80話 新たな拠点、新たな始まり②
ミストルティン様との同居が、あまりにもあっさりと決まってしまった後――
「じゃあ、続き見よっか!」
当の本人は、まるで何事もなかったかのようにそう言った。
「……はい?」
思わず聞き返してしまう。
「だって、まだ全部見てないでしょ?」
当然のように腕を引かれる。
「ほらほら、案内して!」
「え、ちょ、ちょっと……!」
引っ張られるままに、私は廊下を歩き出すことになった。
「……元気ですね」
後ろから、宰相様の小さな声が聞こえる。
「いつもああだ」
お父様が、どこか諦めたように返した。
(止めないんだ……)
なんとなく察する。
それよりも――
「……あの」
歩きながら、私はちらりと隣を見る。
ぴったりと腕を組まれている状態。
距離が近い。
とても近い。
「ミストルティン様、本当にここに住むんですか……?」
確認するように聞くと、
「うん!」
即答だった。
「エレノアと一緒にいられるし!」
にこにこと笑う。
「それに、このお屋敷――」
ふと、周囲を見渡す。
「なんか面白そうだし」
「面白そう、ですか?」
「うん。普通じゃないよね、ここ」
さらっと言われて、思わず足が止まりかける。
(やっぱりそう思うよね……)
さっきから感じていた違和感。
“お屋敷”というより、“機能を持った何か”。
その印象が、少しずつ形になっていく。
「次はどこ?」
ミストルティン様が、楽しそうに覗き込んでくる。
「えっと……」
一瞬考えてから、私は答えた。
「居住区の奥の方、まだ見てないです」
「じゃあそこ行こ!」
迷いがない。
再び腕を引かれる。
(なんだか……)
引っ張られながら、ふと思う。
さっきまでは、ただの“新しい家”だったのに。
今は――
(ちょっとした探検みたい……)
そんな感覚に変わっていた。
そして。
その先で待っているものが、
“普通じゃない”ことを――
この時の私は、まだちゃんと分かっていなかった。
屋敷の奥へと進んでいくと、ふと足が止まった。
「……」
目の前にあったのは、一枚の扉。
けれど――それは、今まで見てきたどの扉とも違っていた。
分厚く、重厚な造り。
表面には複雑な紋様が刻まれていて、わずかに魔力の気配すら感じる。
「……すごい扉ですね」
思わずそう呟くと、
「ここは、エレノアとカイルの錬金術の実験部屋だ」
お父様が静かに答えた。
「実験部屋……?」
その言葉に、少しだけ胸が高鳴る。
けれど同時に――
(なんだか、普通じゃない気がする……)
そんな感覚もあった。
すると。
「補足しよう」
宰相様が一歩前に出て、淡々と説明を始める。
「この部屋には、複数の封鎖機構が組み込まれている」
「まず第一に、この扉は登録された魔力波長を持つ者以外、開くことはできない」
「エレノア嬢および、その関係者のみが入室を許可されている」
「関係者は既に登録済みだ。今後も必要に応じて追加が可能となっている」
「それ以外の者が触れた場合――」
一瞬、言葉を区切る。
「開くことはない」
きっぱりと断言された。
「……なるほど」
とりあえず頷いてみる。
けれど――
(“開かない”だけ……?)
