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第三話『マスター殿同様、小生も冒険者とかいうゴロツキには会いたくありません。何故なら連中は十中八九、厄介ごとを持ち込んでくるからであります』
「いやぁぁあああああ!!
いやぁぁああああああああ!!!
食べないで下さいぃぃぃいいいいい!!!!」
恐怖のあまり顔中を涙と鼻水だらけにしたシスターが金切り声で叫び回る。
彼女を含む冒険者の一行は下水道を逃げ回っていた。
背後から迫り来るは物言わぬ亡者達である。
浮浪者だかゴブリンだか、パッと見では区別が付かないほど崩れて変色した腐乱死体がドチャドチャと汚水を跳ね飛ばしながら走り寄ってくる。
さらに凶暴化したらしいネズミの群れが津波の如き怒涛の勢いで押し寄せていた。
下水道のゾンビ騒ぎは冒険者ギルドの間でもちょっとした話題になっていた。
銀級冒険者以上の熟練者達は今更下水道掃除などに興味を持たなかったが、銅級冒険者の駆け出し達はこれをきっかけに名を上げてやろうと鼻息を荒くしていた。
彼らは各々で対策を組んで意気揚々と下水道に乗り込んでいったのである。
ところが悲しいことに彼らは悉く返り討ちに会っていた。
下水道を走り回っている彼らも亡者退散の祈りが使えるシスターと治療魔法が使える剣士を新たに仲間に加えたは良いものの、圧倒的な物量を前に早々に壊走していた。
「はぎゃっ!」
泣き喚きながら走っていたシスターが下水の汚泥に足を取られて躓いた。
ばしゃーん!と派手な飛沫を立てて汚水の中に顔面から突っ込む。
「ひいいぃ!!
だずげでぐだざいぃぃぃいいいいい!!!」
汚水塗れになったシスターは仲間へ手を伸ばす。
だがギルドで彼女を誘った冒険者は一瞬振り返って躊躇する素振りを見せたものの、結局そのまま走り去っていった。
誰だって自分の命は惜しい。
「いやぁぁああああああああ!!!
おいでがないでぐだざいぃぃぃいいいいい!!!」」
仲間が掲げる松明の灯りが遠ざかっていく。
後方から迫り来る闇と亡者が彼女を飲み込むのはすぐだ。
半狂乱になったシスターは慌てて立ち上がろうとし、ぬめった水底に足を滑らせてまた転ぶ。
ただ一人、殿を務めていたバケツ兜の剣士だけが彼女に駆け寄った。
シスターと同じくギルドで誘われた新入りである。
「メアリ殿! しっかり!!」
剣士はシスターに肩を貸して抱え起こす。
だがその時には既に周りをゾンビとネズミの群れに囲まれていた。
万事休す。
剣士は左手に握った松明を振り回しながらゾンビとネズミを牽制する。
事前に衣服と甲冑に施していた亡者避けの祈りのおかげですぐには襲いかかってこないが、じりじりと包囲網は狭まっていた。
ゾンビは虚ろな目で歯肉がむき出しになった口元から強酸性の涎を零している。
壁の縁を走るネズミ達は闇の中から無数の赤い目を光らせていた。
剣士は松明を握り締め、一縷の望みを賭けて突破口を探す。
まだ祈りを唱えるだけの精神力も体力も残っている。
捨て身で包囲を破ればシスターだけなら逃がせるかもしれない。
しかしそこで剣士は妙な事実に気付いた。
水かさが減っている……?
下水道に入ったときはふくらはぎほどまであった水流がくるぶしの位置まで下がっていた。
いつの間にか周囲からネズミ達の赤い目が消えている。
そして次の瞬間、剣士とシスターは破滅の音を聞いた。
「あひいいいいっ!!
