第2話 『 覚醒 』
……アイズは必死の形相で乱暴に扉を開け、階段を転びそうになるほどに焦りながら降りた。
(……ミロさん! ガクさん!)
血も繋がっていない、親戚ですらないアイズを十年間、養い、家族のように接してくれた二人はアイズにとってかけがえの無い存在だ。そんな人達を絶対に失ってはいけないのだ。
アイズは恐る恐るリビングの床を踏んだ。ついでに顔を踏んだ。
……顔?
アイズはとてつもない恐怖心を振り切って足下を見た。
「ガクさん……!」
足下に転がる身体……それはガク=クロスハートのものであった。
ガクの胴体には風穴が空き、そこから血と腸が飛び出していた。脈を確かめるまでもなく死を確認できた。
「……どうして、何でだよ」
アイズは衣服が血に染まることも厭わず、ガクの身体を抱き上げた。
……動かない、ピクリとも動かない。きっと一生動かないだろう。死ぬということはそういうことなのだ。
――俺のこと、親父と思っていいからな
……喋らない、過去にアイズに優しい言葉を掛けてくれた唇は動かない。死ぬということはそういうことなのだ。
「……目を開けてくれよっ」
アイズがどんなに声を掛けても、どんなに肩を揺すってもガクは動かなかった。
……死ぬということはそういうことなのだ。
「……ァ……イズ」
……声が聴こえた。ミロの声だ。
アイズは生存の希望を胸に声のする方向へと歩を進めた。
リビングにガクの死体を残しておき、アイズはキッチンに足を踏み入れた。
「……に……げ……て」
……しかし、現実は甘くなかった。
「ミロさん……!」
アイズは目の前の光景に思わず声を張り上げてしまった。
――モグラに似た巨大な体躯の〝金喰〟の鋭利な爪が、ミロの胴体を貫いていた。
「嘘だ」
アイズは虚ろな声で目の前の現実を否定した。しかし、目が、鼻が、脳がそれを許さなかった。
「嘘だ」
それでもアイズにとって簡単に受け入れられる事実ではなかった。
「わたしのこと、お母さんって呼んでもいいのよ……あっ、御袋は駄目よ」
「こらっ、泣かない泣かない。喧嘩もいいけど仲良くなさい、男の子が泣くときは彼女にフラれたときだけよ」
「アイズはわたしたちの自慢の息子よ」
……あの笑顔がもう無いなんて嘘だ、そう思うことしかできなかった。
「嘘だッッッ!」
アイズは近くに転がっている酒瓶を握って〝金喰〟に飛び掛かった。
(殺す!)
迫るアイズに〝金喰〟の鋭利な爪が迎え撃つ。
――アイズは紙一重でその爪をかわした。
(殺してやる!)
アイズは酒瓶を〝金喰〟の頭に叩き込んだ。
酒瓶が砕け散る……しかし、〝金喰〟の皮膚は硬くびくともしなかった。
「クソが……!」
――アイズは強固な腕に弾かれた。
アイズの身体が紙屑のように飛び、床の上を転がった。
「……駄目だ、勝てない」
アイズは口の中に広がる血の味混じった唾を吐き捨て、立ち上がった。
――〝金喰〟の鋭利な爪が目の前にあった。
「……っ!」
まさに間一髪、アイズは身を翻して辛うじて攻撃を回避した。
(……駄目だ、勝てないし出口はアイツの後ろにあって逃げられない!)
アイズは周囲を見渡し、現状を把握する。
……リビングの中央に巨大な穴が空いていた。
(地中を潜ってあの馬鹿でかい穴から出てきたのか、道理で〝金色の十字架〟に気付かれずにここまで侵入できたのか!)
……その判断は一瞬であった。
「二階の窓から逃げるか」
――アイズは〝金喰〟に背を向けて走り出した。
『グルァァァァァアア!』
案の定〝金喰〟が咆哮し、アイズの背中を猛追してくる。
アイズは駆け足でキッチン・リビング・階段を抜け自分の部屋の前まで突破した。
『グルァァァァァ!』
〝金喰〟は既に階段を突破し、その狂暴な眼光がアイズの姿を捉える。
(……よしっ、数秒の差で逃げ切れるな)
アイズは部屋に駆け込み、窓目掛けて走り出した――その瞬間。
……アイズの左手方向の壁に亀裂が走った。
「……嘘だろ」
アイズがそう呟くと同時に――
『グルァァァァァァァァァアアア!』
――壁を破壊して、〝金喰〟が飛び出した。
〝金喰〟は廊下に沿わず、壁を破壊して一直線に進むことで移動時間を短縮したのだ。
〝金喰〟は飛び出した勢いそのままでアイズに衝突し、アイズは堪らず弾き飛ばされる。そして、勉強机に全身を打ち付け、棚や机の上の私物を床にぶち撒けた。
「……っう!」
頭を打ったのだろう、アイズは脳震盪からか起き上がることすら叶わなかった。
「……やばっ」
アイズの力無い眼差しと〝金喰〟の鋭い眼光が交差した。
死 ぬ の か な ?