なんとなく、そこに含みがある気がしてしまう。
そんな私の様子を見てか、宰相様はわずかに目を細めた。
「もちろん、それだけではない」
「……ですよね」
やっぱり、と思う。
「無許可の干渉があった場合、警告と同時に拘束魔法が発動する」
さらりと続けられる説明に、思わず目を瞬かせる。
「一定時間、対象の行動は完全に制限される」
「加えて、警備側へ即時通知」
「状況によっては、隔離区画への強制転移も行われる」
「……」
「……」
思わず、言葉を失った。
(思ってたより重かった……)
その横で――
「へぇー」
ミストルティン様が、興味深そうに扉を眺める。
「ちゃんと作ってるじゃん」
軽い口調だった。
「……触ってもいいですか?」
一応、といった感じで聞く。
「問題ない」
宰相様が短く答える。
ただし、と続ける前に――
ミストルティン様はもう一歩近づいていた。
「……これ、人間用の制限だね」
扉に触れることなく、そう言う。
「……分かるんですか?」
「うん」
あっさりと頷く。
「私には関係ないから」
「……」
「……」
一瞬、空気が止まる。
「この手の“登録制の遮断”、神族には適用されないんだよね」
さらっと、とんでもないことを言った。
「だから普通に入れるよ?」
本当に“普通に”という言い方だった。
「……設計上の前提が人間族に限定されている、ということか」
宰相様が静かに呟く。
「そういうことー」
ミストルティン様は気軽に頷いた。
「まあ、開けるのはエレノアでしょ?」
にこっと笑って、こちらを見る。
「……え、私ですか?」
「所有者はお前だからな」
お父様が静かに言う。
「(そうなんだ……)」
少しだけ緊張しながら、扉の前に立つ。
手を伸ばす。
その瞬間――
扉の紋様が、淡く光を帯びた。
「……!」
一瞬、驚く。
けれど拒まれる感覚はない。
むしろ――
「(通してくれる……?)」
そんな、不思議な感覚。
ゆっくりと、扉に手をかける。
そして――
「……開きます」
小さく呟いて、力を込めた。
重厚な扉が、静かに音を立てて動き出す。
扉の向こうに広がっていたのは――
「……すごい」
思わず、息を呑む。
広い。
とにかく広い。
中央には大規模な調合作業台。
その周囲には、複数の錬金釜が整然と並び、
さらに奥には、見たこともないような装置が設置されている。
透明な管を通して液体が循環している設備。
精密な魔法陣が刻まれた台座。
複数の加熱用魔導コンロ。
どれもが、明らかに“普通”ではない。
「……これ、全部……?」
思わず呟く。
そして、視線を巡らせた先で――
「あれは……?」
壁一面に広がる、大型の棚。
ただの収納ではない。
淡く光る術式が幾重にも重なり、空間そのものがわずかに歪んで見える。
「劣化防止の保管庫だ」
お父様が答える。
「……保管庫?」
「最上級の保存術式を組み込んである」
宰相様が補足する。
「時間経過、湿度、魔力干渉、外気――そのすべてから素材を保護する」
「……」
「理論上、半永久的に品質を維持可能だ」
さらっと言われた内容が重すぎた。
「規模も含め、個人の工房に設置されるものとしては異例だな」
宰相様が静かに続ける。
「通常であれば、王立研究機関クラスの設備だ」
「……え」
思わず、変な声が出る。
改めて、その棚を見る。
びっしりと並ぶ区画。
それぞれが独立した保護領域になっているのが分かる。
「……そんなにすごいものなんですか?」
恐る恐る聞くと、
「すごい、では足りない」
宰相様は即答した。
「貴重素材や高位触媒を扱う際、これほどの保存環境が用意されること自体が例外だ」
「それを、これだけの規模で常設している時点で――」
一拍置く。
「過剰と言っていい」
「……過剰なんですね」
もう驚きが追いつかない。
その横で。
「いいじゃん、エレノア」
ミストルティン様が楽しそうに笑う。
「これなら素材、腐らないよ?」
「そこなんですね……」
思わず小さくツッコむ。
けれど確かに――
「(好きなだけ実験できる……?)」
そう思った瞬間。
少しだけ、胸が高鳴った。
「純水精製設備を含め、最高水準の環境を整えてある」
お父様が静かに言う。
「上級錬金術師の工房を基準に――それ以上を目指した」
「……以上」
思わず復唱してしまう。
「なお、この部屋は国家機密級の保護対象だ」
宰相様が、わずかに声の調子を落とした。
空気が、少しだけ引き締まる。
「室内の資料、素材、成果物――そのすべてが管理対象となる」
「エレノア嬢以外の者による持ち出しは、原則として不可能だ」
「……え?」
思わず聞き返す。
「仮に持ち出したとしても――」
淡々と、告げられる。
「対象物は自動的に元の位置へと転移する」
「……戻るんですか?」
「正確には、“戻される”」
さらりと言うが、内容はとんでもない。
「ただし例外はある」
宰相様がこちらを見る。
