暴露【2】
それから一週間後。その日はひっそりとやって来た。休みだというのに、ハクは出かける用意をしていた。顔つきから、楽しい用事ではないことが窺えた。八重は定期的にある「アレ」だと思った。詳しくは知らないが、今日もまた帰宅したハクが沈んでいるだろうと思った。
マツリは朝から出かけていた。ナツと共に買い物に行くと言って。ハクは何も思わなかった。できれば今日は顔を合わせたくないと思った。迎えに来た白田と共に車に乗る。流れていく景色が色褪せて見えた。
「奥様、本当におひとりでよろしいのですか?」
「ええ。見たいものがあるのよ。長くなってしまうかもしれないからナツは先に帰っていて頂戴。」
第三区にマツリと共に来ていたナツは、どこか不自然なマツリが気になっていた。昨日の夕方になって突然、街に行こうと言い出したのだ。急な物要りかと思い、付いてきて見れば何を買うわけでもなく、プラプラと歩いているだけであった。そして昼過ぎになった今、帰っていいと言う。マツリの様子が心配になり何度も大丈夫かと念を押すが、誤魔化すように微笑まれるだけだった。
―どう見ても怪しまれている。ナツの訝しむような視線を受けたマツリはばつが悪かった。ナツの時間を奪い、申し訳ない気持ちもしていた。一人になったマツリはため息をこぼして、袂に仕舞っておいた書付を取り出した。昨日の夕方、白田からこっそりと渡されたものだ。
「奥様。これを。」
「なんでしょう。」
「お約束通り、いいところにお連れ致します。」
紙にはただ住所と日時のみが記されていた。指定の場所は古くからの住宅地第7区。今の場所からは少々距離がある。そろそろ向かわなくては、とマツリは意を決して歩き出した。
白田に指定された住所の近くに着いた時には、良い時間になっていた。マツリは辺りを注意して歩いた。頑張って歩いたせいか、緊張からか、息は乱れていた。白田はマツリに何を見せようとしているのだろう。
(この辺りだと思うけれど…)
不意に車のエンジンの音が聞こえ、マツリは思わず住宅の間の狭い道に身を隠した。どうしてか、誰にも見つかってはならない気がした。
車はマツリの隠れる道を通り過ぎ、少し先で止まった。マツリはこっそりと顔を出すと、止まっていたのは見覚えのある車だった。すぐに車のドアが開き、人が降りてくる。
(ハク様…)
ハクは速足で車を止めた家に入って行った。白田はハクが家の中に消えて行ったのを確認すると、キョロキョロと何かを探すように辺りを見回した。マツリは足音を忍ばせて、可能な限りの速足で白田の方へ向かった。
白田はマツリを見つけると、静かにするように口元に指を当てて合図した。そしてその指で、そっと家の表札を指す。
『長野谷』
それは、義母であるハクの母親の旧姓。
(ここは…お母様のご実家?お義母様もいらしているのかしら?それがどうしてハク様の様子がおかしいことに繋がるの?)
マツリの頭の中には疑問が洪水のように流れて行った。尋ねるような眼差しを白田に向けると、白田は肩を竦めた。家へマツリを案内する様子は無い。白田は小声でマツリに「場所を変えましょう」と言い、揃って車に乗り込んだ。
二人がやって来たのは客のいない料亭だった。昼餉の忙しさも過ぎ、中途半端な時間である。白田が慣れた様子で料亭の暖簾を上げると、中から女性が出て来た。マツリは女性に見覚えがあった。以前、ハクがマツリを嫉妬させようと目論んだ時に連れてきた女性だった。確か琴葉という名前だ。
言及していいものかどうかと、マツリがぎこちなく琴葉に挨拶をすると、琴葉は小さく「あっ!」と声を上げた。
「その節は…大変失礼いたしました。謝りにお伺いしなければと思いつつ、こんなに時間が開いてしまって。」
「いいえ。うちの主人の我がままを聞いていただき、ご迷惑をおかけしました。」
「ははは、我がままですって。坊ちゃんが子供みたい。」
「あの方、大きな子供のようなところがございます。」
マツリと白田のやり取りに、琴葉はくすりと笑った。
「今は仲睦まじくされていらっしゃると伺っております。ようございました。」
マツリは居心地が悪く、曖昧に笑った。
琴葉はマツリが照れていると勘違いし、一層深く笑った。そして今日はどうしたのかと白田に向き合う。
「今度ハク様のお誕生日ですからね。二人でちょっと企画をしようと思って。誰にも秘密です。作戦会議をするんです。一部屋お借りできますか?」
「あらあら、念入りですこと。いいですよ、何か頼んで下さるなら。」
琴葉は茶目っ気たっぷりに笑った。マツリは心臓がドキドキした。白田はいつもの笑顔のまま何喰わぬ様子で店の階段を上がってゆく。白田が「ここはハク様の行きつけで~」と話しかけてくるのに、マツリは精一杯平静を装って返事をした。琴葉は白田とマツリを和やかな表情で見ていた。
「じゃあ、捗りますように。」
琴葉は白田が適当に注文したお茶と料亭らしからぬ甘味を持ってくると静かに障子を閉めた。琴葉の足音が遠ざかるのを耳を澄ませて確認すると、白田は「はあ」と息をついた。
「ああ、気を張った。奥様まあお茶でも飲んで一息ついてください。品書きには出していませんが、ここのあんみつは美味いんですよ。」
マツリは茶を飲み、つやつやしたあんこをひと掬い、口に入れた。控えめな甘さの上手に煮られた小豆が確かに美味しかったが、マツリの胸中はとても落ち着かなかった。
表情の晴れないマツリを見て、白田は茶を一口啜る。
「―あんみつより、本題を、ですよね。さて何からお話したものか。ああそうだ、お話しする前に少し言い訳をいいですかね。」
マツリは居ずまいを正した。聞く姿勢を見せると、白田は目をわずかに細めた。
「近頃の様子から、ハク様と奥様の間に何かがあったとお見受けしておりました。ですがあの方のこと、全てをお話になったとは思えません。故にハク様のこと、もどかしくお思いと存じます。ですが、あの方もきっと葛藤していらっしゃる。どうか煮え切らないあの方を許してください。そして、これからお話することを聞いても、幻滅しないでやってください。あなたに見限られたら、あの方はきっと本当にダメになる。」
突然頭を下げた白田に、マツリは驚いた。いつもの飄々とした様子は影を潜め、白田からは真剣にハクを想う気持ちが伝わってくる。
「本当は、貴女にお話しするのも自分は相当迷いました。貴女がただの興味本位や感情論で首を突っ込んでおられるのでしたら、ずっと口を閉ざしているつもりでした。」
「白田さん。頭を上げてください。お聞きする前から軽い約束はできませんが、自分から知りたいと言い出して、事情が分かったら遠ざかるなんて無責任なことは誓っていたしません。」
白田は顔を上げると、マツリの真っ直ぐな視線を受けた。白田もマツリを見返す。
―俺は、覚悟を決めました。坊ちゃん。
白田はいつになく真剣にマツリに向き合い、口を開いた。
「先のあのお屋敷は、ハク様の御母堂の姉上の家です。この件については『長野谷』のご実家、そしてハク様の御母堂もご存じないことをご承知おきくださいませ。」
ハクの叔母。マツリは顔が思い出せずに困惑した。何せ結婚式の披露宴には大勢いた。親族の紹介は流れるように終わった。以来顔を合わせていない人間は大勢いた。ぼんやりと当時の顔並びを思い浮かべる。マツリは何かおぞましいことが明らかにされる予感がしていた。
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