158話 罪を越えて、居場所を得た少女②
「人類は進歩するけれど、好奇心に負ける部分だけは驚くほど進歩しないのよね」
ミストルティン様はそう言って肩を竦めた。
「なるほど……」
確かに危険だと分かっていても研究したくなる気持ちは分かる。
少なくとも私なら、新しい錬金術の理論や未知の素材が見つかったら飛びつく自信があった。
一拍。
そこでふと疑問が浮かぶ。
「でも、それなら……」
私はリュシアさんへ視線を向けた。
「勉強すれば私でも古代魔法って使えるんですか?」
一瞬。
実験室が静まり返った。
「「「「はい?」」」」
声が綺麗に重なる。
メル。
リオル。
リュシアさん。
そして隊員さん達まで固まっていた。
「え?」
なぜそんな反応をされるのかわからない。
私はただ疑問に思ったことを聞いただけなのだけれど。
一方で。
ミストルティン様だけは本当に考え込んでいた。
「そうね……」
一拍。
「理論上は可能よ」
「おお」
思わず声が漏れる。
だが周囲は全く安心していなかった。
「いやいやいやいや!?」
最初に声を上げたのはリュシアさんだった。
「そこ真面目に考えるところなんですか!?」
「質問されたのだから答えただけよ?」
ミストルティン様は不思議そうに首を傾げる。
リュシアさんは頭を抱えた。
「そういう問題じゃないんです!」
するとミストルティン様は少しだけ考え込む。
「エレノアは神聖魔法との相性が良いし……」
一拍。
「多分、少し勉強すればいけると思うわよ?」
「「「少し!?」」」
今度は全員の声が重なった。
リュシアさんに至っては半ば悲鳴だった。
「古代語を覚える必要があるんですよ!?」
「魔法理論もですよ!?」
「術式構築だってありますよ!?」
「少しで済むわけないじゃないですか!」
必死の訴えだった。
だが。
ミストルティン様はきょとんとしている。
「そうかしら?」
「そうですよ!?」
リュシアさんは即座に反論した。
だがミストルティン様は気にした様子もない。
「これ、あまり知られていないことなのだけれど」
一拍。
「古代魔法と神聖魔法って、分類上は同じ系統なのよ」
部屋が静まり返った。
「……はい?」
最初に声を出したのはリュシアさんだった。
「同じ系統……ですか?」
「ええ」
ミストルティン様は当然のように頷く。
「正確には神聖魔法の方が古代魔法に近いと言った方がいいかしら」
「どういうことですか?」
私が尋ねる。
「さっきも言ったけど現代魔法はイメージがとても重要な魔法体系よ」
一拍。
「けれど神聖魔法は違う」
ミストルティン様は私を見た。
「攻撃系の魔法だってそう」
一拍。
「どのくらいの範囲で発動するか、威力、神力の消費――」
ミストルティン様はそこで言葉を切った。
「そして“誤差をどこまで許容するか”まで、全部イメージの精度に依存するわ」
「誤差……ですか?」
メルが首を傾げる。
「ええ」
ミストルティン様は頷いた。
「現代魔法は“多少ズレても成立するように作られている”の」
一拍。
「だから詠唱やイメージで補正できる」
私はなんとなく理解する。
火球なら多少形が崩れても、“火として成立していれば発動する”。
「逆に言えば、誤差が大きければ大きいほど威力は弱くなる」
「けど神聖魔法は違う――」
一拍。
ミストルティン様は静かに続けた。
「元々古代魔法は、神聖魔法が元になった魔法体系なの」
「え……?」
思わず声が漏れる。
「だから構造そのものはほぼ同じと言ってもいいわね」
ミストルティン様は淡々と言った。
「ただし違うのは、“制御の有無”よ」
一拍。
「神聖魔法は、神族の加護と神力を前提にしている」
空気がわずかに重くなる。
「だからこそ神力に適性がなかったり、神族の加護がない状態で無理に行使すれば――肉体が持たない」
さらりと言われた言葉に、背筋が冷える。
「勿論、行使する規模によって危険度は変わるわ」
ミストルティン様は少しだけ目を細めた。
「小規模なら問題はない。でも大規模になるほど、“人間の器”から外れていくの」
そこで一拍置く。
「古代魔法が危険とされた理由も、結局はそこに繋がるのよ」
