いろんな想い
いろんな想い
すっかり明るくなった広島駅を発車した列車は、ちょうど厳島神社を背景に日の出を迎えた。
夜明けとあって、並走するトラックはかなりの速度を出しているようで、時には列車が置き去りにされてしまう。
岩国、柳井とたどって徳山は間近に迫っている。
足音を忍ばせるように車両を巡回して一号車に戻った車掌は、車掌室に腰を落ち着けると持参したコーヒーをカップに注いだ。生ぬるいコーヒーをちびちび飲みながらで窓の外に目をやる。
夜行寝台列車がほぼ全廃され、長距離を長い時間かけて乗務することができなくなってしまった。博多から東京までといえば一晩かけての乗務だったのに、新幹線を使えば同じ時間で楽々往復できる。国鉄が分社化されて定着してしまった現状では、夜行列車が運行されている地域への転勤などありえない。博多車掌区に所属するかぎり、せいぜい大阪までの乗務でしかないだろう。それに、すべての列車が電車化されてしまい、花形列車は絶滅してしまったといってもいいだろう。
人々がそれを望んだのか、それとも会社の営業方針なのかはわからない。が、旅を楽しむ心のゆとりを日本人はなくしてしまった。
あと半年を無難に勤めて定年を迎えればいいようなものの、車掌一筋でやってきた彼の心境は複雑である。
停車駅で窓越しに駅弁を買う楽しみ、早朝には魚の行商がデッキに荷物をあずける光景、行商同士が情報交換をしたり、取引している光景。沈鬱な面持ちでマンジリともせず夜を明かすのは訃報に悲しむ人なのか、見知らぬ土地での生活に不安な様子の学生服。じっと人目を避けるアベックもいた。穏やかな顔も、険しい顔も。数え切れない顔を運んできた鉄道が様変わりしてゆく。
せめて、もう一度この列車が運転されている間に乗務して、車掌一筋だった人生の花道にしたい。車掌は、そう願った。
「おはようございます。ただいまの時刻は六時十分です。今日は八月八日、金曜日です」
「……」
「先ほど徳山駅を通過しました。列車は定刻に運転しております。次の停車駅は新山口です。六時四十分に到着いたします。新山口では弁当の販売をいたします。三十分間停車いたしますのでごゆっくりご利用願います。新山口で下車されるお客様、お降りになったホーム反対側に車両を回送しますので、お降りになった場所でしばらくお待ちください。これから、トイレや洗面等でお席を離れます際には、特に貴重品にご注意ください。紛失事故等ありませんよう、くれぐれもお願い申し上げます。次は新山口です、六時四十分の到着です」
京都の手前で案内放送をして以来の放送を終えると、服装を整えて、下車する客の部屋を回って下車準備の確認がまっている。
「おはようございます。夜汽車の旅はいかがでしたか? ゆっくりお休みになれましたか? あと30分ほどで到着します。降りられる準備はおすみですか?」
新山口で下車するグループの部屋をノックした。着替えをすませ、洗面も終えた顔がならんで迎えてくれた。
「おはようございます。すっかり準備ができていますよ。眠っている間に運んでくれるというのはありがたいですね。寝心地もよかったし、我が家よりはるかに豪華な部屋でした」
そんなことはないだろう。いくら防音を施したところで、レールを刻む音は一時たりとも止むことはないのだから。それに、広くはなったが所詮列車内の寝台である。狭いし、圧迫感があるだろう。が、窮屈さを打ち消すものがある。特に初めて夜行列車に乗った者は眠れないほど興奮するのが常である。トロトロとまどろむ頃に列車がゆれる。そうすると振り出しに戻って眠る努力が始まる。自由に動き回ることができず、かといって車窓の変化などほとんどない。しかし、それも含めて夜汽車なのである。
回った三箇所で同じような会話が交わされている間に、列車は海岸線から内陸へとカーブした。
防府を通過し、少し大きな川を渡って小さな駅を通過したのを見計らって、車掌は再びマイクをとった。
「長らくのご乗車お疲れ様でした。あと五分で新山口に到着します。新山口では、車両切り離し作業のため三十分間停車いたします。停車時間に大変余裕があります。新山口でお降りのお客様、列車が完全に停車するまでお部屋でお待ち願います。間もなく新山口です。お出口右側です」
小高い山の中腹にあいた穴から高架線が延びて、新幹線の駅につながっている。トンネルから駅までの距離は、約一キロ。新幹線が貫く山を迂回するかたちで山陽本線が大きく回りこみ、新幹線の高架をくぐって地上の駅に線路が延びている。
すっかり登った太陽が容赦なく照りつける中を、ライトを点けた機関車が姿を現した。濃い青と鈍い銀色に塗り分けられた車体が通勤電車のような勢いで駆けてくる。
白地に青い線の貨車の後ろに同色の客車が連なっているのが異様な印象を与えた。
通勤客が姿をみせるには少し早い時刻の到着である。
寝台特急が全盛の頃には、もっと早い時刻にこの駅を駆け抜けてゆく列車があったし、ちょっと贅沢な通勤列車として利用されることもあった。新幹線を主体とした営業方針となって以降、夜行列車はもとより、昼行の特急すら姿を消してしまった。その背景には自家用車の普及がある。大きな原因となっているのは理解できるにしても、現在の鉄道は公共交通としての役割を果たせているのだろうか? 場内の誘導を任された男が、赤と緑の旗を尻ポケットから抜き取りながら思った。
