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3-3

第三話『お気づきのことと思いますが御三方はこれが初犯ではありません。しかも仕込んだのはマスター殿であります』



紳士淑女皆様方(レディースアンドジェントルメン)。本日最後の出品をご紹介致します。

 出品番号49番『極大七色水晶』でございます。

 世にも珍しき七色水晶。カラーは完全無色(スーパークリア)、クラリティは完全無傷(フローレンス)、カラット数なんと驚天動地の5,145カラット!

 しかし炯眼(けいがん)一方ならぬ皆様は既にご存知でしょう。この世にも稀な秘宝に纏わる恐ろしい伝説を。

 その昔、この宝玉は遥か西方の古の帝国で一人の農奴によって山中から見出されました。

 しかし大欲非道なる時の皇帝は哀れな農奴の腕を切り落として宝玉を我が物としたのです。

 農奴の恨み辛みたるや凄まじく、時の皇帝は肌という肌が焼け爛れる恐ろしい病で狂死したとされます。

 その後もこの宝玉は時の長者達の手により奪い、奪われ、その行く先々で破滅をもたらしました。

 しかし、ご覧下さいこの輝きを!

 無限に夢幻揺らめく万色光のグラデーションを!

 これはもはや七色水晶という言葉では足りません。

 虹と呼ぶのでもまだ及ばない。

 これこそ空を覆い隠すオーロラに並び立つ美しさ、極光水晶(オーロラクリスタル)と言えましょう。

 呪いなど恐れぬ皆様にこそ相応しい逸品と確信致します。

 それではこれより入札を開始いたします! 入札開始価格は――」


◆◇◆


 交易都市きっての一大染物商である中年の男は陶酔した面持ちで極大の七色水晶を眺めていた。


 美しい……なんと美しい……


 手の平から零れ落ちんばかりの宝玉の中で目も眩む極光(オーロラ)が燃えている。

 永久凍土に閉ざされた極寒の地を更に越えた真の極地でしか目に出来ぬ燦然とした夜空を独り占めにしたようだ。


 男は寝室で一刻もの間、飽きもせずに七色水晶を眺めていた。

 極上の酒も絶世の美女も与えてはくれない至高の快楽に一秒でも長く身を浸していたかったのである。


 妖しい輝きは男の心を捕えて離さない。

 時の権力者達が呪いの伝説を知ってなお、こぞって追い求めたのも分かる。


 男は甘美な悦楽を噛み締めるように口の端を歪めた。



 呪いなど恐れるものか……



 若りし頃の男は錬金術を齧っていた。


 しかし大枚を叩いて弟子入りした工房で彼はとんだ落ち零れであった。

 十数年もの間、壷に触れることすら許されず、下働きばかりさせられていた。


 春が訪れるたびに才能ある若者達が彼を鮮やかに追い抜いていった。

 三十路を前にして工房を去った男の手に残ったものは、何の薬効も無い色付きの水を作る術と擦り切れたローブを繕う一巻きの糸だけであった。


 しかしその時、雷に撃たれた様な天啓が彼に降り立ったのだ。



 これで染物をしてみたらどうだろう。



 運命神(フォルトゥナ)がただ一度きりの温情を与えてくれたのか。

 染物屋として再起した男はこれまでの日陰者暮らしが嘘の様にトントン拍子で成功を収めた。

 つまらぬ術だとバカにされ続けた魔術は、簡単で、素早く、大量に、何よりも飛び切り安価で褪せぬ鮮やかな色染めが出来る素晴らしい術だったのだ。

 すぐに彼の真似をし始める者が現れたが、十数年の下働き時代に培った実務能力と問屋達との信頼関係が彼を助けた。

 何より顧客のニーズを掴み新色のブームを生み出すセンスは彼だけのものだった。


 一か八かで己の身を担保に借りた大金も早一年目で完済し、五年後には交易都市随一の資産家となっていた。

 贅を尽くした屋敷は白い大理石の塀で囲まれ、素晴らしい噴水のある庭の植木は毎日美しく手入れされている。


 そして今では錬金術師達の一大支援者(パトロン)となっていた。


 なぜ自分をかくも路傍の石の如く扱った相手に金を出したか?


