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第十話『小生の一番の役目はマスター殿をお守りすることです』
魔術師グリムが雨の中を戻ってきた。何気ない足取りを見せつつも、彼は散らばった白骨を器用に避けて石畳を踏んでいた。
ローブはボロボロに擦り切れ、あちこちがエンジ色に滲んでいる。
しかしグリムはいつものようにヘラヘラと笑っていた。
教会に集まった人々は足の裏を縫い付けられたように固まっていた。全身が凍り付いたように動かず、眼球だけが酷く不器用にグリムの足取りを追う。
兵士達は指の骨が軋むほど槍を握り締め、いつの間にか外へ出ていた避難者達も逃げ場を探す鼠のような目で見上げるばかりだった。
彼を「アニキ」と慕った子供達も例外ではない。
「マスター殿っ」
グリムの懐にぴょんと飛び込んできたのは勿論アーリヤだ。彼女は催促するように額をぐりぐりとグリムの胸へこすりつけている。
グリムはアーリヤの期待に応えながら傍らの騎士へ声をかけた。
「ハルディーン様」
騎士の手は反射的に剣の柄へ伸びた。
握ることだけは寸前で堪えたが、動作の意図は目の前の死霊術師にも明白だったろう。しかしその男は従者の頭を撫でながら困った様な笑みを浮かべただけだった。
「私はこれから後始末をして参ります。明け方には全て片が付いているでしょう。街中のスケルトン達の骨は……できれば埋葬してやって下さい。では」
一言も口を利かない騎士へ向かってグリムは軽く会釈する。
グリムは教会へ振り向き、子供達を見た。
合わせた目線から彼等の恐怖が伝わる。それは初めて会ったその時の比ではない。
グリムが腕を上げようとした瞬間、彼等は全員かすかな悲鳴を上げて後ずさった。
中途半端に上げかかったグリム手はそのまま行き場所を探すように少し揺らいだ後、ぱたりと下ろされる。
「よっしゃ、行くぞアーリヤ」
アーリヤはグリムに抱きついたまま動かなかった。
抱きついたまま、周りの全てを睨み返しているのだった。
大きく見開かれた焔色の瞳が何もかも燃やし尽くすような輝きを放っているので、グリムは彼女の目をヒョイと手のひらで覆ってみた。
「マスター殿!」
「まだ後片付けが残ってるんだ。急がないと日が昇っちまうよ」
◆◇◆
グリムとアーリヤはその後、たった二人だけで一件の元凶に対処した。
二人は教会に集まっていた人々にまともな別れも告げなかった。
とは言え人々の方でも彼らを引き止めることは無かった。
皆、怯えた目つきで囁き合うだけだった。
二人がスケルトンの軍勢が残した瘴気の跡を辿って行き着いた場所は深い谷間の洞窟であった。その奥には簡素な石棺と石碑、そしてかつて土地を支配した土豪の長の亡霊が佇んでいた。
亡霊の目的は復讐であった。
彼は古い戦乱の時代に盟友に裏切られ、軍勢ごと皆殺しにされて谷間に埋められたのである。
盟友は長の義弟であった。親兄弟で同じ血を啜り合う修羅の巷では珍しくも無いが、その後盟友は妻と、つまり長の妹と今まで通りの関係ではいられなかった。
妻の墓は街から離れた小さな森に立てられた。妻が同じ墓に入ることを拒み、そこは幼き日の三人が幾度と無く共に過した場所だったからだ。
亡霊の憎悪と憤怒も盟友の子孫たる領主の一族が妹の墓を毎年奉じている間は魂の奥底に押しとどめていられたのである。
だが聖十字教会が地獄の釜の蓋を抉じ開けた。
聖十字教にとっては土着の神など悪魔も同然である。領主に取り入った司教は邪神調伏の建前で森の祠を破壊したのだ。
そしてその行事をそのまま教会の祭事にスライドし、布教を円滑に進める段取りであったのだろう。
亡霊の嘆きの通り、森には無残に焼き焦げた社と叩き割られた石碑があった。
怒り狂う亡霊を鎮めるのは困難を極めたが、グリムは亡霊の墓を妹の遺骨と共に森の深い場所へ埋葬しなおし、朝まで祈りを捧げ続けることでやっと供養を成し遂げた。