いずれ自分もお払い箱になる日が近いと予感している。
小さな駅を通過してほぼまっすぐに走っていた列車が幾分速度を落として大きく左にカーブする。カーブの途中で山陽新幹線の高架をくぐって、更に速度を落とした。
カーブの途中からは、機関庫なのか、古びた建物の前にとりどりの車両が並んでいるのが見えてくる。通勤にはまだ早い時刻のせいか、他のホームにも人影はなかった。
レールと車輪の擦れあう音が少し聞こえただけで、自然に行き足をとめるような静かな到着だった。
停車と同時に機関士が交代し、十号車の後ろ側連結器でも構内係が切り離し作業をしている。
十号車をつないだまま一旦下関側に移動し、ポイントを渡って到着ホームの向かい側に回りこんで停車。
こんどは貨車を置き去りにして元の線に戻り、バックで九号車に連結した。ブレーキテストをしているのか、二度ばかり空気を放出するような音がした。
別の待避線で待っていたディーゼル機関車が、観光用の車両を一両つないで、切り離した貨車にバックで連結し、係の誘導でそのまま乗客の待つ位置まで下がってきた。
売店のあたり、乗客が集まっているところに乗降口を寄せて停車する。
四号車に乗務していた車掌が乗客の乗り込むのを見守っていたが、乗客が全員乗り込んだのを確認すると、荷降ろしのためにそのまま乗り込んでホームを離れてゆく。
しばらくして、在来線改札口の方に移動して歩を停めたのが見えた。
作業員が集まってフォークリフトが動き出した。
発車まであと十分。徐々に一般乗客が増えてきたにもかかわらず、売店の周囲は日常から離れた気だるさに包まれている。
「やあ、おはようございます」
家族で弁当を物色している島原を肥後が見つけた。
「おはようございます。そちらも弁当ですか?」
肥後も家族で弁当をのぞきにきたようである
。
「昨夜話し相手になってくれた人だよ、長崎に行かれるんだって」
妻と、小学校に上がりたてと思われる男の子に説明している。すぐ隣には『こっとい』が、やはり家族で外の空気を吸っているし、嬉野、響の一団も賑やかにはしゃいでいる。それぞれ目礼し、展望車を指差しあっていた。
定期列車を先行させて五分。三十分の停車時間をもてあましていたように、列車が東小倉をめざして走り始めた。
切り離された貨車から降ろされた一台が、ちょうど目的地に向けて走り出すところだった。
宇部の手前までは比較的直線区間が多いが、山肌に白い岩がみられるようになると右に左に蛇行を繰り返すようになった。
昨夜と同じように集まった男達が紙に連絡先を書いている。残り時間も僅かなことだし、家族が起きているのだから放っておくわけにもいかない。展望室は子供達に占領され、座席も半数以上が埋まっている。せめて、わずかな残り時間を手足の伸ばせる自室ですごしたいとの狙いもあって、せっせと連絡先を書いていた。
宇部、小野田、厚狭、小月を経て、長府、そして下関へと機関車が最後の力走をしている。
下関到着と同時に切り離された機関車は、急に肩の荷をおろしたように身軽になった。
熱田から走り続けてきたとはいえ、そう簡単には休ませてもらえない。一時間もすればコンテナ貨物を牽いて広島か岡山まで往復させられ、わずかな休憩をはさんで上り列車を熱田まで運ぶ仕事が残っている。
ピッ、ため息のような短い汽笛を残してホームを離れていった。
関門トンネルをくぐれば終点、東小倉は指呼の距離にある。
門司でディーゼル機関車に連結されて貨物線をゆっくり進み、右前方に東小倉貨物駅を望む場所で停車した。
五分ほど停車している間に上りも下りも列車が通り過ぎ、上り線を貨物列車が走り抜けるとようやく貨物駅へのポイントがつながった。本線を横断しながら東小倉に進入を開始する。
あたり一面にコンテナが積み上げられている中をゆっくり進み、古風な丸屋根に覆われたホームで旅を終えた。
「ながらくのご乗車お疲れ様でした。まもなく終点、東小倉に到着です。お出口は左側です。
到着と同時に先頭の九号車から自動車の積み下ろし作業を始めます。お手元の整理券に搭載車両が表示してありますのでお確かめください。また、積み下ろし作業は大変危険です。係員が乗車場所まで運びますのでしばらくお待ち願います。本日はカートレインをご利用いただきありがとうございました。安全に最終目的地に着かれますよう、くれぐれも安全運転にお気をつけください。またのご乗車をお願いしてお別れをさせていただきます」
マイクを戻した車掌は、車掌室の窓を下ろし、ホームへの進入を監視した。
行き足が止まると助役が旗で安全確認を知らせてくれた。
「お待たせしました、終点、東小倉に到着しました。出入り口のドアを開けます。ドアが内側に開きますのでご注意ください」
ドア付近で下車を待つ乗客に注意を促して開閉スイッチを入れる。車掌室に駆け寄る係員に書類を預けて車掌もホームに降り立ち、乗車場所に向かった。
すでにそこにはパレットに載せられた自動車が運ばれてきて、係員が固縛を解く作業を始めている。
チェックシートと見比べて新たな傷がないことが確認されると、家族を乗せた車は走り去ってゆく。
到着から十五分もたっただろうか、最後の車がホームの先を折れて去って行った。
あまりにあっけない別れだが、それが乗客。
最後の一台が構外へ出るのを、車掌は静かに見送っていた。