154話 語られる真相、最後に嗤う①
――セレスティア伯爵家・護衛棟地下。
地上では、今日も静かな時間が流れている。
美しく整えられた外装。
落ち着きと気品を兼ね備えた内装。
使用人達の丁寧な所作。
そして何より――
エレノアが安心して過ごせる、“安息の場所”。
セレスティア伯爵家とは、本来そういう空間だった。
だが。
護衛棟地下に設けられた空間だけは別だった。
そこには温かみなど存在しない。
あるのは、ただ徹底的に機能性だけを求められた無機質な空間。
冷たい石畳。
過剰なほど堅牢な鉄格子。
壁面には幾重もの封印術式が刻み込まれ、空間そのものが重く沈んでいる。
置かれている家具も最低限。
ベッドとは到底呼べない簡素な寝床。
粗末な机。
そして排泄用の浄化術式付き簡易トイレ。
それだけ。
快適性など最初から考慮されていない。
ここは“生活する場所”ではない。
危険人物を拘束し、外へ出さないためだけに作られた空間。
そんな拘束房が、護衛棟地下には規則正しく並んでいる。
等間隔に続く鉄格子。
封印術式の刻まれた石壁。
通路へ響くのは、術式維持装置の低い駆動音だけ。
まるで感情そのものを排除したような空間だった。
そして――
その最奥。
最も厳重な封鎖区画。
そこだけは、他の拘束房とは比較にならないほどの警戒態勢が敷かれていた。
複数の封印杭。
二重展開された対転移障壁。
さらに空間固定術式まで常時起動している。
並の犯罪者なら、ここまでされることはない。
だが今回拘束された相手は、“並”ではなかった。
「出ろ。尋問の時間だ」
低い声が地下通路へ響く。
重い足音。
複数の護衛隊員達が、最奥区画へ足を踏み入れた。
そこに収監されていたのは、今回拘束された侵入者達。
男。
女。
年齢も体格もバラバラ。
だが共通していることが一つだけある。
全員が、“異常な拘束状態”に置かれていた。
彼らに装着されているのは、神族が改良を施し、王命錬金護衛隊のみに使用を許可された特殊拘束具。
通常の魔力封印具とは別格。
対古代魔法使い用。
それだけで危険性が理解できる。
枷は首。
両手。
胴体。
足首。
それだけでは終わらない。
指の動きすら封じるため、各関節部へ小型拘束具が取り付けられていた。
さらに巨大な鉄球が鎖で接続され、僅かな動作ですら制限されている。
無数の鎖が、床へ重く垂れ下がっていた。
そして、その端部は全て壁面の固定金具へ接続されている。
逃走。
術式構築。
自害。
その全てを許さない拘束構造。
まるで――
犬のような扱いだった。
だが。
それでも隊員達は警戒を解かなかった。
誰も、この侵入者達を“ただの犯罪者”として見ていない。
「おら! そこの女も、とっとと出ないか!!」
苛立った隊員の怒声が響く。
だが。
呼ばれた女は反応しない。
粗末な寝床へ横になったまま、完全に無視していた。
片腕を目元へ乗せ、まるで昼寝でもしているかのような態度。
当然、演技ではない。
ここまで厳重に拘束され、地下牢へ放り込まれてなお、この態度なのだ。
隊員の眉間に青筋が浮かぶ。
「聞こえなかったのか?」
返事はない。
女は小さく寝返りを打っただけだった。
鎖が重く擦れる音が地下へ響く。
その瞬間。
周囲の隊員達の空気がわずかに変わる。
挑発。
明らかだった。
護衛隊員の一人が舌打ちする。
「随分余裕だな……」
すると。
女がようやく、小さく笑った。
「余裕?」
気怠そうな声。
だが、その声音には妙な含みがある。
「違いますね」
一拍。
「別に、もうどうでもいいだけ」
その言葉に、通路の空気が僅かに冷えた。
護衛隊員の一人が眉をひそめる。
「……何?」
女はゆっくりと身体を起こした。
鎖が重く鳴る。
首輪。
手枷。
足枷。
指先すら封じる拘束具。
それだけの拘束を受けながら、それでもなお女の表情には恐怖が存在しなかった。
むしろ――
どこか諦め切ったような笑みすら浮かんでいる。
