間話6: 黄金の均衡、その先へ広がる波紋
王都の中央広場。そこにはかつて、旧時代の権威を象徴する噴水と、歴代の王たちの石像が並んでいた。しかし今、人々の視線を集めているのは、天を突くようにそびえ立つ「魔導時計塔」である。
メルセデス・フォン・ベルンハルトが、王都の近代化と自身の事業の安定を記念して寄贈したこの塔は、単に時間を刻むだけの機械ではない。塔の表面に組み込まれた結晶パネルは、王都を流れる魔力供給の負荷を刻一刻と青白い光の強弱で示し、市民に「目に見える価値」を突きつけていた。
メルセデスは、少し離れた場所に停めた馬車の窓から、その塔を見上げていた。
広場には、新時代の到来を喜ぶ平民たちや、複雑な表情でそれを見上げる没落気味の貴族たちが入り混じっている。
「……セバスチャン。あの塔を見て、人々は何を感じていると思うかしら?」
隣に控える執事は、お嬢様の視線の先を追い、静かに応じた。
「平民の方々は、夜道が明るくなったことや、魔導列車が安く動くことを喜び、『メルセデス様こそが新時代の女神だ』と称賛しております。一方で、一部の旧来の商務官や、かつてのベルンハルト伯爵家と親交のあった家門の方々は、あの時計の針が動くたびに、自分たちの特権が削り取られていく音を聞いているようでございますよ」
「女神、ね。……私はただ、自分にとって最も都合の良い環境を整えているだけだというのに、人は勝手に偶像を創りたがるものね」
メルセデスは自嘲気味に目を細めた。
彼女が求めているのは、熱狂的な支持でも、盲目的な崇拝でもない。
彼女が望むのは、すべての人間が自分の人生の「帳簿」を自分で管理し、正当な取引を行う世界だ。魔力という不透明な力を可視化し、それを数値化して提供する。それは、甘い夢を見せることではなく、残酷なまでに「現実の対価」を突きつける行為に他ならない。
「無視しておきなさい。不平を漏らすのは、無駄な利権にぶら下がっていた証拠ですもの。それよりも、セバスチャン。次は『教育』に投資するわ。それも、貴族だけでなく、読み書きのできる平民すべてを対象とした、新しい学問の場を創る」
セバスチャンは、わずかに眉を上げた。
「教育、ですか。……お嬢様、それは結晶の精製よりも遥かに根気がいり、リターンが見えにくい事業です。貴族の反発も、今の比ではないでしょう」
「分かっているわ。でも、魔力結晶という強力な『力』だけを世に放っても、それを扱う人間が旧時代の思考のままでは、いずれまた略奪と破壊の道具にされる。……正しく計る。正しく評価する。そして、何が自分にとって真に価値があるのかを見極める力。その知性こそが、この大陸全体の均衡を維持するための『安全弁』になるのよ」
メルセデスは、膝の上に置いた「母の手記」をそっと撫でた。
母、エルザが夢見た世界。それは、誰も奪い合わない理想郷などという曖昧なものではなかった。
母の手記の最後の方には、こう記されていた。
『メルセデス、知性は武器ではなく、天秤の支柱でありなさい。すべての悲劇は、自分の価値を過小評価し、他人の価値を過大に恐れることから始まるのです』
当時の自分には理解できなかったその言葉が、今ならはっきりと分かる。
かつてのメルセデスを虐げたフロリナも、ギルベルトも、そして父さえも。彼らは他者から奪うことでしか自分の価値を埋めることができない、魂の飢餓状態にあったのだ。
「私は、自分の意志で天秤を持つ人間を増やしたいの。そうすれば、私がいつかこの場を去った後も、世界はそれなりに正しく回る。……それが、私という存在がこの時代に刻む、最大の『手数料』ね」
馬車が静かに動き出した。
広場を離れ、洗練された王都の目抜き通りを進む。
通りには、メルセデスの事業によって生まれた新しい雇用に溢れ、活気に満ちた人々の顔があった。
「お嬢様、その『教育投資』の第一歩として、ディートリヒ殿下からご提案があった『王立魔導経済学院』の設立準備会への出席はいかがなさいますか? 殿下は、お嬢様を総裁として迎えたいと考えておられるようです」
「殿下も抜け目ないわね。私の名を出せば、帝国からの出資も、周辺諸国からの留学生も募りやすくなると踏んでいるのでしょう」
メルセデスは窓の外を眺めながら、不敵に微笑んだ。
ディートリヒ。
あの緋色の王子は、メルセデスにとって最も御しやすく、かつ最も予測不能な対価を提示してくる取引相手だ。
彼はメルセデスの理屈を誰よりも理解しながら、時折、その理屈を根底から揺るがすような「情愛」という名の非合理をぶつけてくる。
今回の砂漠への遠征で、彼が差し出した守護の短剣。
あれを返却した際、彼の瞳に浮かんだ寂しげな色は、メルセデスの完璧な計算機の中に、説明のつかない小さな熱を遺していった。
「……セバスチャン。殿下の提案を受け入れるわ。ただし、条件がある」
「左様でございますか。どのような条件を?」
「学院のカリキュラムの半分は、私が決めること。そして、卒業生には私の事業体での優先的な雇用権を与える。……殿下には、『将来の官僚候補を育成するだけでなく、私の会社の幹部候補を育てる費用を、国に肩代わりしていただく』と伝えておいて」
「はは……。殿下も、そのくらいのごね方は想定内とお笑いになるでしょうな」
セバスチャンは満足げに頷いた。
彼が見つめるメルセデスの背中は、もはや一人の令嬢のものではない。
世界を計り、時代を導き、自らの正義を現実に変えていく「天秤の主」。
復讐から始まった物語は、いまや一国の、そして大陸の未来を照らす、黄金の航跡へと変わっていた。
かつて彼女を「冷血な事務人形」と呼び、価値がないと切り捨てた者たちは、すでに彼女が創り出す新しい秩序の塵へと消えた。
メルセデス・フォン・ベルンハルト。
彼女はこれからも、割に合わない取引を蹴り続け、最高の価値を追求し続けるだろう。
馬車の窓から差し込む夕陽が、彼女のプラチナブロンドの髪を黄金色に輝かせる。
黄金の天秤は、いま、完璧な水平を保ちながら、新しい時代の風を受けて静かに揺れている。
彼女の歩む道に、もはや迷いはない。
「さあ、行きましょう。次の取引が……本当の意味での『未来』が、私を待っているわ」
馬車は夕闇迫る王都の中を、確かな足取りで進んでいった。
彼女が刻むその轍こそが、新時代の地図そのものとなっていくのだ。




