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第六話『マスター殿には指一本触れさせません。マスター殿も小生のカワイイお尻に触ろうとすんじゃねえであります』
辺りは再び静まり返った。
その場にいた一同は信じられない物を目にしていた。
目の前で鋭く体をひねった少女の手の中に突然ボウガンの矢が現れたのだ。
もちろんそう見えただけで事実ではない。
アーリヤはグリム目掛けて隣の部屋から放たれた矢を宙で掴み取ったのである。
同時に天井裏から己の首もとへ放たれた吹き矢は体をよじる動作でかわしている。
無論当ったところでどうと言うことは無いが、あえて威圧のためにそれをかわしみせたのだ。もちろん天井裏の穴の奥を殺気をこめて睨みつけることも忘れない。
そして彼女は即座にボウガンの矢を投げ返した。
矢は寸分狂わず穴へ逆戻りし、直後に短い悲鳴が木霊する。
全ての動作はほんの一呼吸ほどの時間に行われたが、既に兵士達は戦意を喪失していた。
予定では潜ませた二人の伏兵がボウガンと猛毒の吹き矢で二人を仕留める手はずだったのだ。それ以外の兵士達はグリムとアーリヤを閉じ込めて逃がさぬようにすること、そしてヨセフィンの身を守ることが役目だった。
伏兵が万が一仕留め損ねた際に止めを刺す役目も仰せ付かっていたが、目の前の少女がやってのけた離れ業に誰も彼もが金玉まで縮み上がっていた。
化け物だ。
全員が恐怖に凍り付いていた。
しかしヨセフィンは癇癪を起こした子供のように喚いている。
「何をしてる!!
早くそいつを殺せ!!」
我に返ったボリスが彼女を羽交い絞めにした。
「止めろヨセフィン!
おい、そこの二人!そのまま動くんじゃないぞ!」
それは表面上アーリヤ達へ言ったように見せかけて、実際は兵士達へ命じていた。
もちろん兵士達は動こうにも動けなかったが。
アーリヤも『まだ』動くつもりは無かったが、それでも衣擦れの音一つ聞き逃さぬほど注意を張り巡らせていた。
その間もヨセフィンはボリスの腕の中で駄々っ子のように暴れている。
「ボリス!!離しなさい!!
私を誰だと思ってるの!?
私は次期当主なのよ!!!」
アーリヤは見た。
男は頬の筋一つ動かさなかったが、目の奥に憎悪の塊が沸騰しかけている。
だが男はその気配すらも瞬時に蓋をして覆い隠した。
「だから落ち着け!!
お祖母様がすぐ傍にいらっしゃるんだぞ!!」
女は長く美しい栗毛を振り乱し、殆ど半狂乱になっている。
無様だ。
アーリヤの胸には軽蔑の念しかなかった。
それを知ってか知らずか、グリムはぼそりと呟く。
「アーリヤ、助かったよ。
でも痛い目見せるのは程々にして欲しい」
「向こうの心がけ次第であります」
実際、アーリヤは注意を払うべき対象が多過ぎて手加減する余裕はあまり無かった。
グリムを害そうとした敵への応報の念と彼女自身の些か猟奇的な趣味を抜きにしてもだ。
形式上、アーリヤと睨み合う兵士達。
うろたえる侍女長。
喚き散らすヨセフィンとそれを押さえ込もうとするボリス。
そしてぼんやりとそれを眺めるグリム。
こう着状態を打ち破ったのはベッドの上で上半身をもたせ掛けていた老女だった。
「ヨセフィン・マキラ!!!」
ヨセフィンは思わず飛び上がった。
その結果、彼女を羽交い絞めにするボリスの顎へ頭をぶつける。
二人分の呻き声は些か滑稽じみていたが、部屋の中の誰一人として笑わなかった。
やんごとない二人の身分に配慮したからではない。
ベッドの上で息を荒げていた老婦人の怒りが凄まじかったからだ。
表情こそ淑女の慎みを失っていないが、それはごく薄い。
火鉢の中の炭のように、薄い灰の下で真っ赤な怒りが燃えていた。
その怒りが爆ぜた瞬間どれほど恐ろしい目に会うか、その場のほぼ全員が骨の髄まで身に染みている。
『竜も逃げ出すリンドグレーンの老魔女』。
わざわざ竜より怖い存在の尾を踏みに行く奴はいない。
誰だって命は惜しいのだ。
だが幸か不幸か、その怒りは爆発する前に行き場を失った。
ドロテーアは肺患いの発作を起こし、大きく咳き込んだのである。
「大奥様!!」
兵士達を突き飛ばすようにして駆け寄った侍女のハンナが水差しと薬の包みを取り出す。
ハンナに背中をさすられながらドロテーアはそれを一息で飲み干した。
部屋中の人々が心配そうに見守る中、ドロテーアは顔を覆っていた苦痛の影をやっとのことで消し去る。
そして再びヨセフィンを見据えた。
「彼は……私の大切な友人です。
結界を守るために私が招きました」
「こんな奴の手なんて必要ありません!
