45話 キャンプの魔法、友情の香り②
今日はキャンプに行く日――。
雨でも降ってくれないかな、と思っていたが、残念ながら快晴。
キャンプは予定どおり決行されることが確定してしまった。
「なんでこういうときに限って雨が降らないんだろう……」
「いっそのこと、仮病でも使おうかしら……」
「キャンプ楽しみだねー!」
居間のテーブルを挟み、嫌がる人と喜ぶ人とで、くっきりと分かれていた。
「それにしても、ミストルティン様、遅いな……」
ルーカスお兄様がぽつりと呟く。
時計を見ると、確かに集合時間からすでに三十分が経過していた。
「まさか、誘った張本人が忘れているとかないわよね……?」
「だとしたらラッキーなんだけどね」
私とアメリアお姉さまは、ほんのわずかな希望を胸に、ちらりと空を見上げた。
相変わらず雲ひとつない快晴。神様は今日も本気らしい。
「……もう三十五分経ったぞ?」
カイルが椅子にもたれながら言う。
メルはそわそわと尻尾を揺らし、何度も玄関の方を見ていた。
「遅いですね……何かあったんでしょうか?」
「いや、たぶん何も考えずに寄り道してるだけだと思うわ……」
四十分。
五十分。
そして――
「おっはよーーー!!!!!」
玄関の扉が勢いよく開き、聞き慣れた元気すぎる声が屋敷中に響き渡った。
「……来た」
一時間遅れでようやく現れたミストルティン様は、なぜか手ぶらで、いつも通りの満面の笑みを浮かべている。
「ごめんごめん! ちょっと買い物に時間かかっちゃってさー!」
「ちょっと、で一時間ですか?」
アメリアお姉さまの笑顔が怖い。
「だってさ、キャンプって意外と必要なもの多いんだよ?」
「……あの、荷物は?」
私が思わず尋ねる。
「あるある。ちゃんとあるよー」
どこに、とは言わない。
さらっと流された。
「……忘れてなかったんだ」
私がぽつりと呟く。
「ほんとね……」
アメリアお姉さまも、がっくりと肩を落とした。
内心、少しだけ――ほんの少しだけ、忘れていてくれればいいのにと期待していたのに。
「さあ! 全員そろったね! いよいよ出発だよー!」
「その前に」
アメリアお姉さまがにこりと笑う。
「一時間遅刻の詳細をどうぞ?」
「えー、いる? その情報」
「いります」
即答だった。
ミストルティン様は観念したように肩をすくめる。
「ちょっと遠くまで買い出しに行ってたんだよ。久しぶりの場所だったからさー、思ったより時間かかっちゃって」
「遠く、って?」
「んー……まあ、前に何度か寄ったことある所。様子が少し変わっててね」
それだけ。
具体的な地名も、景色の説明もない。
「でも面白い物がたくさんあったよ?」
そう言って、ちらりと私を見る。
(……なんで今こっち見るの)
ほんの一瞬、意味ありげに口元がゆるむ。
でも、それ以上は何も言わない。
「とにかく! ちゃんと準備はできてるから安心して!」
手ぶらのまま言い切った。
……絶対なにか隠してる。
でも今は問い詰める材料がない。
「ほらほら、出発するよー!」
強引に話を打ち切られ、私たちは渋々立ち上がった。
逃げ場はない。
そしてたぶん――
このキャンプ、嫌な予感しかしない。
こうして私たち六人はキャンプをする場所へ出発するのだった。
ーー王国・フィオラ平原
王都の南門で、お父様から持たされた委任状を衛兵に見せ、私たちは王都郊外に広がるフィオラ平原へと向かった。
王都の外に出るのは、人生でまだ二回目だ。
さっきまでキャンプに憂鬱な気分を抱いていたのに、吹き抜ける風や草の匂いに包まれているうちに、いつの間にか気分は軽くなっていた。
視界いっぱいに広がる緑。
どこまでも続く青空。
……ちょっとだけ、悪くないかもしれない。
メルやルーカスお兄様たちは、ルンルン気分で街道を歩いている。
メルは時折くるりと振り返っては、満面の笑みを向けてきた。
そして、アメリアお姉さまはというと――
「へー、南側ってこんなに素敵な場所なのね」
感心したように辺りを見渡している。
どうやら私と同じで、気分はすっかり軽くなっているようだった。
それから一時間ほど、街道を歩いただろうか。
笑い声と他愛ない会話が続き、すっかり遠足気分になっていた、そのとき――
胸の奥が、ちり、と痛んだ。
「……あれ?」
隣を歩いていたミストルティン様の足が、ほぼ同時に止まる。
私はそっと意識を巡らせる。
風の流れとは違う、もうひとつの流れ。
大地を巡るエングラムが、ほんのわずかに淀んでいる。
自然の循環から、微妙に外れた揺らぎ。
「……気づいた?」
ミストルティン様が、小声で囁く。
私は小さく頷く。
「流れが、少しだけ歪んでます」
「だよねー。ほんとにちょっとだけど」
声は軽い。
でも、目は笑っていない。
「放っておくとまずい、ですか?」
「うーん……わからないかな......でも、原因は見ておきたい」
ほんの一瞬、視線を交わす。
同じ異変を、同じ濃度で感じ取れている。
「どうしたの?」
