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第一章『死霊術師グリム・レッドハート』
第一話『小生こそマスター殿の最高傑作であります』
「これ何?」
「紅茶では?ご所望の品であります」
王宮に仕える死霊術師グリム・レッドハートは目の前に鎮座するおぞましいティーカップを凝視した。
コポコポと泡を立てる赤黒い粘性の液体がなみなみと注がれている。
臭い。
目に染みる悪臭だ。
ゲロとヘドロと肥溜めをコンクリートミキサーに掛けてぶちまけたような……
グリムは鼻を摘まんだ。
『これ』を飲み物と認識したくない。
と言うかもう片付けて欲しい。
だが彼はカップから何やら妙な音が聞こえたように思い、恐る恐る耳を紅茶に近づけた。
「プルプル。ぼくわるい紅茶じゃないよ」
「うぉわあっ!嘘つけぇッ」
ゾロッと耳に触れようとした紅茶もどきをカップごと払いのける。
ガチャンとアトリエの壁にぶち当たった紅茶の化け物はジュワワッと蒸発しながら異次元の深宇宙へ帰還していった。
危うく冒涜的な深き紅茶どもの侵入を防いだ主人を、傍らの少女がケラケラと笑っていた。
黒のぴったりとしたヘソ出しのチューブトップとホットパンツ。
その上に、やはり黒の裾が短い極薄手のフード付きローブを羽織っている。
少女はお腹を抱えながら身体をくの字に折り曲げていた。
年かさは10代前半頃、灰色がかった銀髪と雪のように白い肌の中で炎に似た赤紫色の瞳が煌めいている。
白い八重歯を覗かせながら笑うあどけない少女は控えめに言っても大変な美少女であった。
「ぎぃゃぁぁああっ首に引っかかった! 臭っ! 熱っ! ちょっアーリヤ雑巾、雑巾取って!」
アーリヤと呼ばれた少女は予め部屋の隅に置いていた雑巾を火箸でつまんで渡した。
グリムは一心不乱に首にまとまり付く紅茶スライムのぬめりを拭き取る。
ぬめりは彼の首を縁取る金色のチョーカーに絡んでいたため手では拭いきれなかった。
「ふぅ……たすかっぐぉぁぁあああああ!」
グリムは再び悶絶した。
首にがっつりと染みついた猛烈な悪臭が立ち上り、逃げ場が無い。
目を白黒させるグリムを見てアーリヤは涙目になるほど笑い転げている。
「うぅおおええええええ! アーリヤ!っこれ!おげえええええ」
「ご所望の雑巾でありますよ。一週間ほど前に零した牛乳を拭きましたが」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
その後七転八倒を繰り返したグリムは放り投げられた清潔な布巾と消毒液でようやく汚臭地獄から解放された。
「どうしてダージリンから古き神々の奴隷種族を召喚できるのかな? おかしくない?」
「何を隠そう、小生はマスター殿の最高傑作でありますので」
アーリヤは腰に手を当てて得意げに胸を張って見せた。
しでかしたことを無視すれば可愛らしいドヤ顔である。
「一応聞くけど勝手に工房の触媒とか使ってないよな」
「失敬な! 何故紅茶を淹れるのに魔術触媒など使いましょう。誓ってキッチンのものだけであります」
グリムは二秒ほど考え、バッと立ち上がってキッチンに駆け込んだ。
「ぬぉわぁー! うぉれのロンフォールトのファーストフラッシュぐぁーっ!」
惨憺たる光景であった。
グリムお気に入りの高級紅茶の缶という缶がひっくり返され、鍋の中でぐつぐつと煮えている。
最高級茶葉の数々を生け贄に召喚された真紅の血の池地獄が亡者の呻き声を放っていた。
「なんでも紅茶の旨みは煮出すことで出るそうで。つまり葉をたくさんグラグラ煮るほど美味しくなるのであります」
したり顔で語るアーリヤに構う余裕などグリムには無い。
沸き立つ地獄の釜から第二第三の異形生物が錬成される瀬戸際であったが、半泣きになったグリムの迅速な魔術処理によってどうにか世界は崩壊の危機を免れた。
地獄絵図と化したキッチンの片付けで小一時間を要したが、アーリヤは悪びれもしない。
グリムは丸い大きな赤紫色の瞳をジトリと睨んだ。
「良いかねアーリヤ君。フレッシュゴーレムたるもの、もう少し創造主を敬う気持ちをだね」
「昨晩から小生の寝室のぬいぐるみコレクションに知らない子が迷い込んでおりまして」
グリムはサッと目を逸らした。
「よーくよく調べますと、瞳が魔法水晶になっておりまして。そう、遠見の魔術で使うような」
アーリヤは口だけを三日月のように歪めた冷笑を浮かべて椅子に腰掛けたグリムを見下ろす。
彼は明後日の方向を眺めながらわざとらしく口笛を吹き始めた。
アーリヤは「やれやれ」と肩をすくめてみせる。
「大体、エロマスター殿は小生の裸体など日頃のメンテナンスで見慣れてらっしゃるでしょうに」
「何を言う!」
ダンッとグリムは机に拳を打ち立てた。
「手術台の上で恥ずかしげも無くバーンと晒された全裸に何の情緒がある? エロスがある? いや、性癖は深淵だ。そういったシチュを好む者を否定はしない。だが俺が求めるものは違うっ 俺が見たいのは見られていることに気付かない無防備さと自然体から生まれるチラリズムの到達点なんだっ 自由にならない視点のもどかしさといつバレるかという緊張感とに悶える浪漫の極地なんだっ」