私が守って見せます!
わ、私だって王立魔術学校で学位を修めた術師ですよ!」
もはやヨセフィンに先ほどまでの勢いは無かったが、それでも必死に食い下がろうとしている。
ドロテーアの胸の内も数旬前の少々危機的なまでの怒りからは開放されていたが、取って代わって冷たく虚ろなものがその場所を占めていた。
「彼は私と同じ、塔の術師です」
彼女が『塔』と言葉にした瞬間、辺りはざわめいた。
魔術師でなくとも、そこで何をしているかは知らなくとも、『塔』に居るのは御伽噺のような魔術師であることは通りを走る子供ですら知っている。
ヨセフィンは困惑と狼狽が入り混じった顔で叫んだ。
「からかわないで下さいッ!
そんなみすぼらしいボロキレを着た物狂いが、お祖母様と同じように賢者の塔にいただなんて、ウソです!!
お祖母様は騙されらっしゃるとしか思えません!
大体そいつは魔力の欠片も無いじゃありませんか!!」
ヨセフィンは金切り声に近い叫びでグリムを指差す。
ドロテーアは深いため息を吐いた。
「ヨセフィン……余り私を失望させないでちょうだい」
その言葉が意味するところにヨセフィンは青ざめた。
二の句を告げないまま、彼女は凍りつく。
「私は彼と大切な話があります。
兵士を下がらせなさい。
ボリス」
「はい。行くぞ、ヨセフィン。
みんな、持ち場に戻れ」
ボリスは眼鏡の位置を直した後、ヨセフィンの肩を抱いて何やら一言二言慰めの言葉をかけた。
部屋を去り際にヨセフィンは憎悪の篭った目でグリムを睨んだが、ドロテーアに「ヨセフィン」と声を掛けられるとびくりと肩を震わせて立ち竦む。
彼女は叱られた子犬のような目で祖母を見たが、打って変わって祖母は優しく彼女へ告げた。
「貴女に資格があると思えば……これから儀式をします。準備をしておきなさい」
「は……はいっ!」
途端に子供っぽい笑顔を浮かべたヨセフィンは兵達と共に部屋を退出したのだった。
その背を見届けたグリムは緊張を押し流すように盛大に息を吐き、アーリヤはつまらなそうに鼻を鳴らした。
◆◇◆
一触即発の騒動の後、ドロテーアはぐったりとベッドに体を預けていた。
ハンナが淹れた薬草茶を一口啜り、顔をしかめる。
「酷い味。
泥水そのものね…ああ、ごめんなさいハンナ。
貴女のせいじゃないわ。もっと言うと茶葉のせいでもないんだけど」
ドロテーアは悲しそうに眉を寄せた侍女へ力なく笑いかけた。
「あんたもそんな顔するんじゃないわよ。
いつも通りヘラヘラしてなさい、鬱陶しい」
老婦人は自分を見つめていたグリムへぴしゃりと言い放つ。
グリムは自分の顔をぺたぺた触った後、にへらと締まりの無い顔を作った。
「百点?」
「60点。
及第点ギリギリね。
もっと精進なさい」
ドロテーアはグッとカップの中身を一飲みにしてベッドに背を預けた。
「グリム、さっきは本当にごめんなさい」
申し訳無さそうな顔で頭を下げるドロテーアをグリムは止めようとしたが、その前にアーリヤが噛み付いた。
「全くですね。
一体全体、伯爵夫人閣下はお孫さんにどういう教育をなさっておられるので?」
「やめてくれ。
不必要に喧嘩売った俺が悪かったんだ」
グリムは慌てて傍らの少女を諌める。
しかし彼女は可愛らしく頬を膨らませてそっぽを向いた。
「いいのよ。尤もなんだから。
駆けつけてくれた貴方に対して許される態度じゃなかったわ」
「やめてくれ、ドリーまで。
そもそもこんな格好した俺を信用しろって方に無理がある」
グリムは忙しなく今度はドリーのほうをフォローする。
しかし不意に彼は照れくさそうにはにかんだ。
「でも正直言っちまうと……俺は手紙でお前にこいつを脱いで来いと言われなくて、嬉しかったな」
