受理されない報告
お昼ご飯はレトルトのカレーに決めた。
カセットコンロに小鍋をかけて、ぐらぐら沸いたお湯にパックご飯とカレーの袋をまとめて沈める。こうして火にかけて、温まるのを待っている時間は嫌いじゃない。急ぐ用事もないし、誰かに気を遣う必要もない。茨の壁の隙間から差しこむ昼の光が、机の上に細い縞模様を落としていた。
足元では、ヨツバが土の山から蔓だけを出して、ゆらゆらと日向ぼっこをしている。今日も平和だ。
三分たったところで袋を引き上げて、ご飯の上にカレーをかけた。
湯気と一緒にスパイスの匂いがぶわっと立ちのぼる。たちまち茨のドームの中が、カレー屋さんみたいな匂いでいっぱいになった。ああ、いい匂い。こういうとき、インスタント食品って本当にありがたいと思う。
ひと口食べて、私は少しだけ眉を寄せた。
……甘い。
いや、甘口を選んだのは自分なんだけど。昨日はいろいろあったし、今日はちょっと贅沢にしようと思って、わざわざカレーにしたのに。もう少し辛いやつにすればよかった。
今さらそんなことを思っても、もう遅い。結局、最後まできれいに食べた。
食器を片づけて、出かける支度にローブを羽織る。そこで、肩口がまだぱっくり開いたままなのを思い出した。
……うわ、そうだった。
昨日の戦闘で派手に破れたんだった。直すのは後回しにしていたけど、まさか今日もこの格好で出かけることになるとは。
裂け目を指でつまんでみる。隠そうと思えば隠せなくもないけど、ちょっと動けばすぐに開いてしまいそうだ。
新しい服を作るなり、修繕するなりしたほうがいいのは分かっている。でも、今は管理所に報告に行くのが先だ。戦闘の跡を見せびらかして歩く趣味があるわけはないが、本当に見せびらかしてると思われたら困る。
私は裂け目を手で押さえながら、外に出た。
居住エリアからセンターまでは、歩いて十分くらいだ。
道の脇では、テントの前で洗濯物を干しているおばさんがいた。崩れた塀の上では、子供たちが足をぶらぶらさせて何やら騒いでいる。どこかの家の焚き火からは、魚を焼くような匂いが流れてきた。
こうして見ていると、ここにもちゃんと日常があるんだなと思う。
もちろん、元の世界とは全然違う。建物は壊れているし、住む場所だって十分とは言えない。それでも、洗濯物を干したり、子供が遊んだり、お昼ご飯の匂いがしたり。みんな、できる範囲で暮らしているのだ。
センターに近づくにつれて道は少しずつ片付いていき、瓦礫の山が減るかわりに人の数が増えていった。
割れたガラスの代わりに板を打ちつけた正面入口から、背中に大きな袋を担いだ人たちがひっきりなしに出入りしている。袋の口からは、トゲとか爪とか、角みたいな何かがはみ出していた。たぶん、どれも外で狩ってきたモンスターの一部なんだろう。
泥と汗と、ちょっと生臭い匂いが入口のあたりにこもっている。
うっ。やっぱり、ここは人が多いな……。
人混みは苦手だ。あちこちから声が聞こえるし、知らない人と肩がぶつかりそうになるし、何より、どこを見ればいいのか分からなくなる。
用事だけ済ませて、さっさと帰ろう。
私は人の流れを避けながら、外出申請の窓口へ向かった。
カウンターの向こうにいたのは、あの眠そうな顔の中年の職員さんだった。机の上の書類の山はこの前より確実に高くなっている。その陰には、冷めきったお茶の紙コップが置き去りにされていた。
……相変わらず忙しそうだ。
こんなときに話しかけて大丈夫かな。いや、報告に来たんだから、話しかけないわけにもいかないんだけど。
「はい次の方……おや、汐見さんじゃない。また外? 今度はどこ行くの」
職員さんは書類から顔を上げると、私を見て、いつもの調子で声をかけてきた。
「あ、いえ。今日は外に行くんじゃなくて……昨日、旧植物園に行ってきたので、その報告を」
「ああ、植物園ね。で、どうだった? 門のとこの茨、ヤバかったでしょ。あれを見て引き返してくる人も結構多いんだよ」
やっぱりあの茨は植物園名物だったらしい。
それなら話は早いかもしれない。昨日は本当に大変だったし、入り口の茨も消えている。これで、ほかの人も通れるようになるはずだ。
……ちゃんと伝えないと。
「それが……中には入れたんです。奥に、花みたいな奴がいて。片鉄の花を体にくっつけてて……そいつを倒したら、もう一体が地面から出てきたんです。そっちも倒して、戻ってきたら入り口の茨も消えてました」
話しているうちに、昨日のことが頭によみがえってくる。
今思い返せば、妙な奴を倒したと思ったら、今度は地面からとんでもない化け物が出てくるなんて普通は信じれないだろう。あのときは、次から次へと何なんだと思ったものだ。
でも、ちゃんと倒した。入口の茨だって消えた。だから、そのことを報告しに来たのに。
職員さんのペンが、ぴたりと止まった。
……あれ?
