43話 芳香誘う、実験室の午後
ーー夏の終わりが近づいている。だが外はまだ、眩い光が大地を照らし、熱風が肌を刺すように吹きつけていた。
「暑い……」
「我も暑いです……」
私とノエルは、石畳からの照り返しに参っていた。日差しが肌を刺すように強く、歩くたびに熱が足裏に伝わる。
王城へポーションを納品した帰り、ついでに市場へ買い物に行こうと思っていたが、この暑さでは冗談抜きで死にそうだ。
「市場へ行く予定だったけど……このまま帰ろうかな」
「その方がいいかと……」
日差しが眩しく、熱風が肌を刺す中、二人の足取りは自然と重くなる。
「涼しくなる時間帯に市場に行こうか……」
急遽予定を変更し、屋敷へと戻ることにした。
ーー王都・屋敷
屋敷へ戻ると、汗でびっしょり濡れた服を脱ぎ、新しい服に着替えた。
興味本位で匂いを嗅ぐと――ものすごい匂いがした。
「うわっ、臭い!!!」
私は思わず服を投げ捨ててしまった。
その光景に、侍女は笑っていた。
「物凄い汗でしたからね。これは、さぞかしとんでもない匂いだったでしょう」
「これ、洗うの大変そうだね……」
そう言うと、侍女は遠い目をした。
「乾くのはあっという間なのですが、汗の匂いはなかなか落ちなくて……
特に当主様が鍛錬の際にお召しになるものは、本当に大変です」
「そうなの?」
「はい……酷いと、一日二十回は洗いますね……」
私は眉をひそめた。
「二十回……!? そ、そんなに大変なの……」
侍女は小さく頷く。
「はい。ですので、少しでも匂いを抑える方法を考えねば、と日々試行錯誤しております」
「……なるほど。じゃあ、私も何か作ってみようかな」
その言葉に、侍女の目がぱっと輝いた。
「ホントですか!? もし完成したらぜひ使わせてくださいね!」
「もちろん!」
そう言い、私は実験室へと向かった。
ーー王都・実験室
扉を開けると、室内に熱気が漂っていた。
「うわっ!」
慌てて、風を継続的に発生させる魔道具に魔力を注ぐ。
同時に、目の前に氷の塊を置き、少しでも室内の温度を下げる。
数分後、やっと室温が多少マシになった。
「着替えたばかりなのに、もう汗かいちゃうよ……」
肩で息をしつつ、机の上に目をやる。
そこには、納品に行く前に使っていた調合用の道具と三冊の本――どれも、私にとって大事なものだった。
「侍女の話を聞く限り、二種類作ったほうがよさそうね……」
最初は消臭スプレーだけでいいと思っていた。
けれど、侍女の話を聞くと、洗濯用の石鹸に消臭成分が入っていないのは明確だった。
ならば――毎日洗えないものはスプレーで匂いを抑え、
毎日洗うものは石鹸で解決する。
それが、最適解。
私は小さく頷き、作業の準備を始めた。
まず、錬金術のレシピ本を調べる。
だが――作りたいものの作り方は、どこにも書かれていなかった。
「やっぱり……直接のレシピはないのね」
しかし、完全に収穫がなかったわけではない。
石鹸の基本的な作り方や、香りをごまかすためのスプレーの作り方は、きちんと書かれていた。
私は小さく息を吐き、机の上の本を開き直す。
「なるほど……これなら応用できそうね」
だが問題は――汗や酷い匂いを、どうやって効果的に抑えるか、だった。
ただ香りをごまかすだけでは意味がない。根本的に、匂いの原因そのものをできる限り減らさねばならない。
私は薬草図鑑と植物図鑑を片手に、使えそうな成分をひとつひとつ調べていく。
「この成分……消臭に効きそうね。あの植物も組み合わせられるかも……」
ページをめくり、文字を追いながら、頭の中で調合の順序を組み立てる。
汗や匂いの原因を抑え、毎日の洗濯やスプレー使用でなるべく快適にする――その方針が、手先の動きを慎重かつ正確にしていった。
数十分かけて調べ、使えそうな素材をメモにまとめ、見返す。
「想像はしていたけど、ほとんどハーブね……」
書かれているのは、すべて料理用の乾燥ハーブ。
屋敷にあるものも同じく乾燥され、使いやすい反面、香りや新鮮さに欠ける。
このままでは、根本的な解決にはならなさそうだ。
「あれ……そういえば、緑茶の葉にも消臭成分があったよね……?」
