45 状態異常・「なんか変」
――朝か。
眠りの世界から戻ってきたばかりの私は目を閉じたまま、ごろんと寝返りを打つ。
相変わらず、私は朝に弱い。目覚まし時計の鳴る音と共にすっきり起きられる人が羨ましい。
「……お目覚めですか、カトレア様?」
この声は――エドウィンか。
そういえば昨夜エドウィンは、帰宅が遅くなるから先に寝ていてくれ、って言っていたんだっけ。なんでも、例のサイネリアの婿候補である隣国の王子様を騎士団の練習に参加させるとかで、いろいろ準備が必要になったらしい。王家の姫の婿であるエドウィンが王子様の接待役に命じられたらしく、彼もやることが増えたんだそうだ。
手を伸ばしてエドウィンの温もりを求めようとしたら、そっと握られた。そのまま彼の胸元に引き寄せられたので、私は遠慮なく彼の硬い胸板に頬をすり寄せる。
「んー……エディ、あったかい」
「お褒めに与り光栄です。……でも、あんまり可愛いことをなさっていると、俺も紳士じゃいられなくなりますよ」
「やだー、しんしがいいー……」
「……そうですか」
くすっと笑う声と衣擦れの音に続き、露わになっている左の耳たぶが軽く吸われる感触がした。本当に、エドウィンは吸ったり噛んだりというのが好きなんだな。
薄目を開けると、シャツがほぼ全開まではだけてエドウィンの胸板が露わになっていた。彼は私の耳たぶをいじるのに一生懸命のようで、私がじっと自分の胸筋を見ていることには気づいていないみたい。
彼に気づかれないようにそっと手を伸ばし、腹部の薄く割れたラインを指先でなぞってみる。とたん、ぴくっと彼の体が震え、耳元ではっ、と熱っぽく息を吐き出す音がした。
「……朝から誘っているのですか?」
「ごめんなさい、つい、触ってみたくなって」
「随分な殺し文句ですね。……あなたは、もうちょっと俺に警戒した方がいいです」
「エディなら大丈夫だもの……」
ああ、やっぱりまだ眠い。辺りはまだ薄暗いし、二度寝をかましても怒られはしないだろう。
頭が覚醒しきっていない私は、エドウィンの顎の下に頭から突っ込んだ。「うわっ!」という小さな悲鳴が聞こえるが無視し、ぐりぐりと彼の胸元に額を擦りつける。
「もっかい、寝るね……おやすみ、エディ……」
「……。……はい、おやすみなさい、カトレア様」
優しいエドウィンの声は、子守歌みたい。
ああ、エドウィンにくっついて寝るの、幸せ……。
「……そうか、やっぱり紳士がいいか……」
エドウィンが何か呟いたような気がするけれど、眠くてよく分からなかった。
次に起きたとき、朝日はすっかり昇っていた。
むくりと起き上がって隣を見たけれど、そこはもぬけの殻。今日のエドウィンは午後出勤のはず……と思ったけれど、多分日課の鍛錬に行っているんだろう。予想通り、ベッドサイドのテーブルにエドウィンの書き置きがあって、「騎士団の新入りと一緒に鍛錬する約束になっていたので、行って参ります。朝食には間に合うよう戻ります」と急いだ字で記されていた。
行き先がはっきりしているし、ご飯は一緒に食べられるのなら安心だ。
私は落ち着いた気持ちでキティを呼び、朝の仕度を頼んだ。そうして身だしなみを整えた頃にはエドウィンが戻ってきて、食前のお茶を飲んでいた私の前に跪いて手の甲にキスをした。
「おはようございます、カトレア様。あなたの目覚めを待たずに出かけてしまい、申し訳ありませんでした」
「おはよう、エディ。日課の鍛錬なのだから、気にしなくていいのよ。書き置きも残してくれたんだし。あなたも忙しい身だし今後も何かあったら、私が起きるのを待たずに行ってくれて大丈夫だからね」
「かしこまりました。……それにしてもカトレア様、今日のドレスもよくお似合いですね」
「え? ……そう? ありがとう」
いきなり服装を褒められ、私は一瞬きょとんとしてしまった。