 それこそが恨めしい相手を支配する最高の手段だからだ。


 かつて工房で自分を『豚』と蔑んだエルフの女錬金術師が独立した工房を破産させた時がきっかけだった。

 屋敷の土間に額を擦り付けて懇願する美女が命じられるがままに彼の靴を舐めた時、彼は絶頂した。


 震える蜂蜜色の髪、白いうなじ、羞恥と怒りに燃える桜色の額、そして火のような舌……全てが鮮烈に脳裏へ焼きついた。


 若く美しく煌く才能を持つかつての同門達を(なぶ)るこの瞬間が、彼の人生の絶頂であった。

 彼を名前ですら呼ばなかった者達が媚びへつらい、その裏で煮え滾る憎悪を隠しながら彼の機嫌を伺うのはえも言われぬ愉悦だった。


 七色水晶を手に入れたのも復讐の一環と言える。

 魔術触媒としての価値などに興味は全く無い。


 奴等が喉から手が出るほど欲しがる物を所有していることそのものが暗い快楽をもたらすのだ。


 何が真理の探究よ。穴倉でうずくまった鼠どもめ。俺こそが成功者だ。


 男はただその為だけに山ほどの金貨を右から左へ動かし、七色水晶を手に入れた。



 しかし今、彼はその黒々とした情念を吸い取られたかのように恍惚と宝玉に魅入られていた。





 柱時計が午後五時を知らせるのと全く同時に男は寝室を出た。


「おや、御主人(ミスター)。今晩も時間に正確ですね。まるで屋敷中の時計が貴方に従って鐘を鳴らしている様だ」


 廊下の出窓に腰掛けた栗毛色の髪の若者が雇い主へ軽口を叩く。

 彼こそ誉れ高き剣士レクス・ファルウィードである。

 ポケットへ無造作に押し込まれた金色のメダルに刻まれた星の数は三つ。

 レベル9の金級冒険者(ゴールドクラス)だ。


 その装いはごく簡素な銀色の胸当てと小手に何の変哲も無いロングソードを一振り帯びているだけであるから、知らぬ者はそうとは思わないだろう。

 だがこの精悍な美丈夫は数多の戦場、幾多の決闘、数知れぬダンジョン攻略でその名を轟かせた歴戦の大剣士である。

 その名は『巧みなるレクス』『竜殺し』『幻妙剣』などの二つ名で広く吟遊詩人に歌われるほどだ。


 その実力と奔放な性格は、レベル10の証たるミスリルメダルの授与を『あまり高価な物は持ち歩きたくないな。無くしたら悪いしね』と断った逸話からも窺い知れる。


 男はこの大剣士を半ば護衛、半ば食客として招いた。

 言うまでも無く宝玉を守るためである。

 そしてこの男以外にも評判の良い冒険者パーティーと腕自慢の男達を大勢集めていた。


 下男下女達は彼等を煙たがっていたが、男はどうしても不安だった。

 あの宝玉を万が一にも盗まれたらと思うと気が気でなかった。


「規則正しい生活を心がけているのでね。不逞の輩に乱されぬよう今宵もお頼みしますぞ、ファルウィード殿」


「時にはハレの日も必要ですよ。それに売剣稼業で食べるのがやっとの若造をそれほど当てにするものじゃありません」


「ご謙遜を。御用があれば何なりとメイド達にお申し付け下さい。では……」


