第45話 祝福
「喜べ、ユウ。お目当ての『あの子』はここにいるらしいぞ」
そう言ったオリガの笑顔は、見るからに引き攣っていた。
「まさか、本当にそんな事が……」
カールは額に手をやると、天井で閉ざされた天を仰いだ。
壁の彫文は最初の二十人が刻んだ可能性が極めて高かった。そして、その文章は狭間の主と同じ事を言っている。そうなれば、両者が同一人物だと考えるのは自然なことだ。
カールの憶測は期せずして証明された。
最初の二十人が死んだとすると、原因は何か、何故死んだ人間の意識が「世界の狭間」に留まっているのか、一つの謎が明らかになっても、新たな謎が現れる。
皆、静かだった。
朝から嵐の中を移動し、逃げ込んだ先では明らかになる事実に驚愕させられた。
心身ともに疲労は限界に達していた。
「ユウ、君はまだその子を探す気でいるかい」
フレデリックが座り込んでいるユウの瞳を真っ直ぐに覗き込んだ。
視線を外すことを許されない、全てを知りながら相手に回答を要求する、そんな瞳だった。
フレデリックの後ろでは、幾重にも織られた暗闇が洞窟を奥深くまで染め上げている。
自分に向けられた視線を受けとめながら、ユウはゆっくりと頷いた。
この冷たい暗闇の中にその子が取り残されている。ならば、温かな光の世界に連れてきてやりたかった。
ユウの答えを聞いて、フレデリックから凄みが消えた。目尻が下がり、口元に太い笑みが浮く。
「そうだな、そうしよう。急いで探索隊を組まなきゃな」
フレデリックは颯爽と立ち上がると、仲間たちを集めに小走りでその場を後にした。
急いで立ち上がったユウは、その広い背中を追った。
フレデリックの声で人は集まった。
皆、本当の所は子どもを見捨てたくはなかったはずだ。
フレデリックの言葉が最後の一押しになったのだろう。他人の意を汲み取って行動を促す事にかけて、彼の右に出る者はいなかった。
人数は集まったが、探索方法が問題になった。
洞窟の奥は何本もの道が複雑に入り組んでいる。
さらに、底知れない深さと暗闇が探索を困難にさせていた。
一歩間違えれば道に迷って戻れなくなる恐れがあった。
「魔法」の灯は簡単には消えなかったが、維持し続けるには集中が必要だった。ヴィマラ以外の者では途中までしか保てないのが関の山だ。
「ぼくがやります。『魔法』でその子を探してみます」
名乗り出たユウだったが、上手くいくという確信はなかった。
「ぼくは特別なんだ。やればできる。自分を信じろ」
ペドロに貰った言葉を何回も唱えた。
誰もユウの代わりはいない。
ユウと同じ「魔法」を使える者は一人もいなかった。
大きな深呼吸を繰り返し、気持ちを落ち着かせた。
比較的平らな場所を選んで腰を下ろす。刺すような冷たさがユウの尻を襲う。殿筋が収縮し、睾丸袋が縮みあがる。
気にするな。
もう一度息を吸い、瞼を閉じて静かに腹の中の空気を吐いていく。
五感を研ぎ澄ませ、胸の奥で溶け合す。
耳で嗅ぎ、鼻で聴く。肌に触れる全てのものを見透かす感触。
次はその感覚を外へ、心臓の鼓動に乗せて全身に押し出していく。
血管に沿って全細胞を浸し、毛穴からさらに外へ。
空気中に自分の感覚が溶け出す手触り。
地面に自分が染み出し、奥の漆黒へと伝わっていく心象。
しかし、感覚は急に途切れた。
堅固な岩壁が頑なにユウの感覚を遮る。
凝縮した無機物がユウの意思を拒み、冷気が熱を奪っていく。
そして、唐突に流れ込んできたざらついた感触。
紙やすりを舌で舐めた様な感覚に、全身の皮膚が泡立つ。
思わずユウは目を開けてしまった。
