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46 サイネリアのターゲット①

 エドウィンの「なんか変」状態は、彼をお見送りするときにも続いていた。


「今日はアドルフォ王子殿下のお迎えの準備にきりが付いたら、帰宅します。カトレア様は、サイネリア様の公務のお手伝いに行かれるのでしたか」

「ええ、件の王子様に関していろいろ調べている途中なの」

「かしこまりました。……では、行って参ります」


 彼は私が差し出した剣を受け取ってベルトに下げると、私が何か行動を始める前にその場に跪き、私の手の甲にキスを落とした。


 ……おや? いつもなら、「あの、一瞬でいいので! かするくらいでいいので、是非、カトレア様からのキスをッ!」とおねだりしてくるのに、今日はあっさりしている。


 彼はぽかんとする私に爽やかな笑みを返し、背を向けた。いつもは、「もうちょっとぎゅっとしてていいですか?」って出勤時間ぎりぎりまで玄関で粘るのに、やけに引きがいい。


「……何なんだろう?」


 その場に残された私が首を傾げると、廊下の隅で様子を見ていたキティがこちらにやってきた。彼女も私と同じことを思っていたようで、閉ざされたドアを不思議そうに見つめている。


「……いつもみたいに駄々をこねずに出て行かれましたね。お食事のときもそうですが、何かあったのですか?」

「むしろ私が聞きたいくらいだわ」


 この様子からして、キティにも心当たりがないんだろう。何か原因があるのかと、私は直近の出来事を思い返してみる。


 えーっと……最初に「なんか変」と思ったのは、起きたときだったか。昨夜は私が早めに就寝したから、話す機会がなかった。ということは彼に変化が起きたのは、昨日の出勤後から今朝までの間だろうけど――

 だめだ、全く心当たりがない。


 疑問には思うけれど、私も仕度をしたらサイネリアに会いに行かないと。例の婿候補殿は調べれば調べるほどサイネリアの関心を引くようで、そろそろ彼とサイネリアのお見合い(仮)の場を設けては、って話になっていたんだ。


 夜までは私もエドウィンもやることがあるし、同じ王城内で生活していても顔を合わせることはほとんどない。だから、夜に離宮で合流してから一度話をしよう。

 ……そう思っていたんだけれど。










「……ということで、わたくしたちで一度、殿下の様子を見に行こうと思うの」


 そう言うサイネリアはここ最近、ずっとご機嫌だ。

 例の王子はよっぽど彼女の好みのお人らしく、サイネリアの公務にも熱が入っている。あれっ、サイネリアのタイプは「踏みたくなるような男」だってアルジャーノンが言っていたような……うん、気のせいだね!


「殿下は今、騎士団で打ち合わせをしているそうだから、わたくしも城内視察というていで行ってみようと思うの」

「ご予定などは大丈夫ですか?」

「予定なら空けているし、アルジャーノンが付いてきてくれるから大丈夫よ。カトレアにも来てもらうからね。エドウィンが殿下の接待係だし、エドウィンの妻であるあなたを同行させるのは自然なことだと思うの」

「……。……そうですね」


 きっと「一緒に来なさい」と言われるだろうとは予想していたから、異論はない。

 ないけど……そっか。レディ・カトレア・ケインズの婿であるからこそエドウィンが王子様のお相手係に任命されたそうだし、妻である私が夫の仕事ぶりを見に行くってのもおかしい話じゃないよね。


 思えば、結婚してからエドウィンの仕事風景を見たことがない。結婚前――ゲームのストーリーでは、騎士団で特訓する彼に会いに行ったり城下町視察で彼が護衛になったりと、彼の騎士らしい働きぶりを見ることがあった。

 彼の仕事中の様子を見られるのは楽しみだけれど、今の彼は例の状態異常・「なんか変」が継続している。仕事中は切り替えをするんだろうけれど、ちょっとばかし不安ではある。












 お茶休憩を挟んだ後、アルジャーノンがやってきたので三人で騎士団の訓練場所に向かうことになった。

 騎士たちが活動したり休憩したりするエリアは、王城の隅にある。有事にはどこからでも駆けつけられるよう、詰め所はいくつか点在しているけれど、訓練場所や宿舎はここに固められていた。


「カトレア」だった頃、エドウィンに会いに行くためにしょっちゅう通った道だけど、「れな」としてゲームをプレイしているときには、立ち絵の風景として見るだけだった場所だ。

 サイネリアとアルジャーノンについて行きつつ、妙に見覚えのある場所でそそっと列から離れて角度を変えて立ってみると、ゲームの背景スチルそっくりな場所を見つけて地味に感動した。