 男は一回り以上も年下の若者へ慇懃に頭を下げてから食堂へ降りて行った。



「やれやれ……あの御主人にも困ったものだね」


 レクスは窓辺から夕日を眺める。


 街に滞在する間、衣食住その他の一切を負担すると言う厚遇で招かれたが些か長居しすぎたようだ。

 虫にも夜露にも悩まされない清潔で柔らかな寝室も少しばかり食傷気味である。


 血も魂も次の冒険を渇望している。


 折を見てお暇を頂戴すべきだろう。


 レクスは沈み行くオレンジ色の滲みを眺めながら、次はどこへ行こうかと思案していた。


「けれど、ここの食事とお別れするのは少し惜しいかな」





「だから一番大変なのは食事よ、食事! んもう、ご主人様ったら何考えてるのかしら」


「いいじゃない、あんなゴロツキどもなんて。クズ野菜のスープと昨日のパンの残りで十分!」


「最悪なのはあの臭いよ~っ! あいつら何日お風呂に入ってないの? しかも廊下に痰吐くのよ! 信じらんない!」


 給仕室できゃいきゃいと騒ぐメイド達は口々に文句を言い募っていた。

 その矛先は当然ながら屋敷をうろつく荒くれ達である。


 元はと言えば荒くれ共を招き入れたのは彼女等の雇い主だが、彼への文句はまず出ない。


 確かにここ最近は妙に神経質になったが、少なくともこれまでは立場を傘に無体に及ぶことも無く、賃金も良くしばしば休みもくれる誠に良い雇用主と言えたのだ。


 だからこそ不満は荒くれ達にぶつけられる。


「しかもあいつら通りすがりに触ってくるのよ、ホント最悪! 私、あいつらのお茶にネズミのフン混ぜてやったわ!」


「シャーリー流石! グッジョブ!」


「あーでもでも~。もしレクス様にだったら、ちょっと許しちゃうな~」


「それな。屋敷内抱かれたい男ランキングブッチギリ筆頭っすわ……」


 メイド達の噂話に黄色い声が混ざる。

 名声を欲しいままにしながら紳士的な美剣士レクス・ファルウィードはメイド達の憧れの的だった。


 彼女らの中には自分とレクスが恋仲になったら、という密かな空想を日記帳に書き連ねている者も居るとか居ないとか。


 屋敷の主の与り知らぬところで、荒くれ者達への不満はレクスの存在によって危ういバランスを保たれていたのである。


 彼女らは炊事洗濯の手を休めずに姦しく喋り続ける。

 そんな中、眼鏡を掛けた一人のメイドがサンドイッチとコーヒーをトレイに並べていた。


「あれ? エマどうしたの? レクス様は今日はご主人様の後で降り来て下さるそうよ。昨日言ってたじゃない」


「……もう3名の冒険者の方々へお運びしようかと……」


「あっ……あっちゃ~……完っ全に忘れてた。何か影薄いのよね、あの人達」


「レクス様とゴロツキ達と比べちゃうとねえ……毒にも薬にもならないと言うか……」


 遠慮の無いメイド達はうんうんと頷き合う。


 眼鏡のメイドは困ったように微笑み、先輩達へ礼をして給仕室を出た。


