142話 王都の底で、影は嗤う
前回が死ぬほど長かった分今回少なめです。
あと昨日のNTEの公式配信の内容が思ったより濃くてびっくりしていますw
早く6月3日にならないかなw
王城の地下――そのさらに深く。
陽の光どころか、王城の喧騒すら届かない最奥。
そこにある一室は、存在そのものが秘匿されていた。
王族直属諜報機関。
通称、《影》。
王国の表に記されることのない、王家の目であり耳であり、そして必要であれば刃にもなる存在。
その部屋の中央。
重厚な椅子に腰掛ける男――国王は、静かに視線を上げた。
「報告とはなんだ?」
低い声。
それだけで空気が張り詰める。
周囲に控える数人の黒のローブを纏った者たちは、一切の無駄なく頭を垂れた。
その中の一人が、一歩前へ出る。
「セレスティア伯爵家当主様、及び関係者に対し、繰り返し尾行・接触を試みる者を確認しました」
一拍。
「確認地点は複数。王都外縁、市場周辺、そして――伯爵家周辺です」
陛下の指先が、肘掛けをわずかに叩く。
「……数は」
「確認できているだけで七」
短い沈黙。
だが、その数字の意味は軽くない。
単独犯ではない。
継続的な監視。
それも、明確な意志を持った配置。
「目的は」
「現時点では不明」
即答だった。
「ですが、偶発的なものではありません」
一拍。
「相手は相当の手練れのようで、動きに無駄がありません」
黒ローブの人物は淡々と続ける。
「尾行の精度、接触距離、離脱の判断――いずれも素人のものではない」
「それなりの訓練を受けた者、もしくは常習的にこの種の任務に従事している者と判断されます」
空気がわずかに重く沈む。
単なる監視ではない。
意図を持った配置。
そして、それを扱える人間が動いている。
その時。
部屋の端に控えていた別の黒ローブの人物が、一歩前へ出た。
「補足を」
陛下が無言で促す。
「職務質問、及び拘束を試みました」
一拍。
「ですが、接触の瞬間――即座に転移魔法を使用し離脱」
短い沈黙。
「判断が速いな」
陛下の低い声が落ちる。
「はい」
黒ローブは静かに頷く。
「迷いがありませんでした」
「まるで“捕まる前提”で動いていたかのように」
その言葉に、室内の空気がさらに冷える。
偶発ではない。
見つかる可能性すら織り込み済み。
つまり――捨て駒か、あるいはそれ以上。
黒ローブは続ける。
「転移先も追跡しましたが、座標は巧妙に偽装されていました」
一拍。
「複数の中継座標を経由し、最終地点を完全に攪乱」
「通常の追跡術式では特定不能です」
陛下の指先が、再び肘掛けをわずかに叩く。
「……裏市場か」
誰かが小さく息を呑む。
だが否定する者はいない。
黒ローブの人物は慎重に答える。
「断定はできません」
「ですが、少なくとも“表の人間”ではありません」
一拍。
「これほど綺麗に痕跡を切れる者は、王都でも限られます」
沈黙。
王都の裏側。
そこにしか存在しない技術。
そこにしか育たない人間。
陛下は静かに目を細めた。
「……誰が、そこまでしてセレスティアを狙う」
その問いに、誰も即答できない。
金か。
権力か。
それとも――もっと個人的な執着か。
答えはまだない。
だが一つだけ、確かなことがある。
これは偶然ではない。
そして、まだ始まりにすぎない。
静かな沈黙の中、別の黒ローブの人物が口を開いた。
「……憶測ではありますが」
一拍。
「今回も、ポーション市場の独占が目的かと思われます」
その言葉に、空気がわずかに張る。
陛下は視線を向けた。
「それもあるだろう」
低い声。
だが、そのまま言葉は終わらない。
「だが、何か引っかかる」
室内の空気が静かに張り詰める。
黒ローブたちは誰一人として口を挟まない。
王の思考を遮る者はいない。
陛下はゆっくりと肘掛けに指を置いた。
「ポーション市場の独占を企む者は、必ずエレノア嬢に何らかの形で接触を図っていた」
一拍。
「直接の勧誘、懐柔、買収、脅迫――形は違えど、必ず“本人”へ向く」
静かな断言。
それは経験則ではなく、過去の積み重ねだった。
「だが今回は違う」
低い声が落ちる。
「直近で接触を図った者はいない、と報告を受けている」
一拍。
「……あの場以外では、な」
その一言に、数人の黒ローブがわずかに視線を動かす。
あの場。
誰もが同じ出来事を思い浮かべていた。
王城。
正式な場。
表向きはただの社交。
だが、その裏では明確に“視線”が向けられていた瞬間。
陛下は目を細める。
「あれは偶然ではない」
「むしろ、あれだけが唯一の“正面からの確認”だった」
