生まれようと欲するもの
おばあちゃん家に泊まるってこんな感じなのかな。
真理愛はことこと煮えているブルーベリージャムの表面をぼんやり見ながらそう思った。
ディアマンテは煉瓦造りの大きなオーブンの火加減を見ており、ケーキが焼ける甘い香りが台所に充満していた。
「そろそろいいだろう。ジャムも火から下ろしおくれ」
真理愛は指示に従って鍋を火から下ろした。煮詰まったジャムの表面は深い紫色でつやつやと輝いていた。
ディアマンテは焼けたケーキを魔法で覚ましてから横半分に切り、鍋からジャムをたっぷりとすくって生地に塗った。最後に粉砂糖を振るい、包丁で六等分にカットした。
「ほら」
ディアマンテに勧められるまま、真理愛はケーキを皿に乗せようとしたが、
「手づかみで食べればいいじゃないか。洗い物が減る」
真理愛はちょっと悩んだものの、一理あると思って皿を棚に戻した。ケーキをひと切れ手で取り、一口かじった。そば粉の生地は口の中でほろほろと崩れ、間に挟まったジャムがそれを絡めとるように口の中でしっとりと混ざった。
「美味しいです」
「そりゃよかった」
「ところでディアマンテさん、いつまで料理を続けるんですか?」
ディアマンテもまた手づかみでケーキをかじり、それから紅茶を飲んで、ほうっと息を吐き出してから言った。
「もうお腹いっぱいになったのかい?」
「もうっていうか、私さっきからずっと食べてます……」
ディアマンテが何度か転移魔法を使って吸血鬼のいない家を見つけ、クラウディオに見つからないよう入念に目くらましの魔法をかけてから、真理愛は問答無用で眠らされた。真理愛は泥のように眠って目を覚ますと、風呂に入れられて、それからずっとディアマンテが作った料理を食べさせられていた。
野菜たっぷりのスープ、シーザーサラダ、白身魚のトマト煮、川魚の炭火焼き、牛肉のステーキ、揚げた鶏肉、バジルのパスタ、チーズたっぷりラザニア、きのこのリゾット等々。
食材は真理愛が寝ている間に調達してきたとディアマンテは言ったが、他人の家で勝手に作った料理を食べるのは気が引けた。しかし、ディアマンテが真理愛の口に料理を突っ込んできたのと、強烈な空腹に負けて、結局食べた。ディアマンテの作ったものはどれもこれも美味しかった。
真理愛は食事しながら自分が知っていることを全て話して聞かせた。話を聞き終えたディアマンテは塞ぎこみ、ケーキを焼き始めた。そうしてケーキを作り終えた今も、彼女の表情は暗い。
「ずっと暗闇に引きこもっていたから、何か作りたかったんだ。人間一度何かを作る喜びに目覚めてしまうと、何か作らずにはいられなくなるもんなのさ」
「たとえ世界の危機が迫っていたとしても?」
「吸血鬼にとって一週間も一か月もさして変わりはしないし、焦って起こしてやることなんてないさ。あんたは気が気ではないだろうけど、私にあんたから聞いた話を受け止める時間をおくれよ。あんたが死なないで済んで、それでいて世界を救える方法ってやつを、きっと後で考えだすからさ。それに、世界の崩壊の時が迫っているからこそ時間が欲しい。白夜を退けられたとて、私は王の許しを得られないだろうし、二度と再び地上に戻ることは叶わないだろうからね」
真理愛が口を開くと、ディアマンテがケーキで塞いできた。
「あんた、今、私が地上に戻る良い方法はないかって聞こうとしただろう? いいんだよ、私のことは。あんたは私を良い魔法使いだと思っているかもしれないが、それは見当違いもいいところだ。私は御伽噺で語られるよりずっと邪悪なのさ」
真理愛は咀嚼していたケーキを飲み込んだ。口の中は甘かったが、苦みを感じていた。ディアマンテは押し黙ろうとしていたが、今度こそ真理愛は口を開いた。
「今度はディアマンテさんの話を聞かせてもらえませんか?」
ディアマンテは喉の奥でくつくつと笑った。ごねた割に、彼女はすぐに話し始めた。ずっと独りだったから、話し相手が欲しかったのだろう。
年寄りの話は長いよ、と前置きをしてから話を始めた。
「この世界を創る前は復讐のことしか頭になかった。人も殺したし、人以外もたくさん殺した。だが、ある時、殺したドラゴンが守っていた卵を見つけて殺した時に、自分が復讐を始めた理由を思い出して、我に返った。私の行いはすでに復讐の道を外れていた。最初に復讐を誓った相手はとっくにこの世を去っていたこともようやく思い出す始末だったが、とにかく血で血を洗う戦いから遠ざかりたくなった。
生まれてもいないドラゴンの子を殺したせいで、ひどい罪悪感に苛まれた。だから、善行をしたくて、困っていた吸血鬼に声を掛けた。今は王となったシルヴィオ、そして人間だったクラリス、二人を結婚させないために課された吸血鬼の国の探求を、私が持っていた卵で解決した。
魔法に縁遠いあんたにはよくわからんだろうが、まあとにかくもドラゴンという途轍もない存在の最後の末裔の卵が内包する可能性というのはすさまじいものだった」
