青銀の蕾 7
サギリの店はそこから少し歩いた通りの奥の四辻の角にあった。
彼に背負われることもシルヴィアに運ばれることも拒んだミシェリアは足の傷が痛まないように慎重に進み、サギリが開いて待つ扉から店内に入っていく。シルヴィアもすぐ後に続き、さっと視線を走らせて危険がないことを確かめた。
店の中は奥に長く、天井近くには乾いた草花の束がいくつか吊るされ、複数の花と草、樹木、そして海のものが醸し出す複雑な香りが満ちていた。入ってすぐには接客用と思しき机と椅子が並び、奥の棚は薬が収納された引き出しで構成され、隣には大小様々な瓶が並んでいる。
渾然としているが決して不快ではないのは、そう感じられないようサギリが慎重に材料を扱い、作業を行う場所として整えているからなのだろう。
ミシェリアが不安に思わないようにと考えてか、最後に入ってきたサギリは扉を開け放したままにすると「こちらにどうぞ」と接客の椅子に座るように促す。気が抜けたらしいミシェリアがぎこちない足取りで椅子にたどり着くのを見守りつつ、シルヴィアは店内を動き回るサギリを横目で追っていた。
「少し空気を入れ替えますね」
そう言ってサギリが帳を開くと室内が一気に明るくなった。光があると心が和むもので、開いた窓から心地よい風が吹き込むと、ミシェリアもわずかばかり警戒を解いてほっと息を吐いた。
「薬を準備しますので少々お待ちください」
「何か手伝うことはあるか?」
シルヴィアのが申し出るとサギリは控えめに微笑んだ。
「でしたら、お嬢様に付き添っていて差し上げてください。お気遣いありがとうございます」
(……ん?)
薬棚と向き合う彼にシルヴィアは首を傾げた。
(いまの顔。どこかで見たな?)
あの、控えめな笑顔だ。サギリとはこれが初対面のはずなので、よく似た顔や仕草の持ち主と顔見知りの可能性が高い。シルヴィアの知人の、東の一族の血を引く者といえば……。
そのとき、開かれたままの扉から「こんにちは」と顔を出す者が現れた。
「今日は定休日じゃなかったの? お父さん……」
恐らくいつものように足を踏み入れた彼女は、途端にそこにいたシルヴィアたちに目を丸くした。棚を見ていたサギリがその声に振り返って笑う。
「やあ、おかえり。カンナから聞いていた通り、お困りのようだったから声をかけて、店にお招きしたんだよ」
シルヴィアにとって親しい人間の一人、王宮女官のカンナだった。
ぽかんとする彼女にサギリの言い分が正しいことを示すようにひらりと手を振る。シルヴィアの普段の言動を知るカンナなら近しい人間に、往生しているようなら声をかけてやってくれと頼むだろう。
(似ていると感じたのは二人が家族だったからか)
先ほどのサギリの表情の既視感に納得がいった。顔が似ているわけではないが、ちょっとした仕草や表情に共通する部分があるのだ。
休日らしい外出着姿のカンナはシルヴィアだけでなく何故かミシェリアの姿があることに動揺したようだったが、素早く状況を見て取り、戸惑いを隠して女官らしく膝を屈めた。
「王宮にて女官職を拝命しております、カンナ・サギリと申します。ジェイス公爵令嬢ミシェリア様とお見受けいたしますが、もしかして御身に、何か……?」
「いいえ。シルヴィアが心配するものだから、こちらのサギリ殿のご厚意に甘えさせていただいたの。大したことではないから、安心なさって」
柔らかに微笑むことで威厳を保つミシェリアを見て、シルヴィアは(引っ込みがつかなくなったな)と胸の内で呟いた。負傷して渋々手当てを受けることになり、素性を知るカンナがやってきたために気の強い物言いを封じられ、愛想を振りまかねばならないという状況はさぞかし腹立たしいに違いない。
そのうちサギリが薬を手に戻り、カンナが奥の部屋を使った方がいいと処置室へと誘った。しかし手当てはミシェリアが断った。
「あなたの休日の邪魔をする気はないから、気にしないで」
カンナを気遣ったというより淑女の心がけを体現したのだろう。貴人の振る舞いとはなんとわずらわしいものかと思う一方、このおかげでミシェリアが矛先を収めてくれるのでありがたい。
貴人たらんとするミシェリアがサギリに連れられて処置室に消えるのを見届けて、カンナが言った。
「シルヴィア、いったい何があったのか教えてもらえる……?」
もちろん断る理由などない。
自主的に街の巡回を行っていたことから、ミシェリアとサギリの店に至った理由を簡潔に説明する。レオンの出奔はいつものことだが、真面目なカンナなので主君を思ってため息を吐いた。
「ご即位の日が近いし、エマリア姫様もご婚姻がお決まりになったし、ご自身はお妃様の選定に入らなければならないしで、きっとご心労が溜まっていらっしゃるのね。外出が息抜きになればいいのだけれど」
「逃げれば逃げるほどその後の負担が大きくなるのに、懲りないやつだ」
呆れて言うと、何故かカンナは心当たりがありそうな儚い微笑を浮かべた。
「……そうね。時機を逃して、勇気が出せないままでいると、取り返しがつかないことになるのと同じ」