それから顔を上げて、私をじっと見る。半分しか開いていなかったまぶたが、ほんの少しだけ持ち上がった。
「……汐見さん、今なんて?」
「えっと……二体とも、倒したんです」
「いやいや、そこじゃなくて。一人で倒したの?」
「あ、はい。片方はレベル31でしたけど……」
言い終わってから、しまった、と思った。
別に隠すようなことでもないんだけど、わざわざレベルまで言わなくてもよかったかもしれない。聞かれたから答えただけなのに、なんだか自分から話を盛ったみたいになってしまった。
職員さんは椅子の背もたれに体を預けて、ふはっと鼻から息を抜いた。椅子がぎしっと鳴る。
「あのさあ、汐見さん。ほかの地区から一人で歩いてきたってだけで、ここじゃもう十分すごい話なの。それはみんな分かってるから、無理に話を大きくしなくていいんだよ。三十一なんてレベル、聞いたこともないしさ……。門の茨見て、怖くなって帰ってきたんでしょ。別に恥ずかしいことじゃないよ」
「……えぇ?」
いやいや、何をどう聞いたらそうなるんですか。
確かに、怖くなかったと言えば嘘になる。昨日だって、途中で何度も危ないと思ったし、できることならあんな相手とは二度と戦いたくないのは事実だけど、倒したのは本当だ。
入り口の茨だって消えてた。そこまで確認して帰ってきたのに、どうして門の前で怖くなって逃げ帰ったことになっているんだろう。
話を大きくするどころか、むしろ説明を省いているくらいなんですけど。
「ち、違うんです。本当に倒したんです。火で燃やして、それで、核を、こう……」
何とか説明しようと手を動かしたら、ジャベリンを撃ち下ろしたときの格好になった。
カウンターの前で、両手を頭の上から振り下ろす変な人の完成である。
……違う。そういう実演をしたいわけじゃないんだ。
慌てて手を下ろした。後ろに並んでいた人が、さりげなく一歩離れた気がする。
お願いだから、今のは見なかったことにしてほしい。
「うん、うん。燃やしたのね」
職員さんは、子供の自由研究の発表を聞くような顔でうなずいていた。
ああ、はい。なるほど。そういう対応ですか。
私が何を言っても、もう結論は決まっているらしい。
この人、絶対に私を信じる気がないな。そんな感じがひしひしと伝わってくる。
「じゃあ、何か証拠ある? モンスターって倒したら、何か落としたりするでしょ」
「素材がいっぱい……えっと、ありすぎるくらいあって……鑑定したら、魔性植物の生命力と金属がって、ちゃんと書いてあって……」
「鑑定の結果は、俺には見えないからねえ」
「……まあそうですよね」
分かってます。私だって、今の説明で伝わるとは思っていません。
でも、じゃあどうすればいいんだよ!