「だって、もう終わりなので」
一拍。
「捕まった時点で、私達は切り捨てられてるだけ」
隊員達の表情が変わる。
その言葉には妙な現実味があった。
今回の侵入者達は、あまりにも統率が取れすぎていた。
逃走判断。
術式切断。
証拠隠滅。
どれも“失敗した者を見捨てる前提”で構築されている。
護衛隊長が低く口を開く。
「……所属はどこだ」
護衛隊長の低い声が地下牢へ響く。
女は鎖を鳴らしながら、小さく肩をすくめた。
「所属?」
一拍。
「そんなもの、今回の計画を実行した時点で失っています」
その言葉に、隊員達の空気が僅かに変わる。
護衛隊長が目を細めた。
「切り捨てられた、と言いたいのか」
「最初からそういう契約なので」
女はあっさり答える。
そこに怒りも悲しみもない。
まるで当たり前のことを話しているだけだった。
「失敗したら終わり。捕まったら処分」
一拍。
「だから、今さら所属なんて意味ない」
護衛隊員の一人が舌打ちした。
「随分と薄情な組織だな」
すると女は、少しだけ笑う。
「逆」
「?」
「信用してないから、“切れる”の」
地下牢へ鎖の音が響く。
女はゆっくりと顔を上げた。
「裏切り。拷問。精神干渉」
一拍。
「そんなの、この世界じゃ珍しくもないので」
誰も否定しなかった。
実際、その通りだからだ。
だからこそ、最初から“捕まる前提”で情報を持たせない。
所属を消す。
繋がりを切る。
末端を捨てる。
それが、この手の組織では最も合理的なやり方だった。
護衛隊長が静かに問う。
「……そこまでして、何を狙っていた」
女は数秒黙った。
だが。
次の瞬間、小さく笑った。
「知らない」
「ふざけるな」
「本当に知らないの」
女は壁へ背を預けたまま続ける。
「私は、セレスティア伯爵家の屋敷を偵察しろって言われただけ」
鎖が微かに鳴る。
「どんな計画なのか。何が目的なのか」
一拍。
「そんなの、末端の私に教えるわけないでしょ?」
護衛隊長は無言のまま女を見つめている。
嘘を言っているようには見えない。
だが同時に、全てを信用できるほど甘くもなかった。
女はそんな視線を気にする様子もなく、顎で奥の拘束房を示した。
「聞きたいなら、そこの男に聞いてちょうだい」
その瞬間。
隊員達の視線が一斉に向く。
最奥。
他の拘束房よりさらに厳重な封印が施された区画。
そこには、一人の男が座っていた。
俯いたまま、微動だにしない。
全身へ巻き付く封印鎖。
首から胸部にかけて刻まれた封魔杭。
さらに周囲には、常時起動型の空間固定術式まで展開されている。
別格。
明らかに扱いが違った。
護衛隊長が低く問う。
「……こいつが指揮役か」
女は小さく笑う。
「少なくとも、私達よりは上」
一拍。
「まあ、“本当の上”かどうかは知らないけど」
その言葉と同時。
ずっと沈黙していた男が、ゆっくり顔を上げた。
ギシリ、と鎖が鳴る。
そして。
男は薄く笑った。
まるで――
最初から全てを見透かしているかのように。
「ある程度は分かった」
護衛隊長の低い声が地下牢へ響く。
視線は男から外れない。
「だが、詳しく話を聞く必要がある」
一拍。
「牢から出ろ」
男は小さく肩をすくめた。
「はいはい、分かりましたよ」
妙に軽い返事だった。
だが、その瞬間。
周囲の隊員達の警戒がさらに強まる。
護衛隊長が短く指示を飛ばした。
「封印確認」
「第一拘束維持」
「転移阻害そのまま固定しろ」
即座に複数の隊員が動く。
術式光が地下牢へ広がり、男を拘束している鎖へ追加封印が重ね掛けされた。
「異常なし!! 尋問室に連行します!」
隊員の報告が地下牢へ響く。
同時に、壁面金具へ固定されていた鎖が一つずつ外されていった。
重い鉄音。
擦れる鎖。
拘束された侵入者達は、それぞれ別の尋問室へと連行されていく。
誰一人として抵抗はしない。
いや――
できない。
この地下空間は、それほどまでに徹底されていた。
二重展開された転移阻害。