 廊下を進む彼女の目は自然と窓の外へ向く。

 既に空は群青色だ。


 メイドは窓からじっと、屋敷の主の寝室を眺めていた。


 その口元が妖しく揺れたところを見た者は居ない。




◆◇◆




 屋敷の周囲は白い大理石の塀で囲まれている。


 うっすらと顔が映るほどに磨き上げられた壁は夜更けも松明で照らし出され、巡回する夜警の兵士達によって守られている。


 そこへ二頭立ての大きな馬車がやってきた。

 まるで何頭もの牛や豚を運ぶような大きな箱型の馬車である。


 馬車はガタゴトと慌しい軋み音を立てながら屋敷の正門に差し掛かる。


 警備の兵士達はジロリと厳しい目を馬車へ向ける。

 小柄な御者は視線から逃れるように顔を伏せ、そのまま正門を通り過ぎていった。


 その瞬間、兵士達から見てちょうど馬車の陰に隠れる方向からごく小さな何かが飛来した。

 闇に紛れたそれは音も無く馬の首元に刺さる。


 馬は激しい(いなな)きを上げたが早いか、火が付いた様に走り出した。

 慌てた御者は引き綱を握り締める間もなく馬車から振り落とされる。


 暴走した馬車は耳を(つんざ)くような荒々しい音を立てて大理石の壁に激突した。


 大慌てで衝突現場に集まる兵士達を影からうかがう金色の目が二つ。

 用を果たした吹き矢の筒を懐へ仕舞ったリザードマンは爬虫類らしい獰猛な笑みを浮かべる。


「ヘイヤンが“ノック”した」


 その囁き声はシルフ達に運ばれ、風通しの良い路地に佇むハーフエルフを経由してから音速でダークエルフとコボルト、そしてフレッシュゴーレムへと伝わった。





 真っ青な顔で駆け込んできた下男の報告を聞きつけて屋敷の主がやって来た。


 召使達の前では常に泰然と構える男だが、その惨状を目の当たりにして流石に色を失くした。


 馬車がバラバラに砕けた現場では自慢の大理石の塀が見るも無残にヒビだらけになっている。

 しかも一体全体、何をどうしたらこうなるのか、ひび割れの中心に恐ろしいものがめり込んでいた。


 見たことも無い巨大な黒毛のコボルトが壁を突き破って上半身を屋敷内に貫通させていたのだ。


 壁に嵌って身動き取れぬ、いわゆる壁尻状態である。


「たすけてくれえーっ」


 コボルトが間延びした声を上げる。


 ただでさえ悪夢的な光景の中で魔物から王国語で助けを求められた屋敷の主はよろめきかけた。が、気力を振り絞って脚を踏ん張る。


「これは何事だ! 誰か説明できる者はおらんか!」


 屋敷の主の前に小柄な御者が引き連れられてきた。


「へ、へえ旦那。面目次第も、ありやせん」


「この怪物を連れ込んだのは貴様か!」


「へ、へえ……で、でも、旦那。馬車が突っ込んじまったのは、そりゃ、手前どもの手落ちでやすが、きちんと商工会の手形は頂戴しておりますし、コイツは至って大人しい奴なんです。本当なら、見世物小屋に届ける、手筈でして、へえ。て、手枷も足環も、ちゃんと、付いておりますし……」


