65話 王国の要請、毒の町⑫
市民の暴動が発生した翌日――
オスバルト伯爵様の別荘の門前は、抗議する市民で埋め尽くされていた。
その原因は、昨夜発表された王命によるものだった。
治療後に繰り返し鉄砲魚を口にした者は、治療を拒否すると共に王命違反として拘束する。
この通達に怒りを覚えた市民たちが、集団でデモを行っていた。
「俺らの食文化を奪う気か!!!!」
「王族の命令なんざ聞くもんか!!!」
「今日から三日間、診療を中止するってどういうことよ!?」
怒号が飛び交い、門前の空気は張り詰めていた。
群衆の声は統制されることなく渦巻き、騎士たちの制止も一瞬でかき消される。
騎士さんの話では、この王命によって拘束された人数は百人を超えたらしい。
いずれも、私が病院で毎日のように見ていた人たちだった。
騎士は群衆に向かって声を張り上げる。
「市民に告げる! 王国騎士団の権限により、本デモの解散を命令する!
数分以内にデモを解散させなかった場合、この場の全員を拘束することを警告する!」
しかし、群衆の怒声は一向に収まらず、騎士の警告を嘲笑うかのように叫び続けた。
張り詰めた空気の中、百を超える拘束者たちの存在が、私の胸にずしりと重くのしかかる。
「どうしてこうなったんだろう……」
私がここに来たのは、たった一人でも多くの人々を鉄砲魚の中毒から解放し、再び安全に鉄砲魚を楽しめるようにするためだった。
だが、目の前の光景は思い描いていたものとは違っていた。
鉄砲魚の摂取制限や治療の休止は、王命と安全上の措置として講じられたもので、私自身が決めたことではない。
それでも、元々の食文化を奪われたと反発する人々は、こっそり口にする者も増えた。
その結果、病院には鉄砲魚中毒で毎日のように診療を受ける人々が殺到し、現場は大混乱となった。
王命に沿った対策の矛先は、陛下だけでなく、なぜか私自身にも向けられていた。
「エレノアってやつは出ていけ!!!」
「何が天才錬金術師だ!!! まともにポーションを供給できないくせに偉そうにするな!!!」
「別荘で引き籠ってないで、ポーションを作れや!!!」
怒声は止むどころか、ますます大きくなり、別荘の門や窓を震わせるほどだった。
騎士団は冷静に状況を見極め、判断を下す。
「これ以上は危険です。全員拘束します!」
号令と同時に、騎士たちは市民を取り囲んだ。
200人近い抗議者たちは騎士の壁に包まれ、逃げ場を完全に奪われる。
叫び声を上げながらも、もはや自らの意思だけでは動けなかった。
「離せ……!」
力強く抵抗する者もいた。
腕を振りほどこうと体をよじり、蹴ったり手を振り回したりしながら必死に逃れようとする。
怒鳴り声を上げる大人たちも、二人三人がかりの騎士に押さえ込まれ、膝をつかされて制圧される。
混乱の中で怒号と足音が渦巻き、空気は重苦しく張り詰めていた。
騎士たちは市民を整然と囲み、逃げようとする者を抑え込みながら、一人も取りこぼさぬよう拘束を進める。
それでも、暴れる者の力と怒声に押され、騎士たちの腕や肩が僅かに揺れる。
200人の抗議者たちが一斉に抵抗する様は、見ているだけでも圧迫感を伴っていた。
やがて騎士団の統制が徐々に機能し、怒声は少しずつ収まり始めた。
門前の抗議は、王命と騎士団の迅速かつ的確な対応によって沈静化され、拘束者200人は確実に制御下に置かれた。
別荘の中、私たちは窓越しにこの光景を見守るしかなかった。
騎士たちの行動が安全のためであることは理解できる。
しかし、胸にのしかかる重みは想像以上で、静けさが戻った今も心の奥でざわつきが残っていた。
窓越しに沈静化した門前を見つめ、私は深く息をつく。
騎士たちが迅速に安全を確保してくれたことは理解している――
だが、心の重みは簡単には消えなかった。
「……これが現実なのね」
小さく呟く私に、アメリアお姉さまが肩に手を置き、静かにうなずく。
「エレノア、落ち着きなさい。今は安全な場所にいるのよ」
メルは柔らかい笑みを作ろうとするが、その瞳には心配の色が滲んでいた。
カイルも外を見つめたまま、唇を噛んでいる。
「一度、王都に戻ったほうがいいのかな……」
その呟きに、ミストルティン様がにやりと笑いながら寄ってきた。
「大丈夫よ、エレノア。もしみんなに何かあっても、私たちがなんとかするから!」
肩を軽く叩き、少し腕を絡めてくる。
大胆で自由奔放な仕草だが、瞳には確かな優しさが光っている。
「おう! 例え誰が飛びかかろうと、俺たちが守る! だから今は大人しく、時が過ぎるのを待とう!」
アルが力強く笑い、少し場を和ませる。
「そうだよー……僕みたいに寝てれば、時間なんてあっという間だよ……ふわぁぁぁぁ」
ソファで眠るクロノア様が伸びをする。
「お前は動かなさすぎだ!!!!」
アルが思わず突っ込み、ミストルティン様が肩を揺さぶって笑う。
自由奔放で大胆、けれど根は優しい――
そんなミストルティン様の存在感が、部屋の空気を少し和らげた。
その夜――
私とオスバルト伯爵様に加え、騎士団の数名が集められ、緊急の会議が開かれた。
議題は、港町バレンシアでの暴徒への対応方針、現時点での拘束者、そして今後についてだ。
伯爵様が資料に目を落としながら、低い声で告げる。
「現時点で拘束者は五百七十人。うち百十人は王命違反で拘束している」
部屋の空気がわずかに重くなる。