前世でよく使っていた消臭スプレーには、確か緑茶の成分が入っていた。
ハーブと違い、緑茶は汗や臭いの原因そのものを化学的に抑える力がある。
なら――お茶の葉をメインに使いつつ、香り付けにハーブを加えれば、一石二鳥になるはずだ。
だが、今手元には緑茶の葉がない――
「結局、暑い時間に市場に行くのね……」
半分諦めながらも、私は市場へ行く準備を整えるのだった。
ーー王都・市場
結局、まだまだ暑い時間に買い物に出ることになった私たち。
ノエルは、まるで「結局行くのね」とでも言いたげな目で私を見つめていた。
……私だって同じことを思ってるよ。
石畳からの照り返しと熱風が肌を刺す中、人混みをかき分けながら市場の中心へと向かう。
新鮮な野菜や果物の匂いに混じり、熱せられた屋台の香ばしい匂いが漂う。
「……暑いね、本当に」
小さく呟くと、ノエルも頷く。
人々の話し声や笑い声が行き交う中、私は手元のメモを確かめた。
消臭用に必要な茶葉の種類――苦みが強く、渋みのあるものほど消臭成分が多いはずだ。
「さて、どれを選ぼう……」
いつもの東の国産・輸入食品専門店――
短期間に何度も足を運んだせいか、すっかり常連のような顔つきになっていた。
試飲用のお茶を手に受け取り、そのまま会計台近くの茶葉と味噌の量り売りコーナーへ向かう。
店内には、香り高い茶葉の匂いと、発酵した味噌のほのかな香りが混じり合い、自然と足が止まる。
「今日は消臭用だから、香りも強すぎず、苦みもしっかりしたもの……」
慎重に茶葉の色や香りを確かめながら、調合に最適なものを選び始めた。
「うーん……」
悩んでいると、以前味噌を買った時にいた店員さんが声をかけてきた。
「おや?今日は緑茶をお探しかな?」
「はい……錬金術で消臭スプレーを作ろうと思って材料を買いに来たんです」
「お嬢ちゃん、錬金術師だったのかい? それによく緑茶に消臭成分があるの知っていたね」
「はい……汗や匂いの原因そのものを抑える成分があると聞いていたので」
店員さんは少し驚いた顔をして、棚の前で手を止める。
「なるほどね。それなら、この辺りの葉がいいだろう。苦みと香りのバランスがちょうどよく、消臭にも向いているはずだよ」
私は茶葉の量り売りの皿に手を添え、香りを確かめながら必要な分だけ秤に載せていく。
普段飲むだけの茶葉とは違い、錬金術用としての“効能”を基準に選ぶのは少し不思議な感覚だった。
「ありがとう……これで作ってみます」
店員さんはにっこり笑って頷いた。
続いて、作業中に飲むための玄米茶も量り売りで用意する。
香ばしい香りが漂う茶葉を慎重に秤に載せ、必要な分だけ袋に入れた。
これで作業中にほっと一息つく準備も整った。
二種類の茶葉を袋に収め、私は会計台へ向かう。
市場のざわめきの中、秤に載せた茶葉の重みが少し頼もしく感じられた――
これから始まる調合への期待とともに。
茶葉を無事に量り売りで揃え、玄米茶も用意した私は、袋を手に市場の通路を歩き出す。
香りが立つ茶葉の重みが、これからの作業への期待を少しだけ高めてくれる。
「さて……次はハーブね」
調合には香り付け用のフレッシュハーブが必要だ。
屋敷にあるのは乾燥されたものばかりで、根本的な消臭効果を考えるとやはり新鮮なものが望ましい。
市場の奥へ足を進める。
野菜や果物の露店を横目に見ながら、フレッシュハーブを扱う店を探す。
「どこかに……生のハーブはないかしら」
熱気と人混みの中、香りや色合いに目を凝らし、慎重に一軒一軒の店を覗き込む。
調合の完成度は、このフレッシュハーブの出来にかかっているのだ。
だが、なかなか思うようなハーブは見つからない。
最後の頼みとして、いつもの薬草店へ向かうことにした。
扉を開けると、いつもの店員さんではない人が立っていた。
「いらっしゃいませ」
「こんにちはー。いつもの店員さんはどうしたんですか?」
「あー、腰を痛めてしまって臨時で店番をしています。薬草については詳しくないので、店頭にあるものだけの販売になりますが、それでもよろしいですか?」
「大丈夫です! いつもの店員さんにお大事にとお伝えください」
