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第四章『下水道騒ぎ』
第一話『マスター殿のベッドは硬いし狭いしマスター殿くさいしでひどいものでありますが、下水道に比べれば全然マシであります』
フレッシュゴーレムのアーリヤは夜半過ぎにふと目を覚ました。
言い知れぬ不安に駆られて主の寝室へ向かうと、彼はアーリヤの危惧のとおりうなされていた。
死霊術師である主は時折、特に魂が肉体に十分定着していない時に決まって悪夢を見る。
アーリヤは台所から冷たい水がなみなみ入った水差しとコップを取ってくると、主の肩を軽くゆすった。
「マスター殿、マスター殿」
「……っ……ああ…アーリヤか…」
「マスター殿のいびきがうるさくってとても眠れないであります」
パジャマ姿の愛らしい少女がむくれるのを見て、主は安堵したように微笑む。
「悪い。いつもありがとう、アーリヤ」
彼は寝台脇の小机に置かれた水をグビグビとあおり、再び横になった。
「おやす…って、ちょっと……アーリヤさん…」
アーリヤが猫のようにするするとベッドへ潜り込んでくる。
さも当然といった風にグリムの懐へすっぽりと納まり、彼へ抗議した。
「狭いであります! もっと壁際に寄って下さい」
「アーリヤさんのベッドの方が広いしフカフカじゃないですか……」
「カワイイ上に健気で優しい小生がお寂しいマスター殿のために添い寝をしてあげているのです。感謝して下さい」
主が寝返りを打つと空いたスペースに遠慮なくグイグイと背中を押し込んでくる。
「全くひどい匂いであります。可愛い可愛い小生の体がマスター殿くさくなってしまいます」
「文句があるなら自分の部屋で寝てくださいよ……」
「マスター殿、小生は子守唄を所望します」
「ほんとに何しに来たの君は……」
ため息混じりに苦笑しつつも、グリムはアーリヤの小さな体を抱き寄せて歌い始める。
それは彼女も聞いたことが無い言葉の、古い民謡のような、どこか遠い国の祈りのような、不思議な歌だった。
アーリヤはグリムの呼吸が穏やかに揺れ始めたことを感じ、安心して瞼を閉じた。
◆◇◆
その夜、アーリヤはいつもの不思議な夢を見た。
愛しい主が自分を抱きかかえながら泣いている。
主の顔はごつごつと彫が深く傷だらけで、見たことも無い顔だった。
主は日に焼けて精悍な顔をぐしゃぐしゃに歪めて顔中を涙で濡らしている。
アーリヤは堪らなくなって、赤く染まった指先を主の頬へ伸ばした。
そしていつもと同じ、その言葉を口にする。
『グリム、泣かないで』
主はその手を取ってくれたが泣き止まなかった。
アーリヤはもう一度呼びかけようとする。
けれど、一度肺から搾り出された吐息を再び吸い込むことができなかった。
もどかしい、悲しい夢だった。
◆◇◆
早朝、グリムよりも早く目を覚ましたアーリヤはするりとベッドを抜け出す。
部屋へ戻って脱いだパジャマを畳む前にぎゅっと抱えて鼻先を埋めた。
スンスンと匂いをかぐ。
甘い夏草の匂い。
しあわせのにおい。
アーリヤは丁寧にパジャマを畳んだ後、クローゼットの専用スペースにしまった。
彼女はいつもの服とエプロンに着替えて朝の支度を始める。
取って置きのキングボアの燻製肉を削って特製スープを作り、パンを焼き、テーブルを磨いて食器を並べる。
支度を済ませたアーリヤはこんこんと眠る主を起こすべく寝室へ入った。
主は安らかな寝息を立てている。
アーリヤは嬉しくなって鼻先をグリムの鼻に擦り付けた。
そのまま顔を滑らせてスリスリと頬を擦り合せる。耳を唇で啄ばむ。
しかしグリムは起きない。
それもそのはず。アーリヤは経験を重ねて彼が目を覚まさない絶妙の塩梅を体得しているからだ。
彼女はたっぷりと満足行くまでグリムと肌を合わせた後、ベッドからはみ出たグリムの手を取って指にかぶりついた。
「いっった!!」
「おはようございます。目覚ましを務めるマスター殿思いの小生を褒めて下さい」
「だったらもうちょっと優しい起こし方があるでしょ!?」
「しました。けれども起きない寝坊助マスター殿がいけないのであります」
アーリヤは毛ほども悪びれない。
ニコニコしながら噛み付いた手に頭をこすり付けている。
グリムは噛み付かれた手でアーリヤの頭を撫でて体を起こした。
至っていつも通りな二人の朝の始まりであった。
それからしばらくは平穏な日々が続いた。
日課の迷宮マラソンの後は運ばれてくる罪人の遺体を検分し、場合によっては魂と言葉を交わして司法の誤りを正す。
運ばれて来ないときは検体を元に死霊術の研究を進める。
アーリヤはグリムと二人きりで過ごせるここでの暮らしをとても気に入っていた。
ずっとこうならいいと、毎日そう思っていた。
しかし、目まぐるしく蠢く外の世界はグリムをそう長い間放って置いてはくれないのだった。
「下水道にゾンビ?」
兵士が持ってきた指令書を見て、グリムは首をかしげた。




