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第三話『賄賂の最大の利点は共犯者意識を植え付けることであります』
教会騎士ハルディーンは胃を押し潰されそうな思いを抱えながら街を警邏していた。
ああ、どうしよう、どうしよう。
頭を抱えて空へ向かってワーッと叫び出してしまいたかった。
教会騎士の証たる十字飾りのグレートヘルムを被っていなければ本当に行動に移してしまったかもしれない。
神への忠誠と滅私を象徴する兜が辛うじて騎士の体面を維持していた。
僅かなストレス発散さえ許されなかったと言い換えてもいい。
度重なる亡者の襲撃で兵はボロボロ、領主はとうに領民を見捨てて逃げ出し、司教の意地によって王国の援軍も見込めず、さりとて足の引っ張り合いに忙しい教会の援軍も望み薄だ。
一言で表せば『絶望的状況』というやつである。
これが騎士一人のことなら悩まない。
自分の命であがなわれるならば喜んでこの身を差し出そう。
ところが今や残された街の住民と兵士達の命が騎士の双肩にかかっているのだ。
しかも司教は頑として認めないが、一件の発端はおそらく教会にあった。
おまけに司教の指示に従って現場で指揮を取ったのはハルディーンである。
騎士の精神は自責の念と後悔と自らが抱え込んでしまった命の重みに圧殺される寸前であった。
はぁ……フフ、私には到底『荒野の聖者』など臨むべくも無いな……
騎士の心は自嘲めいた現実逃避を始めていた。
『かく荒野の聖者たるべし』とはある無名の聖者に因んだ教会騎士達の誓いである。
名を成さず、求めず、敬われることさえなく、ただ荒地を流離い、石を投げられようと人を救い、静かに去っていく。聖十字教会では最高の美徳と教えられている。自らの顔を覆い隠すグレートヘルムは、その証なのである。
だが実際のところは一種の方便だ。
教会が都合の良い自己犠牲を信徒に強いるためのこじ付けに近い。
ハルディーンもその他の騎士達も、より位の高い僧達ですら、それを信じてもいなければ、まして体現しているとは言い難かった。
あーあ……母さんが作ってくれたトマトと鶏の蒸し煮が食べたいなあ……
まだ経験浅く若い騎士である。
常に自制を強いられ感情の発露もままならぬ身が、つい郷愁の想いへ逃避してしまうのも許して頂きたい。
私も何も知らぬ間はああも無邪気に走り回っていた物だ。
あの頃は毎日のように兄様が乗馬や弓を教えてくれたな……
騎士の心がひととき浮世を離れたのは街を走る子供たちと無縁ではないだろう。
今日の警邏では随分と多くの子供達(おそらく貧民窟の浮浪児達だ)、薄汚れた肌着の少年達があちこちへ駆け回っていた。
はっきり言ってハルディーンは貧民窟に住む者達に良い感情を持っていない。
彼らは教会からの施しを当然と考え、炊き出しの粥の量が少ないと不平を零す厚顔の輩である。
今も道路の脇には赤ら顔の男が酒瓶を抱えてみっともなくも地べたに座り込んでいた。
税も納めず神も信じず蓄えを食い潰し挙句風紀を乱す、見下げ果てた不逞の輩である。
しかし今日の騎士は路傍の石の如く酔っ払いを無視して素通りした。
もっと怪しい者が目に付いたからである。
路地の影で話し込む二人組みがいた。一人はローブ姿の男、もう一人は灰銀の髪色をした見目麗しい少女である。
ツギハギだらけ、いや、もはやツギ当てだけで出来ているようなオンボロローブ姿の男は背嚢やランタンなどの装備からおそらく冒険者、それも唾棄すべき魔術師である。
騎士は冒険者が嫌いであった。
汚らしい胡散臭い魔術師の冒険者はとりわけ大嫌いであった。
やれ銀級だの金級だのメッキのメダルを見せびらかすごろつきどもは、初めて亡者が攻め寄った晩の次の朝には全員街から逃げ出した。
報酬が割に合わないだと? 所詮は我が身が可愛いだけの勝手気ままなフーテンどもめ。吟遊詩人が歌う勇者などどこにもいるものか。
ハルディーンは魔術師風の男をしょっ引いて牢屋にぶち込んでやることに決めた。
完全なる八つ当たりである。
騎士は二人組みに詰め寄ろうと力強く一歩を踏み出そうとした。
ところがそれと同時に路地から飛び出した少年と衝突しそうになり、慌てて体を捻る。
少年の方も上手く身をかわしたが、弾みで道端に座り込む酔っ払いに躓いた。
少年の足が引っ掛かった酒瓶は勢いよく宙に跳ね、石畳に落ちてひび割れる。残り少ない安ワインは赤いシミになって広がった。
「てめえ!クソガキが!」
激昂した男は少年の腹を力任せに蹴り飛ばした。
酒精でブレーキが外れた男の力は少年の体を藁人形のように弾き飛ばし、壁に叩きつける。
腹と背中を強く打った少年は苦しそうに屈みこんだ。
男の怒りは収まらない。
ヒビが入った酒瓶を掴み、蹲る少年へ歩み寄る。
いかん!
