運命の君 1
どさっ、と落下の衝撃を受けてシルヴィアは黒い瞳を瞬かせた。
何が起こったかわからない。身体が鈍く痛む。先ほど座っていたはずの鞍が遠い。馬は困惑して足踏みしているが、そうしたいのはシルヴィアの方だ。
「シルヴィア!?」と音を受けて振り向いた周囲の面々がわっと駆けつけてくる。
(……騎乗して、馬に声をかけながら手綱を握って、周囲の様子を見ようとした、だけのはずだが……)
「大丈夫か、お前」
「戦乙女が落馬ー? 珍しいこともあるもんだね」
黒剣隊の隊士たちが頭上で言い合うのを聞きながらシルヴィアは自らの状態を確認する。咄嗟に受け身を取ったので怪我はない。手を握ったり開いたりしてみるが、違和感もないし、不具合も感じない。
だが、落馬した。【戦乙女】としてはありえない状況だ。
(ここに来て不完全な部分が顕在化したのか、それとも身体の成長による一時的なものか。判断がつかない)
肉体の変化による不調は、実際に感じている。以前よりも身長が伸びて手足が長くなったせいでしばらく何かにぶつかったり、跳躍したときに思ったよりも高く飛び過ぎたりする。何かに引っ掛けられたように身体の部位が軋んで反射的に動けなかったこともある。このままいけないと思い、騎士や隊士たちと手合わせを重ねて、これでもましになった方なのだ。
「全員、出立の準備はできているか」
そこへタイタンとルヴィックを連れたレオンが姿を現した。普段通りの装いの二人とは異なり、レオンだけは黒剣隊の隊長としての黒い装束に装備を身につけ、腰に剣を帯びている。
これからレオンはエマリアとともに、彼が選抜した者と花剣騎士団の女性騎士たちを護衛として国内南部にある竜神殿へと向かう。
女性王族の近衛である花剣騎士団は、現在唯一の女性王族であるエマリアが公務を行えない状態が長く続いているため、普段は他の騎士団に派遣される形で警備や護衛、戦闘任務を行なっていた。今回の旅は彼女たちの騎士としての本分と言えるだろう。
花剣騎士団の団長シェリーは普段から訓練の相手に名乗り出ることもあり、シルヴィアを見込んで頼りにしてくれているようだが、だからこそ思う。
(花剣騎士たちがいるなら、私は必要ないのかもしれない)
この旅の一行の中にはシルヴィアも含まれている。竜の剣の呪いの存在を指摘した責任を取るべきだと考え、同行しないわけにはいかないと身体を慣らしていたが、出発直前のいまでも落馬してしまうのだから、旅の同行は辞退した方がいいのではないか。その方がレオンたちに負担はかかるまい。
戦えない【戦乙女】に、意味はない。
(それは嫌だ。すごく嫌だ。だが……)
竜の呪いのことを告げたのは自分だ。見届ける責任があるし、彼らを見守り、助けたいと強く思っている。
だが迷惑や重荷になりたくない気持ちはそれにも増して大きかった。
冷静な思考は旅の同行を辞退すべきだと告げている。だが別の部分でそうしたくないと思っている。真逆の考えのどちらを選ぶこともできず立ち尽くすように思い悩んでいると、レオンの方から声をかけられた。
「シルヴィア。落馬したと聞いたが、大丈夫か?」
「……レオン……」
戦闘要員にはできないから。危険だから。そうした理由で待機するように言われるに違いないとシルヴィアが無意識に肩を落とすと、ふっ、と静かに笑う気配があった。
「頼みがある。できれば、姉上についてやってくれないか」
できれば遠慮してくれないか、そう続くはずだという予想を裏切られ、シルヴィアは目を瞬かせた。
彼が指し示す先には馬車が二台。一台はエマリアの世話をする女官や薬師たちが、もう一台はエマリアと付き添いの者たちが乗り込む予定だと聞いている。
「姉上が、よければ道中の話し相手になってほしいと言っている。俺も、お前と姉上は近くにいた方がいいと思う」
