次元の行使
エリンスとアグルエは前だけを見て走っていた。
連れ去られたメイルム、それを追ったマリネッタ。『ここは任せろ』と背中を見せたアーキスたちに心配する気持ちがないわけでもない。
ただ、勇者候補生として、同じ志を持つ同盟として、二人はひたすらに彼ら彼女らのことを信じて、自分たちが今やるべきことだけを想って先を目指す。
――これから向かう先は、覇王が占拠した王城だ。何が待ち受けているか、わからない!
鞘から抜いたままの剣、願星を手に、エリンスは横を一緒に走るアグルエと想いを通わせ前を向く。
エリンスの手元では白き輝きが、アグルエの胸元では黒き輝きが――二人の持つ力は、二人の想いに共鳴するかのように淡い光を放っていた。
街を囲む城壁に開いたトンネルを駆け抜けて、街と王城とを繋ぐ大きな鉄橋へと差しかかった。
山と山の繋ぎ目、谷間を架ける黒鉄の鉄橋は、崩れることもなく未だその役目を負ってくれている。
その先に見えてきたのは、黒い城壁に囲まれる黒鉄の王城。やや冷たい印象を覚えるが、それは白い雪化粧が施されているせいでもあるだろう。城門は何か大きな力で叩き潰されたかのように崩れていて、城を囲んだ城壁の頂点に建てられている五本の塔はどれもが半ばより折れている。
これが、かつて帝国の権威を示した黒鉄の王城だったもの――本殿は形を保ったままであったが、エリンスとアグルエは圧巻とさせられてしまった。魔族たちの手が帝国の最終防衛地点、皇帝の根城にまで及んだことを思い知らされる。
一度足を止めて城を見上げた二人だったが、すぐに顔を合わせ頷き合い、先を急ぐように駆け出した。
地面が捲れ上がったり崩れた瓦礫が山積みになっていたり、戦いの跡が垣間見える城の表の庭園を抜けて、正面玄関の両開きの大きな扉をくぐり抜けた。
城へ一歩立ち入ったところで、エントランスホールは不気味なほどの静寂に包まれていた。
ひんやりとした空気、まるでない人の気配。しかし外の惨状とは変わって、小綺麗に整えられて、掃除も生き届いたように片付いている。
黒い大理石張りの床には散りも埃も、雪も泥も積もっておらず、その上に敷かれた赤い絨毯はふかふかのまま汚れもない。
長々と構えられた大広間の先にはスロープ状になる二本の昇り階段が見える。その先、二階正面にある両開きの扉の先が玉座であろう。
立ち並ぶ黒い柱、天井から垂れ下がる明かりのついたシャンデリア。煌々としているそれは、人の気配もない王城の中では不気味さを余計に演出しているだけだった。
走るのをやめて用心したようにゆっくりと歩みを進めた二人。
エリンスは右手で剣を構えたままに、アグルエは剣を腰の鞘に納め、不安そうに手を胸の前で合わせてきょろきょろと周囲を見渡す。
人の気配もなければ、魔族の気配も感じられない――そんな静けさに気を取られて、アグルエは踏み込んだ絨毯に足を取られた。
「わっ」と声を上げてよろけたアグルエに、エリンスは咄嗟に左手を差し出す。
慌てて掴もうと左手を伸ばすアグルエだったのだが――二人の手先が触れあった瞬間に弾けた白と黒の輝きで、手を取り合うことができなかった。
――バチッ!