数字として聞くと、その多さがより現実味を帯びて胸にのしかかってくる。
騎士の一人が続けた。
「現在、拘束者は騎士団の監視下に置かれています。大きな暴動は抑え込めましたが、市内にはまだ不満を持つ者が多数いると考えられます」
私は小さく息を吐いた。
「……一度、王都に戻ったほうがいいのかな」
その呟きに、騎士の一人がすぐに首を横に振った。
「それは危険です」
はっきりとした声だった。
「今、エレノア様が王都へ向かえば、移動中に襲撃される可能性があります。今回の騒動で名前が広く知れ渡ってしまいました。港町を出る動きが確認されれば、行動を起こす者が出てもおかしくありません」
別の騎士も頷く。
「護衛は当然つけますが、街道は完全に管理できるわけではありません。現状では、ここに留まっていただく方が安全です」
私は思わず言葉を失った。
王都に戻れば落ち着くと思っていた。
けれど――戻ることすら危険だなんて。
オスバルト伯爵様は静かに腕を組み、私を見つめた。
「焦る必要はない。今は状況を落ち着かせることが先だ」
私は小さく息を吐き、視線を落とした。
「……そう、ですか」
頭では理解している。
けれど、ここに留まることも、王都へ戻ることも危険だと言われると、どうすればいいのか分からなくなる。
しばらくの沈黙の後、伯爵様がゆっくりと口を開いた。
「現時点では、別荘に留まるのが最も安全だ。騎士団が周囲を警戒しているし、港町の騒ぎも時間と共に落ち着くだろう」
騎士の一人も頷く。
「既に別荘周辺には警備を増員しています。外部からの侵入はもちろん、市民が近づくことも難しいでしょう」
私は静かに頷いた。
それでも胸の奥に残るざわめきは消えない。
「……五百人以上も拘束されているんですよね」
思わず口から出た言葉に、部屋の空気が少しだけ重くなる。
騎士は真剣な表情で答えた。
「はい。ですが、その多くは暴動の鎮圧に伴う一時拘束です。事情聴取の後、問題がなければ順次解放されます」
伯爵様が続ける。
「ただし、王命違反の百十人については別だ。鉄砲魚の流通禁止を承知の上で従わなかった者たちだ。こちらは正式な処分が必要になる」
その言葉を聞き、胸の奥がきゅっと締めつけられる。
ミストルティン様が横からひょいと顔を覗き込んできた。
「そんな顔しないの。エレノアが悪いわけじゃないでしょ?」
軽い調子だったけれど、その声はどこか優しかった。
「むしろ、あなたがいなかったらもっと大変なことになってたかもしれないんだから」
私は小さく笑う。
「……そう、かもしれませんね」
アルが腕を組みながら口を挟んだ。
「とにかく今は安全第一だ。ここは騎士団の警備もあるし、下手に動くよりずっといい」
騎士の一人もそれに同意する。
「港町の状況が落ち着くまで、数日は様子を見るべきでしょう」
伯爵様はゆっくりと頷いた。
「その間に、拘束者の処理と町の秩序回復を進める。混乱が収まれば、エレノアも安全に動けるようになるはずだ」
会議室の中に、静かな空気が流れる。
私は窓の外に目を向けた。
昼間の騒ぎが嘘のように、港町は静まり返っている。
けれど――
あの怒声は、まだ耳の奥に残っていた。
――その沈黙を破ったのは、資料をめくる騎士の音だった。
「もう一つ、今後の対応についてですが」
騎士の一人が机の上に新しい資料を広げる。
「本来であれば、数日以内に第二回の海洋調査を行う予定でした」
その言葉に、私は顔を上げた。
鉄砲魚の群れの発生源を探るための調査――この港町の問題を根本から解決するための計画だ。
だが騎士は、すぐに続けた。
「しかし、今回の騒動を踏まえると、現時点での実施は難しいと判断しています」
伯爵様がゆっくりと頷く。
「騎士団の多くが町の警備に回っている。今この状況で大規模な調査隊を出せば、港町の治安が手薄になる」
別の騎士も言葉を重ねた。
「加えて、漁師たちの動揺も大きい。昨日の騒ぎを見て、海へ出ること自体をためらっている者も少なくありません」
つまり――
「……第二回の海洋調査は、少し延期するということですね」
私の言葉に、伯爵様は静かに答えた。
「そうだ。町の状況が落ち着くまで、調査は一時見送る」
会議室にいる騎士たちも同意するように頷いた。
騎士の一人が続ける。
「ただし、鉄砲魚中毒の患者は依然として発生しています。海の調査が延期された以上、当面は治療体制の維持が最優先になります」
その言葉に、自然と視線が私へ集まる。
伯爵様は穏やかな声で言った。
「エレノア。無理をさせるつもりはない。しかし、君の治療がこの町を支えているのも事実だ」
私は少しだけ考え、ゆっくりと頷いた。
「……分かりました。治療は続けます」
するとミストルティン様が腕を組みながら口を挟む。
「もちろん、警備は強化するんでしょ?」
騎士はすぐに答えた。
「はい。病院周辺にも騎士団を配置します。今回のような騒動が起きないよう警戒を続けます」
アルも頷きながら言う。
「海の調査は落ち着いてから再開。今は町の混乱を抑えながら治療を続ける……ってところか」
伯爵様は会議の結論をまとめるように言った。
「第二回海洋調査は延期。当面は港町の秩序回復と治療を優先する」
静かな決定だった。
けれど、この町の今後を左右する大きな判断でもあった。
私はそっと息を吐く。
問題はまだ何一つ解決していない。
それでも――
今やるべきことだけは、はっきりしていた。




