れた。そこから金切り声が響く。
「絶対の絶対に許サない……認めナイ……」
目の前の球が今にも裂けて喋り出しそうだった。モルテは黙って耳を傾ける。
「こんなところで終わっテたまルか……今にアタシの拳で――」
言葉が途切れた。燃え上がらん勢いだった球が僅かに揺らめく。打って変わって静かになった空間に、今度は大鎌の銀色が輝きを増し始める。
「……アタシの拳は……もう、無い……」
「……残念ですが、それが現実です」
後悔の滲んだ舌打ち。何かを求めるあまり、他の何もかもを顧みなくなっては、本来落とすはずの無い物まで失ってしまう。何より、落としたことにすら気づかない。
「次のあなたがどんな方になるかは分かりませんが……次こそは、あなたにとって悔いの無い最期を迎えられますように」
「……すっごく嫌味」
小声だが、幾分か狂気の薄れた声だった。球の揺らめきが静まると同時に、紫色は銀色に完全に包まれ、ひときわ光り輝くと宙に吸い込まれるようにして消えた。真っ暗になった世界にひびが入り、やがて崩れて霧散すると、外の黄昏が夜の訪れを告げるように色を変えていた。
店で預かってもらった荷物を引き取り、モルテは今度こそ帰路に就く。現場は今頃、専門の人達が全てを元通りにしていることだろう。報告を済ませているうちにすっかり日が落ち、赤を帯びた闇夜が始まろうとしている。その闇夜が終われば新しい日が始まるのだ。
明日は何が待っているのだろう。あと何回繰り返せるだろう。
考えても仕方ない。正確には、考えても分からないのだから仕方ない。だからこそ、明日やその先に思いを馳せる。今を確かに感じて過ごす。
「帰ったら、遅めの夕食」
雲をすり抜けて一気に空を駆ける。夕食の完成を想像して笑みがこぼれる彼女を追いかける者はいない。