稲妻のような閃光に音を上げ、二人は弾き飛ばされるように尻餅をついた。
その衝撃でエリンスが手にしていた剣は吹き飛ばされ、黒い冷たい石床の上をからんからーん、と音を立てながら滑っていった。
慌てて顔を合わせた二人。それからエリンスは手元を離れた剣を目で追う。
何者かの黒いブーツにぶつかって動きを止めた剣。
そいつはまだ小さな身体を折るように腕を伸ばして、エリンスの剣を拾い上げた。
人の気配もなかったところより現れた人影は、身長が小さいまだ子供。
くすんだ銀髪を後ろで結ったポニーテール、バイトレットカラーの暗い瞳。口を一文字に結んで、何を考えているのかわからない表情。
整った顔立ちには幼さが残り可愛げも見えるのだが、その暗き目は先を見透かしたかのように鋭く、それが彼女のアンバランスさを表していた。
「子供……?」と呟いたエリンスだったが、彼女がミカシプロルの着ていたものと同じ、黒いローブを羽織っていることにはすぐ気がついた。
魔族を見た目で判断してはいけない。
おおよそ人に近い見た目をしているが、その異質な雰囲気が、彼女が魔族であるのだと大いに語っていた。
彼女は右手にエリンスの剣を、逆の手には何やら片手のひらに収まるサイズの端末のようなものを持っている。片頬を膨らませるように息を吸って、「ふーん」と頷きながらつまらなさそうに、エリンスの剣をひっくり返しては元に戻して、観察するように目を向けていた。
「エリンス、油断しちゃダメ」
身体を起こして立ち上がったアグルエの声に、エリンスは「言われなくても」と思いながらも頷く。
二人して警戒心を解かないままに目を離さないようにしていると、彼女は飽きたかのようにして、手にしていた剣をエリンスに向かって放った。
「ほいっ」
くるくると刃と柄の部分が回転しながらエリンスへと迫り、エリンスが慌てて手を伸ばすとちょうど柄の部分を掴むことができた。
そんなエリンスの様子をジトッとした目で見つめていた彼女は、エリンスが剣を掴むや「ナイス」と褒めるようにしてニッと口元だけで笑う。
エリンスは剣を手にしたまま、呆然と彼女を見つめた。
「何故だ」
――どうして得物をすんなり返してくれた?
エリンスにとっての唯一の武器である願星。それは敵に塩を送るような真似だろう、と思ったのだが。
「ボクはマーキナス。やっと、お目見えだ。ニヒヒ」
マーキナスと名乗った彼女は薄ら笑いを浮かべる。
アグルエも不審がったようにしながらエリンスの横に並んだ。
「覇道五刃……?」
アグルエが聞くと、マーキナスは「うん?」と首を傾げた。
その名はエリンスも覚えていた。散々にザージアズが口にしていた魔族の名だ。
「そうだよ。ボクが第五刃。っていうか、ボクのことより、今興味深いのはきみたちのそれでしょ?」
マーキナスはそう言いながら、エリンスの手とアグルエの胸元を指差した。
自然と溢れ出す想いは、こうして魔族を前にしても未だに白き光と黒き光となってそれぞれに漏れ出している。
エリンスとアグルエは、マーキナスに顔を向けながらも横目にそれぞれ目を合わせて、互いのそれを一瞥した。
「『星の力』の反発だ。いいねぇ、目論見通りだ」
何やら納得するように頷くマーキナスに、エリンスの心のうちに焦りと不安が募った。
何を考えているのかわからない。しかし、相手は子供で、丸腰だ。それに、覇道五刃であるならば――。
考えるが先か、一歩踏み出したのが先か。エリンスは不気味に漂った寒気を背に、剣を構えて飛び出した。
薙ぐように振り抜く横一閃。
しかしマーキナスはわざとらしく驚いたような顔を上げて、ぴょんっと上に跳んでそれを避けた。
「なんだよ、いきなり、もう!」
ぱたりと着地するマーキナスへ、エリンスはそれを見切ったかのように切り返す刃でもう一閃。
マーキナスは手にした端末をローブの内ポケットにしまい込むと、再びぴょんっと跳び上がるように軽々しい動作で後ろへ避けた。
一歩一歩の身軽な動作、気配もない足さばきと身体の運び方はザージアズにも似ている。
エリンスとマーキナスの攻防を呆然とした様子で見つめていたアグルエは、ぼそりと言葉を零した。
「あなた、本当に、子供……?」
「うん、ボク八歳」
マーキナスはエリンスの更なる追撃をかわしながら、左手で五本の指、右手で三本の指を立てて合わせてアグルエにこたえた。攻撃を避けながら見せる余裕に、エリンスの額を冷や汗が伝う。そんな風にしているマーキナスを、エリンスは捉えることができなかった。
マーキナスが着地し、エリンスは刃を振り抜き、切り返す刹那、手元に溢れる白き光を剣身に集めるように意識を集中させる。
蒼白に輝く剣が煌いて、マーキナスはそれを面白そうに「おぉ」と声を上げて目を輝かせた。
「魔導霊断!」
魔を断つ否定の炎。
振り抜かれる刃が白き炎に揺らいで、幾分か見切りづらい斬撃となる。
しかし、マーキナスはその攻撃もいとも容易く、横にぴょんっと跳ぶだけでかわして見せた。
「その力は危ないって!」
慌てたように言いながらも、マーキナスの表情は変わらない。
しかし、エリンスが続けて次の攻撃に移ろうと剣を振り抜いた体勢のまま構えたところで、エリンスはマーキナスのことを見失った。
はたから見ていたアグルエにも、マーキナスの動きは目で追えなかった。
――どこだ?
