二本のちくわを髪留めにする少女
六月の風は、世界をあまりにも透明に磨き上げていた。
放課後の音楽室には、西日がまっすぐ差し込んでいた。白いカーテンが揺れ、その向こうから、たどたどしくも美しいショパンのノクターンが聞こえてくる。
グランドピアノの前に座っているのは、小夜子だった。
白い肌と、静かな目。長い黒髪。
誰もが彼女を見ていたが、誰も近づかなかった。
――ただ、その頭部に飾られた異物さえなければ。
彼女の黒髪は、左右で二つに束ねられていた。
その束を、簪のように貫いているもの。
二本のちくわだった。
どこにでもある、茶色い焦げ目のついた練り物の筒。
それが彼女の髪を留め、西日を受けてわずかに油を光らせている。
ピアノの音に混じって、魚のすり身の匂いが漂っていた。
不釣り合いだった。
だからこそ、目を離せなかった。
最後の音が消える。
小夜子は鍵盤から手を離し、入口に立つ私を見た。
「うるさいね」
彼女はピアノの蓋を閉めた。
「世界が、少しうるさすぎるの」
そう言って、耳のすぐ上にあるちくわを指差す。
「だから、この穴に吸い込んでもらっているの」
焦げ目に縁取られた、二つの暗い空洞。
小夜子は、その向こうにだけ静かな世界があるような顔で微笑んだ。
◇
七月に入ると、教室の空気は湿った熱を帯びた。
どれほど美しく装っても、ちくわは生ものだ。
彼女の髪に刺された二本は、朝にはまだ張りがあった。
だが授業が進むにつれ、頭皮の熱を吸って少しずつ柔らかくなっていく。
「なんか、この辺、生臭くないか」
前の席の男子が鼻を押さえ、机をずらした。
教室のあちこちから笑い声が漏れた。
小夜子は何も言わなかった。
窓の外の入道雲を見ていた。
私は彼女の斜め後ろから、髪に刺さったちくわを見ていた。
表面には薄く湿り気が浮き、焦げ目の間に小さな水滴が光っている。
そこには確かに彼女の体温が移っていた。
冷たく整った教室の中で、彼女の頭にだけ、温められた異物がある。
そのことに、私は妙な安らぎを覚えた。
「汚いって、思ってる?」
放課後、誰もいなくなった教室で、小夜子が言った。
「思わないよ」
私は少し考えた。
「ただ、温かそうに見える」
小夜子は目を見開いた。
それから、右側のちくわに触れた。
「うん。温かいよ」
彼女は小さく笑った。
「私の血が、ここに流れているみたいに」
◇
その日の夕方、激しい雨が学校を襲った。
雨音が窓ガラスを叩き、教室を白いノイズで満たしていた。
私と小夜子は、薄暗い教室に二人きりだった。
小夜子は髪を留めていたちくわを、ゆっくり一本引き抜いた。
片側の黒髪が肩へ落ちる。
手のひらに乗せられたちくわは、彼女の体温を吸って、驚くほど柔らかくなっていた。
「これ、食べていいよ」
彼女は私へ差し出した。
一瞬ためらった。
けれど私は、それを受け取った。
指先に伝わったのは、ぬるい温度だった。
魚の匂い。
彼女の髪の匂い。
夕立の湿気。
私は端をかじった。
塩気が広がる。
次に、彼女の体温が口の中へ移ってきた。
それは味ではなかった。
温度だった。
「美味しい?」
小夜子が尋ねた。
「温かいよ」
私が答えると、小夜子は少しだけ安心したように目を細めた。
私はもう一本も彼女の髪から抜いた。
黒髪がすべて肩へ流れ落ちる。
その瞬間だった。
教室の音が、急に遠くなった。
窓を叩いていた雨音。
廊下の蛍光灯の唸り。
どこかの教室で椅子を引く音。
すべてが、二本のちくわの穴へ吸い込まれていく。
小夜子の輪郭が、雨の向こう側へにじんだ。
「小夜子?」
呼びかけた声さえ、ひどく遠く聞こえた。
彼女は笑っていた。
「静かでしょう」
その声を最後に、教室から音が消えた。
◇
翌朝、空は抜けるように晴れていた。
小夜子は学校に来なかった。
彼女の席は、ぽっかりと空いていた。
クラスの連中は誰も、そのことを話題にしなかった。
まるで最初から、そこに誰もいなかったようだった。
私は彼女の机の前に立った。
机の上には、二本のちくわの残骸が並んでいた。
水分を失い、細く、硬くなっている。
昨日まであった温度も、匂いも、もう残っていない。
私は一つを手に取った。
耳元へ近づける。
穴の奥から、かすかな音がした。
ショパンのノクターンだった。
たどたどしく、遠い音。
その向こうに、誰かの指が鍵盤へ触れる気配がある。
私は目を閉じた。
世界は、まだうるさかった。
けれど、それ以来、どうしても耐えられなくなると、私はちくわの穴を耳に当てる。
すると、ほんの少しだけ。
魚の焦げた匂いと一緒に、彼女のいた静けさが戻ってくる。




