69話 王国の要請、毒の町⑯
治療再開から二日目の夜――
私たちは広間に集まり、状況について話し合っていた。
昨日から再開された治療は一定の成果を上げていたものの、依然として王命違反で拘束される者が出ていた。
その者たちへの取り調べで、共通して挙がっているのは「商人から購入した」という証言だった。
「現時点では確たる証拠はありませんが……入手先は黒鴉商会である可能性が高いかと」
一人の騎士が報告すると、伯爵様は腕を組みながら静かに頷いた。
「他の証言はどうだ?」
「内容はさまざまですが、多くは漁で獲れたものを食べた者、商人から買った者、飲食店で口にした者です」
騎士は手元の書類に目を落としながら続ける。
「例外として、漁師から直接購入したという証言や、知人から差し入れでもらったというケースも確認されています」
報告が終わると、広間には一瞬の静けさが落ちた。
誰もが、その情報の意味を考えていた。
「飲食店で提供した者は、なんと証言している?」
伯爵様が静かに問いかける。
「黙秘を続けています。
埒が明かないため、今夜中に王都の専門機関へ移送する予定です」
「そうか……」
伯爵様は静かに言うと、椅子の背もたれにもたれかかった。
「エレノア様の護衛計画の見直しは?」
その問いに、騎士の一人がすぐに答える。
「王城からの指示により、部屋の変更および神族の方々による護衛計画を策定しております。
また、先日発令された条項に基づき、すでに調査も開始しています!」
その言葉に、私は首をかしげた。
「発令……?
なにかあったんですか?」
すると騎士は、少し慌てたように首を振る。
「いえ、エレノア様にはそれほど関係ありません!」
「そうなんですか……?」
「はい! エレノア様は我々が命に代えてでもお守りしますので、ご安心ください!」
「守っていただけるのはありがたいですが、無茶はしないでくださいね?」
「もちろんです!」
騎士は力強く頷いた。
その様子を見ていた伯爵様が、軽く咳払いをする。
「……それで、護衛計画の実行はいつからだ?」
騎士はすぐに姿勢を正した。
「計画の本格的な実行は、明日の朝からを予定しております」
「明日からか」
伯爵様は小さく頷く。
「それまでの対策は?」
その問いに、騎士は一瞬だけ視線を横へ向けた。
そこにはミストルティン様とアル様がいる。
「本格的な警備体制が整うまでの間は、神族の方々による臨時対応を取る予定です」
「臨時対応?」
私が小さく呟くと、騎士は続けた。
「万が一、襲撃などが発生した場合――」
騎士は言葉を区切る。
「エレノア様方を一時的に神の領域へ避難させるため、神族の方々に転移魔法の使用をお願いしております」
その言葉に、広間の空気がわずかに張り詰めた。
「襲撃が確認された場合、エレノア様および同行者の方々は、臨時で神の領域へ転移し避難していただくことになります」
広間に静かな緊張が広がる。
「避難先は神の領域ですので、外部から干渉される心配はありません。
安全が確認され次第、こちらへ帰還していただく形になります」
報告を聞き終えた伯爵様は、腕を組みながらゆっくりと頷いた。
「なるほど……万が一の備えとしては妥当だろう」
そう言ってから、伯爵様は視線をこちらへ向けた。
「エレノア様、その対応で問題はありませんかな?」
広間の視線が一斉に私へ集まる。
「私は問題ないですが……ミストルティン様はそれでいいんですか?
神の領域は、本来、人間族の私たちが立ち入れる場所ではないですよね……?」
そう尋ねると、ミストルティン様はふっと微笑んだ。
「エレノアたちなら、他の神族も歓迎するから大丈夫だよ。
それに、転移先は私の領域だし――誰にも文句は言わせないから安心して」
軽い調子でそう言いながら、ミストルティン様は肩をすくめる。
「俺も問題ないぜ! というか、他の神族が文句を言うことは100%あり得ないから気にすんな!」
アル様も腕を組みながら力強く答えた。
「決まりだな……。
ヘルガー殿の護衛はどうなっている?」
伯爵様が視線を騎士へ向ける。
「夜間はこの屋敷に滞在していただく予定で、本日から実施されます!」
「わかった。侵入を許すことがあっても構わんが、護衛対象を失うことだけは何としてでも避けろ!」
「承知しております!」
騎士が力強く答えると、伯爵様は静かに頷いた。
「……では、以上だ。各自、持ち場に戻れ」
その一言で会議は解散となり、広間にいた者たちはそれぞれ立ち上がって持ち場へ戻っていく。
騎士たちは小さく敬礼を交わしながら部屋を後にし、やがて広間には静かな空気が戻ってきた。
私も椅子から立ち上がると、護衛として配置されている数人の騎士がすぐにこちらへ歩み寄ってきた。
「エレノア様、客室までお送りいたします」
「ありがとうございます」
軽く頭を下げると、私を囲むように騎士たちが位置につく。
そのまま、ミストルティン様とアル様も一緒に廊下へと出た。
屋敷の廊下はすでに夜の静けさに包まれていた。
窓の外から差し込む月明かりが、長い廊下の床を淡く照らしている。
騎士たちは周囲に警戒を向けながら静かに歩き、私たちはその中央を進んでいく。
「明日の朝から本格的に警備強化か」
アル様が小さく肩を回しながら呟いた。
「まあ、その前に何も起きなければいいんだけどね」
ミストルティン様も、いつもの軽い調子で答える。
そんな会話を聞きながら、私たちは客室の前へと到着した。
「エレノア様、こちらでございます」
騎士の一人が扉の前で足を止める。
「ありがとうございます」