それまでの感覚は露と消え、強い不快感だけが残る。
もう一度目を瞑る。
集中しようとするが感覚はまとまってくれなかった。
意識を集中しようとすればするほど、力が籠り、身体が強張る。
呼吸が荒くなり、額を脂汗が伝った。
焦りと不快感だけが募っていった。
強く身体を揺すられて、ユウは我に返る。
目の前にシェンズの顔があった。目の端に雫が溜まっている。
「ユウ、とっても辛そう。あんまり無茶しないでよ」
ユウの口が動く前に、シェンズはユウを強く抱き締めた。
シェンズの背中越しに仲間達の心配そうな顔が幾つも覗いている。
その時初めてユウはざらついた感触の正体に気が付いた。
人だ。
ユウが「魔法」を使った時、その場には80人近い人間がいた。
思えば、ユウがここまで大人数を前にして「魔法」を使った事は一度もなかった。
個々の意思を持った人の中に、ユウは土足で踏み入ろうとしたのである。
相手の驚きや拒否反応が大気を通して伝わったものを、ユウはざらついた不快感として受け取っていた。
ユウの肩から力が抜けていった。
自分は特別、やればできると発破をかけてみても、やはり自分は無力な子どもに過ぎなかった。
涸れたと思っていた涙がどこからか湧いて出た。口の中が酸っぱさで満ちていく。
嗚咽を掻き消すように、耳元でシェンズが囁いた。
「ユウ、もう一回やってみよう。今度は私も協力するから」
ユウの身体を放すと、シェンズはユウの左手を握った。
「それじゃあ、私も一緒にやるぅ」
ヴィマラが右隣に座ってユウの腕を取った。
「ユウはこのやり方であたしを見つけたんでしょ。大丈夫、皆で力を合わせればうまくいくって、お婆ちゃんが言っていたわ」
ユウの脚の間にメラニーが小さな身体を潜り込ませた。
触れ合った部分から三人の脈動と体温が伝わる。
「なんだ、そうやって手を繋ぐと『魔法』の成功率が上がるのか。それなら私も加わろう」
「お前は一人でやろうとしすぎなのだ。儂等はいつでも力になるぞ」
オリガとカールが両端に加わった。
「その真面目さも正直さも君の美徳だ。あとはもっと人を頼る事を覚える事だね」
「おめえの事は俺が認めてるんだ。根性見せてみろ」
「皆、仲間よ。心配いらない。信じて」
「お姉さん達はいつも君の見方だよ~」
「こんな時くらい、おじさんも良い所見せないとね」
人の輪が広がっていき、二重三重になった。
気恥ずかしそうに加わるプルチネッラの様な者もいた。
オヨンチメグは変わらぬ頬笑みを皆に向けている。
人の熱が、鼓動が、意志が、一つになって膨らんでいく。
全員が目を閉じた。
ユウが呼吸すると皆がそれに合わせて呼吸した。
もう一度意識を集中する。五感が温かな光で満たされていた。
そして外へと感覚を解き放つ。
全身を駆け抜けた感覚は指先から外へ、シェンズとヴィマラの掌に流し込む。
腹のなかにいるメラニーと身体越しに鼓動を同期させる。
電気が回路を流れるように、感覚が人の間を走り、皆の感覚を解いて束ね直す。
感覚は共有され、自他の境界は薄れていった。
もっと外へ、その場の全てを呑み込んでいく。
世界が一つに溶け合った。
何かが指先を掠めた気がした。
色で言えば赤、乳の香りと言葉にならない叫び声、羽毛のような軽やかさと人間の重さ、熱を持った原始的な意思が混然となって浮かび上がる。
ほとんど同時に全員が同じ方向に走り出した。
洞窟の中は相変わらず真っ暗だったが、皆、真っ直ぐに進んだ。
「今のって……」
「そう、絶対そうよ」
全員が知っていた、そこに行けばその子がいる事を。