ハルディーンがそう思った瞬間、目の前を黒い影が横切った。
二人の間に飛び込んだローブの男が少年をかばい、背中でワイン瓶の一撃を受ける。
砕けたワイン瓶は破片を撒き散らし、切っ先鋭い円形の刃物に変わった。
邪魔された男は赤ら顔を更に沸騰させ、逆手に握りなおしたワイン瓶をみすぼらしいローブの背中へ突き立てるべく振り下ろした。
が、寸前でその腕は追って飛び込んだ少女によって掴まれる。
少女の端正な顔は凍てついた敵意と殺意で満ちていた。
男が振り払う間もなく少女は手首を軽く捻る。
すると鈍く篭った音が響き、男の腕があらぬ方向にへし曲がった。
「ぐぁっ!?」
肘と手首の間に関節をもう一つ作られた男はうめき声を上げて膝を突く。
少女は跪いた男を見下ろしてあどけなく笑った。
棚の上に乗ったクッキーの箱を見つけたような無邪気な笑みだった。
「止めろアーリヤ」
跪く男の頭の上に足を持ち上げていた少女が静止した。
彼女が男の後頭部を地面へ踏み抜こうとしていたことは明白である。
少女は目の前でお菓子を取り上げられたように抗議の視線でローブの男を睨んで頬を膨らませた。
だが男は取り合わずに少年の介抱を始める。
少女も憮然としながらも治療を手伝った。
その隙に酔っ払いは腕を押さえながら逃げ出した。
あっけに取られていたハルディーンも慌ててその場に加わったのだった。
◆◇◆
「その……どいてくれ。わたしが診よう」
グリムとアーリヤが治療しているところに一人の騎士がおずおずと入ってきた。
篭った声が漏れ出た兜は頭部を完全に覆う十字飾りのバケツ兜である。
紛う事無き教会騎士だった。
既に少年の怪我は消毒され包帯を巻かれていたが、治癒術は教会の得意とする所である。
二人はすぐさま場所を譲った。
騎士は苦しむ少年を軽く触診した後、腹部に手を当てて祈りを捧げる。
ゆっくりと淡い暖かな光が騎士の手のひらを包み、少年の苦悶の表情は和らいでいった。
「お見事」
グリムはぱちぱちと拍手する。アーリヤも真似をした。
少年は騎士の後ろに佇むグリムを訝しげに見上げる。
だがニタァッと微笑んだ彼と目が合うと、大慌てで騎士へ頭を下げてから駆け出した。
「あー…うむ…お前は魔術師だな。えっと…協会所属の冒険者ならば位が刻印されたメダルを出せ」
妙に歯切れが悪い。
異端を見れば吊るし上げ、魔女を見れば即火炙り。教義のためなら誤ファイアーも辞さぬ教会騎士にしては珍しい。
布教中のため下手に出ているわけでもなく、どうやらこの騎士は少年の窮地を代わって救ったグリム達へ純粋に引け目を感じているようだ。
グリムは目の前の若く人の良い騎士を微笑ましく思った。
「すみませんね、旦那。私ァ旅の魔術師には違いないですが、生憎と冒険者協会のメダルなんて立派な物は持ち合わせてないんで」
「む、今時珍しい奴だな……最近は旅の者であれば、日銭稼ぎと手形を兼ねて一つ星の銅メダルぐらいは持っているぞ。あった方が便利だろう」
「私ァ『冒険者』って肩書きがどうにも苦手でして。それに『級』だの『レベル』だのを付けられるのもね、何だか虫が好かないんですよ」
グリムはヘラヘラと笑いながら言ってのけた。
「むぅ…変わった奴だ。では正規の通行手形を出せ。すまんが規則なのでな」
グリムは背嚢から通行手形を取り出した。
平然と差し出したそれはもちろん偽造である。
「街に入った日付は…最初の襲撃のちょうど前日か。間の悪い奴だな」
ただし本物の王国印が押された実物と寸分違わぬ偽造品だ。
造幣局が作った偽札の如きシロモノであり、見破れなかったといって騎士を攻めるのは酷であろう。