今日のドレスはキティと相談して、濃い赤と淡いピンク、白の三色を組み合わせたものにしていた。一番布面積が多いのはワインレッドのような濃い赤色で、リボンやスカートの裾から覗く部分に薄い色を覗かせることで、既婚者らしい落ち着きの中に愛らしさを取り入れるデザインにしている。
このドレスは仕立屋を呼んで普通に購入したものだけれど……エドウィンが普段着のドレスを褒めるのは、ちょっと珍しい。夜会に出るときや正装のときにはぱっと顔をほころばせて「すっげぇきれいです!」って言ってくれるけれど、日常のドレスや装飾品について褒められることはあまりなかった。
彼はちょっと言葉に詰まってしまった私を穏やかな眼差しで見上げると、私の胸元で揺れるアッシュブロンドの巻き毛を手にとってそこにも恭しく口づけてきた。
「落ち着きの中に愛らしさのある色合い――実に、あなたらしいドレスです。今日も、麗しいあなたの夫としてお仕えできること、嬉しく思います」
「う、うん? ありがとう?」
なぜか疑問系になってしまったけれど、なぜなのかの理由は私にも分からなかった。
エドウィンは微笑んで立ち上がり、薄く開いていた私の唇にもちょんっと軽くキスをしてきた。いつもならもうちょっとじっくり唇を合わせたり、お互い火が付いたら舌を差し込ませたりするのに、あくまでも紳士的な愛情のキスだ。
「……あなたの唇は甘いですね。では、食事にしましょうか、俺の可愛い人」
「……そ、そうね。ご飯、食べましょう?」
……なんだろう。
エドウィン、ちょっと雰囲気変わった?
最初生じた違和感は、食事が始まってもそのまま続いていた。
食事中、視線を感じて顔を上げると、エドウィンは食事の手を止めて柔らかな眼差しで私を見つめていた。いつもなら、「これおいしいですね!」「カトレア様も気に入られました? 俺たち、お揃いですね!」と積極的にお喋りしてきたり給仕をしてくれたりする彼にしては珍しい。
「……あの、エディ?」
「ああ、いえ。スープを召し上がるあなたの顔に、見惚れておりました」
「……ほぇ?」
「へ?」もしくは「はい?」と言いたかったけれど、合体してしまった。
スープを飲む私の顔に見惚れる……そんなの初めて言われた。
というか、私は食事をしている顔をあまりにもじっくり見られたり妙に褒められたりしたら、嬉しいよりむしろ困ってしまう。エドウィンに見られていると思うと、心おきなく食事もできないし……。
「……そんなこと、ないと思うけれど」
「そんなことあるのですよ。あなたの小さくてつやつやした唇とか、熱いスープを飲むときにふーっと息を吹きかける仕草ですとか、ちょっと目を伏せてスープを飲む姿とか、そういうのに全部見とれていました」
「……」
……つまり、私がこのコーンスープを飲むときの一挙一動全てを、彼はばっちり観察していたってこと? スープの表面に浮いているクルトンのさくさく具合を味わっていたから、ガン見されていることにも気づかなかった――!
私が思わず顔を引きつらせてもなおもにこにこしているエドウィンだけど、さすがにこれは行き過ぎじゃないかな。
私はスプーンを置き、顔の横で右手の人差し指を立てた。
「エディ、ちょっと聞いてね」
「はい、拝聴します」
「……私はあなたと一緒にご飯を楽しみたいの。だから……えーっと、食事中の顔をじっくり見られたり、一つ一つに感想を入れられると……私も緊張するし、手元がおろそかになってしまいそうなの。それに、エディがご飯を食べられないんじゃないかと思うと、食事も進まなくなってしまいそうだわ」
「そ、そうですか。ご迷惑でしたか」
「あ、いえ、迷惑ってほどじゃないの。でも、いつもみたいにお喋りしながら一緒に食べる方が、私は嬉しいなぁ、と思って。……分かってくれる?」
言い聞かせるようにゆっくり語りかけると、「迷惑」だと思ったときは動揺していたエドウィンも、頷いてくれた。
「……そういうことなら、分かりました」
「分かってくれればいいの」
うん、分かってくれればいいんだけど……。
エドウィン、何か変なものでも食べてしまったのかな……?