「エレノア嬢が明確に許可した対象に限り、持ち出しは可能となる」
「……私が許可したら?」
「ああ」
「その場合のみ、制限は解除される」
「……」
改めて、部屋を見渡す。
設備。
棚。
書物。
全部が、桁違い。
「(なんか……)」
少しだけ、間を置いて。
「(すごいところになっちゃったなぁ……)」
そんな、実感だけが残った。
重厚な扉が、ゆっくりと閉まる。
ゴゥン、と低い音が廊下に響いた。
「……」
思わず、振り返る。
ついさっきまで中にいたはずなのに――
まるで、別の世界を見てきたような気分だった。
「どうだった?」
ミストルティン様が、すぐ隣から顔を覗き込んでくる。
相変わらず距離が近い。
「えっと……」
少し考えてから、
「すごかったです」
結局、それしか言えなかった。
「でしょでしょ!」
嬉しそうに頷くミストルティン様。
「エレノアなら、ああいうの大好きでしょ?」
「……はい」
それは、否定できない。
むしろ――
(使ってみたい、かも)
そんな気持ちが、じわっと湧いてきていた。
「設備に関しては、現時点で用意できる最高水準だ」
お父様が静かに言う。
「不足があれば、今後追加すればいい」
「……追加できるんですね」
思わず聞き返す。
「ああ」
当然のように頷いた。
「必要なものは揃える。それが前提だ」
さらりと言われたその一言が、やけに重く感じる。
その横で――
「まあ、あそこは“本命”だからね」
ミストルティン様が、くすっと笑った。
「エレノアの好きなこと、いっぱいできる場所」
「……本命」
小さく復唱する。
確かに、そうなのかもしれない。
あの部屋は――
ただの設備じゃない。
「(やりたいこと、できる場所……)」
そんな気がした。
その時。
「では、次へ行こう」
宰相様が、短く告げる。
「居住区の設備も確認しておく必要がある」
「……はい」
小さく頷く。
まだ、この屋敷の全てを見たわけじゃない。
むしろ――
「(これで一部なんだよね……)」
改めて思う。
広さも、設備も、仕組みも。
全部が規格外で。
それでも。
「(……ちょっと楽しみかも)」
そんな気持ちを胸に。
私は、次の場所へと足を進めた。
廊下を進む。
先ほどまでの錬金部屋前とは違い、空気はどこか柔らかい。
窓から差し込む光が、床に淡く広がっていた。
「こっちが居住区だ」
お父様が前を歩きながら言う。
「先ほどまでの区画とは完全に分離してある」
「……たしかに、雰囲気が違いますね」
さっきは“施設”だった。
でも、ここは――
「(ちゃんと、家だ)」
そんな安心感がある。
少し進んだところで、お父様が足を止めた。
「まずはここだな」
示されたのは、一つの部屋。
特別に装飾されているわけではないけれど、どこか落ち着いた雰囲気がある。
「ここは――」
「私の部屋!」
ミストルティン様が、勢いよく扉を開けた。
「えっ」
一歩遅れて中を覗く。
そこには――
「……」
広い。
そして、妙に居心地がよさそうな空間だった。
ふかふかの寝台に、柔らかそうなソファ。
窓際には光がよく入る席。
「……もう住む気満々ですね」
思わず呟く。
「だって住むもん!」
即答だった。
「エレノアと一緒にいるための拠点だよ?」
さらっとすごいことを言う。
「……拠点なんですね」
やっぱり、そういう扱いなんだ。
その時。
「本来は客間として用意していた部屋だ」
お父様が少しだけ苦笑する。
「だが……まあ、問題はないだろう」
「うん、問題ない!」
ミストルティン様が満足そうに頷いた。
「これからいつでもエレノアと一緒だね!」
「ここから毎日エレノアのところ行くから!」
「……毎日なんですね」
もう驚かなくなってきた。
部屋を出て、さらに奥へ進む。
「次はこちらだ」
案内された先の扉を開けると――
「……わぁ」
思わず、声が漏れた。
広い部屋。
けれど、それ以上に目を引いたのは――
「ベッド、多いですね」
大きめの寝台が、いくつも並んでいる。
「四人まで同時に使用できるようにしてある」
お父様が説明する。
「……四人」
思わず復唱する。
「今後のことも考えての配置だ」
「……」
なんとなく、誰が使うのか想像がついた。
(メルと、アメリアお姉さまと……あと一人、かな)
「広い方が楽しいでしょ?」
ミストルティン様が楽しそうに言う。
「……そうですね」
それは、ちょっと分かる気がした。
さらに進む。
次に案内されたのは――
「……え?」
一瞬、言葉を失った。
「ここは厨房だ」
お父様が淡々と言う。
けれど――
「……広くないですか?」
思わず聞き返す。
普通の“厨房”の規模じゃない。
作業台がいくつも並び、大型の調理設備が整えられている。
そして――
「……これ、水ですか?」
壁際の装置から、水が流れている。
「簡易的な給水設備だ」
「井戸と接続されている」
「……え?」
井戸と?
