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第一章『死霊術師グリム・レッドハート』
最終話『マスター殿は嘘つきであります』
「よくやってくれた」
「恐縮です」
王都に帰り着いたグリムは大臣の執務室を訪れていた。
二人の間に横たわる長机の上で淹れ立ての紅茶が暖かな香気を立てている。
ちなみに大臣閣下は珈琲党である。
グリムは心遣いに感謝した。
彼が一杯目を心行くまで堪能した後、大臣は切り出した。
「君から出ていた要求の幾つかを叶えよう。何か他にあるかね」
「そうですなぁ……デモの結果はいかがでした」
「国内の反対派はかなり声のトーンを落としたな。国外も幾つかの侵攻計画の変更を迫られた様だ。尤も……君の事情を鑑みれば国内については無用の心配だったやも知れんがね。他には?」
「ではもう一つ。私はこれで完全にテストをパスしたものと思って宜しいので?」
「とんでもない。君は一生問われ続けるだろう。まさかその覚悟がなかったのかね?」
「それこそとんでもない。私は国家の安全保障に携わる御方の意識を再確認したまでですよ。しかしとんだ杞憂でしたな。無礼を心よりお詫び申し上げます」
二人は互いにニヤリと口元を歪ませた。
大臣はティーカップを手に取り、芳しい紅い雫を啜る。
話す口を滑らかにするかのように。
「正直に言って……私も杞憂を煩っていた。流石の君も同類を手に掛けるのは気が引けるのでは…とね」
「まさか。死霊術師なんてヤクザ者はね、どうにかして飼い慣らすか、それが出来ないなら首を刎ねるべきです。私ァ大臣閣下が課してくれた『テスト』だって、些かも根に持っちゃいませんよ」
「本当にそう思う者は口にしないものだよ、レッドハート君」
グリムは大きく口を開けて笑った。
大臣はメイドを呼び、グリムにおかわりを注いでくれた。
グリムは芸術的とも言える薫りを胸いっぱいに楽しむ。
惜しむようにゆっくりと啜る。
ああ、美味い。堪らない味わいだ。
彼は笑みを浮かべたまま、コツコツと指先で首元のチョーカーを叩いてみせた。
「これを見てね、『犬』と言われましたよ。フフ…ウフフフ……いや、失礼。実際その通りだったんでつい笑っちまいました。野良犬は貰い手が現れなきゃ保健所で殺処分だ。私ァ優しい飼い主が見つかって幸運だった。ねえ?」
「精々手を噛まれぬ様、注意するとも」
「そりゃ勿論。私だって狂犬みたいにガス室送りはごめんです」
二人は目を細めて笑う。
しかし互いにその奥にある鋭い光を捕えて離さなかった。
しばしの歓談の後、大臣の執事がドアをノックする音が聞こえた。
「おや、もうこんな時間か。君とのお茶はつい長話に興じてしまうな」
「っとと、まずいな。またアーリヤの機嫌が悪くなる。では大臣閣下、これで……あ、いや」
グリムは去り際にそっと何かを大臣に耳打ちした。
大臣はしばし宙を睨んだ後、ゆっくりと頷いた。
グリムは慇懃に礼をしてから退出した。
「その、閣下?」
この春に『見習い』が肩書きから取れたばかりのメイドはおずおずと大臣に尋ねた。
「『ホケンジョ』とか『ガスシツ』って何ですか?」
大臣は柔和な笑みを浮かべ、しかし否やを言わせぬ調子で応じる。
「詳しくは知らないし、知ろうと思わないな。君はどうかね?」
メイドはがくがくと首を縦に振った。
グリムが大臣との面会に臨んでいるころ、レイシアニルもまた王城の地下牢で面会に臨んでいた。
シスター・ミラーカである。
彼女は王都にある教会の元シスターとして、正当な裁判の下で死罪が決定されていた。
彼女は裁判の最中も、神父が懺悔を受けに来た時も、一言も口を聞かずに俯いていた。
しかし毎日面会に来たレイシアニルへだけ、斬首刑となるその日の朝にとうとう口を開いた。
レイシアちゃん。
貴女もハーフであることで、随分目に合わされてきたでしょう。
私もそうだったのよ。
八分の一だけね……オークの血が混ざってるわ。
村では、本当に…………色々……いろいろ……あった……
不思議よね。
触るのも汚らわしい『混ざり』も、『そういう時』は別らしいわ。
フフ……『情けをくれてやってる』んだって。
アハハハ……おかしいでしょう?
