閑話 引っ越しの影で進むもの
エレノア達が引っ越しの準備を進めているころ――
王城内の大会議室には、この国の重鎮たちや各騎士団長、小隊長たちの姿があった。
長机を囲むように並ぶ者たちの表情は、いずれも硬い。軽い会議ではないことは、一目で分かる。
「――では、会議を開始する」
低く、よく通る声が室内に響いた。
口を開いたのは宰相である。
その一言で、ざわめきは完全に消えた。
「議題は一つ。“エレノア嬢の護衛計画の見直し”についてだ」
その名が告げられた瞬間、何人かの騎士がわずかに息を呑む。知らぬ者はいない。
だが――
「見直し……ですか」
騎士団長の一人が静かに口を開く。
「現行の体制でも、すでに過剰と言える水準かと」
その言葉に、何人かが小さく頷いた。
王命直轄の護衛。常駐部隊。敷地内拠点。さらに複数の緊急対応手段。ここまで揃えられる対象など、通常は存在しない。
だが。
「エレノア嬢の警備に過剰ということはない」
宰相が、静かに口を開いた。
その声は低く、しかし一切の迷いがない。
「むしろ、さらに厳重にしなくてはならない」
淡々とした口調。だが、その一言で場の空気が引き締まる。
「現行の体制は、あくまで“基準を満たしている”に過ぎない。“万全”とは言い難い」
誰も口を挟まない。挟める空気ではなかった。
「我々が想定している脅威は既知の範囲に過ぎない。しかし、対象はエレノア嬢だ。未知の事象が発生する前提で動くべきだろう」
その言葉に、何人かがわずかに表情を引き締める。
「ゆえに――」
宰相は、はっきりと言い切る。
「現行体制は強化を前提とする。過剰という概念は、この件においては存在しない」
静かな断定だった。だが、それは命令と同義だった。
「まず、防衛構造の再設計を行う。具体策を示す」
机上に広げられた図面へと、全員の視線が集まる。
「屋敷の外周には、強力な防護結界魔方陣を設置する」
「結界……強力、ですか?」
第三騎士団団長が眉を寄せる。
「既存の王城防衛網を上回る規模だ」
淡々とした説明に、室内の空気がさらに引き締まる。
「屋敷敷地内では、王城と接続された転移門以外、および屋敷関係者以外の転移を封じる術式を施す」
「……完全に封じる、ということか」
第四騎士団団長が確認する。
「その通りだ」
宰相の声は静かだが、圧は明確だった。
「加えて、屋敷内部には魔力波長を検知する装置を至るところに設置する。登録外の波長を検知次第、即応部隊が転移門から現場に急行する」
「関係者以外の魔法を封じる結界術式も構築する」
「――つまり、内部での魔法的干渉は成立しない」
「そう理解して構わない」
短いやり取りの中で、内容の異常さだけが際立っていく。
「さらに、24時間体制で王命錬金護衛隊を常駐させる。騎士団も当番制で巡回を行う」
「王命錬金護衛隊の増員も並行して進める」
「……増員ですか」
第五騎士団団長が小さく息を吐く。
「必要である」
一言で断じられた。
「もちろん、これで終わりではない」
宰相は図面を指し示しながら続ける。
「屋敷の各区画に侵入検知および隔離手段を増設する。避難転移の基準とルートも再検討し、発動条件の微調整を行う」
「……順次、ですか」
団長たちが顔を見合わせる。
「段階的強化ではない。常時最適化だ」
その言葉に、誰も反論できない。
「全体像を理解せよ。屋敷の防御網は多層かつ自動化されている。外部侵入は想定済み。内部干渉も即座に無力化される」
静かに、しかし確実に言い切る。
「これだけ揃えられる対象は、通常存在しない」
一拍。
「だが、エレノア嬢の警備に“過剰”という概念は存在しない。むしろ、さらなる強化が必要だ」
「……承知しました」
一斉に頷く騎士団長たち。