「言うわけ無いじゃない。
大切な……大切な、ローブでしょう?」
「……ああ」
二人は見つめ合い、互いの視線は互いの瞳を通り抜けて深いところで結びついているようだった。
だが、それは突然グリムが飛び上がったことで中断される。
彼は即座に非難するような目で傍らの少女を睨んだ。
しかしアーリヤは相変わらずそ知らぬ顔でそっぽを向いている。
「『旧』交を温めるのも結構ですが、そろそろお呼びになられた理由を伺っては?」
「その前に俺の尻をつねるんじゃあないッ」
「マスター殿の被害妄想であります」
不毛な言い争いをする二人をドリーは何かを懐かしむように眺めていた。
◆◇◆
「ある程度察しがついているでしょうけれど、あんたを呼んだのは結界のためよ」
ハンナを控え室に下がらせてからドロテーアは切り出した。
「……蒸し返すようで何だが、ヨセフィンで大丈夫なのか?」
「他に居ないんだから仕方ないじゃない」
「うーん……そりゃあ、そうかもだが」
「マスター殿、マスター殿」
「んあ?」
グリムはくいくいとローブを引っ張られて振り向く。
小首を傾げたアーリヤが大きな丸い目で彼を見上げていた。可愛い。
「結界とは、この領地を守る結界のことでありますよね。
何か問題を抱えているのですか?」
「そうだな。
アーリヤにも説明しとかなくちゃ」
グリムは掻い摘んでアーリヤへ説明した。
結界は数百年以上も古くからこの領地を守っているが、昔は弱く不安定なものだった。それをドロテーアの代になってから改良し、魔術師を土地の契約者とすることで飛躍的な強化に成功したのである。
ただし強化結界を維持するには魔術師も代替わりの儀式をしなければならず、加えて後継者には前任者との血の繋がりが必要となる。
「改良、でありますか? 伯爵夫人閣下が?」
「うんにゃ。土台は俺、全体の調整はヴォルフでの合作。
苦労したぜ。ヴォルフの協力が無きゃとても完成しなかった」
まん丸の目を皿のように見開くアーリヤへ、グリムは得意げな笑みを浮かべている。
アーリヤは口元にこぶしを当てて俯いた。
「マスター殿、一つよろしいでありますか?」
「なんだ?」
「仮に代替わりする前にこの方が亡くなられた場合、どうなります?」
グリムが息を飲む音が聞こえた。
しかしドロテーアは肩を竦めるだけだ。
「……一種の安全弁が働く。
しばらくは結界は無事だ」
「具体的には?」
グリムは困ったように眉をしかめた。
「いいのよ、グリム。
あたしが頼んだことだわ」
「……契約者の魂は土地に縛られる。
その魂を触媒に結界は維持され続けるんだ。
まあ、その状態でも引継ぎは可能だし、引き継がれれば魂は開放される」
「なるほど」
アーリヤは頷いた。
確かに魂を操る主人と封印術に長ける老魔術院長殿の合作に相応しい結界だ。
「流石は小生のマスター殿であります」
「とんでもない。はじめにアーリヤが聞いたとおり穴だらけだ。
例えば、代替わりの儀式が終わってからしばらくは昔みたいに弱く不安定になる。
安定化と契約の固着にも一晩ほどかかる。
その間にはセーフティも働かん。
だから儀式の際には結界の境で万が一に備えなきゃいかん」
「その万が一が起こりそうなのよ」
溜息混じりに漏らされたドロテーアの言葉を聞いてグリムはベッドに向き直った。
アーリヤは主人の顔がどこかぼんやりとしたものになってきたことを見て取り、それ以上の質問を差し控える。
「大臣閣下の使いが情報を持って来たわ。
『向こう』の若い連中が血気に逸っているらしいわ。
結界が弱る瞬間を見計らって、こちらへ攻めてくるつもりよ。
あの山を越えてね」