「……制御が外れていく、ってことですか?」
メルが小さく尋ねる。
「ええ」
即答だった。
「神聖魔法は“神が直接扱う前提の魔法”」
「古代魔法は、神聖魔法を人間族でも扱えるように――魔力を媒介に再構築した魔法体系なの」
一拍。
ミストルティン様は静かに続けた。
「だから規模に制限がないのよ」
「その結果、滅びたんですね……」
「そう」
ミストルティン様は短く肯定した。
その一言が、妙に重かった。
改めて考えると、それはあまりにも当然の帰結だったのかもしれない。
力はあればあるほど、自分を守ることも、生活を豊かにすることもできる。
それ自体は悪いことじゃない。
包丁だってそうだ。
野菜を切るのにあれば便利で、料理の質も上がる。
けれどそれを人に向ければ、ただの凶器になる。
同じ“便利な道具”が、使い方ひとつでまったく別の意味を持ってしまう。
結局のところ――。
過剰な力を制御なしで人に与えてしまえば、いつか必ずどこかで歪みが生まれる。
それは魔法でも、道具でも、きっと同じことだ。
「そういえば私も組織で、精神に直接作用する魔法だけは作るなと言われてましたね……」
一拍。
その言葉に、室内の空気がわずかに変わった。
「そういうことだったんですね……」
リュシアさんは、納得したように小さく頷く。
だがその表情は、どこか晴れきっていない。
むしろ“思い出してしまった”ような色が混じっていた。
「古代魔法の精神系統は、かなり危険よ」
ミストルティン様は淡々と言った。
「術式ひとつの誤りで、対象の精神構造そのものが崩壊する」
一拍。
「命の危険というより、“人としての成立条件”が壊れるレベルね」
さらりと告げられた内容に、空気がわずかに重くなる。
「当時は戦争利用のために、各勢力が競うように開発していたのだけれど……」
ミストルティン様は目を細めた。
「結果として失敗作も多く生まれたわ」
「失敗作……?」
メルが小さく呟く。
「ええ」
一拍。
「精神構造が崩壊して、理性も言語も失った“人型の魔物”になった個体もいる」
その一言で、室内の温度がわずかに下がった気がした。
「だから古代精神系統魔法は、各国で禁忌指定になっているの」
「「「……」」」
誰もすぐには言葉を出せなかった。
リュシアさんですら、口を開きかけては閉じるのを繰り返している。
重い沈黙だけが、実験室に落ちていた。
「少し脱線したわね」
ミストルティン様は、何事もなかったかのように紅茶を一口飲んだ。
あまりにもいつも通りの口調だったので、逆に反応に困る。
「……脱線、で済む内容ですか?」
思わず私がそう言うと、
「済むわよ」
即答だった。
一拍。
「過去の失敗例の話をしただけだもの」
その“失敗例”の重さが、全員の頭の中に残っている。
「エレノアが古代魔法を使えるかだけど、多分すぐできると思うわよ?」
一拍。
空気がわずかに動いた。
「現代魔法と理論は違うと言っても、エレノアはスキルで古代語は読めると思うし」
ミストルティン様は何でもないことのように続ける。
その瞬間、周囲の視線が一斉に私へ向いた。
「……え?」
思わず声が漏れる。
「いやいやいやいや」
リュシアさんが即座に首を振った。
「すぐできるってレベルじゃないですよそれ」
「そうかしら?」
ミストルティン様は首を傾げる。
「古代語の理解と、神聖魔法の適性がある時点で、入口は全部揃っているわよ?」
一拍。
「足りないのは“慣れ”だけ」
さらりと続ける。
「一時間も勉強すれば、すぐできるわ」
その瞬間。
実験室の空気が止まった。
「……はい?」
リュシアさんが、今度は小さくではなくはっきりと聞き返す。
「一時間、ですか?」
「ええ」
ミストルティン様は当然のように頷いた。
「魔法理論と術式の基礎構造を押さえるだけなら、それくらいで十分でしょう?」
「十分じゃないです!!」
即座に返ってきた。
むしろ叫びに近い。
「普通はそこから数年単位で積み上げるんですよ!?」
「そうなの?」
ミストルティン様は本気で不思議そうだった。
一拍。
「効率悪いのね」
「違います!!人間の標準です!!」
