70話 王族の要請、毒の街⑰
――ガシャン!!
激しい破砕音とともに、客室の窓ガラスが外側から砕け散った。
夜の冷たい風が一気に吹き込み、五人の賊が侵入した。
同時に廊下では時限式の転移魔法が発動し、廊下から騎士たちの気配が消えた。
「こんばんは……エレノアさんを誘拐しに来ました。
おとなしく差し出せば危害を加えるつもりはありません」
口調は礼儀正しく丁寧だが、言葉の一言一言がひどく冷徹だった。
「こんばんは。あいにく、挨拶をする余裕はないのよね」
「同感だな」
ミストルティン様とアル様は、すでに戦闘態勢に入っており、いつでも攻撃できる状態だった。
「どうやらそのようだ……では、エレノアさんは頂いていくよ……
行動阻害」
一人の男が魔法を発動し、私たちの行動を封じる――はずだった。
「残念だけど、あなたたちの魔法は既に解体済みよ。
ね? クロノ」
そう言って、賊たちの死角へ視線を移した。
「うん……**未来同調**で君たちの行動は予測して共有済み……。
だから、魔法も剣も無駄」
そう言うと、賊たちは一斉に笑い出した。
「あはははははは!! そんな魔法聞いたことない!
強がっても意味ないですよ?」
余裕たっぷりの笑みを浮かべ、三人同時に魔法の詠唱を始めた。
「本当に予測済みなら、この魔法を受け止められますかね?
裂風刃嵐!!」
「あら? じゃあ少し私たちと遊ぶ?」
ミストルティン様がそう言うと、指をパチッと鳴らし、魔法使いたちを別の空間へ転送した。
「あの部屋を荒らすわけにはいかないし、ここならお互い思う存分暴れられるでしょ?」
「これはこれは、お気遣い感謝します」
「お前らは俺が相手だ! ハンデとして俺は剣だけで相手する」
向こうでは、アル様が鞘から剣を抜き、剣士二人と対峙している。
「ほぅ……では、遊ぶ前にひとつ条件を出そう。
私たちが勝ったらエレノアさんは頂いていく。
逆にあなたたちが勝ったら、今回は引きましょう」
「私たちはいいわよ?」
その返答に笑みを浮かべ、賊の一人が詠唱を開始した。
「では、勝負と行こうか!!
灼炎牢獄」
「静止領域」
クロノア様がそう唱えると、止まっていた時間がゆっくりと動き出す。
そのわずかな隙の中で、二人は悠々と魔法を回避した。
「魔法分散!」
クロノア様が静止領域を解除すると同時に、ミストルティン様が相手の魔法の主導権を奪った。
そして、魔法によって生み出された炎をそのまま解き放った。
「はい……?」
賊の魔法使いは、先程の余裕たっぷりな態度から一転、何が起こったのか理解できないといわんばかりの表情を浮かべた。
「あら? さっきまでの威勢はどうしたのかしら? それともこれで終わり?」
ミストルティン様の挑発に我に返ったのか、再び魔法の発動順をする。
「いや、まだ終わってはいないさ」
そう言うとポケットから一枚の巻物を取り出し、聞いたことのない言語で詠唱を始めた。
「原初の炎よ、世界の胎動より生まれし灼熱よ。
大地を巡る業火となり、我が呼び声に応えよ。
天を焦がし、地を焼き、万象を灰へと帰せ。
――顕現せよ。
終焉炎柱!!」
一人の男が詠唱を終えると、天から巨大な炎柱が落ちようとしていた。
「へー、古代語読めるのね。
じゃあこの魔法防げるかしら? 魔導支配!!」
ミストルティン様がそう唱えると、ミストルティン様を中心に激しい光が放たれ、魔法を発動した男へと飛んでいった。
「くっ……なんだ、この魔力がごっそり持っていかれる感覚は……」
男はふらつき始め、やがて地面に座り込んだ。
「一体なにをしやがった……」
「何って、あなたの魔法の主導権を奪って魔力を奪っただけよ?
古代語読めるなら、軽減する魔法くらい使えるはずよ?」
ミストルティン様の周囲には、まだ消えきらない魔力の光が淡く揺らめいていた。
そう言いながら、ミストルティン様は男の元へとゆっくり歩み寄った。
他の二人は完全に戦意を失い、怯えきった表情でその光景を見つめていた。
「先程の魔法と言い……お前らは何者だ……」
男は地面に座り込んだまま、震える声で問いかける。
ミストルティン様はその前で足を止め、わずかに首を傾げた。
「詳しく名乗る必要はないけど、少しだけ教えるわ」
そう言って、ふっと微笑む。
「そうね……あなたたちからは、魔法の神と呼ばれているとだけ教えておくわ」
その言葉が空間に落ちた瞬間――場の空気が凍りついた。
「……は?」
男の口から、間の抜けた声が漏れる。
「ま、待て……そんな……」
もう一人の魔法使いが後ずさる。
「ふ、ふざけるな……!