「そんなことはどうでもよい! この始末を一体どう付ける気なのだ」


「へっ…へえ! そ、そ、それは、その、あの……」


 御者はどもるばかりで全く埒が明かない。


 業を煮やした屋敷の主は面倒を起こされる前にコボルトを始末させようと私兵に命を下した。


 槍を構えた兵士達がジリジリと間合いを詰める。


「だ、だだだっ旦那! お、お、お待ちになって下せえ! そ、そいつぁ売りモンなんでさあ!」


「わあーっ ころさないでくれえーっ」


 槍の穂先に怯えたのか、コボルトは手足を振り回して体を大きく揺らした。

 途端に大理石の壁に走ったヒビがビシビシと大きく広がっていく。


「ま、待て! いったん下がれ!」


 屋敷の主は思わず兵士を下がらせる。


 自慢の壁をこれ以上壊されたらたまらない。


「だ、旦那。お許し下せえ。あ、あ、あっしが大人しくするよう、言って、聞かせやすから、何とか引き抜くのを、手伝って下せえ」


「ええい! 中の者達を集めろ!」


 屋敷の主は中の警備をさせていた荒くれ達を集めた。

 たまには傍目で分かるような働きをさせねば召使達に示しが付かない。


 警備はかなり手薄になってしまうが、要のレクスと冒険者パーティーが居れば大丈夫だろう。


 かくして巨大コボルトの一大救出作戦が始まった。





 この大騒ぎは屋敷の中の召使達にも伝わっていた。


 野次馬根性丸出しのメイド達は洗濯板やモップを放り出して窓に張り付いている。


 当然ながら四人の冒険者も騒ぎに気付いていた。


 パーティーを組む銀級冒険者(シルバークラス)の三人組は気になりながらも畏まって雇用主の寝室の前に待機している。

 ところが、少し前に窓辺に腰掛けていた大剣士レクスは馬車が激突した音を聞くや否や『失敬!』の一言で廊下を飛び出して行った。


 三人の男達は臆面も無く職場放棄して去った同業者を唖然として見送るしかなかった。


 だがレクスの鷹の如き瞳は確かに捕えたのである。

 砕けた馬車から転がり出たもう一つの人影が、足を引きずりながら逃げるように裏路地に駆け込んだことを。

 その雪のような銀髪と闇の中に艶やかに浮かぶ褐色の肌を。

 何より救いを求める悲痛な、しかし尚一層美しい横顔を。


 そんなことは露知らぬ男達は怒りを通り越して、もはや呆れて嘆息する他なかった。


「あれで本当にレベル10相当なのかよ」


「どうでもいいさ。そのままどっか消えてくれりゃ俺達の取り分が増えるかもな」


「あの旦那はそこまで気前良いかね?」


 彼等は軽口を叩き合う。

 少しばかり下品なジョークが飛びつつ手持ち無沙汰になってきた頃、ちょうど良くメイドがやって来た。


 眼鏡をかけたメイドが柔らかな微笑みを浮かべて会釈する。


 運ばれてきた銀のトレイに乗っているのはサンドイッチとコーヒーである。


「皆様お疲れ様です。軽食を持ってまいりました」


 冒険者達はとりわけ親切にしてくれるメイドに目尻を下げながら食事を手に取る。


 メイドは恭しく会釈してから、ベッドメイクの為に寝室へ入っていった。




◆◇◆




「ここが寝室だ。おさらいするぜ」



 時は一刻ほど遡る。



 愉快な窃盗旅行(ピクニック)に繰り出した亜人種一行は交易都市へ向かう馬車の中で最終確認を行っていた。


 潜入チームはアーリヤ&キリゥ、陽動チームはヘイヤン&メレル、レイシアニルは連絡役である。


「人目を避けて忍び込むには、第一にこの団体さんをごっそり追い出さねえといけねえ。頭数が揃ってるってぇのはそれだけで脅威だ。その数だけ目と耳と鼻があるってことだからな。プラン通りヘイヤンが壁に突っ込んで騒ぎを起こす。ここまではいいな?」