そして雨は上がり、待ち望んだ朝がやってきた。
丘の上で街を見下ろしながら二人は全身に白い朝日を浴びている。
グリムのローブはズタズタだ。憎悪に染まった亡霊が全身に突き立てた傷跡は生々しく、手足も顔も泥に塗れて酷く汚れていた。
しかしグリムの顔は晴れやかである。
大変な苦労だったが大臣閣下の指令は完遂した上に教会の泣き所も押さえた。
大成功と言って良い成果だ。
だが彼の最高傑作であり愛する助手でもあるアーリヤは見るからにブンむくれていた。
「マスター殿は悔しくはないのですか?」
「アーリヤちゃんってば、まだ怒ってんの? そもそも俺達は大臣さんからの指令で来たんだしさ。お給料があればそれで十分でしょ」
「そういうことではありません!あいつ等の命を救ったのも、原因を解決したのも……一番、骨身を削られたのも! 全部全部マスター殿であります! なのにあいつ等は、誰一人マスター殿に礼も述べなかったのですよ!?それどころか……っ……怒って何故いけないのですか!? 小生は……小生はっ…悔しいであります!!」
アーリヤはまくし立てる。彼女の胸の内で加速度的に膨らむ物を吐き出そうと言葉を重ねる。
しかしとても吐き出しきれない。破裂しそうな胸をどうにか落ち着けようと彼女は呼吸を置く。
「確かに…マスター殿はドジでアホでスケベであります」
「言われなき唐突なディス。解せぬ」
「ですが、功績は正当に評価されるべきです! あいつ等はマスター殿に平伏し、感涙し、千の賛辞と万の謝辞を並べるべきです! でなければ……でなければ……っ」
吐き出しても吐き出しても、吐き出しきれぬ物が溢れ出した。
切れ長の目尻の端から光る物が流れ落ちる。
「余りにマスター殿が……報われないではありませんか……!」
とうとうアーリヤは両手で顔を覆ってわあわあ泣き出してしまった。
アーリヤは泣いた。泣いても泣いても、涙は後から溢れ出てきた。
悔しくて腹立たしくて、どうにもならなかった。
だからグリムに抱きしめられたとき、彼女は主を突き飛ばそうとした。
そんなことをして欲しいのじゃない。一緒に怒って欲しいのだ。地団太を踏んで欲しいのだ。こんな理不尽など突き返してやろうと言って欲しいのだ。
もし耳障りが良いだけの宥め透かしをするなら張り飛ばしてやる!
そう思ってアーリヤは主を睨み上げた。
苦笑いでもしているか、それとも慈父のように優しく微笑んでいるか。
真面目腐った神妙な顔などしていればグーをお見舞いしてやる!
ところが彼の首の上に乗っていた表情はそのどれでもなかった。
何も無かった。
怒りも悲しみも、いたわりも誤魔化しも無かった。
死体の顔だった。生きているフリをやめた蝋人形の顔だった。
ただそこに極幽かに何かの影が過ぎったのだが、アーリヤにもその正体を捉えることは出来なかった。
アーリヤですら言葉を失うほどの底の見えない闇から、乾いた木霊のような声が漏れ出す。
「悪い、アーリヤ。俺の、為に怒……ってくれてるんだろうが、本当に、正直に言うと俺はもう、その……もう分からないんだよ。そういう気持ちが」
その声は普段のグリムの調子とは似ても似つかない。
だが、ゼンマイの切れかけたブリキ人形のようなぎこちなさで口を動かした後、グリムはすぐにいつものしまりの無いぼんやり顔に戻った。
唖然とするアーリヤの前でバツが悪そうな照れ笑いを浮かべ、取り繕うように言葉を重ねる。
「あー…いや、今のは無し……まあ確かに俺もね?窮地の美女を助けて『抱いて!』って言われたい気持ちはあるけども。仮に素敵な御礼が無くても、逆にビンタが飛んできても、別にもうガッカリしたり悲しくなったりはしないんだ。あるのは渾身のギャグを滑らせた出たての芸人みたいな気まずさと居た堪れなさだけさ、フフフ」
ひう、と涼やかな風が二人の髪をそよいだ。
グリムはアーリヤの髪を梳きながら青い空を見上げ、やはりどこかぼんやりした調子で喋り続ける。
