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つぼみひらくまで  作者: 真山咲
第一章
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あふれる涙こぼれる想い

翌日のピアノのレッスンに、純は少し早く出かけた。

早目に教室に入り、発表会の課題曲へのアドバイスを先生に貰いたかった。何かと落ち着かない日々を過ごしていて、練習がうまくいってなかったから。

まだ、翔も憲人も来ていない。

純がレッスンに来たことを知った渡が、楽譜や教則本をもって、教室の脇にある自宅から出て来た。

「今日は何かあるの?」

渡がいぶかしげな顔つきで、純にたずねる。

「え?なんで?私が早く来たこと?」

「ううん、そうじゃなくて。翔さんと貴さんが一緒に教室に来るって。純ちゃん知らないの?」

「私、何にも聞いてないよ。貴兄さんがどうして来るの?お教室に遊びに来るとか?」

「僕もわからない。純ちゃんが先に来たら、待ってるように言えって、翔さんが・・・」

「そう。とりあえず、私レッスンを済ませるから」

純は課題曲の心配で頭がいっぱいになっていたし、今、レッスンをつけてもらっている人が終わりそうだったから、『話はそれから』ということになった。

そこに憲人がやって来て、渡から同じことを聞かされている。

純は、貴久が来ることを深く考えずにレッスンに集中した。貴久と翔は親友だし、この教室はかつて貴久も通っていたから、来たとしても何の不思議もない。

純のレッスンが終わって、憲人がレッスン室に入っているとき、貴久と翔がやってきた。

二人の様子が何か変だ。

不安になった純の方が先に声を掛ける。

「どうしたの?何かあった?」

「それは俺が聞きたい」

翔の綺麗な顔は、怒りを帯びている。美しい顔立ちなだけに怖い。

「どういうこと?」

純が問いかけても、貴久は暗い目をして黙ったままだ。

「先週のなんちゃら建設の社長の御一族との会食って、見合いだったんだって?」

純は翔の言葉そのものが理解できなかった。

「え?ミアイ?ミアイって?・・・何?」

「お見合い!お見合いだよ!・・・お前の親の取引先の息子と!」

翔は言葉を吐き捨てるように言った。

「え・・・?」

『・・・うまく頭が回らない・・・何を言われているのか・・・わからない・・・』

純はすっかり混乱してしまった。

「昨日、デートもしたんだろ?」

もう、翔以外誰も言葉を発することが出来ない。

「うちの母さんと貴の母さんが話してるのを聞いちゃったんだ。なんちゃら建設の社長と純の父さんが、息子と娘をくっつけようとしてるって・・・」

純は驚きすぎて、息をするのも忘れそうだ。

『・・・そういうことだったの・・・』

純の心の中で、ずっともどかしく思っていた疑問のカケラが、ピタッとはまった。

レッスンを終えた憲人が、皆の様子がおかしいことに気付いて、そばまでやって来る。

「どうしたの?」

渡が憲人の疑問に応え、翔から聞いた話しをした。

「その人とデートしたって、本当なの?」

憲人は驚き、純を食い入るように見つめる。

純が黙ってしまったことで、皆に肯定の意味が伝わった。


「ごめん・・・」

それまで黙り込んでいた貴久の一言。

貴久の言葉のわけが分からず、全員が彼の顔を見た。

「俺が純に『デートに行け』って言った。俺たち以外のヤツとも付き合えって・・・」

苦しそうな貴久。

純の目から涙があふれる。泣いてはいけないと思っても無理だ。

「何でそんなこと言ったんだよ!」

喧嘩が始まるのかと、憲人はあわてて翔の腕をつかんだ。

でも、翔はただ哀しそうな目で、貴久を見つめただけだった。

「私、帰る・・・」

純はハンカチを出して涙を拭く。拭いても拭いても涙はあふれてくる。

「俺、一緒に行く・・・」

貴久も思いつめた表情。

憲人が純の顔を覗き込む。

「大丈夫?」

「うん、大丈夫だから・・・」

涙声の純。

誰も一言の挨拶さえ出来ず、別れた。


純と貴久は音楽教室を出る。

夏の日差しは傾いているけれと、まだまだ明るい。

純がうつむいて涙を拭いながら歩く。純の後ろからは貴久が付いて来る。

家に帰るには、バスに乗らなければならないけれど、泣き顔のまま乗るのは気が引けたし、それに今は家に帰りたくない。

「公園、寄って行くか?」

同じことを考えた貴久が声を掛ける。


「子供のとき、この公園にしょっちゅう寄り道したよな」

「うん」

緑の木々が茂る小さめの公園には、遊具がいくつか置いてあって、それを目的に寄り道をしたのだった。

最後に遊んだのは、もう、ずいぶん前のことになる。

「子供のとき・・・って、俺たち、まだ子供だよな?」

「子供かな?子供なのかな・・・」

「ごめんな。あんなこと、言わなきゃよかった」

「ううん、貴兄さんのせいじゃないよ」

純はさらに悲しくなって、貴久のそばからそっと離れ、木の陰に隠れて泣いた。

貴久は痛む心を押さえ、純のあとを追った。

純の目の前に貴久の胸が現れる。

貴久は泣いている純の背中にそっと腕をまわした。

「もう・・・行くな・・・」

純を強く抱きしめる。

びっくりして、抵抗もせず貴久の胸の中にすっぽり収まる純。

貴久の匂い。貴久の体温。響いてくる心音。悲しく切ないのにどこか穏やかな時間が過ぎる。


『こんなこと、いいのだろうか?』

気持ちが落ち着いてくると、純は貴久の腕の中にいる自分が怖くなった。

「貴兄さん、ダメだよ・・・」

胸に抱かれたまま、顔を上げずに小さな声で言う。

「そうだな・・・そうだよな・・・」

貴久は純の背中に回した腕のちからを少し緩めた。でも、純の巻き髪の甘い匂い、小さな胸のふくらみの柔らかさに心が痺れてしまったようだ。純をなかなか放すことが出来ない。

純がゆっくりと貴久の顔を見上げた。

貴久の切れ長の目から、純の唇にポタポタ涙が落ちる。気持ちが、胸の想いが、薄紅色の純の唇に吸い寄せられていく。貴久が顔を純のそれにかしげると、純は貴久の唇から逃げるように、泣き顔を貴久の胸に伏せた。

そして腕を伸ばして貴久をギュッと抱きしめる。従妹としての、ハグのつもり・・・。

貴久は夢から覚めたように、やっと純から離れた。


泣き顔を癒すために公園に寄ったのに、二人で泣くことになってしまった。

揺れるブランコに乗って、日が暮れるまで涙を乾かした。

一緒に住んでいたときの思い出話をして・・・。泣き笑いの思い出話。

さっきのハグは無かったみたいに・・・。


貴久が純の家まで送って行って、門の前で別れた。

純は貴久の姿が闇の中に消えるまで見送った。


貴久は街灯がともる住宅街を歩きながら、背中で純の視線を感じていた。

心の中でつぶやく。

『俺たち、もう子供じゃ無くなったんだ。もう、子供じゃいられないんだ・・・』









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