 メレルが手を上げた。


「ね~キリゥ~。いっくら奴隷の真似だからってさあ~これはちょっと……」


 麻で出来た襤褸(ぼろ)を纏ったメレルは手足に嵌められたちぎれた(かせ)を渋い顔付きで眺めている。

 いかにも哀れな逃亡奴隷の体である。寒そうだ。


「ヘイヤンなんか腰巻一枚だが文句ひとつねえぞ。見習えや」


「オレ、平気」


「ヘイヤンは初めっから毛皮があるじゃん! ずるい!」


 キリゥは『我慢しな』の一言で質問を切り上げる。

 ブーブー文句を言い続けるメレルの隣でアーリヤが手を上げた。


「他の『役者』は揃っているのですか?」


「抜かりねえぜ。御者も悪漢も手配済みだ。万事上手く踊ってくれるだろうよ」


 頷くアーリヤの次にヘイヤンがおずおずと手を上げる。大柄な彼は馬車の中で一段と窮屈そうだ。


「オレ……少し、ハラへった」


「つくづく飯代が嵩むなぁ、おめえさんって奴ぁよぉ……悪いが却下だ。お前満腹になると鼻が鈍るからな」


 ヘイヤンは尻尾をだらりと下げてうな垂れた。

 その後も幾つかの質問が続く。


 ただ一人、麗しき宮廷魔術師レイシアニルだけが馬車の隅っこで背を向けていた。

 背中から『どよ~ん』と効果音が聞こえてきそうな負のオーラが漂っている。


「ああ、もう、何てこと。この私が、腐っても宮廷魔術師のこの私が盗人(ぬすっと)の片棒を担ぐなんて……ああああ…すみません、先生……パパ、ママ…ごめんなさい……」


 キリゥはレイシアニルの背中を肘で小突いた。


 暗い顔をしたレイシアニルが振り返る。


「しっかりしてくれや。姉さんにゃ俺達の連携を取る大役があんだからよ」


「しっかり…?…しっかり泥棒しろってことですか…?」


 目が虚ろだ。

 キリゥはさも馬鹿にしたように鼻で笑った。


「姉さん、盗賊団相手にブイブイ言わせてる癖に案外ビビリだね」


 カチンと来たらしいレイシアニルの目に光が戻る。


「そういう貴方がたもコソ泥を働くにしては随分と大げさですね」


 リザードマンは金色の目をきろりと動かして笑った。


「へっへっへっ…んじゃ、思い切って押し込み強盗プランに変えるかい? サクッと乗り込んで目撃者は全殺し。実はイチバン早くて確実なんだぜぇ。アーリヤはどうだ?」


「素晴らしいですね。是非それで行きましょう」


「ストップ。ごめんなさい、アーリヤちゃん、キリゥさん。私が間違ってました」


 しらふに戻ったレイシアニルは深々と頭を下げる。

 自分が大人気無かったという思い以上に、アーリヤなら本当にやりかねないと言う恐れがあった。


 そもそも参加を非常に躊躇った彼女が結局同行したのも、アーリヤの傍を離れたくなかった為である。


 アーリヤには放って置けば何をしでかすか分からない怖さがある。

 レイシアニルは日頃のグリムの気苦労がどことなく想像できた。



 キリゥは見取り図を指差した。


「説明に戻るぜ。寝室の前にはレベル9が一人とレベル6が三人。このレベル9がイチバン厄介だ。荒くれどもを全員外に引っ張り出しても、コイツ一人に気取られるカクリツが高ぇ。逆に言や、コイツさえいなくなってくれりゃ他の三人は無視して構わねえな」


 ここでレイシアニルは初めて手を上げた。

 真剣にブリーフィングに参加する気になった彼女を見て、キリゥは満足げに頷いて発言を促した。


「お伺いしますが、キリゥさん。レベル6と言えば私と同じ銀級冒険者(シルバークラス)の最高レベルです。それほど軽視してよいのでしょうか」


「姉さん。アンタぁ、ちょいとギルドの連中を過信してんなぁ」


「と……仰いますと?」


「ゴールドだ、シルバーだ…ってぇのは、ギルドへの貢献度を可視化したモンに過ぎねえのさ。極端に言や、薬草採りだけでレベル10になるのも出来るだろうよ」


「それは……流石に言い過ぎでは」


「と、思うかい? ところがね、実際そういう奴も居るんだ。あまり連中の評価を当てにしないほうがいいぜぇ」


 レイシアニルは困った顔をして黙ってしまった。

 彼の言葉を否定できる材料も無く、銀色のメダルを内心誇らしく思っていた自分が馬鹿らしく思えてしまう。


「や、アンタを悪く言ったつもりじゃねえんだ。とにかくよ、俺が言いてえのは、だ。レベルが高ぇからって勝てねえとは限らんし、低いからって油断は出来ねえ。念入りな下調べが大事だってことよ。おかげであのレベル9を釣る算段もついたしな」