悔いはあった。金論術も使いこなせてないし、人一人すら救えていない。彼女もいないし、高級料理を食べたこともない。
で き ね ェ よ な 。
アイズはここで死ぬわけにはいかないのだ。
叶えるべき夢がある。
守るべき人がいる。
「死ぬなんてできねェよ」
アイズを大切に想ってくれている人がいる。
アイズが大切に想っている人がいる。
「俺が死んじまったらアイツがひとりぼっちになっちまうだぜ」
全身が染みるように痛かった、脳震盪で意識が朦朧としていた。それでもアイズの目はまだ死んではいなかった。
ふとアイズは床に転がる深紅の石を見つめる。その石はアイズの勉強机の上に飾ってあったものであった。
――これは大事な石だ。だから万が一、父さんが仕事から帰らなかったアイズがこの石を呑んでくれ
……そう言い残して病に伏した父親から譲り受けた石である。
「何にも起こらなかったら恨むぜ父さん」
アイズは転がる深紅の石を拾い、唾液と血液とが入り交じった液体を潤滑油に呑み込んだ。
――ゴクンッ……!
「……」
『……』
その一瞬はアイズにとって一刻にも値する密度であった。
確かにアイズは石を呑み込んだ。しかし、アイズ自身何が変化したのかわからなかった。
……希望は潰えた。
『グルァァァァァアア!』
〝金喰〟が咆哮し、鋭利な爪を振りかざした。
「……ちくしょう」
アイズが反射的に顔を腕で庇った。
――ブシュッ……!
……アイズを突き刺そうとした〝金喰〟の片腕が消し飛び、血飛沫が舞った。
「……なァ!」
どうして〝金喰〟の腕が消し飛んだのか、そして――
「……何だこれ?」
――右手に刻まれた紋章は一体何なのか、アイズにはわからなかった。
『ガギィヤァァァァァァァァァァァァァ!』
片腕を奪われた〝金喰〟が怒りの咆哮を上げ、アイズはハッとした。
(……クソッ、片腕だけじゃ怯まねェか)
アイズはやり方はわからないがもう一度腕破壊に挑もうと立ち上がる。
――身体が動かなかった。
謎の力を使ったせいではない、まだ脳震盪のダメージから回復しきれていなかったのだ。
『ガギィヤァァァァァァァァァァァァァ!』
〝金喰〟の残った方の爪がアイズの脳天に迫る。
(……やばっ、今度こそ本当に)
そして、その爪がアイズの額に接触する――その瞬間。
……冷気が吹き抜けた。
いつまでも訪れない己の死に戸惑い、アイズが閉じた瞼を開いた。するとそこには全身氷付けとなっ 〝金喰〟が静止している姿があった。
「……何だ、これ?」
突然の奇跡にアイズは困惑した。そして――
「遅れてごめんね」
――高密度の水圧の槍に貫かれ、〝金喰〟の頭蓋が破壊された。
そして、人影が天井から舞い降りた。
「お前」
……その少女、幼さを残した顔立ちに碧眼を煌めかせ、
……金糸の刺繍を施された朱色の軍服を身に纏い、
……アイズの目の前に舞い降りた。
「……オルカか?」
オルカ=クロスハート、その人であった。
――窮地を脱したアイズは気が抜けたせいか、強烈な疲労感と眠気に教われた。
……落ちる、落ちる。身体と意識が落ちる。
床に頭と肩をぶつけ、鈍い痛みが走った。
眠ろう……アイズはそう思った。
本当に長く、辛い一日であった、故にアイズには休息が必要であった。
ガクを失った。
ミロを失った。
全身が痛い。
何回も死ぬかと思った。
もう満身創痍であった。
お や す み な さ い 。
誰かがそう言った気がした。アイズはそれに逆らうべくもなく、安眠に身を委ねた。
……薄れ行く意識の中、アイズはオルカの穏やかな笑みを見た。その微笑みはどこか優しくて、悲しみを帯びていた。




