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天望の繭 8

 竜神殿に向かう前に、レオンはまず、竜の剣の持ち主に関係すると考えられる各所に問い合わせを行った。竜神殿、他の神殿、巡礼地となる聖堂。近隣諸国にも心当たりがあれば教えてほしいと書状をしたためた。時間がかかることを承知で遠く離れた焔牙山のエヴルセム大神殿にも問い合わせを送ってある。

 そうして政務の傍ら、竜神や竜、竜の民、竜の剣について調べた。

 少しでも手がかりがないか、竜の剣の持ち主を見つけ出すきっかけにならないかと時間があれば図書館に籠った。仕事を放って街に繰り出すわけではないせいかルヴィックの小言は一つも聞かれず、むしろ積極的に手伝ってくれている。そしてもう一人、思いがけない協力者が現れていた。


「竜騎士について調べてみましたが、そもそも関連する書籍が多くありません。司書官にも確認を取りましたし、図書館に入り浸っているこのアリエスも断言いたします」


 タイタンにも剣より本が好きだと断言される、王国騎士団長ゲイル・アリエスだ。

 針のような細身で片眼鏡をし、髪を撫でつけた洒脱な姿は、文官と言われた方が納得がいく。だが剣の腕はもちろん、国内の治安維持と他国への援軍派遣に際しての見事な差配ぶりは、タイタンとの賭け札で勝利して騎士団業務を押し付けていることからも明らかだった。

 そんなアリエスなので、レオンが連日図書館に通い詰めているのに興味を覚えたらしい。エマリアを取り巻く状況はすでに耳に入っていたようで、図書館で過ごす傍ら、レオンの調査に手を貸してくれていた。


「ルヴィックはどうだ?」

「わかったのは、今代の竜騎士は剣の持ち主になって長いというくらいでした」


 西の小国、それも善き力の薄い土地だ。竜や竜の民のような強大な魔力を有する古い種族に、このような地は縁遠い。関わりがないと情報の集積もほとんど行われていないのだ。

 ルヴィックの告げた情報はレオンも手に入れていたが、問題はその信憑性だ。剣の持ち主は不老不死を得るが、情報が伝わりにくいこの国に代替わりが伝わっていない可能性は高い。


「蔵書を見直して、不足している分野を補う必要がありそうだな」


 などと冗談半分に本気で言っているときだった。

 部屋の外で、警備の者と何者かが押し問答をしている声が聞こえてきた。


「殿下」


 アリエスがルヴィックへレオンの近くにいるよう目配せし、自身は扉の方へと向かう。警戒して沈黙する室内にますます高くなった声が届いたが、耳を澄ませていたレオンはしばらくして片眉を上げて首を傾げた。アリエスもわずかに警戒を解く。何故なら脅威になるとは考えづらい者の声だったからだ。


「あの声は、サアラ・リースですか」

「さては何かあったな。ちょっと出て来る」

「あなたが出る必要はありませんけど!? ちょっ、殿下! 聞いてください!」


 ルヴィックの声を無視して執務室を出る。廊後ろにはアリエスがいるのだから、何かあったとしても対処は可能だ。そうしてルヴィックたちが詰める秘書室から廊下に出る扉を開けた途端、わっと声が押し寄せた。


「だからっ、緊急事態なんだってば! 順番とか言ってないで殿下に取り次いで! 早く、早く早く早く! はーやーくー!」

「急ぎなのはわかったから、用向きを言ってくれと……」

「そうだな、何があったかまず聞きたいな」


 サアラと警備兵が同時にこちらを見て「殿下!」と叫ぶ。ほっとする警備兵とは正反対に、サアラは勢いを増してレオンに迫ってきた。


「殿下、殿下っ、たったたた大変なんです、しっ、シルヴィアが!」


 その名を聞いた瞬間レオンは笑みを消した。

「どこにいる?」


「こっ、こちらです!」


 サアラは飛び上がり、兎のようにぱっと走り出す。

 後を追うレオンに、同じように張り詰めた面持ちのルヴィックと面白がるようなアリエスが続く。

 ヴィンセント王国に招いた戦乙女。人の世を知らない、澄んだ目と魂を持つ少女の姿をした幼い女神は、純粋すぎるせいか思いも寄らない状況に陥る。戦闘に秀でた存在だからこそ、いとけない心が取り返しがつかないほど傷付くことのないようにすることが自らの役目だとレオンは思っていた。

 やがてやってきたのは女官と侍従たちの宿所である麓の棟だ。大半が勤務中で、非番者がそれぞれの部屋で過ごしているひっそりした廊下に、サアラを先頭にしたレオンたちの早い足音が忙しなく響く。