リュシアさんの必死の叫びが実験室に響いた。
そのやり取りの最中――。
「ちょっとやってみたいです!」
一瞬。
空気が止まった。
「エレノア様ー!?!?」
リュシアさんの悲鳴のような声が重なる。
メルとリオルも目を見開いてこちらを見ていた。
「え?」
思わず首を傾げる。
「だって、できるかどうか気になるじゃないですか」
「気になるじゃないですか、じゃないんですよ!?」
リュシアさんが頭を抱える。
「今の流れ聞いてました!?精神系統の危険性とか全部!!」
「聞いてましたけど……」
一拍。
「それとこれとは別じゃないですか?」
「別じゃないです!!」
即答だった。
ほぼ間髪入れない反応に、むしろ少し圧を感じる。
「じゃあこれを読んでみな!」
ミストルティン様は、空間収納から一冊の本を取り出し、私に手渡した。
分厚い、見たことのない装丁の古書。
表面には複雑な紋様が刻まれている。
「古代ではそれが一番わかりやすいって言われてたから、多分大丈夫!」
「絶対大丈夫じゃないです!!!!!」
リュシアさんの叫びが即座に被さった。
だが、もう遅い。
手元にはすでに本がある。
「……読むだけですよね?」
思わず確認する。
「読むだけなら安全よ」
ミストルティン様は紅茶を飲みながら即答した。
「読むだけなら、ね」
一拍。
その“間”が一番怖い。
「とりあえず、読んでみますね」
私がそう言った瞬間、リュシアさんが何かを言いかけて――結局、飲み込んだ。
「……本当に読むだけですよね?」
「読むだけです」
そう答えて、本を開く。
最初の一文を目で追った瞬間、違和感があった。
文字を読んでいる、という感覚が薄い。
代わりに、意味が“直接”頭に流れ込んでくるような感覚。
「……あれ?」
思わず声が漏れる。
次のページへ進む。
そこには術式の構造図のようなものが描かれていた。
見た瞬間、それが“何を意図しているのか”が理解できてしまう。
発動座標。
魔力流路。
属性変換の段階。
それらが当然のように整理されている。
「……これ、そういうことなんですね」
誰にともなく呟く。
ページをめくる手が止まらない。
理解できるからではない。
理解“してしまう”からだ。
気づけば、周囲の声が遠くなっていた。
「エレノア様? 本当に大丈夫ですか!?」
リュシアさんの声が聞こえる。
でも、うまく返せない。
頭の中では、別の何かが組み上がっていく。
まるで最初からそこにあった設計図を、思い出しているだけのような感覚。
「……これ」
一拍。
「ここを省けば、発動効率も使用する魔力量もよくなりませんか?」
そう言いながら、私は机の上から一枚の紙を取り出した。
さらさらと、さっき読んだ古代魔法の術式を書き起こしていく。
線を引き、構造を分解し、不要に見える要素に印をつける。
頭の中ではすでに“削った後の形”が見えていた。
「エレノア様!?まさか試さないですよね!?」
リュシアさんの声が一段階跳ね上がる。
「試す前提の顔してますよね今!!」
「いえ、確認だけです」
そう返しながら、ペンが止まらない。
一拍。
「理論的には、この座標指定って重複してますよね?」
「してません!!」
即答だった。
ほぼ悲鳴に近い。
「でも、神聖魔法の方だと一つで補正してますし……」
「比べないでください!!」
リュシアさんが頭を抱える。
「ちょっとやってみますね」
「やめてください!!今の流れでやるやつじゃないです!!」
制止の声を横目に、私は実験室内とリュシアさんたちへ防御魔法を展開する。
念のための安全措置。
一拍。
息を整える。
「原初より定められし火の理よ」
空気がわずかに変わる。
「万象の火をここに集結し、火球を空間に放出させよ」
魔力が一点に収束していく感覚。
頭の中で“形”が完成する。
「火球!」
一瞬。
静寂。
そして――
掌の前に、小さな光が生まれた。
熱を持った赤い球体。
ゆっくりと、しかし確かに形を保ちながら浮かんでいる。
「……できた」
思わず声が漏れる。
「できたじゃないんですよ!?」
リュシアさんの叫びがすぐに飛んできた。