先頭を走っていたシェンズの足取りが緩んだ。
つられて後ろにいたユウも歩を遅くする。
立ち止まったシェンズの上から光が注いでいた。
見上げると、遥か彼方の天井に巨大な穴が開いている。
いつのまにか暴風雨は治まり、太陽が健やかな光の帯を四方に放っていた。
「皆、早く来て。やっぱりいたんだ」
シェンズの声は震えていた。
寄って行ったユウに、シェンズは両腕を差し出しす。
「赤ちゃん」
彼女の腕の中で小さな赤ん坊が寝息をたてていた。
文字通り、真っ赤な顔は人間よりも猿に近かった。
それでも不思議と愛おしく思え、ユウは胸を締め付けられた。
追いついた仲間達がシェンズと赤ん坊を囲んでいる。
ユウはその光景を少し離れた所で眺めていた。
心にも、身体にも力が入らない。
ユウは心地好い脱力感を味わっていた。
不意に天井の穴から外の空気が吹き込んだ。
湿気を含んだ咽返る様な熱風が吹き下ろす。
途端にユウは来た道を走りだした。
誰にも気付かれる事はなかった。
虚脱感を促す外気が運んできた感触。
煩わしいほどに絡みつき、温かく、それでいて時に驚くほど冷たい。
息を切らせてユウは走った。
耳元で心音が聞こえた。
散々自分を連れ回し、からかって面白がる。しかし、それが嫌ではなかった。
洞窟の入り口を飛び出した。
陽光がユウの目に襲いかかり、辺りは白一色になる。
転がるように坂を駆け下りた。
横倒しの巨大樹の前で脚が止まる。
ユウは樹の上を睨みつけた。
言葉が見当たらない。構うものか。
枝を伝って幹の上に登った。
今自分の瞳に浮いているのは何の涙だろうか。
視界は曇っていても、眼前の奴を間違えるわけはなかった。
ユウは真っ直ぐに相手を見た。
相手も真っ直ぐに見返しているに違いない。
「無事だったんだ」
「無事って言うには全身怪我だらけだ」
「でも生きてた」
「ああ、命拾いした。普段の行ないの賜物だな」
こんな時でも軽口をたたく。
それ以上、我慢出来なかった。
ユウは目の前の相手に思いきり飛び付く。
「痛い、イタイ、止めろって。腕とか胸とかたぶん折れてるから」
「ペドロ、やっぱりペドロだ」
「ああ、そうだ。俺は正真正銘ペドロ様だぜ」
辛うじて動く左腕でユウを引き剥がすと、ペドロはその指でユウの涙を拭った。
ユウの瞳にはっきりと親友の姿が映る。
全身痣や傷だらけで、所々腫れ上がり、右腕は不自然な方向に曲がっていた。
「満身創痍だね」
「でも不思議と命に別条なしだ」
「そんな身体で大丈夫なの」
「大丈夫さ。これまでも何とかやってきた。これからだってやっていけるさ」
珍しく大きな口を開けて笑った後、ペドロは付け加えた。
「俺も、お前も、皆一緒に、この『新世界』で生きていくのさ」
約1年間にわたった「ぼくらの、『新世界』を創ろう」の連載もこれで終わりです。
「新世界」でのユウ達の生活はまだまだ続きますが、今回はこれにて一件落着とさせて頂きます。
週1回の更新も儘ならず、数カ月にわたって更新が途絶えた事もありましたが、無事にゴール出来ました。
惜しむらくは本文のみで10万文字に達せられなかった事ですかね。
ここまで書けたのも、ひとえに読んで下さった読者の皆さまのお陰です。
本当にありがとうございました。
気が向いたら、第2部とか書くかもしれません。まあ、回収しきれていない伏線も幾らかありますし……
ただ、当分は次の連載作品の設定を煮詰めながら、短編でも書いていければと思っています。
それでは、また何処かでお会いしましょう。
お粗末さまでした。