神が……こんなところにいるわけ――」
言い終える前に、男は言葉を失った。
ミストルティン様の背後で、先ほど奪われた魔力がまるで意思を持つかのように揺らめいている。
その圧倒的な魔力量を目の当たりにした瞬間、彼らの顔から血の気が引いた。
「……本物、なのか……?」
誰かが、かすれた声で呟いた。
もはや戦意など残っていない。
そこにあるのはただ――理解してしまった者の絶望だけだった。
「降参だ……」
男は力なくそう呟き、手にしていた杖を地面に落とした。
「なーんだ、もう少しは遊べると思ったんだけどね。
アル! そっちはどう?」
ミストルティン様が肩をすくめながら声をかける。
少し離れた場所では、アル様が剣士二人と対峙していた。
キィン――!!
鋭い金属音が空間に響き渡る。
「くっ……!」
剣士の一人が弾き飛ばされ、地面を滑った。
アル様は片手で剣を構えたまま、軽くため息をつく。
「威勢がいい割には、雑魚だな」
その言葉に、剣士たちは顔を歪める。
「な、なめるな!」
二人が同時に斬りかかる。
だが――次の瞬間、アル様の姿が消える。
「なっ――!?」
背後から、低い声が落ちた。
「遅い」
トンッ。
首筋に、剣の腹が軽く当てられる。
「……降参するか?」
静かな声だった。
だが、その意味を理解した瞬間、剣士の肩から力が抜けた。
「……参った」
もう一人の剣士も剣を落とし、両手を上げる。
「こっちも終わりだ」
アル様が剣を肩に担ぎながら振り返った。
「そ。じゃあ全員捕縛ね」
ミストルティン様は楽しそうに微笑むと、指をパチッと鳴らした。
すると周囲の景色が揺らぎ、次の瞬間には元の部屋の光景へと戻っていた。
「さて……あなたたち、誰に雇われたのかしら?」
その一言で、賊たちの顔色が再び青ざめた。
「雇われじゃない……黒鴉商会の人間だ」
男は観念したように答える。
「目的は?」
「さぁな。俺らは攫ってこいと言われただけだ。
いなければ、ヘルガーを殺せとは言われたが」
男が吐き捨てるように言ったその時だった。
――ドンッ!!
部屋の扉が勢いよく開かれる。
「動くな!!」
武装した騎士たちが一斉に部屋へ突入してきた。
鎧の金属音が部屋に響き、あっという間に賊たちは取り囲まれる。
「武器を捨てろ! 抵抗するな!」
騎士の一人が怒号を飛ばす。
だが、賊たちはすでに戦意を失っていた。
「くっ……」
剣士たちは悔しそうに顔を歪めながらも、完全に武器を手放す。
騎士たちは素早く彼らの腕を拘束していく。
「確保しました!」
その報告に、ミストルティン様は軽く手を振った。
「はいはい、あとはお願いね」
騎士たちは賊を引き立てながら部屋の外へ連れていこうとする。
その時だった。
「ま、待て!!」
魔法使いの男が叫んだ。
「約束が違う!!
勝ったら引くって言ったじゃねぇか!!」
その言葉に、ミストルティン様はきょとんとした表情を浮かべた。
「え?」
そして、くすっと小さく笑う。
「確かに言ったわよ?」
男は勝ち誇ったように叫ぶ。
「だろ!? だったら――」
だが、その言葉は最後まで続かなかった。
ミストルティン様が、にこやかに言ったからだ。
「でも私、騎士に引き渡さないとは言ってないわよ?」
一瞬、部屋が静まり返る。
「……は?」
男の顔が引きつった。
「私たちはいいって言っただけ。
騎士がどうするかは、騎士の仕事でしょ?」
あまりにも当然のような口調だった。
賊たちは言葉を失う。
「そ、そんな……」
騎士の一人が苦笑しながら肩をすくめる。
「残念だったな。続きは牢で聞くことになる」
「くそっ……!」
男の叫びも虚しく、賊たちはそのまま騎士たちに連行されていった。
部屋の扉が閉まり、賊たちの足音が遠ざかる。
静寂が戻った室内に、夜の冷気だけが残る。
「ふふっ、素直でいい子たちだったわね」
ミストルティン様は楽しそうに笑いながら、指を軽く鳴らした。
アル様が肩をすくめ、少し呆れた声で言う。
「どこがだよ……」
私は深く息をつき、窓の外に吹き込む夜風を感じる。
心臓の高鳴りはまだ収まらないけれど――
確かに、あの瞬間、すべてが上手くいったことを感じていた。
「エレノア嬢、大丈夫か?」
アル様が声をかける。
「うん……ありがとう、二人とも」
小さな声で返すと、自然と肩の力が抜けた。
ミストルティン様は軽やかに宙を舞う光を眺めながら、くすくす笑う。
「これで一件落着ね。騎士さんたちも、ちゃんと任務をこなしてくれるはずよ」
私は小さくうなずき、視線を部屋の隅に落とした。
床に散らばっていた魔法の残響が、徐々に消えていく。
――そして、夜は静かに更けていった。
部屋の片隅で、まだ少しだけ火花を散らす魔法の残り香が、今回の戦いの名残を告げていた。




