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第一章『死霊術師グリム・レッドハート』
第二話『マスター殿曰く「こういう女ほどア○ルが弱いんだぜグヘヘ」だそうです。ひっぱたいてやりました』
並べられたティーカップの数々から鼻腔をくすぐる香ばしい湯気が立ち上っている。
挽き立ての上等な豆から淹れた素晴らしいコーヒーである。
だが手を付けようというものは誰一人いない。
本日の会議には王国騎士団長と王立魔術院長、そして王国議会の長老達に加えて王国の実務を一手に引き受ける大臣閣下と国家の象徴たる国王陛下までご出席あそばされていた。
彼等は既に小一時間ほども喧々囂々の議論を繰り広げている。
「本当に『アレ』は安全なのか?」
「魔術院謹製の『首輪』が嵌められてるんだ。万が一にも問題は無いだろう?」
「しかし奴は自分からそれを申し出たというじゃないか」
「まさか、解呪方法を予め……?」
「馬鹿な! 一月ごとに更新される七桁数に及ぶ複合封印だぞ。『大魔導』や『大魔女』級の術師と言えど解呪は不可能だ」
「ともかく、あくまで暫定措置だ。何のために地下迷宮に部屋を用意したと思ってる」
「暫定措置にしちゃ随分と好待遇に過ぎやしないか。臣民の血税で賄われてるんだぞ」
「この際、金の問題は一先ず脇に置いておかんかね。前例も相場も無い。キリが無いわ」
「いや、そもそも安全保障の要としては、いくら何でも……」
「ローランド王国の惨劇 を忘れたのか? 同様の対策を練ってるのは我が国だけじゃない。一種の保険だよ」
「いや、だからこそ同様の危険がだね」
「それこそ臣民感情というものもあるだろう。少なくとも教会がこのまま黙って見過ごすものか」
「では教会の司祭達だけを頼りにしろと? 彼等が忠誠を誓っているのは陛下では無く神…いや、教皇だ。それこそ馬鹿げている」
「とは言え、あの男が本当に陛下に忠誠を誓っているものかな」
「しかし実際的に騎士団と魔術協会だけでは……どうにもならぬから、ローランドはああなったのだし……」
「諸君」
長机を取り囲む視線が一点に注がれる。
参加者の注意を集めた大臣は、岩壁を彫り上げたような厳めしい顔付きの中央を飾るカイゼル髭の先を軽く捻った。
「大方の意見は出尽くしたように思う。事ここに至っては要点はただ一つ。現状であの男以外に防ぐことが出来るか、出来ないかだ。最後に一点付け加えるならば、少なくとも『首輪』の安全性は折紙付き……ですな、ジルバーシュタイン院長」
視線を投げかけられた銀髪の老人“古狼”ヴォルフガング・ジルバーシュタインは金色の眼光鋭く、重々しく頷いた。
参加者達もまた、お互いの顔を見回して頷いた。
各々の腹は決まったようだ。
「陛下」
大臣に呼びかけられた国王は白い豊かな顎髭を一度ゆったりかき回した後、明朗たる声で命じた。
「では、採決に移ろう」
翌朝、学会に向けて草稿を進めていたジルバーシュタインの執務室に、息を切らせたうら若いハーフエルフの乙女が飛び込んできた。
「納得できません!」
バン!と机に両手をついて開口一番に叫ぶ。
あろう事か乙女は長旅用の外套を着たまま、擦り切れた革手袋のまま、泥だらけのブーツを履いたままだった。
かろうじてフードは下ろしていたが。
王国騎士団に随員した大盗賊団殲滅任務から帰るなり、櫛も掛けずに駆け込んできたのだろう。
美しい真紅の長髪は砂埃に塗れている。
魔術院の最年少エースを老人は珍しい生き物でも眺めるような目で見た。
「先生!」
「騒ぐな、レイシアニル。そう一々怒鳴らんでも聞こえとるわ」
ジルバーシュタインは万年筆を置いて椅子の背もたれに身を預けた。
目の前には頭から湯気を立ち上らせながら師を睨むレイシアニル・ノルガラードのエメラルドのような碧眼が並んでいた。
エルフの美貌は総じて儚げで線の細い印象を人に与えるものである。
しかし南方人の血が半分入った彼女の風貌はくっきりとした眉と彫りの深い顔立ちだ。
それに豊かな真紅の長髪が加わって、健康美を通り越して生きた炎のような原始的な生命美を発散していた。
ちなみにプロポーションも抜群である。
ボンキュッボンである。
彼女はモテた。
「で、何が気に入らない」
「何もかもです。先生があの結論に至った経緯を一から十まで筋道を立てて納得のいくよう説明して下さい。でなければ他の宮廷魔術師達に示しというものが付きません」
老人は再び万年筆を取って紙に向かい始めた。
「議会の決定だ。以上」
「先生!」
乙女も再び叫ぶ。
しかし師は彼女に目を向けなかった。
ジルバーシュタインは紙にペンを走らせながら鬱陶しそうに応える。
「俺が幾ら話したところでお前さんは納得なぞせんよ。この万年筆を賭けても良いぞ。見て分かるように俺は忙しい」
「見損なわないで下さい。私は真理に挑む魔術師ですよ。先生が理の通ったご説明をして下されば私もそれと認めて引き下がります」
老人は草稿に向かったままフンと鼻で笑った。
「例え東方の三賢者が言葉を尽くしたところでお前さんは引き下がらんね。人間がみな好悪の感情に理屈を後付けするように、お前さんもさぞもっともらしい反駁を並べるだけだとも」