なんとなくだが、と曖昧な言い方は根拠のない直感を意味している。特別な力や能力は持たないただ人の感覚は侮れない。戦う者ならなおさら、そういった感覚は重んじるべきだ。それは時に天啓となる。命を拾うきっかけになるのだから。
(私が不調だと知って気遣ったのか)
もしはっきりと不調を指摘され、馬車に乗れと言われたら、シルヴィアは固辞しただろう。別の者を連れて行け、自分は残ると主張したはずだ。だが、どうやらそうではないらしい。
「わかった。君がそう思うのなら言う通りにしよう」
「ありがとう。助かる」
シルヴィアは迷いを飲んでエマリアの馬車に乗り込むことにした。
二台あるうち王家の紋章付きの馬車がエマリアのものだ。「失礼する」と呼びかけて扉を開くと、クッションを敷き詰めた椅子と毛布に埋もれるように座るエマリア、彼女の向かいの席にカンナとサアラの姿があった。二人は女官の装いに雨風をしのぐ外套を身に纏っている。
「あっ、シルヴィア! いらっしゃい!」
「サアラ……あなたの家じゃないのよ……?」
やり取りを聞いてエマリアがくすくすと控えめな笑い声を立てている。
エマリア付きではない彼女たちが同道しているのはレオンの采配による。
寝ついてばかりで外出もままならないエマリアに、自分の見聞きしたことを身振り手振りを交えて面白く話すことのできる者はサアラを置いて他にはいないと断言したらしい。少々賑やかすぎはしないかという意見が出たようだが、エマリアの世話係兼サアラを制止する役目を負うことのできる人間としてカンナを選ぶことで他の者を納得させたようだ。
こうして少し奇妙な同乗者たちと相成ったわけだが、そこにシルヴィアが加わるのはさすがに、いいのだろうか、と思わないでもない。
「シルヴィア、早くこちらにいらっしゃいな」
真っ白な手を閃かせてわくわくしているらしいエマリアが呼ぶ。
今回の旅の主役が何とも思っていない、むしろ歓迎しているのならまあいいのだろう。そう自らを納得させてシルヴィアはエマリアの隣に腰を下ろした。
「ごめんなさいね、あなたの仕事の邪魔をしてしまって」
「いや。私の方こそ、車内が狭くなってすまない」
微笑むエマリアの頬は以前より血色がいい。調子を整えては今日を迎えたはずだが、興奮か発熱か、感情が昂っているせいなのは間違いない。車中ではなるべく睡眠を取らせた方が良さそうだ……などと思考するシルヴィアを、エマリアは青い瞳をきらきらとさせて見つめている。
「……私の顔に、何かおかしなところがあるのか?」
「いいえ。話には聞いていたけれど、初めて会ったときより本当に成長しているのね。あのときもとっても可愛らしかったけれど、いまもとても綺麗だわ。いくつくらいまで変化するのかしら? 大人になったあなたはきっと素晴らしい美女なんでしょうね」
シルヴィアの外見が成長したことはすでに城中の者が知っているが、今日が顔を合わせて二度目になるエマリアには物珍しく映ることだろう。熱心な視線の意味に納得していたら、途端に向かいから声が飛んできた。
「そう! そうなんですよ! 以前は世界一可愛らしかったけれど、いまは世界一麗しい美少女で! いずれは絶世の美女になることが約束されているんです!」
カンナが「サアラ、声を落として……」と困り顔で窘め、シルヴィアは困惑して眉を寄せる。
「期待しているところ申し訳ないが、私は【戦乙女】として欠陥品で、これ以上成長するとは限らない」
「いいえ、きっとそうなるわ。楽しみね」
「ほら、姫様もそう仰っているわ! 諦めないで!」
(諦めるなどという話ではないのだが……)
何か通じ合ったらしいエマリアとサアラに水を差すわけにはいかず、ああうんそうだなと曖昧に頷くシルヴィアを置いて、サアラはますます勢いに乗っていく。
「いつかドレスを仕立てましょう。この国の名だたる職人の力を結集した、この世で一番美しいドレスを! 靴や装飾品も全部! そして職人の国ヴィンセントの名を世界中に轟かせましょう!」