空間固定術式。
深層監視。
さらに王命錬金護衛隊による常時警戒。
逃走など、最初から成立しない。
女が証言した“男”もまた、隊員達に囲まれながら静かに歩き始める。
だが。
その視線だけは、僅かに周囲を観察していた。
通路構造。
術式配置。
隊員の立ち位置。
逃走機会を探っている。
そう分かる程度には露骨だった。
しかし――
数秒後。
男は小さく目を伏せる。
理解したのだ。
無理だ、と。
この状況では逃げられない。
仮に拘束を外せたとしても、隊員によって即座に制圧される。
男は静かに目を伏せ、小さく息を吐いた。
そして。
無言のまま、尋問室の中へと入っていく。
重厚な鉄扉が閉じられる。
ガコン――と鈍い音が響き、外側から複数の封印術式が起動した。
尋問室。
そこは地下牢以上に無機質な空間だった。
石壁。
固定椅子。
対魔力拘束杭。
そして机を挟むように配置された複数の術式灯。
逃走も、自害も、魔法発動も。
その全てを許さないためだけに作られた部屋。
男は拘束されたまま椅子へ固定される。
首。
腕。
胴。
足。
それぞれを地面に固定された金属椅子へ繋がれる。
拘束具が重い音を立て、一つずつ固定されていった。
首。
両腕。
胴体。
足首。
さらに椅子の背面から伸びる補助拘束鎖が、僅かな体重移動すら制限する。
完全拘束。
逃走など最初から想定していない構造だった。
男は、静かに椅子へ身体を預ける。
抵抗はしない。
その様子を確認した護衛隊長が、机越しに冷たい視線を向けた。
「では、尋問を開始する」
一拍。
「名前はゼノで間違いないな?」
数秒の沈黙。
ゼノの目が、ゆっくりと細まる。
「……何故、俺の名前を知っている」
その声には、初めて僅かな警戒が混じっていた。
だが。
護衛隊長は表情一つ変えない。
「あまり俺達を舐めるなよ?」
冷たい声が尋問室へ落ちる。
「名前も、住まいも、所属していた組織も――既に把握済みだ」
その瞬間。
ゼノの視線が僅かに揺れた。
ほんの一瞬。
だが確かに、“予想外”を悟った反応だった。
護衛隊長は淡々と続ける。
「王都第七外縁区画の十五番地」
一拍。
「そこで違法薬物の製造をしているだろ?」
その瞬間。
ゼノの表情から、初めて余裕が消えた。
視線が鋭く細まる。
「……そこまで掴んでいるのか」
低い声。
先ほどまでの軽薄さは消えていた。
護衛隊長は構わず続ける。
「製造責任者は別にいる」
「流通経路は三つ」
「表向きは香料取引として搬出」
机へ追加の書類が置かれる。
「末端構成員の証言も既に取れている」
ゼノが無言になる。
護衛隊長は静かに椅子へ背を預けた。
「こちらは“何も知らない状態”で尋問しているわけじゃない」
一拍。
「確認作業だ」
その言葉で。
尋問室の空気が変わる。
ゼノも理解した。
これは情報を引き出す段階ではない。
既に外堀は埋まっている。
問題は、“どこまで吐くか”だけだと。
数秒後。
ゼノは小さく笑った。
だがその笑みには、先ほどまでの余裕はない。
「……随分と優秀だ」
「当然だ」
護衛隊長は即答する。
一拍。
「お前達は、何の目的があってセレスティア伯爵家へ侵入しようとした」
尋問室に沈黙が落ちる。
術式灯だけが低く唸り、白い光を淡く揺らしていた。
ゼノは視線を伏せる。
数秒。
何も答えない。
だが護衛隊長も急かさなかった。
沈黙を崩したのは、ゼノの方だった。
「……依頼ですよ」
低い声。
感情を押し殺したような口調だった。
「依頼?」
「ええ」
ゼノは拘束具へ繋がれた腕を僅かに動かす。
当然、鎖が鳴っただけだった。
「依頼人は、クラウゼル男爵」
その瞬間。
尋問室の空気が変わった。
護衛隊長の目が鋭く細まる。
周囲の隊員達にも緊張が走った。
クラウゼル男爵。
その名は、セレスティア伯爵家にとって決して無関係ではない。
護衛隊長が低く確認する。
「……エルンスト・フォン・クラウゼルか」
「ええ」
ゼノはあっさり頷いた。