と、意識を研ぎ澄ました一瞬、エリンスは伸ばしたままの腕の先、蒼白の輝きを失った剣身の先に足をつきしゃがみ込むようにしているマーキナスを見つける。
「はぁーまったく、いきなりそんな力振り回さなくたってさー!」
エリンスは理解ができなかった。気配もないどころか、剣の上にそうやって乗っているのに重さも感じない。
というよりは、いつの間にそこへ移動したのか。どうしてそんな風に、ふいを衝かれてしまったのか。
まとまらない思考が迷いを生み一瞬考えた後に、エリンスは剣を振り払って、上に乗ったマーキナスを振り落とそうとした。
ニッと口元だけで笑みを見せたマーキナスは、ぺらっとなって、ぱらっと落ちる。
何が起こったのか、またもや理解できないエリンスだったが、マーキナスはまるで紙のように平面な形となって、エリンスの振り払った剣を避けて床を滑った。
驚き固まったエリンスとアグルエを余所に、再び立体的になり立ち上がったマーキナスは、ピコピコと音を上げる手元の端末に目を落としながら口を開いた。
「ボクは別に、きみたちとやり合うつもりはないんだけどなぁ」
エリンスは直感する――第五刃と名乗りはしたが、今まで相対してきた誰よりも強い、不可視の力を持っている、と。
エリンスとアグルエは身を寄せ合うように歩みを寄せた。
そうして身を寄せ合ったところで、再び二人の間で白き光と黒き光がバチッと弾けた。
「きゃっ」と声を上げたアグルエが一歩離れたところで、マーキナスは「ニヒヒ」と笑う。
「いい状態まで引き出されているねぇ。白き炎と黒き炎!」
二人のことを見つめるマーキナスの瞳から感じる不気味さ。
マーキナスははっきりと言った「白き炎と黒き炎」と。何か力の秘密を知っている、と二人は胸元を抑えるのだが。
「まっ、いっか。約束は約束だし」
マーキナスは飽きた玩具を投げ捨てるかのようにそう言った。二人から視線を外し、広間の天井を見上げるように見渡すマーキナスに、エリンスもアグルエも目を離すことができず、身動きを取ることもできない。
「ほら、持っていきなよ。きみのお目当てのモノだよ」
そう大声を上げたマーキナスに、エリンスは「何の、話だ……」と疑問を口にしたのだが――。
二人の注意はマーキナスに寄せられていた。だから、エリンスも気が付くのに一歩遅れた。
アグルエの足元、赤い絨毯の上に染みが広がるようにして、黒い闇が湧き出した。闇は人が一人すっぽりと落ちるほどの穴になる。「え?」と声を上げたアグルエは足元をすくわれ、それに落ちた。
「アグルエッ!」
咄嗟に手を伸ばすエリンスだったが、アグルエがその穴に引きずり込まれるほうが早い。伸ばした手はふかふかとした赤い絨毯に吸い込まれる。
そこに開いた穴も広がっていた闇も、アグルエを呑み込んですぐに消えてしまった。
「一体、何の力だ……」
エリンスが撫でたのは虚しくも赤い絨毯。顔色が蒼然となったのも一瞬、迷いを断つように剣を振り構え、エリンスは顔を上げた。
「アグルエを、どこへやった!」
睨みつけた先で、マーキナスは無表情のままにジトッとした目を向けている。
「ボクは知らないよ。闇招さんに聞いてくれないか……っても、もういないか」
のんきに変わらぬ調子でそうこたえたマーキナスに、エリンスの焦りはより一層、募っていった。




