誰でも歓迎侍女はいつでも募集中
ヴォルフは急いでいた。
『馬車』が到着する時間自体には、まだ多少の猶予が残っている。
変に慌てて失敗でもしない限り、馬車お迎えの時間までにアメリアの準備は終わるだろう。
馬車が到着するまでに先に待ち、出迎える事。
それは貴族としての作法の一つに近い。
それをしないという事は、専属の馬車とその人員達に対して無礼を働いた事に匹敵する。
このままでも十分、間に合いはする。
だが、あのアメリアである。
どんな理由で時間を無駄にするか分かったもんじゃない。
そんな事を考えながら廊下で急ぎ早足で食器を乗せたカートで運ぶヴォルフに、本日の早朝メイド、その一人が静かに声をかけた。
「あの……」
おどおどした様子の彼女を見て、ヴォルフは足を止める。
「どうかしました? またお嬢様が何かしましたか?」
「いや。その……お疲れ様でしたと」
「一体何がでしょうか?」
「こうしてわざわざ食堂に用意してあった朝食を運んだり、カートと食器を返したり、そう言う事です。お嬢様は……その……少々」
「我儘というのでしたら、まあ正しいですね」
「で、ですよね!」
ぱーっと、彼女は明るい笑みを浮かべる。
そして……。
「私でしたら……ヴォルフレッド様にそんな無礼な事はしませんのに……」
「……それは何の話ですか?」
「だ、だってそうでしょう。ヴォルフレッド様は誰よりもお嬢様の事を考えてます。それなのに、毎日あんな失礼な……私、可哀想で……」
そう言って、彼女は潤んだ瞳をヴォルフに向けた。
「貴女は……」
「私なら、私ならそんな事させません。もっと、貴方の事を大切に……。そうでもなくても……私は……」
潤んだ瞳に、赤らんだ頬。
そしてこちらまで届くその心臓の鼓動。
ここまで来れば、朴念仁と思われるヴォルフにだって、この行動は理解出来る。
出来るが……。
「失礼。お嬢様の馬車がもうじき到着なさいますので」
「ま、待って! 私は……」
そう言って彼女がヴォルフを引き留めようとしたその時だった。
ヴォルフが、彼女を乱暴に壁に押し付けたのは。
壁を背に、愛しの君を見つめる彼女。
彼の顔は少しずつ近くなって……そして、ヴォルフはそっと彼女の耳元で囁いた。
「図に乗るな」
「――え?」
「お前にお嬢様起床の名誉が与えれたのはお前が無害であると判断されたから。それだけに過ぎない。この意味がわかるか?」
「ひ、酷い。私は……ただ貴方の事が……」
「それが本当か嘘か知らんしどちらであってもどうでも良い。先に言っておくが、お前が産業スパイである事は当然、お前のバックが何であるかという事もこっちは等に把握しているからな」
彼女の顔が、とたんに真っ青な物に変わった。
「そ、それは誤解で……」
「釈明は無用だ。既に裏は取れてる。そもそも、そこで『何の事』ではなく『誤解』という辺りで自白している様な物だ。その上で、俺や旦那様はお前みたいな無能にお嬢様を傷つける事が出来んとわかっているから放置しているに過ぎない。だから、余計な事はせずただ仕事に励め。そうすれば、無能なお前でも多額の給金に加え、残飯程度だがお望みの情報は手に出来るだろう。わかったならさっさと仕事に――」
ヴォルフが言い終わる前に、彼女は真っ青な顔のまま思いっ切り走って逃げて行ってしまった。
「……あの様子なら辞めてしまうか。……本当に、続けて貰って問題なかったのだが……。余計な事を言ってしまった」
残念そうにヴォルフは呟いた。
別に嫌味でも脅しでもなく、ヴォルフは本心から彼女には仕事を続けて欲しかった。
侯爵自身や長男、長女ではなく敢えて無関係でただの我儘お嬢様でしかないアメリアの傍に入り込んで来たのだ。
産業スパイとしてはあまりにお粗末で無能な腕前と調査力だろう。
その上で従者として有能であったのだから、スパイする事に文句などある訳がない。
いっそ彼女がスパイとしてクビにでもなってくれたら正規で侍女として雇いたい位であった。
なにせ我儘お嬢様は何時もあの有様、人手が足りる事は決してない。
だから気にせず雇っていたのだが……早朝の忙しい時間に足を止められ、ついヴォルフはイラっとして本音をぶつけてしまった。
とはいえ、言ってしまった物はもうどうしようもない。
今ヴォルフに出来る事は速やかに食器カートをシェフに渡し、食事を作ってくれた感謝を伝えた後主の出発の見送りをする。
それだけが今すべきタスクであり、ヴォルフは秒でさっきの女の事を忘れた。
ありがとうございました。