つつつっ津波がぁ!!」
「メアリ殿、私に掴まれッ!!」
突如として真っ黒な濁流が下水道の奥から押し寄せてきた。
二人の冒険者はなすすべも無く小枝のように押し流して行ったのだった。
◆◇◆
轟々と流れる汚水に運ばれ、剣士とメアリは汚水溜まりの池に流れ着いた。
二人は周りの壁に辛うじて残っていた太古の魔力灯のおぼろげな灯りを頼りに這い上がる。
幸運なことにそこは身を休められそうな小部屋があり、何と綺麗な水が流れる水道まで備え付けられていた。
二人は神の采配に心から感謝し、汚水塗れになった衣服をすすいで体を拭いた。
かつて管理室の様な場所であったのか、扉の無い小部屋の中には朽ち果てた机や椅子、本棚の残骸らしきものが転がっている。
剣士は本をめくってみようとしたが、完全に風化していたそれは指先が触れた途端にあっけなく崩れ去った。
剣士は胸の内で古代の人々へ詫び、散らばった残骸を集めて火を付ける。
焚き火の明かりが小部屋を暖かく照らした。
「大変なことになってしまったなあ。メアリ殿、怪我は無いか」
「は…はひ、はひぃ…だいじょぶですぅ……」
シスターは火に当たりながら震えている。
剣士が手荷物を確認したところ、きつく縛った皮袋の中の火種や貴重品類は無事だったが、懐の祈祷書は完全に汚損した上、ロープや食料などの大荷物は流されてしまっていた。
頼みの綱は一振りの剣のみである。
しかし気負っても仕方あるまい。
いざ準備万端整えてどうにもならぬこともあれば、身一つで何とかなってしまうこともあろう。
剣士はまず自分も体を温めるべくバケツ兜を脱いでシスターと火を囲む。
シスターは震えながら剣士を見上げた。
「は…ハルディーンさんはすごいですねえ……本当に、レベル1なんですか?」
「私は冒険者のイロハも暗黙のルールもマナーも何一つ知らない。紛れも無く駆け出しの中の駆け出しだとも」
「でも凄いですよぅ……治癒の祈祷だってたくさん使えるし、ゾンビが出てもびっくりしないし、私も助けてくれたし……ひょっとして、どこかの御領主様に御仕えしてたとかですか?」
「む……いや、あまり言いふらして欲しくは無いのだが、まあ、その、教会騎士だったのだ、私は」
「ふえええ!?」
シスターは目を丸くする。
剣士ハルディーンは恥ずかしそうに笑った。
エメラルドグリーンの美しい瞳が焚き火に染まって夕日色に輝く。
「少々事情あって信仰の在り方を問い直したくてな。教会の籍を抜けて気ままな冒険者暮らしというわけだ」
「はへぇ……やっぱりすごいですぅ……教会騎士になるなんて、男の人でも凄く難しいのに」
「むむ、私に言わせれば女だてらに冒険者仕事に勤しむメアリ殿も同じような物だぞ」
「てへへ…私はそんなんじゃないですよぅ。私は本当に、他に行くところが無かっただけですから」
シスター・メアリは膝を抱えて顔をうずめた。
「この前の仕事は結構お金が貰えたんですけど、それも全部孤児院に入れちゃって…へへ……」
「なんと。それは立派なことだ。素晴らしい」
メアリは顔を真っ赤にしてますます強く膝を抱えて貝のように縮こまる。
「全然! 私なんて大したことなくて、駄目なんです。折角大きなお仕事くれた人の顔も思い出せないくらいで」
「……思い出せない?」
「はい。私ちょこっと前まで別のパーティでダンジョン攻略してたんですけど、そこを一番奥まで攻略した人が出たんです。でもその人、すごく変な人で、折角手に入れた財宝を全部他の冒険者にあげちゃたんですよ。ダンジョン壊す手伝いしろーって」
「…………」
「私もダンジョンで亡くなった方の埋葬をお手伝いして、金貨もすごく貰っちゃったんですけど、でも、その人の顔も名前も思い出せないんです。何だか色々言われたり頭を叩かれたりしたような気がするんですけど、それも全部曖昧で……?……ハルディーンさん?」
ハルディーンは俯いて考え込んでいた。
声を掛けられた彼女はハッとしてメアリに目を合わせる。
「む……その、つい最近に私も似たようなことがあってな。少し前に大きな事件の渦中にあったのだが……そのとき私を救ってくれた方の顔も名前も、思い出せないのだ。あんなに強く胸を打たれたはずだと言うのに、思い出そうとすると急に霞がかかったようにぼやけてしまって……」
「はぁ……不思議なこともあるんですねえ……」
お互いに奇妙な居心地の悪さを覚えた二人は焚き火を挟んで沈黙する。
火が爆ぜる音と下水道の水音が響く中、怪談話でもしてしまったような不気味さが二人の間を満たしていた。
と、そこへ何者かの足音がかすかに木霊した。
ハルディーンは咄嗟に立ち上がって剣を取り、盾を構える。
メアリも慌てて火に当てて乾かしていたマントを羽織った。
通路の奥から近づいてくる気配は二つ、衣擦れの音だけで金属音は聞こえない。
ゾンビの粘着質な足音とも違う。
コツコツと乾いた革靴の音だ。
ハルディーンはほんの数瞬だけ逡巡し、声を張り上げる。
「冒険者か!? こちらは野営中だ! 戦闘の意思は無い!!」
叫んではみたが、仮に向こうが冒険者であっても天の助けとは限らない。
先ほども生死の境にあるヒトの無慈悲さを垣間見たばかりだ。
こちらは殆どの物資を無くした若い女二人。
その上ここはダンジョン同然の深い下水道の奥底。
何があっても、声は地上へは届かない。
だがそれでも生きて外へ出るためには声を上げねばならなかった。
足音は立ち止まることも急ぐことも無く一定のペースで近づき、次第にランタンの明かりが大きく届いてくる。
そしてその二人が小部屋の前に現れたとき、ハルディーンとメアリは目を見開いた。
「グリム殿ではないか!」
「ぅええ!? 何で魔術師さんがここにぃ!?」
「うわぁ…どこかで見た顔だぁ……」
「くっさっ!! マスター殿、こいつら尋常でなく臭いであります!!」