「昔はなー…一々落胆してた気もするが……そういう意味じゃ今回は大分マシな方だよ。もっと過激な『お礼』をされたことは幾らでもあった。例えば…まだアーリヤも居ない、俺が今より断然弱かった頃の話だ」
グリムは話し出した。
彼はある村に世話になっていた。
村民達は行き倒れていたグリムを拾って納屋を貸し与えてくれた、小さいが善良な人々の住まうのどかな村だった。
グリムは恩義に報いるため農作業を手伝いながらちょっとした魔物避けのまじないや豊作の祈願をした。その甲斐あってその年は素晴らしい実りとなった。
ところが収穫を待ち構えていたように盗賊団がやって来た。彼らは村民を殺して蓄えを奪い、娘に乱暴し、家々に火を付けた。
グリムは村人を守るために盗賊団の前に立ちはだかった。村の墓地の死体を根こそぎゾンビとスケルトンに変え、殺した盗賊をも次々に配下に加えながら盗賊団を皆殺しにした。
グリムの奮闘の甲斐あって村は救われたのである。
村長はその晩、グリムを労うために酒宴を開いてくれた。
彼が寝泊りする納屋にご馳走が運び込まれ、唄と踊りで彼はもてなされた。グリムは村長の娘のお酌に鼻の下を伸ばしながら上機嫌になり、やがて疲れと酔いで寝入ってしまった。
そして、納屋に火が放たれた。
「納屋で開かれた時点で気付くべきだったんだが……『なんか焦げくせえな』って目を覚ましたらもう回りは火の海だよ。あの時は流石の俺も焦ったね」
死霊術師を匿っていたとあれば領主からどんな仕置きを受けるか分からない。当然だが『知らなかった』など通用しない。よしんば軽い懲罰で済まされたとしても、周囲の村落はこれまで通りの付き合いはしてくれないだろう。一度立った黒い噂はそう易々とは消えない。
村が助かるためには、村民を欺いた邪悪な死霊術師を退治して潔白の証を立てねばならなかった。
「だけど俺も『はいどうぞ』って殺されてやるわけにはいかないからさ。そん時ゃスケルトンにローブ着せて誤魔化したんだ。素っ裸で荒野に逃げ出した気分はさながら失楽園のアダムよ。悲しいことにイブは居なかったけどな!」
ワハハ!とグリムは朗らかに笑っている。
アーリヤは戦慄した。
「でも俺は村長さん達を恨んだりはしてない。俺が死霊術師なのは事実だからな。ああ、いや…当時は……少し、悲しかったような気もするんだが……もう、その時の気持ちを上手く思い出せないんだ。同じような事が色々あり過ぎて一々覚えておくのが面倒だったんだろ。あ!だからと言って俺を感情の無い殺戮マシーンだなんて思っちゃ困るぜ。俺は車に轢かれた野良猫にだって心を痛めるジェントルマンなんだからな」
屈託無く笑うグリムを見て、アーリヤの脳裏に一つの言葉と恐ろしい光景が浮かんだ。
『彼らにはダメージフィードバックが無いからだよ』
その光景とは目の前で下らない冗談を言いながら笑う主が、いつも優しく自分を撫でてくれるこの人が、世界で一番愛してくれるこの方が、何の前触れも無く突然バラバラに砕け散る姿だ。
それは絶叫したくなる程の真実味と切迫感を帯びていた。
「つまり、えーっと……長くなっちまったが結局いつもと同じだ。何があろうと俺はいつだってすこぶる正気だし、いつだって大丈夫だよアーリヤ」
大丈夫じゃない。
全然、大丈夫なんかじゃない!!
甘かった。自分は全く考えが甘かった。
報われないだとか、一緒に怒って欲しいだとか、そんな悠長な状態じゃない。
もっと、ずっと、事態は逼迫している!
アーリヤは確信した。
自分はこの方を守るために生まれたのだ。
「マスター殿」
アーリヤはグリムの背中に腕を回し、お腹に顔を埋めた。
「小生は何があっても、ずっとずっと御傍に御仕えしますからね」
「大げさだなぁ。でも、ありがとうアーリヤ」
アーリヤは決意した。
私は私の居場所を守る。この人を守る。何があろうと、必ず、必ず。