そう言い、一直線で苗のコーナーを見ると、いいものを見つけた。
それは、リラックス成分があることで知られるカモミールの苗だった。
苗を手に取り会計台に置き、お会計を済ませた。
その後、必要な素材を全て購入し、屋敷へと戻るのだった。
ーー屋敷・実験室
市場で必要な材料を揃え、机に並べると、あっという間に作業スペースはいっぱいになった。
まずは、消臭スプレー用の素材だけを取り出し、調合を始める。
大きめのビーカーに蒸留水を入れ、弱火で温める。
緑茶の葉と魔石を加え、軽く魔力を流し込みながらゆっくりと攪拌する。
成分が十分に溶け出したのを確認したら、精霊にお願いして成長促進魔法で育てたカモミールを浮かべ、さらに魔力を注ぎ込む。
火を止め、魔石を取り出して粗熱を取った後、防腐効果のある香油を加え、冷却魔法を使いながら攪拌する。
完全に冷めたら、魔力注入可能なスプレー容器に注ぎ入れて完成だ。
できあがったスプレーを早速鑑定する。
【鑑定結果】
名前:消臭スプレー
品質:高品質
備考:緑茶由来の消臭成分カテキンを含むスプレー。
タンパク質が原因の匂いを消しつつ、カモミールの爽やかな香りを添える。
「よし、できた!! 次は石鹸ね」
次に、石鹸の調合に取りかかる。
まず、卵の殻を火にかけて完全に乾燥させる。
乾いた殻を乳鉢に入れ、粉末状にすりつぶす。
その粉末を蒸留水に加え、攪拌しながら魔力を注ぐと、アルカリ溶液の完成だ。
続いて、カモミールの葉や花弁を細かく刻み、蒸留水に入れて魔力をゆっくり注ぐ。
成分と香りがしっかり抽出されるように、丁寧に混ぜる。
オリーブオイルに細かくした茶葉を加え、先ほど作った卵の殻のアルカリ溶液を少しずつ混ぜていく。
少し固まってきたら、カモミールの抽出液を適量加え、さらに混ぜ合わせる。
すべてが均一に混ざったら、防腐効果のある香油を少量加えてさっくり混ぜる。
ある程度固まったら、適当な容器に入れ、完全に硬化するまで待つ――本来なら24時間かかるが、待てないので錬金魔法で無理やり硬化させた。
ついに、石鹸は完成した。
手に取り、匂いを嗅ぐと、緑茶の香りとカモミール特有の香りがほのかに漂い、とても心地よい。
早速鑑定してみると――
【鑑定結果】
名前:消臭洗濯用石鹸
品質:高品質
備考:緑茶由来の消臭成分カテキンを含む石鹸。
タンパク質が原因の匂いを消しつつ、カモミールの爽やかな香りを添える。
脂が劣化すると逆に匂いが強くなるので、水分をよく切り、風通しの良い場所で保存すること。
「うん!いい感じにできた! 早速侍女に渡そうかしら」
そう言い屋敷へ戻るのだった。
ーー屋敷・洗濯場
「よし……これで準備完了!」
私は完成した石鹸と消臭スプレーを手に取り、屋敷内を駆けるように洗濯場へ向かった。
そこには、今日で何回目かもわからない洗濯をしようと、侍女が黙々と作業していた。
「ねぇ、ちょっと待って! これを使ってみて!」
石鹸とスプレーを差し出すと、侍女は驚いた顔で私を見上げた。
「えっ、これは……!?」
「うん、消臭スプレーと洗濯用石鹸よ。暑さでついた汗の匂いも、これで一気に解決できるはず!」
半信半疑でスプレーを少量衣服に吹きかけ、石鹸で洗い始める侍女。
数分後――
「わっ、すごい……!」
驚きと喜びで目を輝かせながら、洗い上がった衣服の匂いを嗅ぐ。
先ほどまで漂っていた汗や独特の生臭い匂いは、完全に消え、カモミールと緑茶の香りだけがふんわり残っている。
「なんていい匂い……! しかも洗い上がりがさっぱり! 本当に、さっきまでの匂いがウソみたいです!」
満面の笑みを浮かべ、何度も「すごい!」と繰り返す侍女に、私はつい微笑んでしまった。
「ふふ、喜んでもらえてよかったわ。これで毎日の洗濯も少し楽になるでしょう?」
「はい! 本当に助かります、ありがとうございます!」
侍女はうれしそうに衣服を抱え、丁寧に干しながら、何度も私にお礼を言った。
石鹸とスプレーが、今日の暑さと汗まみれの作業を、一瞬で清潔で心地よいものに変えたのだった。
次回から長編回が続きます。




