第44話 バベルの塔
ユウとシェンズが目覚めると、事態は一変していた。
仲間達は二人の身に起きたことを知っていたのだ。
驚くユウに、カールは「世界の狭間」の事を話して聞かせた。
説明の後、ユウは改めて腕輪の石を眺めてみた。
深い青の底で灯の光がチロチロと乱反射しているのが透けて見えた。
自分の爪ほどの大きさしかない欠片が自分達を別の世界へ連れて行った事が、おかしく思えた。
次はユウとシェンズが「世界の狭間」での体験を話す番である。
一通りの事はシェンズが話してくれた。
ユウの役割は興奮気味なシェンズを落ち着かせ、皆にわかるように話を補足する事だけだった。
「それでこれから先、皆はどうしたい」
全ての話が終わった後、フレデリックが全員を集めて尋ねた。
「これ以上人数が増えねえなら、もっと住み良い場所に移らねえか」
「最初の二十人は本当に死んじゃったのかな」
「この洞窟なら雨風は凌げるんじゃない」
「いずれにしても、外はあの有り様だ。天気が回復するまでは、この洞窟からは出られない」
オリガの発言の後、小声でぶつぶつと呟く者がいたが、多くの人はその声を聞き取る事が出来なかった。
「誰が話しているんだ。話すなら、しっかりと聞こえるように喋りな」
オリガの一喝が入る。
「あ、あの、僕は、狭間の主が言っていた『あの子』を探したいです」
それでもユウの言葉はたどたどしかった。未だに大人数の前で話す時には腰が引けてしまうのだ。
だが、胸の奥から込み上げるその声には、力強さがあった。
「何の手掛かりもないんだ。手探り状態でこの広い世界からたった一人を見つけるのは厳しいだろうね」
「それに狭間の主が最初の人々だというのは儂の単なる想像に過ぎん。その子が実在する確証はないぞ」
大人達はユウの提案に否定的だった。
今は自分達の安全すらも保証されていない。いるかわからない子どものために動く事は憚られるのだろう。
「ユウ、君は何故その子を探したいと思うんだ」
オリガの口調は優しかったが、その言葉には鋭さがあった。
「それは、その……」
言葉が詰まった。
ユウは真心からその子を助けたいと思っていた。
幾度も請われた「あの子を助けてあげて」、その言葉が胸の深い所で静かに燃えている。
かといって、自分の感情を伝えるだけで、人を説得出来るとも思えなかった。
「僕は、僕はこれまで皆に助けられてきたから。ここに来る時もペドロが助けてくれたから。だから僕も誰かの助けになりたい。直接、何度も頼まれたんだよ。力になりたいんだ」
結局ユウに出来るのは、思いの丈を正直に吐露する事だけだった。
大人達は各々渋い顔をして黙ってしまった。
誰も好き好んで子どもを見捨てたいはずがなかった。
ただ目の前の現実がその決断を鈍らせるのだ。
「ねえ、これ、何かしら~。きれいな模様ねぇ」
ヴィマラの朗らかな声が、場を支配していた沈黙を打ち消した。
見ると、巨大な木の根の陰からヴィマラとメラニーが手招きしている。
近づいてみると、確かに二人の前の壁には石で引っ掻いたような跡が無数に刻まれていた。
それは模様のようでもあったが、規則正しく並ぶ様は文字のようでもあった。
見慣れない記号に混じって、所々にローマ字らしきものもある。
だが、その場に集まった者の中に壁の文字列を解読出来る者はいなかった。
「物知りなカールおじいちゃんかオリガなら読めるんじゃないかしら。あたし、二人を呼んでくるわ」
メラニーは滑りやすい地面を早足で駆けていくと、直ぐに二人の手を引いて戻ってきた。
壁に刻まれた文字を見て、カールはお手上げという風に首を横に振った。
勢いで大きな鼻がぶるぶると震える。
オリガは腕組みをしながら壁を凝視していたが、振り返ると一同を端から眺めていき、再び壁に視線を戻した。
「本当にこれを読める者は一人もいないのか」
壁の方を向いたまま、オリガが尋ねた。
壁の前に集まった全員が、その問いを肯定した。
「なるほど、どうやら最初の二十人の中にバベルの塔を建てようとした奴がいるらしい」
振り返ったオリガは、一人したり顔で呟いた。
彼女の美しい顔に怪しい微笑が浮かんでいる。
「バベルの塔って何よ。私にもわかるように教えなさい」
恐ろしい表情のオリガにも、シェンズは物怖じしなかった。
要求に応えてオリガは説明を始めたが、その前に生意気な少女の眉間を人差し指で軽く弾く事を忘れなかった。
「ここに書いてあるのはキリル文字、つまりロシア語だ。当然私は読む事が出来る。母語だからな。だが他に読める者はいなかった。ロシア語圏出身の者がいないのだから当たり前と言えば当たり前な気もするだろう。よく考えたら不思議な話じゃないか。我々はこうして何の問題も無く意思疎通出来ているんだぞ。ここまで雑多な地域の人間が集まっているのに、だ」
「誰かが言葉を一つにした、と言いたいのか」
フレデリックの返答に、オリガは満足そうな微笑みで返した。
「その通りだ。しかし私はそんな『真理』を把握していないから、ここにいない人物が考えたという事になる。それは最初の二十人の誰かである可能性が非常に高い」
「それがバベルの塔ってのと、どんな関係があるのよ」
話に付いていくのに必死なシェンズは、少々怒り気味になっていた。
「すまん、すまん。単なる例え話だ。旧約聖書にあるんだよ。その昔、人類が天まで届く塔を建てようとして、神の怒りを買ったという話が。それで神は人類の言葉を混乱させて、人類が団結出来ないようにしたのさ。今、我々はその時以来の言語の統一を経験している。惜しむらくは、文字の統一が為されなかった点だな」
ハの字眉のシェンズをあやすように、オリガは彼女の額を優しく撫でた。
一通りションズの頭を弄んだ後、オリガの表情が再び引き締まった。
続く彼女の言葉は、その場を凍りつかせる事になる。
「そして、もっと重要な知らせだ。ここにはな、『あの子を助けて、あの子はここにいる』と書いてあるんだ」