 最上階にある女官長室は本城の女官長執務室とは異なり、オリエの私室に当たる。

 そこに何故かランディが扉を背に腕を組んで立っていた。


「殿下! わざわざのお越し、痛み入ります!」

「何よ、その言い方。ランディが殿下を呼んだわけじゃないでしょ! 少々お待ちください、殿下。中の様子を見てきますから!」


 ぱっと表情を明るくして姿勢を正して頭を下げるランディに、サアラが呆れた様子でぴしゃりと言う。互いに睨み合う険悪な雰囲気になったものの、サアラはつんと顔を逸らすと、彼の横をすり抜けて室内に入っていった。

 残されたレオンはいまにも扉に向かって舌を出しそうな顔でいるランディに声をかける。


「ランディ、お前はどうしてここにいる? シルヴィアに何があったのか知っているのか?」

「いえ! 俺は血相を変えたサアラに古着をくれ、女官長室に持って行ってと言われただけです。言う通り服を持ってきたらあいつらに引ったくられて、説明もないし中に入るなって言われるし、もう何がなんだか」


「あいつらとは?」とルヴィックが尋ねると、サアラとカンナだという。室内にはオリエをはじめ、レオンがシルヴィアの見守りにつけた女官たちが全員揃っているらしい。


(古着が必要? 魔物と戦いでもしたのか。まさかエマリアの件で独断専行した?)


 姉王女エマリアとの面会の後、シルヴィアに何か芽生えたようなのは感じていた。動揺したところを見せてしまったせいか、何やら落ち込んでいたようだったのでお忍びの散策に誘ったのだ。お前は何一つ悪くない、気にしなくていいと言うつもりだった。

 だがそれを忘れるくらい、シルヴィアの成長に驚かされてしまった。時計塔でのやり取りは彼女の心や感情が豊かになったからこそのもので、レオンも誰にも明かしたことのない自らの夢を語ってしまった。


 シルヴィアの淡く熱を帯びた美しい笑顔は、いまもレオンの胸の内側にきらめいている。


 だからレオンを助けると言った彼女が何らかの行動に出る可能性は十分にあった。そういう行動力と迷いのなさを持つのがシルヴィアなのだ。

 そこで扉が開いた。誰かが応対に現れるよりも早く、レオンは扉を掴んで無理やり開かせるようにしながら尋ねていた。


「シルヴィアは?」


 そこにいたのはオリエだった。目を丸くして、嗜めるように眉をひそめた苦笑いを返す。


「こちらにおいでです。どうぞ、お入りください」


 許可と同時に大きく室内に踏み込む。姿を探すと、薄く扉が開いた隣室から声がしている。


「……は、詰めなくても大丈夫そうね。よかったわ」

「ランディの古着が役に立ってよかったぁ。でもむさい男のお下がりはないよね。花剣の騎士様にお願いしてみる?」

「好みがあるでしょうし仕立ててもいいと思うわ。お城のお針子か街のお店で……、サアラ」


 こちらに気付いたカンナが呼びかけ、サアラと並んでレオンに頭を下げる。だが彼女たちに応じる余裕はなかった。

 レオンの目は、彼女たちが手を貸していた少女に囚われてしまっていた。


 無垢そのものの銀の髪が、影を含みながら輝いて流れ落ちている。小さな頭、華奢な身体、手足は細く、全身に少女らしい健やかさと優美さを備えていた。瞳は黒。神々の秘める深淵の色に、純粋さと好奇心と冷静さの輝きを抱いた漆黒だ。


「シルヴィア」


 しかし振り向いた彼女はレオンの知る「少女」ではない。


 幼い背丈は十代半ばの少女のそれに。首はほっそりと長くなり、子どもらしい大きさが目立っていた目は凛々しく涼やかな印象に代わっている。少年が着るようなシャツの胸元は緩やかに膨らみ、ベルトで締めた腰はますます細い。

 これが人であるならば、三年後五年後は絶世の美姫と取り沙汰される、花の蕾のごとき姿。


「レオン」


 ふっくらとして薄く色付いた唇がレオンを呼ぶ。

 わずかに低くなり年相応の落ち着きを持った玲瓏な声を紡いで、唇がわずかに弧を描いた。困ったなあ、と、自らの変化を笑うように。


「――ドレスを仕立てなくてよかったな?」


 昨日までの身丈で誂えた衣服はすべて無駄になるという皮肉に、レオンはこれが現実であることを知った。


 不完全な少女体のシルヴィアはこの日、十代半ばの姿に成長を遂げたのだった。

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