「今ので普通に発動してるのがおかしいんです!!」
実験室に緊張と混乱が混ざる中、ミストルティン様だけは冷静に術式を観察していた。
「術式に間違いはないし、規模も威力もエレノアの構築通りね……」
一拍。
紅茶のカップを置きながら、満足そうに頷く。
「やっぱり流石私のエレノアね!!!!」
ぐっと親指を立てた。
「そこじゃないです!!!!」
リュシアさんの叫びが即座に突き刺さる。
だが私は、あまり満足のいくものではなかった。
「うーん……」
一拍。
「確かに書いてあった術式よりは消費魔力は少ないけど、現代魔法と比べると消費量が結構多いかな……」
ぽつりとそう分析する。
「比較対象がおかしいんですよ!!」
リュシアさんの即座の叫びが飛んだ。
「古代魔法で現代魔法と張り合おうとしないでください!!」
「でも効率は大事じゃないですか?」
「方向性が研究者なんです!!今やってるのは実験なんです!!」
「そうですか?」
一拍。
「実用ベースにするには、消費魔力って結構重要ですよ?」
何気ない一言だった。
だが――。
「だからなんで古代魔法を“実用化前提”で改造しようとしてるんですか!!」
リュシアさんが即座に叫ぶ。
「普通はまず“発動できるかどうか”なんです!!その次に安全性なんです!!最後に効率です!!」
「でも全部同時に考えた方が早くないですか?」
「早くないです!!危ないです!!」
即座の否定が飛ぶ。
そのやり取りに、今度はアランさんが静かに口を挟んだ。
「エレノア様……リュシアの意見はごもっともですよ……」
一拍。
「普通は段階を踏むものです。いきなり全部を最適化対象にするのは、ちょっと……」
言葉を濁しながらも、明らかに“危険だ”と示していた。
「王城にも古代魔法を研究する者はいます」
一拍。
「ですがまずは、術式が成立するかを確認し、その後に最適化を進めるのが基本です」
静かに続ける。
「同時並行で進めると、間違いなく取り返しのつかない事態になります」
その言葉には、実務側としての経験が滲んでいた。
「そうですか?」
一拍。
「今考えてたのですが、私はもう思いつきましたよ?」
その瞬間。
実験室の空気が、完全に止まった。
「……え?」
リュシアさんの声だけが、ひどく小さく響く。
「ちょっと待ってください今の“思いついた”って何ですか!?」
すぐさま叫びが飛ぶ。
「まだ“成立確認すらしてない段階”ですよね!?今ので“改善案”出すのおかしいですよね!?」
「でも、構造は見えたので……」
「見ないでください!!」
だが、その言葉はもう耳に入っていなかった。
私はまた一枚の紙を取り出し、術式を書き込み始める。
さっき見えた構造を元に、不要だと思った部分を整理し、流れを組み替える。
「ここを簡略化して……」
「この座標指定は統合できるはずで……」
自然と手が動く。
思考が止まらない。
その様子を見ていたアランさんとリュシアさんが、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってきた。
「……エレノア様?」
アランさんの声には、明らかな警戒が混じっていた。
しかし私はそれに気づかないまま、筆を走らせ続ける。
そして横でその紙を覗き込んだリュシアさんが――
「…………っ」
顔を青ざめさせた。
「リュシア?」
アランさんが問いかける。
だが返事はない。
リュシアさんはただ、紙の上の術式を凝視したまま固まっていた。
「それ……」
一拍。
「改造していい類のやつじゃないです……」
かすれた声だった。
「これやってること、古代魔法の専門家でも危険って言うやつですよ!?!?」
リュシアさんの悲鳴が実験室に響く。
その声に、ようやくアランさんの視線が紙へ落ちた。
「……これは」
一拍。
言葉が続かない。
彼の表情が、ゆっくりと強張っていく。
「エレノア様、それは……どこまで理解して書き換えているんですか?」
慎重な問いだった。
「この術式は、魔力の通し方を最適化して、属性変換のときに発生するロスを極限まで減らしたものです」
一拍。
私は淡々と続ける。