そう言って私は軽くノックをし、扉を開けた。
部屋の中には、柔らかなランプの光が灯っていた。
そして――
「……あれ?」
思わず声が漏れる。
ベッドの上には、クロノア様の姿があった。
しかも――
いつもならこの時間はぐっすり眠っているはずなのに、珍しく起きている。
その様子を見たミストルティン様とアル様が、ふっと表情を硬くした。
「お前が起きているってことは……何かを予知したのか?」
アル様が静かにクロノア様へ問いかける。
「アルなら、僕に聞かなくてもわかるんじゃない?」
クロノア様は、いつもの眠たげな表情ではなかった。
何かを見通し、警戒しているような鋭い視線を向けている。
「クロノ、何を予知したの?」
ミストルティン様が問いかける。
クロノア様は少しだけ間を置いてから、静かに口を開いた。
「――あと三十分後」
その言葉に、部屋の空気が張り詰める。
「エレノアを誘拐しに、賊が数人……窓から侵入してくる」
その一言で、ミストルティン様とアル様は一気に警戒態勢へと移った。
クロノア様はさらに続ける。
「アメリアたちは、すでにミストルティンの領域に避難させた」
その言葉に、二人がわずかに頷く。
「でも――エレノアは避難させないほうがいい」
クロノア様は低い声でそう言った。
「奴ら、遠くからこの屋敷を監視してる。
エレノアがいなくなった時点で……ヘルガーを殺す」
その言葉に、私は思わず眉をひそめた。
「遠くって……この辺に、ここを監視できるような場所なんてないですよね……?」
疑問をクロノア様に投げかける。
すると――
ミストルティン様が、何かを思い出したように小さく呟いた。
「相手は……東の国の者……」
そして、ゆっくりと続ける。
「式紙使いってこと……?」
その言葉を聞いた瞬間、アル様が思わず声を上げた。
「式紙って、古代魔法じゃねぇか!!」
その場の空気が一瞬、張り詰める。
ミストルティン様がわずかに眉をひそめた。
「だとしたら……まずいわね……」
しかし、クロノア様は首を横に振る。
「そうでもないよ……」
落ち着いた声だった。
「相手はまだ完全に習得しきれてない。
だから、そこまで大それたことはできない」
そして静かに続ける。
「私たちの魔法で……十分、返り討ちにできるよ」
アル様が腕を組んだまま尋ねた。
「相手の攻撃手段は?」
クロノア様は淡々と答える。
「監視用の式紙使いが一人……多分、アジトから見ている。
他は魔法使いが三人と剣士が二人」
その言葉を聞いたアル様が少し考え込む。
「なら、ミストルティンの魔法で騎士を送って、襲撃と同時に向こうを叩いた方が早いんじゃないか?
場所はわかるんだろ?」
ミストルティン様は迷いなく頷いた。
「そうね……もう探知済み」
その答えを聞くや否や、アル様はすぐに動き出す。
「なら俺は騎士に事情を説明してくる!
ミストルティンは転移魔法の時限術式の展開を頼む」
「言われなくてもわかっているわ」
短くそう返すと、ミストルティン様はゆっくりと息を整え、魔力を練り始めた。
空気がわずかに震え、部屋の中に静かな魔力の気配が満ちていく。
どうやら本格的に詠唱の準備に入ったようだ。
「エレノアは、なるべく遠いベッドで普段通りに寝てて!」
ミストルティン様がこちらを振り向き、少しだけ優しい声で言う。
「最悪、条件を満たした時に神の領域へ転移させる魔法を発動させたから安心して!」
私は思わず小さく頷いた。
「わ、わかりました……」
状況はかなり物騒なのに、言われた通りベッドへ向かうしかない。
私は部屋の奥にあるベッドへ歩き、そっと腰を下ろした。
すると――
部屋の外から、小さく鎧の音が聞こえてくる。
どうやらアル様が騎士たちに事情を説明しているらしい。
廊下の気配が一気に張り詰めていくのがわかった。
そしてその間にも、ミストルティン様は静かに魔力を編み続けていた。
淡い光の魔法陣が床の上にゆっくりと浮かび上がり、
幾重にも重なる術式が、音もなく展開されていく。
「ミストルティン! こっちは準備完了だ!」
廊下の向こうからアル様の声が響いた。
「私も発動準備完了よ!」
ミストルティン様が静かに答える。
その瞬間、廊下の方から淡い光が漏れ始めた。
騎士たちを敵のアジトへ送り込む転移術式が、すでに展開されているのだろう。
部屋の中は、逆に不気味なくらい静かだった。
ミストルティン様は窓の近くに立ち、静かに魔力を巡らせている。
アル様は扉の横に立ち、いつでも動けるよう剣の柄に手をかけていた。
そして――
クロノア様は、ベッドの端に腰掛けたまま、じっと窓の外を見ている。
時間だけが、ゆっくりと過ぎていった。
……あと三十分。
そう言っていたはずなのに、体感ではもっと長く感じる。
屋敷の外は静まり返り、
風が木々を揺らす音だけが、わずかに聞こえていた。
その時だった。
クロノア様が、ふっと目を細める。
「……来る」
小さな声だった。
けれど、その一言で部屋の空気が一変する。
アル様が剣を抜き、ミストルティン様の魔力が一気に高まる。
クロノア様はゆっくりと手を上げた。
それが――合図だった。
次の瞬間。
――ガシャン!!
激しい破砕音とともに、客室の窓ガラスが外側から砕け散った。
夜の冷たい風が一気に吹き込み、
黒装束の影が窓枠を越えて室内へ飛び込んでくる。
同時に――
廊下の術式が強く輝いた。
騎士たちの転移が発動したのだ。
そして私は、砕け散るガラスの音を聞きながら思った。
(本当に……来た……)
月明かりの逆光の中、
窓から侵入してくる賊の姿が、はっきりと見えた。