教会に入ってからも……結局、あまり変わらなかったわ。
どこからかね、噂が広まるの。
私は逃げて、逃げて、逃げて……部隊であなたと会ったわ。
ねえ、レイシアちゃん。
私を優しいと思ったかしら?
もしそうなら、それは違うのよ。
私はただ自分を救いたかっただけ。
惨めな自分をあなたに投影した、醜悪な代償行為だったのよ。
あの方だけが違った。
あの方は一言、『そうか』と言っただけ。
あの方だけが、ただ、ただ私をそのままに必要としてくれたの。
死んで、あの方に巡り合えて、ようやく、私はただの私として扱われるようになったの。
それだけ。
それだけなのよ。
警備兵がやってきた。
シスター・ミラーカをギロチン台まで連行するためだ。
最期の言葉を吐き出す間も俯いていた彼女は、牢から出された時に初めてレイシアニルの顔を見た。
彼女は静かに泣いていた。
涙を拭うこともなく、嗚咽を漏らすこともなく、泉が溢れるように静かに頬を濡らしていた。
シスターは微笑んだ。
いつか、レイシアニルへ聖書の一説を教えた日のように。
「ありがとう。さようなら、レイシアちゃん」
グリムは王城の通路でレイシアニルとすれ違った。
「や、どーもどー…お顔が酷いですぜ」
「あ……そ、うですか」
レイシアニルの表情は硬い。
目元は赤く、声はかすかに鼻にかかっている。
グリムはへらへらと笑って肩をすくめて見せた。
「強行軍でしたからね。一仕事終えたんですから休暇でも取ったらいかがです。倒れられちゃかなわない」
レイシアニルは強張った頬を無理に持ち上げてぎこちなく笑った。
「あの少女から話を聞きましたよ、ミスターレッドハート。私は……貴方を少しだけ見直しました」
「ほほう。どの辺をですかな。拙者興味が御座候」
グリムは顎に手を当てておどけて見せる。
「貴方は胡散臭くて自分勝手で喋る話は時折意味不明で他人を茶化すばかりで、極め付けに四六時中ふざけるくせにそのジョークが全くつまりません」
「ひっ酷いッ」
ショッキングだと言わんばかりに後ずさって、両手で頬を押さえた。
レイシアニルはクスリと笑みを漏らす。
「ですが少なくとも、そこまで悪い方ではない、と感じました」
しっかりと芯の通った声だった。
いつの間にやら目元の晴れも引いている。
「ねえ、ミスターレッドハート」
レイシアニルは一瞬、ためらいがちに視線を床へさ迷わせてから言った。
「貴方は、神を信じますか?」
想像だにしていなかった質問にグリムは一瞬、目を見開いた。
彼はふぅむと唸り、宙を眺めながら思い出すように言った。
「そうですなあ……魔術師としては信じてますよ、挑戦の対象としてね。ただ、頼りにはしてません」
「何故? 祈ったこともありませんか」
「昔はありました。しかし神様って奴ァ…私の知りたいことにはいつだって、諦め方しか教えてくれなかったんでね」
断頭台の前には大勢の市民が詰め掛けていた。
王都であってさえ、死刑とはそれ自体が一種の見世物、ショウなのだ。
娯楽と血に飢えた民衆のぎらついた視線が、美しいシスターのたおやかな体にまとわりついた。
神父が最期の言葉を聞く。
「要りません。祈りはとうの昔に捧げました。残す言葉もありません」
シスター・ミラーカは決然と言い放った。
決して俯くことなく、堂々と前を見据えている。
彼女は首を枷に嵌められてなお、いささかも取り乱すことはなかった。
刃は聖水で清められ、冷たく濡れていた。
ぽつり。
首筋に涼やかな雫が落ちる。
刃が落とされた。
「とっころが、高位のヴァンパイアが聖別刃のギロチンだけで死ぬはずがないんだよなぁ」
不意にシスターは目覚めた。
反射的に身を起こし、体を庇うような姿勢を取る。
一体どこで復活したのだろうか。
辺りは薄暗い。
周囲に居並ぶ巨大な石柱、果ての見えぬ天井、無数に掲げられた松明。
それでいてなお払えぬ、深い、深い、闇。深遠。