「魔道具による水路制御だな」
宰相様が補足する。
「常時、水を引き上げることが可能となっている」
「……すごいですね」
素直にそう思った。
「一般に流通しているものではない」
「導入コストも極めて高い」
さらっと言う。
「……どのくらいですか?」
「一般的な貴族家の年間支出に匹敵する」
「……」
思わず、黙った。
(規模がおかしい)
その一言に尽きる。
その時。
「あとね」
ミストルティン様が、楽しそうに床を指差す。
「ここにもあるよ」
「……?」
視線を落とす。
そこには――うっすらと刻まれた紋様があった。
気づかなければ見逃してしまいそうなほど、自然に溶け込んでいる。
「避難用の転移陣」
「危なくなったら、すぐ逃げられるやつ」
さらっと言う。
「……逃げるって、どこにですか?」
思わず聞くと、
「王城の重要警戒区域、もしくは――」
お父様が一瞬言葉を区切る。
「神の領域内に新設された、エレノア専用の領域だ」
「……え?」
思考が止まる。
「……神の領域?」
聞き返す。
というか、聞き返さずにはいられなかった。
「……なんで?」
率直な疑問が、そのまま口に出る。
「え、だって必要でしょ?」
ミストルティン様が、きょとんとした顔で言った。
「いや、必要って……」
「エレノアが危なくなったとき、人間の領域じゃ足りない場合もあるし」
「だから神域に“絶対安全な場所”作っといたの」
「作っといたの、じゃないですよね?」
思わずツッコむ。
「神の領域って、そんな簡単に――」
「うん、作れるよ?」
あっさり。
「私が管理してるし」
「……」
言葉が出てこない。
「ちなみに家具とかもちゃんとあるよ!」
「住めるようにしてあるから安心してね!」
「……住む前提なんですか?」
もう、どこから突っ込めばいいのか分からない。
その横で――
「転移先は状況に応じて自動選択される」
宰相様が淡々と説明を続ける。
「外部からの脅威であれば王城内部」
「それ以上の危険、あるいは干渉の性質によっては神域側へ転移する」
「発動は自動だ」
「一定以上の危険を検知した場合、本人の意思に関係なく転移が行われる」
「対象はエレノア嬢および登録された関係者のみ」
「それ以外は転移対象外となる」
「……」
説明は、ちゃんとしている。
しているけど――
(なんか、すごいこと言ってる気がする)
足元の魔法陣を見る。
静かに、そこにあるだけなのに。
「屋敷の各所に配置してある」
お父様が言う。
「どこにいても即応できるようになっている」
「……そんなに」
思わず呟く。
すると――
「当然だ」
宰相様が迷いなく答えた。
「“万が一”を想定するのであれば、この程度は最低限に過ぎない」
「……最低限」
もう、その言葉にも慣れてきた気がする。
(……ほんとに、すごいところに来ちゃったな)
そんな実感が、少しずつ形になっていった。
「加えて」
宰相様が、わずかに視線を巡らせながら続ける。
「この屋敷の防衛体制は、今後も段階的に強化していく予定だ」
「……まだ強化されるんですか?」
思わず聞き返してしまう。
「当然だ」
即答だった。
「現時点でも十分に高水準ではあるが、“十分”と“万全”は別物だ」
「状況に応じて最適化していく必要がある」
「……なるほど」
もう、深く考えるのはやめようと思った。
考えたところで、きっと追いつかない。
「そういえば」
お父様が、ふと思い出したように口を開いた。
「エレノアに伝えておくことがある」
「はい?」
視線を向ける。
「アメリアとルーカスだがな」
「……!」
ぴくりと反応する。
「セキュリティの都合上、こちらへ移ることになった」
「……え?」
一瞬、理解が遅れる。
「引っ越し、ですか?」
「ああ」
お父様は頷いた。
「一週間後を目処に、こちらへ合流する予定だ」
「……!」
胸が、ぱっと明るくなる。
「ほんとですか!?」
思わず声が弾んだ。
「一緒に住めるんですか?」
「ああ」
「今後はここが拠点になる」
「……!」
嬉しい。
すごく、嬉しい。
さっきまで感じていた“すごすぎる場所”という違和感が――
少しだけ、和らいだ気がした。
「よかった……」
ぽつりと呟く。
すると――
「にぎやかになるね!」
ミストルティン様が、楽しそうに笑った。
「うん!」
自然と頷く。
すごくて、よく分からないことも多いけど。
でも――
(ちょっと楽しみかも)
そんな気持ちが、胸の中に広がっていった。




