空飛ぶ少女と飛べない少年(1)
冴木滉征。性別、男。
現在、小学六年生。
いわゆる真面目な学級委員長タイプ。というより学級委員長だ。
頭は悪くない。というか、良いほうだ。
今も中学受験を受けるため、勉強を頑張っている。
運動神経は普通。目立つほど良くも悪くもない。
顔だって普通だが、くりくりと大きくつぶらな目が、かっこいいより可愛い系に寄せている。
年下の面倒はよく見るしっかり者で、大人が好みそうな普通の良い子。無意識に大人の顔色をうかがって、大人が喜びそうなことをしている。喜んでもらえるのも、褒められるのも嬉しいのだ。
滉征が青子と関わるようになったのは、席替えで隣の席になったのがキッカケだった。
忘れ物が多かった青子は教科書もよく忘れてきたので、隣の席の滉征がその度に見せることになってしまった。
青子は忘れ物だけでなく、授業中に眠ることも、ボーっとすることも多く、宿題もやってこない。
いわゆる問題児、であった。
学級委員長だった滉征は責任感もあって、そんな青子を放っておけなくなった。
授業中に眠っていたら起こして、授業に集中していなかったら小声で注意して、やってこない宿題を教えてあげたりしていた。
その度に「いつもごめんね、冴木くん」と、青子はのんびりと謝る。なんにも反省していない口調だ。
いつもそんな調子だから、滉征はどうしても青子を下に見てしまっていた。
正直、馬鹿でしょうがない同級生だと思っていた。だから優しくしてあげよう、教えてあげようと、無意識に上から目線になっていた。
それがある日、真逆に変わることになる。
その日、日直だった滉征と青子は、先生に学級日誌を渡して一緒に帰っていた。
青子と一緒に帰るのは初めてで、どうして一緒に帰ることになったのかは覚えていない。
その帰り道で、今まで見たこと無いくらい高く飛んでいる子供を見た。
「うわ、すげーなぁ」
そう言う滉征に、青子は同じように空を見ながら、首をかしげる。
「そう?」
「あれだけ高く飛べる子はあんまりいないでしょ」
二人はいつの間にか立ち止まって、その子供を見ていた。
まっすぐ上へと飛んでいた子供の身体が、風にでもあおられたのかバランスを崩したように見えた。
すると一気にその体が真っ逆さまに落ちていく。
「え…………なんで飛ばないんだ!?」
すぐに態勢を整えるかと思ったが、子供はただただ落ちていき――さすがに滉征もやばいと感じた。
「え、どうしよう、どうしよう」
思わず辺りを見回す。
誰も助けに行ける人間なんていない、と思っていたら。
隣にいた青子がランドセルを下した。
視線を落ちていく子供から離さないまま。
走ってもいない。一歩踏み出したわけでもない。
それなのに。
その身体が、音もなく浮かんだ。
滉征が驚く声を上げる間もなく、あっという間に青子の身体は家の屋根を超えた。
そのまま音もなく、まっすぐとロケットのように飛んでいくその背中に、
滉征は捕まってしまった。
※ ※ ※
まさかあの落ちた子供が佐南だとは思わなかった。
あれから佐南は飛べなくなった、らしい。
あんなに高いところから落ちたのだ。恐怖心もあるのだと思う。
日本の子供は中学に上がると飛べなくなることが多いというから、佐南が飛べなくなるのは少し早いが、おかしいほどではない。
でも、佐南は納得できないようだ。
高く飛ぶことが得意だったこともあるのだろう。
まだ飛びたい。
せめて最後に、もう一度あの空に――。
そう思った佐南が頼ったのが青子だった。
青子に教わりながら、飛行の練習をしていたのだ。
あのとき青子に助けられたこともあって、飛行に関しては青子が一番すごいと思ったらしい。
その気持ちは滉征も分かる。とても分かる。
だから、関係ないのに滉征もまた防風林に通っていたのだ。
でも、それも今日で終わる。
青子のつま先が地面を離れる瞬間が見えた。
彼女は助走もつけず、シャボン玉のようにぷかりと浮かぶ。
いつもと変わらず宙にある青子の後ろ姿。
木々の間から漏れる光は、いつになく優しくやわらかい。
それは春だからなのか、今日この日だからそう思えるのか。
青子はまだ服には興味がないのか、他の女子のようにオシャレなんて気にしないような恰好が多かったけど今日は違う。
黒のジャケットにホワイトグレーのショートパンツ。ジャケットの胸元には、卒業生がつけるピンクの造花がつけられているはずだ。
その造花は、滉征が着るジャケットの胸元にもあった。
滉征と青子は、たった今小学校を卒業してきた。
男子も女子も関係なく泣いている同級生や親が何人かいたが、滉征は泣かなかった。
滉征と同じく泣かなかった父親と、号泣した母親と一緒に校門を出た滉征は、青子が母親と別れて一人、防風林へ向かう坂を上っている後ろ姿を見た。
その瞬間、初めて青子が飛んだ後ろ姿を思い出して。
滉征は思わず、その背中を追いかけていた。
「あれ、滉くん?」
ふいに振り返った青子が、滉征を見る。
滉征から笑みがこぼれた。
「柳さん」
青子が「滉くん」と呼ぶようになってから、滉征も青子を名前で呼びたいと思っていたが、名前呼びはまだ心の中だけにとどまっている。
青子はぷかぷかと立って浮いたまま、へらりと気の抜けた笑みを滉征へ向けた。
「卒業おめでとう、滉くん」
「それ、柳さんもでしょ。柳さんも、卒業おめでとう」
「ん」
そして、間が生まれる。
滉征はその隙間を恐れるように、言った。
「まさか最後もこうして柳さんを見上げることになるなんて……なんか、最近はずっと柳さんと一緒だった気がするし……佐南より俺のほうがここに来ること多くなったし……なんだろう……なんか、柳さんにもう会えないなんて信じられないな……」
「え? もう会えないの?」
青子はキョトンとする。
滉征は仕方ないな、と言うように笑った。
「俺、受験受かったから。私立の中学に行くんだ。山央学園。前も言ったじゃん。……柳さんは公立でしょ」
「……そっか。言ってたっけ。……そーなんだ」
「うん。……柳さん、俺……俺さ……」
手のひらが汗で濡れて気持ち悪い。滉征はジャケットに手をこすりつける。
青子の顔を見れば、どこか寂しそうに見えて、余計に滉征を焦らせる。
なんだか胸が詰まって、妙に焦って、頭がこんがらがってしまう。
「あのときさ、柳さんが佐南を助けたとき……ほんとに、マジで、かっこいいと思って。スゲーって思ってさ。マジで、ほんとに、本気でさ、柳さんはヒーローだと思った」
一度、口に出してしまえば、もう言葉が止まらなくなった。
「だから、俺、ここにだって毎日通ったし、佐南が来なくても、柊がいても、クラスで柳さんに毎日会ってたけど、飛んでる姿見たくて、ずっと……だから、俺、ここにずっと通ってて……。飛ぶわけじゃないし、佐南とか柊とか、なんで俺がここに来てんのか不思議に思ってるだろうな、って思ったけど、そんなんやめられねえし。俺、俺はさ……俺は! 柳さんが……」
ヒーローだと思ったその人の、その飛んでいる姿を見たくて。
だから、ずっとここに通っていた。
塾があって、長い時間見ることが出来なくても。少しでも、その姿を見たくて。
「俺、俺はさ……俺は! 柳さんが……」
言葉が、気持ちを追い越していく。
俺は、柳さんのことが……。
滉征は、自分でも分からないままその言葉を吐き出そうとしていた。