老人は指先を舐めて紙をめくる。
そして深い皺の刻まれた顔に悪戯小僧のような笑みを浮かべてちらりと愛弟子を見上げた。
「要はお前さん、奴に嫉妬しとるんだろう?」
「なっ!」
乙女は自らの焔色の髪の如く、カッと頬を染めて激昂した。
「だっだっ誰が!あんな!あんな男に!見損なわないで下さい!あんな、栄えある王立魔術院と縁もゆかりも無いどこの馬の骨とも知れない男に、陛下への忠誠はおろか王国へ何の貢献もしていない男に、まして下劣な死霊術師に!誰が!誰が嫉妬なんてするものですかっ!私は宮廷魔術師の綱紀を正すために来てるんですっ!」
「今の台詞にお前さんの嫉妬の内容がぜぇーんぶ出とるよ。もう出て行って宜しい」
老人は草稿を束を縦にしてトントンと端をそろえた。
愛弟子はデスクに両手をついたまま固まり、肩をぶるぶると震わせていている。
その顔は真っ赤に焼けたヤカンのようだ。
老人はしばらく次の原稿に取りかかっていたが、レイシアニルは一向に部屋を出る様子が無い。
老人は眉をひそめて溜息を吐いた。
「このまま部屋に居座られても迷惑だな。いいだろう、課題を与える」
レイシアニルの前に一式の書類がぽんと突き出された。
表紙には『特務指令 第十三号』と記されている。
その文字を見てシラフに戻ったレイシアニルは師の顔を見つめた。
老人は無言で頷く。
表紙をめくって中身を読んだレイシアニルは思わず息を飲んだ。
彼女は素早く文面に目を走らせて概要を掴むと、驚きと更なる怒気を伴って師に食って掛かかる。
「先生! このダンジョンは私が!」
「王国としては可能なら今すぐ片を付けたい案件なのだ。しかしお前さんをのけ者にして後でうるさく言われては敵わんのでな。お前さんを管理官に任命する」
レイシアニルは拳を握り締め、唇を噛んだ。
「つまり先生は、これが最後のチャンスになると仰るのですか?」
「そうとも。あの男が成功しても失敗しても、な。お前さんにとっては二度目の、そして最後のチャンスだ。奴がそこまで気に入らなければ自分の目と手で確かろ。その上で使えんと判断すれば、お前さんの好きにしていい」
「……承知しました」
先ほどまでの強情ぶりが嘘のようにレイシアニルは頭を下げる。
しかし踵を返して風のように去った彼女は退出の礼も忘れていた。
「シスター…」
小さい呟きを残し、焔色の髪の乙女は正しく嵐のように去っていったのだった。
部屋を出るその背を見送ったジルバーシュタインは椅子から立ち上がり、窓辺で空を見上げる。
「皆が皆あやつほど素直なら手間が無いんだがなぁ……大臣閣下も気苦労の絶えぬ事だ……」
西の空には呆れるほど大きな入道雲が立ち上っていた。
レイシアニルはブーツの高い足音を響かせながら地下迷宮へ続く螺旋階段を下りていった。
迷宮入り口前の詰め所では警備兵達がしつこいほど同行を申し出た。
しかし彼女は一顧だにしなかった。
「あの、本当についていかなくても良いんで?」
「くどいです。まさか、この私が下賎な死霊術師ごときに遅れをとるとでも?」
「いや……そういうんじゃないですけどねえ」
警備兵達は渋る。
時折チラチラと探るように、彼女のフードの奥に隠れた長くとがった耳へ送られる視線が気に喰わない。
だがレイシアニルは出来る限り無視した。
彼女が制止を振り切ってカンテラを掴んで背を向けた瞬間、ある囁きをその耳で聞き取るまでは。
「これだから耳長の“混ざり”は」
突風が警備兵を壁に叩き付けた。
舞い起こった風が詰め所の机という机を跳ね上げ、椅子を四方へ吹き飛ばす。
書類の束は木の葉のように舞い上がり、壁際に掛けられた槍はみな床へ落ちて散らばった。
鉄槌の如き衝撃を胸と背に受けた兵は肺が急激に収縮し、呼吸困難に陥る。
チアノーゼの青い顔が屈もうとした。
が、ローブから伸びた腕が兵の首を掴んで再び壁に叩き付けた。
片手で杖を握り、片手で警備兵の首を鷲掴みにしたまま怒気の蒼い焔を立ち上らせているレイシアニル。
周りの兵は震え上がって制止するどころか腰を抜かして声も出ない有様であった。
「言いたいことは面と向かって言いなさい。貴方に理があれば私はいつでも従いましょう。差し当たり、私がハーフエルフであることに何の問題が?」
壁に叩きつけられた兵は青い顔のままブルブル首を振って否定の意を表す。
レイシアニルは彼を拘束していた風縛の呪文を解除した。
そして踵を返すとそのまま振り向かずに地下迷宮への階段を下りていく。
兵士達は気絶した仲間の介抱と突如室内で荒れ狂った嵐がメチャクチャにした部屋の片づけにあたる。
全く彼女を止めるどころではなかった。
単身地下迷宮へ下りたレイシアニルは小さな紙片をカンテラの明かりに照らした。
王国に存在する唯一の地下迷宮の地図、王立死霊術研究室への道順である。
地下迷宮は広い。
王国の誰一人として全容を把握していないほど。
道を外れれば生きて帰れる保証はないだろう。
彼女は目の前に続く暗闇を睨み、お腹に力を入れて大きく深呼吸した。
「待ってなさい死霊術師。化けの皮を剥いでやるんだから」
レイシアニルは力強く大きな一歩を踏み出す。
「あひぃーっ!」
そして地下迷宮中にハーフエルフの悲鳴が響いたのだった。