沈黙。
黒ローブの一人が慎重に口を開く。
「つまり……相手は、あえて接触を避けていると?」
「そうだ」
即答だった。
「接触しないこと自体が目的」
一拍。
「もしくは――」
そこで陛下は、ほんのわずかに言葉を切る。
「既に“接触する必要がない”状態にある」
空気が、明確に冷えた。
それは利権争いではない。
もっと個人的で、もっと深い話だ。
監視ではない。
確認。
選定。
あるいは――回収。
黒ローブの人物が、低く問う。
「対象は……やはりエレノア嬢ですか」
陛下はすぐには答えなかった。
しばし沈黙し、やがて静かに言う。
「断定はまだ早い」
一拍。
「だが、もしそうなら」
その声は静かだった。
だが、王の声だった。
「これは市場の話ではない」
「家の話でもない」
さらに一拍。
「――人を奪う話だ」
その言葉に、黒ローブたちは一瞬だけ息を呑んだ。
室内の空気が、さらに重く沈む。
“人を奪う”
それは単なる誘拐ではない。
利権の延長でもない。
もっと根の深い、執着の匂いがする。
だが――
陛下はそこで終わらなかった。
「そして」
一拍。
低い声が、静かに落ちる。
「真の目的は、エレノア嬢ではない可能性もある」
その一言で、空気がわずかに揺れた。
黒ローブの一人が、慎重に問い返す。
「……それは」
陛下は視線を伏せたまま続ける。
「ポーションは“ついで”だ」
一拍。
「そう見る方が自然な動きがある」
沈黙。
誰もすぐには理解できない。
いや、理解したくなかった。
セレスティア伯爵家を狙う理由として、ポーションは最もわかりやすい。
利権。
供給。
市場支配。
だが、それが主目的ではないとしたら――話は根底から変わる。
陛下は静かに指先を組む。
「尾行対象の広さ」
「接触を避ける不自然さ」
「そして、裏市場を使ってまで確保しようとしている点」
一拍。
「これらは“市場独占”には少々過剰だ」
黒ローブたちは黙って聞いている。
王の思考は、すでに一段先を見ていた。
「市場を押さえたいだけなら、もっと簡単な方法がある」
「流通を断つ」
「素材を止める」
「周囲を買収する」
「いくらでもある」
一拍。
「だが今回は違う」
その声が、わずかに低くなる。
「わざわざ“人”を見ている」
「しかも、表ではなく裏を通して」
静かな断定。
それはもう、商売の動きではない。
「つまり」
黒ローブの一人が、低く呟く。
「……狙いは、伯爵家そのもの」
「あるいは」
別の者が続ける。
「セレスティア家が持つ、“何か”」
陛下は小さく頷いた。
「そうだ」
一拍。
「人か、血か、技術か」
「あるいは――」
ほんのわずかに間を置く。
「本人すら知らぬ“価値”か」
その瞬間。
誰も言葉を返せなかった。
王族直属諜報機関《影》。
その場にいる者たちは、数え切れない陰謀を見てきた。
だが今、この話だけは違う。
輪郭が見えない。
だからこそ、最も危険だった。
陛下はゆっくりと立ち上がる。
「監視を続けろ」
一拍。
「セレスティア伯爵家にはまだ伝えるな」
「相手が何を見ているのか――それを先に見極める」
そして、静かに言い切った。
「もしこれが、“人を奪う話”ですらないのなら」
一拍。
「……もっと厄介だ」
「御意」
黒ローブの者たちが、さらに姿勢を正す。
陛下は静かに視線を落とし、低く命じた。
「第三隊を除き、セレスティア伯爵家周辺の警戒を最大まで引き上げろ」
一拍。
「出入りする人間、物流、転移痕、すべてを洗え」
「少しでも不自然な動きがあれば即時報告だ」
「はっ」
短い返答が重なる。
だが、陛下の言葉はそこで終わらなかった。
「それと――王命錬金護衛隊へ通達」
室内の空気がさらに張り詰める。
王命錬金護衛隊。
王命によって編成された、エレノア専属の護衛部隊。
彼女を守るためだけに存在する、“王家の盾”。
陛下は静かに告げた。
「護衛体制を第二段階へ移行」
一拍。
「常時監視から、常時迎撃へ」
黒ローブの一人が、わずかに息を呑む。
それはつまり――
接近した時点で、敵と見なすということ。
沈黙。
誰も口を開かない。
王はゆっくりと立ち上がる。
「相手が誰であろうと構わん」
一拍。
「貴族でも、裏市場でも、王都の誰であろうとな」
その声は静かだった。
だが、だからこそ重い。
「――我が国の宝に、指一本触れさせるな」
「御意」
短い返答が重なる。
王城の地下最深部。
陽の届かぬその場所で、静かに一つの命令が下された。
それは護衛ではない。
宣戦布告だった。




