44 女王家の結婚事情
最近、サイネリアはご機嫌だった。
私の方からは尋ねずにひとまず様子を見ていたのだけれど、ある日彼女の方から話題を振ってくれた。
「ねえ、カトレア。実は昨日、わたくしの婿選びの話が大きく進展したの」
「まことですか!」
各地方に送る手紙を書くサイネリアの補助として、印鑑押しを手伝っていた私は顔を上げた。そうだろうな、とは漠然と思っていたけれど、サイネリア本人やジルベール様たちの方から教えてくださるまで待とうと思っていたんだ。
傍らにいた女性官僚に書類を渡したサイネリアは、勝ち気な顔をほんの少し緩めてふふっと笑った。
「ええ。最近バタバタしていたけれど、あなたたちに教えるのは計画がある程度形になってからにしようって、お兄様やアルジャーノンと打ち合わせていたの。報告が遅くなって、ごめんなさい」
「滅相もございません。……相手の方についてお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「もちろんよ。……オーレリア、あの調査書をこちらへ」
サイネリアに命じられた官僚が一旦別室に引っ込み、革表紙のファイルを持って戻ってきた。私は判子のインクが乾くのを待つために扇形に広げていた書類を脇に退け、A4サイズくらいのファイルを受け取る。
これって確か、サイネリアの婿探し用の資料を綴じているファイルだ。前にジルベール様が持っているのを見たときはもっと分厚かったと思うけれど、今は中身が厳選されたようでかなりスリムになっている。
表紙を開くと、綴じられている資料はやはりというかほんの数枚だった。それも、資料に載っているのはどれも同じ人物の情報のみ。
「この方は――隣国の傍系王族?」
「一ヶ月ほど前から、留学生としてエルフリーデに来ているの。留学希望者一覧はわたくしも見ていたのだけれど、それは身上調書だから具体的にどのようなお人なのかまでは分からなかったのよ」
「ええっと……確か、誰かの伝手で知り合った男性に関心を抱いてらっしゃると伺ったのですが、こちらの方のことでしょうか」
「そう。彼はこの前の夜会には来ていなかったそうなのだけれど、噂には聞いていて。なんだかおもしろ――いえ、骨がありそうだからアルジャーノンを連れて挨拶に行ったのだけれど、見た瞬間にビビッときたのよ」
「……はぁ」
ビビッときたって……そんな直感で婿候補にしてもいいんだろうか。
ちなみに女王陛下に関して言うなら、滅多に政界に出てこず女王陛下のお部屋で過ごされているという王配殿下――私の叔父は、国内の侯爵家の三男坊かなんかで、これといった才覚があるわけでも超絶美男子だったわけでもないらしい。
女王陛下は王配殿下と出会って数年後に結婚したそうだけれど、「夜会で見かけたとき、なんかおもしろそうな人だと思ったから」というのが結婚の動機だったらしいということで有名だ。そんなのでいいのか、と「れな」の記憶を持つ私は突っ込みたいけれど、この国では疑問に思っている人はあまりいない。なんか、そういうもんらしい。
先代女王陛下は私の母が駆け落ちしたこともあってか、女王陛下の結婚に関しては本人の判断にお任せ状態だったようで、「おまえがそう言うのならどうぞ」って感じで婚約が決まったらしい。そういう先例もあって、私とエドウィンの結婚も少々揉めたものの最終的に認められたのかもね。
というわけで、女王家の女性陣の恋愛に関する勘というのはなかなか馬鹿にできないようだから、サイネリアの場合もこの異国の王子様が有力候補になりそうだ。傍系といっても王子様なら勉強もしているし作法も習っているだろうから、エドウィンのときほど揉めないはずだ。
私はしばらくの間黙って王子様の資料を読んでいたけれど、やがてサイネリアに声を掛けられた。
「それで、ね。これからは是非、カトレアにも『お仕事』をしてもらいたくて」
「仕事でございますか」
私は閉じたファイルを膝に載せ、背筋を伸ばした。
サイネリアはそんな私を見て手を振り、「そんな硬くならないで」と声を掛けてくれた。
「カトレア、あなたは代々のエルフリーデ女王家の女性王族において、女王や王太子以外の王女や姫の方が早く結婚することが多い理由、知っているわよね?」
「えっ? ……えっと、確か女王陛下や王太子殿下の近くに既婚女性を据えることで、人生の先輩や相談役になることを期待しているのでしたっけ」
急な質問に一瞬戸惑ったけれど、この旨のことは姫教育を受け始めて間もない頃に教わった記憶がある。
女王の結婚が総じて遅めなのはともかくとして、女王の妹や従姉妹が早めに結婚して子を産むことを推奨されている理由は、先に結婚出産を経験することでいざ女王が結婚し子を産むことになった際、先輩としてサポートしたり経験談を聞かせたりできるからだ。