「ご明察です。安宿で穴の開いたシーツに包まって震えてたんですが、いよいよ街が危ないと聞きましてね。これからどうしたものかと助手と相談していたんです」
「魔術師グリムの助手、アーリヤと申します。如何でしょうか、騎士様。僭越ながら私どもは不死者への対処法に些かなりの造詣がございます。猫の手でも無いよりはマシと申しますもの。幾らばかりのお手伝いのご用意がございますが……」
「むむ、魔術師の手など必要無い」
グリムはヘラヘラ笑いながら手もみをして騎士に近づく。
アーリヤも同様に傍へ寄って騎士を壁際に追い詰めた。
「うへへ、何を仰います。ここでお会いできたのも神の思し召しというもの。万一の時に備えて亡者避けのおまじないをするだけでゲスよ」
「誓って街の皆様にご迷惑はおかけしません。畏れながら、どうか神にお使えする騎士様へ僅かながらの力添えをお許し下さい」
「む、む、む!」
いつの間にか形成されていた包囲網の中で騎士は唸った。
人手が足りないのは事実である。面子にこだわっている状況でないのも事実である。目の前の二人組みが見ず知らずの浮浪児を庇った仁愛の持ち主であるのも、これまた事実である。
「わ、わかった! 分かったからそう詰め寄るな! 万が一の時は助力を願うとも」
そして騎士は異端の者だろうと誠意から出た願いを無碍には出来ないのだった。
屈した騎士を見て二人はほくそ笑み、アイコンタクトを取り合う。
(マスター殿、こいつ頼まれると嫌と言えないタイプでありますね)
(ぐへへ! 土下座でも何でもすればお願い聞いてくれる手合いだな)
騎士は二人の包囲を解こうと体を押しのけようとした。
だが、連戦の疲労と寝不足の体に治癒の祈祷の反動が役満で襲い掛かり、思わず足がよろめく。
すかさずアーリヤがその体を支え、グリムが背嚢からポーションの瓶を取り出した。
「身を挺して街を守護して下さっているためですね。その御心労、察するに余りあります」
「貴方はご立派な方だ。本来街を預かるべきものに代わって孤軍奮闘される騎士様は信仰者の鑑だ!」
「むむ…よ、止してくれ」
とは言ったものの、実際に心身弱り果てていた騎士にその賞賛は甘い毒のように効いた。
誰かに言ってもらいたい言葉とは、どんなに陳腐であってもクリティカルになり得るのである。
「疲労回復のポーションです。差し支えなければお飲み下さい」
差し出された瓶を見て騎士は息を呑んだ。
美しくカットされたクリスタルガラスの瓶と銀細工の栓で封入された深緑の液体。噂に名高いエルフの秘薬だ。
「異端の品ではないか。いや、そうでなくともこんな高価なものは受け取れんぞ」
「げへへ、ご心配召さずとも天と地の間の一切は遍く神のものでゲス。であるならば、この薬もまた神の御技によるものに他なりませんぞ。ささ、どうぞどうぞお納め下さい」
「大切なのはその道具が如何に生まれたかではなく、如何に扱うかです。信仰心厚い騎士様の崇高な使命のためとあれば、神もお許し下さいます。どうかお使い下さい」
「わ、わかった! 分かったからそう迫るな! ありがたく頂戴する」
(チョロイな)
(チョロイであります)
グリムは「どうぞご贔屓に、グヘヘ!」と下卑た笑みを浮かべながら騎士に頭を下げてその場を去った。
騎士はそこで華奢な少女、アーリヤがいとも容易く男の腕をへし折った件について問い詰めるのを忘れていたことに気付く。
おそらくあの男の邪な魔術によるものだろうが……こんな物を受け取ってしまった以上、余り深く突っ込んで考えない方が良いかもしれない。
騎士は人目を忍んで緑色の液体をグイと一飲みにした。
甘く苦い、背徳の味だった。