「ほら、カトレア姉様。フラフラしてないで早くエディの勇姿を見に行こうよ!」


 アルジャーノンに注意されたので、慌てて彼らの後についていく。サイネリアはお付きの侍女が差すパラソルの下で資料を読みながら歩いていたため、私の奇行には気づいていないようだ。


「殿下の祖国では、伝統武芸として棒術を嗜むのね。剣術はそれほど盛んではないそうだから、騎士団でうまく体験できるようにしないとね……」

「今のところ、殿下には内密に計画を進めているのですよね」


 隣に並んだ私が問うと、サイネリアは顔を上げて頷いた。


「まだ、殿下の人となりを全て知ったわけではないからね。とはいえ、エルフリーデの文化を体験していただくというのは、留学に来られている殿下にとって糧になるでしょう。今は内密に進めているけれど、たとえわたくしと殿下が婚姻関係を結ぶに至らなかったとしても、わたくしたちが進めた計画は殿下にとって全くの無駄にはならないはずよ」


 当の本人に何も知らせないまま話を進めるというのは、場合によっては身勝手なことかもしれない。でも、二人の関係が進まない可能性だって十分に考えられる。

 下手に話を持っていくと、「政略結婚を企んだけれど失敗した」などお互いにとって不利益な噂に発展する可能性もある。でも王子殿下がご存じでないのなら、「サイネリア様は王子殿下に勉学の機会を提供した」といい感じにまとめることができるってことだ。

 こういうのって微妙なさじ加減や駆け引きの才能が必要だろうから、単純な私には無理だろうなぁ。


 間もなく私たちは騎士団の訓練所に着いた。ここらは華やかな庭園と違って足下も砂っぽく、騎士たちが訓練したり歩き回ったりするから砂埃も酷い。これのために私やサイネリアは動きやすく、汚れに強いシンプルなドレスを着ていた。


「カトレア」は十六年間田舎で暮らしていたし、しかも社畜OLだった前世の記憶も持っているからこれくらい平気だし、サイネリアも「あら、すごい砂埃ね」と言いながらずんずん歩いていっている。むしろ私たちの中で一番嫌そうな顔をしているのはアルジャーノンで、「髪がどろどろになりますよー」とぶつくさ言っていた。


 サイネリアの婿候補である王子殿下はちょうど打ち合わせを終えたところのようで、騎士団本部から出てきていた。殿下は黒い髪に濃い色の目をした優しそうな男性で、ドアを手で押さえて殿下が退出できるようにしている騎士――エドウィンにも丁寧な様子で礼を言っていた。


「ごきげんよう、アドルフォ殿下」


 この人が王子殿下か……と思っていたら、サイネリアが積極的に前に出た。おお、サイネリア、やる気満々だな!


 サイネリアに呼ばれ、殿下とエドウィンがこっちを見た。……あっ、エドウィン、私を見て驚いたように目を丸くしたけれど、すぐにふわっと微笑んだ。

 なんだか嬉しくなって私も笑みを返したけれど、とたん彼は表情を引き締め、隣に立つ王子殿下に視線を向けてしまった。

 ……あれ? 今、視線逸らされた?


「あなたは、サイネリア王太子殿下ですね。留学開始時のご挨拶以来ですね」


 王子殿下は柔らかい声で挨拶をしていた。

 この世界の人は全世界共通言語を喋っているけれど、国によって訛りや方言のようなものがある。身分の貴賤が関係するのはもちろんのこと、「この国の人はこういう訛りがある」「この国は王族でも、この音を発音しにくい」といったものがあるようなので、王子殿下も言葉にちょっとだけ訛りがあった。


 サイネリアは笑顔で頷き、砂埃で汚れるのも厭わず王子殿下に歩み寄る。彼女より、彼女のために傘を差す侍女やぶうぶう文句を言っているアルジャーノンの方が大変そうだ。


「ええ、殿下には我が国のさまざまな文化や制度を知っていただきたくて、わたくしの方から騎士団の見学も提案させていただきましたが……いかがですか?」

「貴重な体験をさせていただき、感謝しております。ちょうど、こちらにいらっしゃるケインズ殿からさまざまな話を伺ったところなのです。エルフリーデの軍事制度は我が国とは全く違い、非常に興味深いです」


 王子殿下は、いち騎士に過ぎないエドウィンに対しても敬語を使っている。物腰が柔らかくて、謙虚な人みたいだ。


 ……サイネリアはガンガン自分の意見を言って敵対する者をぶっ潰すタイプだから、彼女にはこの王子殿下のようなおっとりした人がふさわしいのかもしれない。

 サイネリア本人も同じことを思っていたようで、彼女の目がきらりと輝いたのが、私たちには分かった。

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