呟いたカンナはシルヴィアの目から逃れるように身を翻した。
「城に戻るための馬車を捕まえてくるわ。辻馬車でも、お怪我をなさったミシェリア様に徒歩は負担になると思うから」
だが店を出る直前、思い直したように振り返った。
「……城に戻ったら少し話を聞いてくれる?」
「もちろんだ」
勢い込んだ返答になってシルヴィア自身も驚いたし、カンナも意外そうに目を開く。そしてふわりと柔らかな笑みを浮かべたカンナは、どこか軽くなったように見える足取りで馬車を探しに出て行った。
しばらくしてミシェリアは手当が終わり、平身低頭に辻馬車を勧めるカンナを鷹揚に許して大人しく座席に収まった。
「私は父に用があるから、シルヴィアは……」
「ああ、ミシェリアを護衛がてら一緒に戻ることにする」
城に戻るまでの間にミシェリアに危険が及ばないとは限らないのだから、そう告げるとカンナは心底ほっとしたようだった。
サギリにはミシェリアの分まで礼を言い、カンナにはまた後でと告げ、シルヴィアは馬車に乗り込んだ。
「……どうしてあなたも乗ってくるのよ」
「護衛だ。君は一応貴人だろう」
端的に答えると「『一応』は余計よ!」と声を荒げられたが、馬車から追い出されることはなかった。
辻馬車はひどく揺れた。徒歩なら障害と感じられない道も、馬車になると激しい振動をもたらす。
木材を渡しただけのような粗悪な椅子に足元をぶつけるも、【戦乙女】の身体機能ゆえに痛みに強いシルヴィアはその乗り心地を興味深く観察していたが、その隣ではミシェリアが「最悪……」と顔を歪めていた。竜神殿行きでエマリアが乗っていたような馬車が日常なら、彼女のような肉付きの薄いただの少女に、この衝撃はさぞかし辛いことだろう。
仰ぎ見る丘の上に石の城が見えてくると、見知った景色に気付いたミシェリアがあからさまに安堵の表情を見せた。けれど車内にも関わらず街を振り返ってしまうのはレオンが心残りだからか。
(ミシェリアはそこまでレオンに執着しているのか)
理由を聞こうと口を開きかけ、だがその必要はないと思い直した。
何故そこまでレオンを気にするのか、それは。
「お嬢様!」
門前で下車したミシェリアが「乳母や」と駆けつけてくる女性に笑みを見せる。どうやら彼女が待機を命じられていた付き添いらしい。
「ああ、ああ、よかった! なかなかお戻りにならないので、捜索隊を出していただくべきかと考えていたところでした」
「相変わらず過保護ね。わたくし、そんなに子どもではなくってよ」
「レオンを見失った上に、迷子になって、足を負傷したくせに」
シルヴィアがぼそりと呟けば、ミシェリアはまた目を三角に吊り上げてこちらを睨んだ。だが乳母やに無理やり身体を捻られて向き合わされる。
「まさかお怪我を!?」
「だから大したものじゃないってば。ただの靴擦れよ。街の薬屋に手当てをしてもらったから後で代金の支払いとお礼をお願いね」
あっさりしたミシェリアの返答に乳母は眉尻を下げてため息を落とすと、次はシルヴィアに向き直って深々と一礼した。
「お嬢様を助けてくださってありがとうございました。王宮はともかく城下街には不慣れな方ですので、頃合いを見て後を追ったのですが見つけられず、必死にお探ししていたところでした」
ミシェリアの単独行動は無理があると判断してすぐに追いかけたという乳母にシルヴィアは深く頷いた。
「賢明な判断だ」
「何ですって!?」
「お嬢様! 恩人に向かってその態度はいけません」
乳母とは貴人の母となって子育てを行うという。そんな女性の常識的な叱責にミシェリアはぐぐっと言葉を飲み、ぷいっと明後日の方向を見た。絵に描いたような不満顔だった。
本城へ戻る二人にそのまま同行したのはミシェリアが気を変えてレオンを探しに行きそうな気がしたからだ。
実際に度々乳母の顔を見ては微笑みを返され、後ろを歩くシルヴィアを振り返ることを繰り返して、ようやく諦めたようだ。どうにもならないとうんざりしたようなため息を吐いた途端、人が変わったようになった。
伸びた背筋はしなやかな若木のように凛と、猫のように優雅に。
裾を乱さず滑るような歩みで貴人の威厳を表現して。
しかしすれ違う者たちには会釈し、柔らかく愛想のいい笑顔を振りまくことも忘れない。
(……なるほど?)
これが『完璧な令嬢』なのか。
しばらく観察し、色々なものが腑に落ちた。確かに貴人であると自負するだけある。
「ドレスの仮縫いの後は舞踏のお稽古の予定ですが、お怪我をなさっているのなら変更なさいますか?」
「そうね。大事をとって休むわ」
「かしこまりました。では代わりに音楽の先生をお呼びいたしましょう。ただ休むというわけにはいきませんからね」
だが貴族の娘を誇張するわりには乳母に幼子のようなむくれた顔をする。別の学習が割り振られて唇を尖らせるミシェリアの、淑女らしくあろうとしながらあどけなさが垣間見える言動をシルヴィアは興味深く見つめていた。