「語るに落ちましたなぁ」
アーリヤは硬直するグリムの目の前で小指の先ほどの遠見の水晶を取り出すと、親指と人差し指の間でバキッと粉砕する。
「即刻目を正規のものに直して下さい。変態マスター殿の盗撮趣味はともかくとして、ぬいぐるみ自体はとても品の良いテディベアであります。勿論このまま小生が頂戴して宜しいですな?」
グリムに否やは無かった。
「でもなアーリヤ、自画自賛になるかも知れんが、君はとてつもなく可愛らしいんだ。フレッシュゴーレムの造形美においても俺の最高傑作なんだ。ムラッときてしまうのは男のサガなんだ」
「やや、小生の絶世の美貌がマスター殿を苦しめていたのですな。小生が美少女なばかりにご迷惑を」
アーリヤは両手で頬を覆い、八重歯を覗かせてはにかんだ。
「だからちょっとくらいスケベに及びたいという俺の気持ちも汲んで」
「調子乗んじゃねえであります」
グリムは次はもっとバレにくいところに仕掛けてやろうと心に誓った。
グリムは裁縫箱を取り出すと手馴れた所作でテディベアに目を縫い付け始めた。
アーリヤはグリムの背中にぴったりとくっついて肩越しに作業を見つめている。
丸く大きなつつじ色の瞳が針と糸を操るグリムの指先を映してきらきらと輝いていた。
「アーリヤ、あんまりくっつかれるとやり辛い」
「変態マスター殿が小賢しい細工をしないか見張っているのであります」
そう言ってアーリヤはますます強くグリムの背中にしがみついた。
見張るといいながら顔をグリムのうなじにうずめて、ぐりぐりと鼻先を首元に擦り付けている。
「アーリヤ君、止したまえ。君は猫かね」
「ニャンコとかいう畜生風情は可愛いだけでネズミの巣一つ駆逐できませんが、マスター殿の最高傑作たる小生はカワイイ上にオーガの駆除もラクショーな万能優秀アシスタント兼下僕でありますので」
グリムも止したまえとは言いつつ、背中越しにむにむにと押し付けられるアーリヤの胸の感触に気付いてからは役得に預かることにした。
「おや、変態マスター殿。股間のご子息が起立してます」
「なぬっ」
「嘘であります」
アーリヤはぱかっと大きく口を開いてけらけらと笑い、いっそう強く体を押し付け始めた。
彼女はグリムの耳元で囁く。
「マスター殿の最高傑作の具合は如何でありますか? いつまで我慢できるか見ものであります」
「我慢できなくなったらスケベさせてくれるの?」
アーリヤは花が咲いたような笑みを見せた。
「絶対イヤであります」
「ひどい」
五分後、アーリヤはくりくりとした黒目を縫い付けられた小熊を抱き上げてくるくると小躍りしていた。
「マスター殿は明日からでも裁縫師になれますなー♪」
グリムは「大げさだ」と苦笑したがアーリヤの衣服も彼の手縫いである。
影蚕が紡ぐダークシルクの生地にミスリル糸で魔術刺繍が施された極薄手のローブは、事実アーティファクト級の逸品であった。
とは言え、彼は力の入れ所を選ぶ。
己のローブは雑多な端切れを何カ所も継ぎ当てたパッチワーク寸前のおんぼろローブである。
「マスター殿の盗撮未遂はこれで勘弁して差し上げるであります」
「じゃあおっぱい揉ませて?」
「ふざけんじゃねえであります。『じゃあ』って意味わかんねえであります」
二人の漫才をノックの音が遮った。
アーリヤはテディベアを片手で抱いたままてててっとドアに駆け寄り、空いた手でドアノブを引いた。
十センチ程の厚みの鉄扉が派手な軋み音を立てて勢い良く開く。
扉の向こうにいた兵士達が揃ってビクリと肩を震わせた。
「何のご用件ですか?」
「あ、はい……し、死霊術師様に、今日のお食事と……その、死体を持ってまいりました」
兵士達の後ろには担架で運ばれてきた遺体がある。
首が不自然に伸びた、絞首刑に処された罪人の死体だ。
アーリヤは穏やかな微笑を浮かべて恭しく礼をした。
「お疲れ様です。昨日の担架とゴミ類はいつもの場所です。折角ですから、お茶でもいかがですか?」
「い、いえ。仕事中なんで、遠慮いたします、はい。で、では」
兵士達は死体を置き去りにそそくさとその場を立ち去った。
解剖室に運び込まれた新鮮な死体を前にしてグリムはスキップしながら死霊術の呪具を作業台に並べていった。
「つくづく宮仕えは素晴らしいな、アーリヤ。もうサンプル欲しさに盗賊の根城を襲撃することも、泣く泣く妥協してゴブリンやコボルトの死体で代用することもないんだ!」
「おまけにノルマも残業も無い三食おやつ付の身分、公務員バンザイであります!」
二人はワハハと一頻り笑い、ぴたりと口を閉じる。
そして手術台の前に並んで手を合わせると、一分ほど黙祷を捧げた。
「ではアーリヤ君。我が王立死霊術研究室による今日のお仕事を始めようじゃないかね」
「術後のティータイムはお任せであります」
「うーん、紅茶への強い熱意と殺意を感じるねえ」
時は勇者歴1080年、所はオルドー王国、おわすは死霊術師一人と不死の少女一人。
王宮の地下迷宮に設えられたばかりの王立魔術院死霊術研究室は今のところ平和であった。