「目的は――」
一拍。
「セレスティア伯爵と、その養子エリシア令嬢の拉致」
室内の空気が凍りつく。
だがゼノは止まらない。
「そして奴隷として、クラウゼル男爵へ引き渡す」
数秒。
誰も言葉を発しなかった。
護衛隊長の纏う空気が、静かに変わる。
先ほどまでの尋問官としての冷静さではない。
純粋な怒気だった。
「……貴様」
低い声が落ちる。
「その発言が何を意味しているか、理解しているのか?」
ゼノは乾いた笑みを浮かべた。
「理解していますよ」
一拍。
「俺らが所属していた組織は、この依頼を受けるつもりなんてさらさらなかった」
ゼノは椅子へ背を預けたまま、乾いた笑みを浮かべる。
「当然だろ?」
一拍。
「セレスティア伯爵家なんて、真正面から喧嘩売る相手じゃない」
その声には、自嘲が混じっていた。
「なのに、あの男は聞かなかった」
護衛隊長が眉をひそめる。
ゼノは淡々と続けた。
「非常識な要求を押し付けて、自分の意思と我儘を無理やり通そうとした結果が――」
一拍。
拘束された両腕を僅かに動かす。
鎖が重く鳴った。
「このざまだ」
尋問室に静かな沈黙が落ちる。
ゼノは数秒、天井を見上げていた。
やがて。
小さく笑う。
それは、諦めきった人間の笑いだった。
「……笑いたきゃ笑えよ」
「貴族の我儘に振り回されて、最後は切り捨てられる」
一拍。
「傭兵崩れらしい末路だろ?」
だが。
護衛隊長は笑わなかった。
周囲の隊員達も同じだった。
代わりに返ってきたのは、冷え切った声だけ。
「笑う価値すらない」
護衛隊長の視線が鋭くゼノを貫く。
「セレスティア伯爵家へ手を出した時点で、お前達は一線を越えている」
「……だろうな」
ゼノも否定しない。
もう理解していた。
自分達に待っている結末が、決して軽いものではないことを。
護衛隊長は、ゼノを真っ直ぐ見据えたまま口を開く。
「それを証明する書類はどこにある?」
一拍。
「依頼書くらいはあるだろ」
ゼノは数秒黙り込む。
視線だけが僅かに揺れた。
護衛隊長はその反応を見逃さない。
「あるんだな」
「……」
「どこだ」
低い声。
圧をかけるような問いだった。
やがて。
ゼノは諦めたように息を吐く。
「第七外縁区画の酒場……そこの地下だ」
一拍。
「酒樽保管庫の奥に隠し扉がある」
隊員の一人が即座に記録を始める。
ゼノは続けた。
「帳簿と依頼書は全部そこにまとめてある」
「燃やしていないのか?」
「燃やせる状況なら、とっくに逃げてる」
乾いた声だった。
一拍。
「それに――」
ゼノはゆっくり口角を上げる。
「“あの日”交わした契約書には、特殊な魔法陣が織り込まれている」
護衛隊長の目が細まった。
「……魔法契約か」
「完全なものじゃない」
ゼノは首を軽く振る。
「だが、署名時の魔力反応と刻印が残るタイプだ」
一拍。
「偽装も難しい」
その瞬間。
尋問室の空気がわずかに変わる。
ただの依頼書ではない。
“契約そのもの”が証拠になる。
つまり。
クラウゼル男爵自身の関与を、直接証明できる可能性が高い。
ゼノは拘束具へ身体を預けたまま、小さく笑った。
「これで――」
一拍。
「あの男も道連れってわけさ」
その笑みには、憎悪とも諦めともつかない感情が滲んでいた。
利用され。
切り捨てられ。
最後には全責任を押し付けられる。
だからこそ。
せめて自分達を切った相手だけは、地獄へ引きずり落とす。
そんな執念だけが残っていた。
護衛隊長は数秒、無言でゼノを見つめる。
やがて静かに立ち上がった。
「回収班へ通達」
低い声が尋問室へ響く。
「対象物最優先確保」
一拍。
「魔法契約書を絶対に逃すな」
「はっ!」
隊員が即座に動き出す。
慌ただしい足音が遠ざかっていく中。
ゼノは椅子へ深く身体を預け、天井を見上げた。
もう終わりだ。
自分達も。
そして――クラウゼル男爵も。
そんな空気が、尋問室を静かに支配していた。
次回いよいよ2章完結です!