「……本当に、上手くいくでしょうか。ごめんなさい、貴方がたを疑うわけではないのですが、流石に相手があのレクス・ファルウィードだと考えると……」


「へっへっへっ……姉さん、ああいう英雄サマがたの共通の弱点を教えてやるよ。そいつはな」



 リザードマンは牙を剥いてニィと笑った。



「女さ」



◆◇◆



 そして現在に至る。


 レイシアニルは風の音からメレルを襲った悪漢の声、それを助けに入ったレクスとの戦闘音、そして何とも歯が浮くような口説き文句を聞いていた。

 オペラもかくやのロマンスが展開されているようだ。


 メレルはコボルトと共に売られそうになった所を逃げ出した哀れな奴隷という設定らしい。


「……キリゥさん。作戦成功です」


「おほっ メレルさっすがぁ。名女優だぜ」


 レイシアニルはシルフ達を通して離れ離れになった5人の囁き声を中継している。

 一見すると地味だが、その実非常に高度な魔術である。


「俺の言ったとおりだろ。『英雄色を好む』ってえのは嘘じゃないぜえ。特に高レベルの冒険者なんざ殆ど例外無く女を侍らせてっからな」


「私が冒険者だった頃はそんな人ばかりでも無かったと思うのですが……」


「傍目に見えねえだけさ。むしろ特定の女連れてねえ奴は行く先々で手ぇ出して現地妻作るんだ。あの色男もその類じゃねえか? ま、ともかく頃合だな」


 コボルトの救出現場では未だにヘイヤンが塀に嵌ったままである。


 荒くれ達がヘイヤンの腰に縄をかけて『おおきなかぶ』の御伽噺の如く「うんとこしょ、どっこいしょ」と総出で引っ張っているが一向に抜ける気配が無い。


 直前の打合せで聞いていたのだが、あれは実はヘイヤンが抜けないように腹で踏ん張っているのだ。

 もちろん大理石の塀全体を崩さずに理想的な壁尻状態となったのも彼の技量によるものである。

 キリゥから『ヘイヤンは内気功の達人で身体操作はお手の物なんだぜ』と聞いたときはまさかと思ったが、確かにあれは巨体の重量だけでは説明がつかない。


 そして要の大剣士は路地裏に消えたまま戻ってこない。


 屋敷に残る警備は三人の冒険者のみである。


 馬車が衝突してから小半時(15分)と経っていない。にも拘らず鮮やかに警備を剥ぎ取って見せたキリゥの手腕に、レイシアニルは背筋が寒くなった。


 これがもし、王城が相手だとしたらどうなるだろう。


「心配すんなよ、姉さん」


 ギョッとしたレイシアニルは思わず辺りを見回した。

 もちろん遠く離れているはずのキリゥの姿は見えない。


 だが彼はまるでレイシアニルの表情が見えているかのように言葉を続けた。


「おたくのお城の騎士サマや兵隊サンならこんな簡単に運ばねえさ。言い換えるとだ。これが冒険者(フリーター)の限界で、職業騎士(サラリーマン)との決定的な差なのよ。それじゃアーリヤ、警戒を頼むぜ」


「はい、行きましょう」


 二つの影は屋敷の裏手から滑るように中へ潜り込んだ。

 






 闇に溶けた二人は音も無く屋敷の壁を這い登る。


 そして程なく寝室の窓の下に到達した。


「衣擦れ、息遣い……無し」


「こちらに注意する生命の反応もありません」


「おしゃっ アーリヤはそのまま警戒しといてくれ」


 キリゥはスルスルと壁を伝い上り、窓の縁に触れる。

 懐から取り出した針金を差し込んで捻ること数回。


 カチリ、と乾いた音が鳴った。


 続けて外から蝶番に油を垂らしこむ。


 ゆっくりと窓が開き、二人は寝室へ侵入した。


「あの絵だな」


 寝室の外には冒険者が待機しているが誰一人気付かない。

 レクスならば感付いたかもしれないが、彼はラブロマンスの真っ最中である。


 キリゥは慎重且つ素早く絵を取り外し、隠し金庫の鍵穴に触れた。


「へへへ……コイツが魔法錠なら手を焼いたところだが……古風なピンシリンダーでありがてえこった」


 再び彼は針金を取り出して鍵穴へ差込み、難無く解錠に成功した。

 彼は小さく、ふぅっと息を吐く。


「なあ、アーリヤよう」


「何でしょう?」


「『もっと頼れ』って言っといてくれや。あの野郎に受けた恩義は返そうにも、そうそう返しきれるもんじゃねえからな……」


「はい。では早速持って帰りましょう。あの方もお待ちです」


「だな。へへっ 柄にもねえってのに、ちぃと湿っぽくなっちまった。さ、持ってってくれ。宝箱を開く大役は譲るぜ」


 キリゥはアーリヤの方へ振り向いた。


 しかしアーリヤは隠し金庫の前でまん丸の瞳を大きく見開き、固まってしまった。



「…………」


「どした。おい、アーリヤ?」





「…………これは、偽物です」



 扉を開けもせず、アーリヤは呟いた。




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