前を歩いていたルーカスお兄様たちが振り返る。
その瞬間、ミストルティン様はいつもの笑顔に戻った。
「ちょっと待ってて!」
ひらりと手を振り、街道から外れた草地の方へ向かう。
「え、ちょ、ミストルティン様!?」
「すぐ戻るからー!」
軽い声とは裏腹に、足取りは迷いがない。
私は胸のざわつきを押さえながら、その背中を見つめた。
……あの歪み。
あれは偶然じゃない。
穏やかなフィオラ平原に、ほんのわずかな綻びが生まれている。
それから十分後――
ミストルティン様が戻ってきた。
「ごめんごめん!前に下見で来た時に忘れ物したから探してて!」
「ミストルティン様らしいわね」
アメリアお姉さまは、くすりと笑っていた。
その視線の先――
私のもとへ歩いてくるミストルティン様。
けれど、さっきまで浮かべていた軽い笑顔は消えていた。
今そこにいるのは――
神族としての顔。
空気が、わずかに張り詰める。
「ミストルティン様……どうでしたか?」
私は静かに問いかける。
ミストルティン様は小さく息を吐いた。
「やっぱりね。ここから南東へ三百歩歩いた辺りで、エングラムの流れがおかしい」
断定だった。
「前みたいに大規模な 魔軍激突 が発生するんですか……?」
自分でも声がわずかに硬いのがわかった。
あのときの光景は、まだ鮮明に思い出せる。
ミストルティン様は首をかしげる。
「あれ? あれは被害が大きかったけど“中規模”だよ?」
さらりと言う。
……中規模。
私は思わず息を止めた。
「あのね、規模と被害は必ずしも一致しないんだ。あれは王都の近くで発生したから結果的に大事になっただけ」
淡々とした説明。
でもその瞳は、笑っていない。
「今回の乱れは、あれよりもっと小さい。今すぐ 魔軍激突 に直結するようなものじゃないよ。だから緊急性はない」
そこで一拍。
「――今は、ね」
「え……?」
思わず声が漏れる。
ミストルティン様は小さく肩をすくめた。
「うん。急に流れが悪化する場合もあるから、油断はできないね」
軽い口調。
けれど内容は重い。
私は一歩、踏み込んだ。
「ミストルティン様は……神族ですよね?」
ミストルティン様の視線が、真っ直ぐこちらへ向く。
「調整って、できないんですか?」
静寂が落ちた。
風が止まったような感覚。
ミストルティン様は少しだけ目を細める。
「できるよ」
即答だった。
「けど、私は調整が得意ではないんだ……管轄も違うしね」
管轄。
その言葉に、私はわずかに眉を寄せた。
「それってどういうことですか……?」
ミストルティン様は真面目な表情のまま、ゆっくりと説明する。
「エングラムの流れを調整するのは、基本的に 大地の精霊王 と 闇の精霊王 と呼ばれる神の役目なんだ。緊急時でない限り、ね」
空気が静かに張りつめる。
「悪戯に私や他の神族がエングラムの流れを調整してしまうと、逆に世界の均衡を崩してしまう可能性がある」
それは脅しでも誇張でもない。
ただの事実。
「だから今、私にできることは様子を見ること。そして必要があれば 大地の精霊王 に報告するくらいかな」
そこで、少しだけいつもの軽さが戻る。
「幸い、帰りにも通る道だしね。何かあれば、そのときはちゃんと対処するよ」
私は小さく息を吐いた。
「わかりました」
納得はできる。
神族にも役目がある。
触れないという判断は、きっと正しい。
そのとき――
『焦らないことが一番だよ』
頭の奥に、直接響く声。
ミストルティン様の声だ。
私は一瞬だけ視線を上げる。
アメリアお姉さまは、きょとんとした顔で私を見ているだけ。
……やっぱり、聞こえていない。
『この話は、君と私だけ。余計な不安は与えないほうがいい』
(……わかっています)
私も心の中で返す。
言葉にはしていない。
けれど、ちゃんと届く。
ミストルティン様はいつもの軽い笑みを浮かべた。
傍から見れば、ただの穏やかな空気だ。
「川までは、あと三十分ほどですわ」
アメリアお姉さまの声に、私は現実へ戻る。
「はい」
それ以上、エングラムの話は出なかった。
私たちは南へと歩き出す。
草原を渡る風はやわらかく、空は高い。
世界は、驚くほど平和だ。
――でも私は知っている。
あの地点で、確かに流れは淀んでいた。
(急に悪化する場合もある……)
頭の奥に残る言葉。
三十分ほど歩くと、木立が増えはじめ、地面がゆるやかに下っていく。
やがて、さらさらという音が耳に届いた。
木々の間を抜けた瞬間、視界が開ける。
透き通る水。
陽光を反射してきらめく川面。
川底の小石まではっきり見えるほどの清流。
「まあ……きれいですわ」
アメリアお姉さまが感嘆の声を漏らす。
私は静かに川辺へ歩み寄る。
水面に手をかざす。
――流れは、正常。
少なくとも、今は。
『問題なし、だね』
再び、頭の奥に声が響く。
私は小さくうなずいた。
「ここを今日のキャンプ地にしましょう」
そう言って、私はいつものエレノアに戻る。
今は平和。
本当に、平和。