エルフリーデ王族の王子のつとめは、王太子である姉妹を守ること。王女のつとめは、姉王太子より先に結婚出産し、経験者として助言すること。サイネリアの従姉である私が女王陛下に引き取られ、姫教育を受け、早めに結婚したのもこの理由があったからなんだ。
サイネリアの言いたいことが分かり、私は頷く。
「……つまり、サイネリア様のご結婚の際には、わたくしがサイネリア様にご助言し申し上げるという『仕事』があるのですね」
「そういうこと。あなたたちが結婚に向けて組んだスケジュールや細々とした設定は、わたくしの番になったときに活かせるの。次期女王と従姉の姫とでは勝手や規模は違うだろうけれど、あなたたちの式をかなり参考にさせてもらうわ。そういうことで、あなたに意見を聞いたりするのだけれど……」
そこでサイネリアは一旦言葉を切り、周りで仕事をしていた女官たちに退室を命じた。
私たち二人きりになると、サイネリアはデスクに頬杖をつき、私を見つめてくる。
「……確認だけれど、結婚式の数日前にあなたは前世の記憶を取り戻したのよね?」
彼女が女官たちを追い出した時点でこういう話になるのだろうと予想していたから、私は落ち着いて頷く。
「……はい。ですので、当時の私はかなり混乱しており、その……ドレスや段取りなどの助言はできますが、結婚式に臨む花嫁の気持ちなどに寄り添うのは、少々難しいかと……申し訳ありません」
「ええ、それは仕方ないでしょう。むしろ今思えば、前世の記憶持ちであることを早めに教えてくれてよかったと思っているわ」
サイネリアもまた落ち着いた口調で言い、ふと真剣な顔になった。
「……ということは、まだ彼に抱かれていないのかしら?」
「……。……ご想像にお任せします」
「分かったわ、想像するわ。……とはいえ、最近のあなたたちは本当に仲のいい夫婦じゃない。エドウィンにも前世のことを明かして正解だったんじゃなくて?」
「ええ、これ以上こじれないためにも明かしてよかったです」
私の返答にサイネリアは満足そうに頷いた。
「それは結構なことね。今はゆっくり、二人のペースで愛を育めばいいわ。……まあ、お母様もお望みではあるのだけれど、できるなら私より先に出産を経験してほしいところだけれどね。どれほど痛いのかとか、いろいろ教わりたいのよ」
「そ、そうですね」
……これからサイネリアが婿を確保し、婚約し、結婚するとなったら二年以上掛かるだろう。つまりそれまでに、私はエドウィンと――まあ、あれこれして、子どもを産むことを推奨されている。
う、うーん……「れな」の記憶を取り戻す前だったら、「そういうものか」で済ませていただろうし、ゲームの中の出来事だと思っていれば「そういう世界観なんだな」で納得しただろうけど、いざ自分がその舞台に立つと、どうも緊張してくる。
今の私にとってのエドウィンは、怖い人でも非恋愛対象な攻略対象キャラクターでもなくって、大切な夫だ。ジルベール様に恋していたのは昔の話。エドウィンなら……身を委ねたいと思えるようになった。
エドウィンも、夜になると結構積極的に迫ってくるし、なかなかきわどいことを囁いてきたりする。でも、私の許しが出るまでは「待て」を守るつもりみたいだし、彼自身も――なんだか、まだそこまで気持ちが整理しきれていない感じだった。
他人にせっつかれたりするのはストレスになるだろうけれど、だからといってお互い焦る必要はないだろう。私たちは私たちのペースで距離を縮めていく。
サイネリアはもちろん、女王陛下だってきっとご理解くださるはずだから。
その後、カトレアは図書館へ資料を取りに行った。
サイネリアは女官たちを呼び戻し、婿確保に向けた計画を進めようとして――ふと、窓の外の光景に気づいた。
「……珍しい。あれはお兄様と、エドウィン?」
執務室の窓からは、庭園の小道を見下ろすことができる。兄ジルベールの姿があると思いきや、その隣にいたのはカトレアの夫であるエドウィンだった。見えるのは後頭部だけだが、茶色の尻尾がちらちら見えているので間違いないだろう。
サイネリアは目を細め、窓枠に両腕を載せて兄たちの様子を窺う。
ジルベールとアルジャーノン、もしくはアルジャーノンとエドウィンの組み合わせなら理解できるが、あの二人が行動を共にするとは珍しい。
しかも、以前聞いた話によると前世のカトレアの異性のタイプは、優しくて物腰柔らかな王子様系――まさにジルベールのような人だったとのことだ。性格や見た目、言動で言うとジルベールとエドウィンは対極に位置しそうなものなのだが。
「……ま、いっか」
それよりも今は、婿ハントに向けた資料作りだ。
しばらくすると資料を抱えたカトレアが戻ってきたが、その頃になるとサイネリアは既に、兄とエドウィンを見かけたことをすっかり忘れていた。
将来は母マーガレットをも越える名君になるだろうと囁かれているサイネリアは、頭の中の情報の処理能力も非常に優れているので、それほど重要性のない情報はさっさと捨てることにしているのだった。




