父の思い
月曜から出張で留守をしていた勝が帰ってきた。
ダイニングテーブルの前に座る父親に、夕食を並べながらおずおずと切り出した。
「あの・・・話しがあるんだけど・・・」
「どうした?」
「食事がおわったらでいいから、聞いてください」
「何の話し?」
勝は食事をしようとしていた手を止めた。
「あの・・・留学したいの」
「留学?」
「夏休みの四週間だけ。アメリカの大学のサマースクールに行きたいの」
「食べ終わったら、後でちゃんと聞こう」
「じゃ、資料を取って来るね」
純は勉強部屋から、憲人にもらった資料を取って来た。
『階段事件』のせいで、資料を入れた袋は汚れて角が破けている。純は敏の姿を思い出す。
勝が食事を終え、リビングに移動した。
純は食べ終わった食器をキッチンのシンクにいれたままにして、食後のコーヒーを持って行った。
勝は資料に丁寧に目を通している。
「留学も悪くないね」
「そう?いいの?」
反対されるかと思っていたから、思わず声がうわずる。
「これはダメだけれどね」
資料を純に差し戻した。
「え?」
「四週間じゃ意味が無い。行くなら最低でもニ、三年は行かなけりゃ意味がないんじゃないかな?
アメリカで、もし音楽を勉強したいなら、それに加えてあと二年以上・・・」
「待って・・・そこまでは・・・」
「じゃ、何のために留学したいんだ?」
「え、それは・・・」
「留学は勉強のためにするもんだろう?遊びに行くつもりなのか?」
純は、浅はかな考えを指摘されて、うつむいて黙り込む。
事前に考えていた言葉すら出てこない。
「遊びに行きたいなら、べつに四週間も行く必要はないんじゃないかな?留学したいなら、本腰を入れて行きなさい。アメリカで勉強するだけの理由が明確なら、それはそれで応援するし援助もするよ」
「うん・・・はい・・・」
純は返事以上の言葉が出せなかった。
憲人のように、コンクールの副賞としてのサマースクールというわけでもないし、黙って父親の言葉に従うしかなかった。
「いい機会だから、進路について話しをしないか?」
「え?」
「前から、話しをしなければ、と思っていたから、ちょうどいい機会だ」
「あ、はい・・・」
純が思っていたのとは違う展開になってしまった。『後悔』と言う文字が頭をよぎる。
助けを求めるように、飾り棚の母親の写真を見る。
バイオリンの発表会の時の、純と一緒に写っているもの。車椅子に乗っている写真だ。それが、一番最後の写真だから。
写真を見つめる純を、勝が見ている。
「純は、進学するんだろう?大学に」
「ええ、はい。そのつもりで勉強してる・・・」
「大学は、音楽を専攻するつもりなの?」
勝は、純が思っていたよりもずっと優しい声で問いかけた。
「できれば・・・」
「できれば・・・って、曖昧なんだね。なんで曖昧?」
「ママみたいに、音楽教室の先生になるんだって、ずっと思って来たけど・・・」
「けど?」
「私は先生っていう職業に向いていないんじゃないかって・・・そんな気がして」
「そうか・・・」
「それに、お父さんは私に会社を継いで欲しいんでしょ?」
「どうしても音楽をやりたいなら、また話しはべつだけどね。無理にとは言わないけれど、継いでくれたら嬉しいね」
「やっぱり?」
「ママのお父さん・・・お祖父さんがつくった会社を私が継いだから、出来れば純か、純の結婚相手に継いでもらえば、と思ってる。ママもひとりっ子で、きょうだいもいなかったし・・・」
「だから?だから私を伊藤建設の息子さんと、お見合いさせたの?」
勝はいぶかしげな顔をしている。
「なに?和幸くんのことを言っているのか?お見合い?どういうことだ?」
「食事会をしたのって、お見合いじゃないの?」
「もしかして、伊藤建設の御一家との食事会のことを言ってるの?」
「ええ・・・そうだけど」
「誰がそんなことを言ったんだ?」
「金松の京子伯母様と、翔君の小母様がそう言っているのを、翔君が聞いたって・・・」
「まったく・・・姉さんたちは・・・」
勝があきれた声を出す。
「違うの?」
「どうなったら、そういう話しになるんだ。和幸君は伊藤建設を継ぐんだよ。うちの会社を継ぐわけじゃないよ。うちの会社と伊藤建設が合併でもしない限り・・・」
思い込んでいたことが、全部くつがえされた気分だった。純は『お見合い』のことで泣いたりして、皆で騒いだことを恥ずかしく思った。
「将来何がしたいのか、何を専攻したいのか、何をするべきか。留学したいなら、それを先に決めてから、だね」
「ええ・・・はい」
勝の言葉に我に返った。
「無理をして、会社を継がなくてもいいんだよ。あくまで私の希望であって、純の希望と意見が一番に尊重されるべきだから」
高校受験のときとは違う父親の対応に、純は少し安堵した。
「もうすぐ夏休みだし・・・休みの間、よく考えてみる」
「周りの人の意見も聞いてごらん。それこそ、大学生の和幸君とか、受験生の貴久とか。音楽教室の先生になりたいなら、渡君や憲人君のお母さんたちの意見も」
「聞いてみて、考えてみる」
「それで、その結果が音楽と出たのなら、それはそれで尊重するから」
「わかりました」
そう言いながら、一番に話したいのは、誰でもなく、村上敏だと思ってしまう。
『その前に、サマースクールに行けないことを、憲人に報告しなくては・・・』
ガッカリした憲人の顔が、目に浮かぶ。しかし、憲人と一緒に行かなくて済むことに、純は安堵していた。