そして目の前にはあの男がいた。
自分から主を奪い去った、それも残酷極まる方法で痛めつけた上で殺した、憎い憎いあの男がいた。
男はへらへらとした不愉快そのものの笑みを浮かべている。
シスター・ミラーカはありったけの殺意を込めてグリムを睨んだ。
だが男はとらえどころの無い笑みを崩さない。
「おっはー☆……流石に古すぎるな。自分でもちょっとサムいわ」
シスターは目に殺意を宿したまま唇を笑みの形に歪めた。
わざと体をくねらせ、豊かな胸元と張り出したヒップ、流れるような太もものラインを見せ付ける。
「何が目的ですか? ああ……私を下僕に? ゴシュジンサマと呼んで差し上げましょうか?」
「お前、自分にそんな価値があると思ってるの?」
瞬時にシスターの頬に朱が差した。
目の前の男は首をかしげ、開いた口が塞がらないとばかりにポカンとしている。
グリムが心の底から本気で呆れているのが彼女にも分かった。
だからこその羞恥と怒りで肩が震える。
そんな彼女の激情をよそに、グリムは懐から何かを取り出した。
「パッパラパッパッパーッパッパー!『レイスの遺灰』~!」
グリムはラッパのような効果音を口にして、妙に愛嬌のあるだみ声を出した。
取り出したのは瓶だ。
中には黒い灰が一杯に詰められている。
シスターは目の色を変えた。
「そう。お前さんの愛しのご主人様の灰だ。まだ本格的な聖別はしていない。この意味が分かるな?」
グリムは不敵に笑い、ローブを翻した。
「グリム・レッドハートの名にかけて誓うぞ。お前の支配権は既に放棄している。こいつが欲しければ、力ずくで奪い返せばいい」
仮面を被る。
虹色の魔力が迸った。
「できるものなら」
グリムは杖を握った。
シスターは無言で全身に殺気を漲らせる。
指先から赤い爪が伸び、背中に黒い羽がひらめいた。
「来るがいい。お前が掛け値なしに『もう無理だ』と思うまで相手をしよう」
地下迷宮に魔力の閃光が走り、轟音が響いた。
早朝、グリムはアーリヤを伴って郊外の森を訪れていた。
二人は森の奥深くのぽっかりと口を開けたような広場へ辿り着く。
広場は背の低い草が生い茂り、所々に色取り取りの美しい花が咲いている。
そして広場の端に朽ちかけた小屋が一つ、広場を見守るように立っていた。
グリムは小屋からスコップを取り出した。
手際よく広場の一角に小さな穴を一つ掘る。
次に懐から二つの瓶を取り出した。
どちらも中に詰められているのは灰である。
一つは黒く、もう一つは白かった。
グリムは瓶の口を二つとも開けて穴の中に灰を注ぎ込んだ。
最後に穴へ土を埋め戻し、木の杭を一つ突き立てる。
グリムとアーリヤは杭の前に跪き、しばし手を合わせて目を瞑っていた。
彼はスコップを小屋へ片付けて大きく背伸びをする。
「お疲れ様であります」
「いやいや。待たせて悪かったなアーリヤ。ケーキを買って布を見に行こうか」
アーリヤは嬉しそうに手を伸ばす。
グリムはその手を取った。
不意に風が広場を駆け抜け、鮮烈な朝日が注ぎ込む。
彼らの前に広がる草むらには他にも幾つもの杭が立っていた。
数え切れないほどの杭がそよぐ風の中で朝日を浴びている。
そして今彼らが立てた新しい杭に、いつの間にか蝶が二匹とまっていた。
蝶は一匹舞い上がり、もう一匹も後を追うように舞い上がる。
朝日に向かって飛んでいく蝶を見送って、二人は広場を後にした。
森の中でアーリヤはグリムを見上げた。
「マスター殿は優しいですね」
「俺が? まさか!」
1章を最後までお読み頂き誠にありがとうございます。
少しでも皆様のお暇が潰せれば幸いでございます。
本作は中篇連作にする予定です。
第2章は現在執筆中ですので少し間が開きます。
一章を読み終えた皆様のお声など聞かせて頂けるととても励みになります。
今後も少しでも皆様にお楽しみ頂けるよう筆を磨きたいと思います。