頭の中に表示される鑑定結果を紙に書き写せばいいのか。それとも、素材をここに並べて、一つずつ説明すればいいのか。
いや、素材なら本当にいっぱいあるんだよ。ありすぎて困るくらいある。
……だからって、窓口に金属の塊を山積みにするのも違う気がするな。
翠魔鋼をひとつ出して見せたところで、今度は「こんなところで何を出してるの」と言われそうだ。下手をすれば、周りの人まで集まってきかねない。
もう十分、人目を引いているのにこれ以上変な勘違いを生んでも困るし……
私が黙りこんだのを、職員さんはそれ見たことかという顔で受け止めて、ぬるいお茶をずずっとすすった。
……その顔、なんか腹立つなぁ。
いや、分かりますよ。いきなり来た人間が、危険な場所のボスを一人で倒したなんて言ったら、疑いたくもなるでしょう。
そこまではいいんです。
でも、最初から嘘だと決めつけて、子供をあやすみたいな対応をする必要はあります?
私、そんなに信用ならない顔してます?
……してるのかな。してるかもしれない。
いやいや、そこは自信をなくすところじゃないな。
「まあまあ、気にしないで。そういう話、週に一回は来るから。ゴブリンの王様倒しました~、とかね。報告はちゃんと受け付けとくよ……『旧植物園攻略、自称』っと」
「じ、自称……」
思わず声が裏返った。
いや、ちょっと待って。
「……あの、それ、わざわざ書かないと駄目なんですか?」
「ん? いやあ、あとで見たとき分かりやすいようにね」
何が分かりやすいんですか。私が嘘つきだってこと?
職員さんは悪びれもせず、書類をとんとんとそろえている。
……駄目だ。この人と話していると、こっちの調子までおかしくなってくる。
しかも、職員さんの声はわりと大きかった。隣の窓口で手続きをしていた、背中に大きな斧を背負った男の人がこっちを振り向く。私と目が合うと、にやにやしながら仲間の肩をつついた。
泥のこびりついたブーツが、床にくっきり足跡を残している。
「おい聞いたか、植物園の攻略だってよ」
「あの幽霊小娘が? 冗談だろ。前に一度近づいただけで足に茨巻かれたぞ、俺」
……幽霊はまあいい。
そこはもう、好きに呼んでくれればいい。
でも、小娘ってなんだよ。 いや、年齢だけなら小娘なのかもしれないけど。そういう問題じゃない。こっちは一応、命がけで戦ってきたんですよ。なのに、まとめて「幽霊小娘」の一言で片づけられるのは気に食わない。
……いや、待てよ。
この人、足に茨を巻かれたって言ってたな。
ということは、実際に植物園まで行ったことがあるんだろうか。だったら、入り口の茨が消えたことくらい教えてあげたほうがいいのではないだろうか。
いや、もうさっき説明したんだった。
……じゃあなんも話聞いてないじゃんか!
私は小さく息を吐いた。
別に、信じてほしくて来たわけじゃない。いや、信じてもらえるならそのほうがいいけど、少なくとも褒めてほしくて報告したわけでもない。
入り口の茨が消えたことを伝えたかっただけだ。
これで、今まで近づけなかった人たちも通れるようになる。そうなれば、植物園から何か持ち帰れるかもしれないし、危険な場所が一つ減ることにもなる。新しい物流ルートができれば助けれる人も増えるかもしれない。
なのに、どうして私は今、窓口で公開処刑みたいなことになっているんだろう。
ひそひそ、というには大きすぎる声が、どんどん周りに広がっていく。袋を担いだ人も、順番待ちをしていた人も、ちらちらとこちらをうかがいはじめた。
さっきまで自分の用事を済ませるのに忙しそうだった人たちが、いつの間にか私の話で盛り上がっている。
……暇なのかなぁ、この人たち?
いや、まあ、暇じゃないんだろうけど。ここにいる人たちだって、外で危険な目に遭っているはずだ。たまには面白い話の一つくらい聞きたくなるのかもしれない。
でも、それならゴブリンの王様の話でもしていればいいのに。
私はローブの裂けた肩口を押さえ直した。こうしていると、ますます変な格好に見える気がする。いや、実際に変な格好なんだけど。
……帰ろうかな。
いや、駄目だ。まだ報告が終わっていない。というか、入口の茨が消えたことくらい、ちゃんと記録しておいてほしい。
何が「攻略、自称」だ。
次に来たときは、もう少しまともに話を聞いてくれる人がいる窓口に並ぼう。そんなものがあるかどうかは知らないけど。
……はあ。
結局、私はここで何をしに来たんだっけ?
そんなことを考えているうちに、窓口の前にはすっかり人だかりができていた。