「各自、これを前提に即応態勢を整えよ。理解できぬ者は、屋敷に近づく資格すらない」
その言葉の重さが、会議室の隅々にまで染み渡った。
ーー王都・セレスティア伯爵家
王城でエレノアの護衛計画の見直しが行われている頃――
屋敷内では、王命錬金護衛隊による各設備や魔法陣の点検に加え、実際の護衛計画に沿った演習が行われていた。
「転移門の動作と、緊急避難用の転移魔法陣――いずれも問題ありません」
「神族側の領域への接続は確認できたか?」
「そちらは、エレノア様の関係者以外は転移できないため、実地確認は不可能です」
「……そうか」
短いやり取りの後、隊長はわずかに視線を落とした。
「だが、理論上の接続は成立しているのだな」
「はい。魔力経路、座標固定、術式連動――いずれも正常値です」
「発動条件に達した場合、問題なく転移が行われると推定されます」
「推定、か……」
小さく呟きながらも、否定はしない。
それが“神域”という未知領域に対する、現実的な判断だった。
「引き続き監視を継続しろ。異常があれば即時報告だ」
「はっ!」
周囲では、他の隊員たちもそれぞれの持ち場で確認作業を続けている。
床に刻まれた転移陣の輝度測定。
壁面に埋め込まれた魔力波長検知器の感度調整。
廊下に配置された封魔結界の再起動試験。
一つ一つが、確実に機能しているかを徹底的に洗い出していく。
「外周結界、第二層まで展開完了!」
「干渉テスト開始します!」
屋敷の外では、結界展開の確認演習も同時に進められていた。
複数の隊員が模擬的に侵入を試みる。
――が。
「侵入不可。弾かれました」
「魔力干渉、完全遮断を確認」
即座に結果が報告される。
「次、転移侵入を想定した試験に移る」
「了解」
術者が座標指定の転移を試みる。
しかし――
「転移……失敗。座標固定に弾かれています」
「王城接続門以外、完全封鎖状態を確認」
「よし、記録しろ」
淡々と進む確認作業。
だが、その最中だった。
「――待ってください」
一人の隊員が、わずかに声を上げた。
「どうした」
「北側廊下の波長検知器が……一瞬、反応を取りこぼしました」
「何?」
空気が一瞬で変わる。
「再現します」
未登録の魔力波長を再度発生させる。
――数秒。
「……検知、遅延しました」
「反応まで約二秒のラグがあります」
「二秒だと?」
隊長の声が低くなる。
「通常は即時検知のはずだ」
「はい……ですが、先ほどと同様の遅延が発生しています」
「原因は?」
「現在解析中ですが……周囲の結界干渉の影響か、もしくは――」
言い淀む。
「言え」
「……神域接続術式との干渉の可能性があります」
「……」
一瞬、沈黙が落ちた。
誰もが、その言葉の意味を理解している。
――制御しきれていない領域がある。
「該当区画、即時封鎖」
隊長は迷わなかった。
「予備機に切り替えろ」
「原因の切り分けを優先。神域系統との干渉なら、単独で扱うな」
「はっ!」
一気に空気が張り詰める。
それまで“順調”だった点検が、一転して“実戦”に近づく。
「即応部隊、配置変更」
「遅延区画に重点配置!」
「了解!」
転移門が光り、部隊が再配置される。
わずか二秒。
だが――
「この二秒が命取りになる」
隊長が低く言い放つ。
「ここは“守られる前提”の場所ではない」
「“守り切る場所”だ」
その言葉に、全員が無言で頷いた。
「全系統、再点検を行う」
「想定外を潰せ。すべてだ」
「了解!」
再び、屋敷全体が動き出す。
先ほどまでの整然とした点検ではない。
より鋭く、より実戦的な動きへと変わっていく。
そして――
その中心にいる少女は。
自分が、どれほど厳重に守られようとしているのかを――
まだ、知らない。