「ドレスを着て戦うわけにはいかない。仕立てるならドレスより武具がいい」
「またそんなことを言って!」
そのとき馬車の外がにわかに慌ただしくなった。気配が届くと同時に扉が軽く叩かれ、レオンが顔を見せた。
「姉上、出発します。どうか無理をなさらないよう、何かあれば近くにいる者にお伝えください」
「わかったわ」
「サアラ、カンナ。シルヴィアも。くれぐれもよろしく頼む」
「かしこまりました」と元気なサアラと落ち着いたカンナの応答、シルヴィアが深く頷いたのを見届けて、レオンは微笑んだ。
しばらくして「出発!」というレオンと「ご出立!」と応じるルヴィックの声、「いってらっしゃいませ」と居残る者たちの見送りが届き、馬車が動き出す。エマリアの竜神殿への旅が始まったのだ。
「姫様、もしご気分が優れなければ、すぐに私どもにお知らせください」
「馬車って結構揺れますもんね。おしゃべりしていたら酔わないって言いますけど」
「そうなのね。だったら何かおしゃべりしましょう」
乗り物に酔わないように馬車の振動から気を逸らす行動は有効である。だが何かと言われても話題が思いつかないシルヴィアだ。カンナはカンナで、エマリアの心身を消耗させることは避けたいと顔に描いてある。すると案の定会話の主導権はサアラが握ることになった。
「姫様って普段はどのようにお過ごしなんですか?」
さすがのシルヴィアにもかなり配慮のない質問だとわかった。カンナも青い顔で同僚の袖を引く。
「サアラ……」
「だって気になるんだもの! 私はカンナと違うし、お側に上がれるのはごく一部の女官だけだし、そうした人たちはみんなエマリア殿下のことを『素晴らしく優しいお方』だとか『努力を怠らない立派な方』って言うし!」
「そのように言われているの?」
エマリアも意外だったようで青い目を瞬かせる。
「はい! 熱を出しても咳をしていても、お世話をする者の不調に気付いたときは速やかに休暇を取るように指示したり、一度引き受けた政務は必ず完遂したり、すごくご立派な方だって聞いています」
まあ、と小さく漏らすエマリアの視線に、カンナは微笑みと頷きを返してサアラの言葉が嘘偽りないことを保証する。
「だから姫様がどんな毎日を過ごしているのか、たとえば今日の朝ごはんは何だったのかとか、好きな食べ物は何かとか、もっとも好まれるお茶はどれなのか、何でもいいから知れたらいいなと思ったんです。せっかくこうして馬車に乗り合わせたんですから!」
サアラの底抜けに明るい笑顔に、エマリアは大きく見張っていた瞳を柔らかに緩めた。
「……そうね、こんなこと二度とないでしょうしね」
「そうですね! これから三度も四度もありますから!」
言葉の意味を取り違えてさらなる幸いを紡ぐサアラと青い瞳を熱と涙でわずかに潤ませたたエマリアを見比べて、シルヴィアはカンナと視線を交わして微笑んだ。
思いがけず乗り合わせた者同士ではあったが、間違いなくエマリアにとって良き出会いとなったようだった。話し上手のサアラは聞き上手で、シルヴィアもエマリアの人となりを知るきっかけとなった。
エマリアは、パンをスープに浸して焼いたものと季節の果物をいつも朝食にしているらしい。旬のものは滋養になるからと医師の指導があったと聞いて、サアラは「じゃあ秋になったら実家から茸を送ってもらいましょう!」と返し、続いて「好きな食べ物は何ですか?」と尋ねる。そのようにして好きな物語や音楽、興味のある事柄といった他愛ないやりとりを繰り返す。
「特技はあるんですか?」
「そうねえ……病気になることかしら?」
というぎょっとするような冗談も飛び出すようになった。「それなら私は病気にならないことですね!」と返したサアラの胆力を見習いたい。
微笑ましいときもあればはらはらさせられる道程は何度かの小休止を挟み、日暮れ前に到着した館で一日目を終えることになった。