「だから、出力に対しての消費効率はかなり改善されているはずです」
言い切った瞬間、室内の空気が変わった。
「……は?」
リュシアさんの声が裏返る。
「それ、普通は“理論研究の最終到達点”とかそういう領域の話なんですけど……?」
アランさんも、紙を見たまま動かない。
「最適化……?」
一拍。
「今、それを“初見で改造した”という認識で合っていますか?」
「初見というか……これ、多分誰でもわかりますよ?」
その一言で、実験室の空気が完全に止まった。
「……は?」
リュシアさんの声が、今度は本気で意味を失っていた。
「誰でも……?」
一拍。
「誰でも、って言いました?」
アランさんの声も、いつになく慎重だった。
まるで“聞き間違いであってほしい”と確認しているようだった。
「術式の規模と難易度の割に無駄な術式が多すぎるのと、魔力の消費スキームに致命的な構文ミスがあったので、それを直した感じです」
一拍。
その説明に、リュシアさんの顔から血の気が引いていく。
「エレノア様……やっていることかなりヤバいですよ……」
かすれた声だった。
「それ、普通は“術式設計者本人が何日もかけて潰すバグ”なんです……」
一拍。
「初見で見抜くものじゃないんです……」
アランさんも黙ったまま、紙を見つめている。
視線が動かない。
むしろ動けない、といった方が近い。
「……これを」
一拍。
「本当に、理解して修正したんですか?」
慎重すぎる確認だった。
「はい」
一拍。
「これ、確実に成立しますよ」
そう言いながら、私は誰もいない実験室の一角へ向けて魔力を流した。
「火球展開!」
先程とはあまりにも違う、短すぎる詠唱。
まるで“手順を省略しただけ”のような言葉。
その場にいた誰もが、成立しないと判断していた。
リュシアさんの顔には「やめてください」が張り付いていて、アランさんもわずかに眉をひそめている。
――普通なら、発動しない。
少なくとも“古代魔法”という体系において、それはあり得ない省略だった。
だが。
何も起きないはずの空間に、火が“当然のように”生まれた。
「……え」
誰の声かも分からない、かすれた音が漏れる。
その直後だった。
空間に浮かんでいた小さな火球が、まるで“溜め”を解除されたかのように一気に膨張した。
さっきの試作とは違う。
魔力の通し方、属性変換のロス、出力分配。
そのすべてが最適化された結果――本来“逃げていたはずの余剰出力”までが、行き場を失って一気に表面化する。
火球は瞬間的に数倍、さらに数倍へと膨れ上がっていった。
「エレノア様!!」
アランさんが即座に踏み込み、私と火球の間に入るように体を構える。
同時にリュシアさんが手を振り上げた。
「防御術式――っ!」
古代魔法の詠唱が走る。
だが遅い。
間に合わない。
構築途中の術式がまだ“骨組み”の段階にあるうちに、火球は完全な発動形へと到達していた。
一拍。
空間が“完成”する。
そして次の瞬間――
火球は、誰もいない方向へと放たれた。
正確に。
まるで最初からそこに向かうように。
「……っ」
アランさんの構えが空を切る。
リュシアさんの術式も、途中で霧散する。
ただ一つ。
制御も誤差もなく最適化された“暴力”だけが、静かに実験室の外へ進んでいった。
「……今の」
リュシアさんの声は掠れていた。
「防御、いらないやつじゃないです……」
一拍。
「当たったら終わるやつです……」
リュシアさんの声は、もはや確信というより諦めに近かった。
「やっぱ思った通りですね」
私は軽く頷く。
まるで“実験結果が想定通りだった”と言うだけの口調だった。
「想定通りって……」
リュシアさんがゆっくり顔を上げる。
「比較したかったので、あえて出力は調整しなかったのですが……想定通りの規模になったので成功ですね」
一拍。
その瞬間、実験室の空気が“理解を拒否したまま固まった”。
「……比較?」
リュシアさんの声が、完全に乾いていた。
「今のを……比較対象にしたんですか?」
アランさんの表情も引きつる。
「つまり、今のは……試験運用の一発目という認識で?」
「はい」
私は頷く。