ディアマンテはケーキを作る時に割った卵の殻をつついた。
「神に見放された吸血鬼たちのための国。現実の物理法則は捻じ曲がり、大地は死した雛の体で、夜空は硬い殻でできていて、星も月さえもが紛い物。世界を安定させるためには神という名の新たな秩序を必要とした。私は殺した雛への償いに、そいつを神にしてやろうと思ったんだ。当時でさえ失われていた人身御供を執り行い、夜の国の神を創り出した。王は妻と子という犠牲を承諾していたが、きっと嘘だったんだろうさ。必ず妻と子を取り戻すつもりだった」
琥珀の色の瞳が、一瞬激しい怒りを映した。
「王が私の敵だった女に唆されて神への捧げものを闇から奪い返したことで、世界の秩序が揺らいだ。だが、あの女は犠牲の本質が魂にあることを見抜き、人間を呼び寄せるよう提言した。召喚されたのはまだ幼い女の子で、ちょうどあんたと同じ黒い目と黒い髪をしていた。吸血鬼たちは鏡を用いて魂を抜き取り、神に捧げた。そうして世界は一時的に秩序を取り戻したが、魂を抜かれた少女は空っぽになってしまった。感情はなくなり、受け答えもろくにできず、辛うじてできるのは生命の維持に必要な行動だけだった。吸血鬼たちもそんなつもりじゃなかった、生きて帰してやるために魂だけを抜いたんだ。人間は魂の実感を持たず、元人間である吸血鬼たちもまた持っていなかったから、予想できなかったんだろうさ。あの女がわざと情報を伝えなかった、少女が抜け殻になった後、女は姿を消した。女の目的は私が作った世界を狂わせることだったから、吸血鬼どもに用なんてなかったのさ」
真理愛はぎゅっと拳を握りしめた。あの鏡に映っていた自分の顔を思い出し、それから同じ運命にあった女の子たちの顔を想像した。
「私は地上に戻らないことを条件に生き延び、闇へと潜った。もう何もしたくなかった。間抜けな私は償いさえしくじった、復讐の連鎖から抜け出したつもりでできていなかった。私は闇の中で殻に閉じこもって、外界で何が起きているか見向きもしなかった。だから闇の中に吸血鬼たちが落ちてくることがあっても、その気になれば助けられるのに助けなかった。落ちてきた吸血鬼たちはしばらくは意識があって生きているが、徐々に闇に溶かされていくんだ。それを見捨てた。何故なら罪もない吸血鬼さえも憎かったから。
だが、ひたすらにそうしているのにも耐え難くなった。王を助けた時と同じで、ふと見捨てるのを辞めようと思ったんだ。かつて自分を見捨てた大嫌いな奴らと同じになっていたと、長いこと気づくことができなかった。
そんな時に上から落ちてきた女がいた。子どもができないことを気に病んで自ら身を投げた女だった」
「その吸血鬼は、もしかしてロゼッタという名前ですか?」
ディアマンテははっとした。
「そうだ。そう名乗っていた。ロゼッタ、かわいそうな女だった。子どもができない女というのは、誰よりも本人が自分を追い込んでしまって、本当に悲惨なんだ。私はロゼッタの体を魔法で調べたが、彼女はそもそも子供ができない体質だと分かった。諦めるように諭したが、ロゼッタにすがりつかれて泣かれた。どうしても助けてほしいと。
結局、私は折れて、彼女に子供を授け、闇から抜けだす方法を教えた。方法を知っていても戻れるかは賭けだったが、彼女は生きて地上に戻っていたようだね。あの若造の目元はロゼッタによく似ていた。しかし、まさか滅びの星として生まれていたとは予想もしなかった」
「クラウディオさんは何者なんですか。どうして蘇って、世界を壊せる存在になったんですか?」
ディアマンテはうーんと唸り、お茶を飲んで口を潤してから答えた。
「あんたが猫の目みたいと形容していた奴の目は、爬虫類の目だと私は思う」
真理愛はあっと声を上げた。ディアマンテがうなずいてみせた。
「そうだ、奴は吸血鬼とドラゴンの混ざりものなんだろう。私がロゼッタに子供を授けた時に、気付かぬうちに手を加えられていたんだろう。神に成り切れなかった雛の生まれたいという意思が闇の中には残留しているんだ。いや、意思と呼ぶには意識が伴っていないから、ただそういう仕組みであるというだけかね」
平たんな調子でディアマンテは言ったが、その横顔はどこか悲し気に見えた。
「雛が生まれるためには世界の殻を破壊する必要がある。だが、雛自身はすでに死んでいるし、どれだけ大地を破壊して再び体を作っても二度と生まれることはできない。だが、それでも卵の中にいる雛は生まれようとする、世界を壊して外へ出ようとする。要するに、クラウディオは雛が地上に送りこんだ無自覚の世界の殻の破壊者だ。闇は雛が体を作るための栄養であって、本来は雛/クラウディオのためのものだから、死んで闇に投げ込まれても体の再生が可能だったんだろう。
奴が世界の殻を破ったなら、何に成るのか想像もできない。吸血鬼の守護者たる王子の勘を信じるなら、そのとき奴は、世界に仇をなす本物の怪物に成るだろう」