「古代魔法の最適化後の出力傾向を見たかったので」
一拍。
「ちゃんとデータ取れましたね」
沈黙。
長い沈黙。
先程まで響いていた熱く大きな轟音とは打って変わって、あまりにも静かな空間だった。
焦げた空気だけが、現実に起きたことをかろうじて主張している。
「エレノア様は、戦略級魔導士かなにかですか……?」
アランさんが、冷静を装ったまま静かにツッコんだ。
一拍。
その問いは冗談のようでいて、冗談ではなかった。
「違いますけど」
私は首を横に振る。
「ただの検証です」
沈黙。
「ただの……検証?」
リュシアさんの声が裏返る。
「今のを“ただの検証”って言いました?」
「はい」
即答。
「術式の最適化って、実際に出してみないと分からない部分多いので」
一拍。
アランさんが、深く息を吐いた。
「……王城の魔導師団でも、その規模の検証は“許可制”です」
「そうなんですね」
「そうなんです」
即答だった。
そんな中――
「やっぱエレノアは天才ね!!」
実験室の隅で、ミストルティン様が紅茶を片手に満足そうに頷いていた。
ソフィア様も同じように、どこか納得した顔で軽く拍手している。
「今の出力制御、かなり綺麗だったわよ。ロスも少ないし、座標ブレもないし」
一拍。
「普通に実戦投入レベルね」
「普通に実戦投入って言わないでください!!」
リュシアさんの叫びが即座に飛ぶ。
だがミストルティン様はまったく動じない。
「だって事実だもの」
一拍。
「むしろ初見でここまで最適化入れる方が珍しいわよ」
その言葉に、リュシアさんが絶望した顔でこちらを見る。
「……この人の周り、基準おかしくないですか?」
アランさんが小さく頷いた。
「同意です」
私は首を傾げる。
「でも、効率は良かったですよ?」
一拍。
「ほら」
ミストルティン様が紅茶を一口飲みながら続ける。
「だから言ったじゃない。入口さえ分かればすぐできるって」
リュシアさんは完全に遠い目をした。
「“入口”の基準がもう違うんですよ……」
実験室には、まだ焦げた空気が残っている。
「リュシアさん……」
「なんですか隊長……」
「エレノア様が暴走しないように、24時間付きっきりで頼む」
一拍。
「無理です!!」
即答だった。
「無理ですっていうか!!今ので確信しましたけど!!あの人“暴走”の定義が違います!!」
リュシアさんは両手で頭を抱える。
「さっきのも暴走じゃなくて“検証”って言ってましたよ!?!?止めるタイミング存在しないタイプです!!」
アランさんは静かに視線を逸らした。
「……確かに」
一拍。
「ではどうするべきだと思いますか」
「まず“やる前に止める”が成立しないので、“やった後に被害範囲を最小化する”しかないです」
「それはもう護衛じゃなくて災害対応班では?」
「そうです!!」
即答だった。
そのやり取りを、少し離れた場所でミストルティン様が紅茶を飲みながら眺めている。
「優秀な配置ね」
ぽつりと一言。
リュシアさんはゆっくりと振り返る。
「……どこがですか?」
「だって、ちゃんと止めようとしてるもの」
一拍。
「過去の研究者なら、むしろ一緒に試すわよ」
「やめてくださいその比較!!」
実験室に、再び叫びが響いた。
「とりあえず頼んだ……
私には手に負えない」
一拍。
「隊長!!!!!!!!!!!!!!」
リュシアさんの絶叫が、焦げた空気をさらに振動させた。
「逃げないでください!!責任者ですよね!?!?!?」
「責任者だから判断したんだ」
アランさんは妙に冷静だった。
「ここはもう“現場対応”の領域だ」
「現場じゃないです!!研究室です!!」
「結果として現場になっている」
「最悪の理屈です!!」
一方その頃――
ミストルティン様は紅茶を一口飲みながら、満足そうに頷いた。
「いいチームになってきたわね」
「どこがですか!?」
リュシアさんの声が即座に飛ぶ。
「ちゃんと危機感が共有されてるもの」
一拍。
「昔はこれで全員“試す側”だったわよ」
「だからその昔話をやめてください!!」
実験室に響く叫びとため息。
その中心で、エレノアだけが次の術式を静かに書き進めていた。




