第97話 「朝の同乗――家族という導線」
朝。
窓の外は薄い光に包まれていた。
昨日より少しだけ柔らかい空気。
その変化は、誰かが意図したものではなく、積み重ねの結果だった。
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リビング。
柊木菫は味噌汁を温めている。
桜は椅子に座り、まだ半分眠そうな顔でパンをちぎっている。
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そこへ榮助が入ってくる。
いつも通りのスーツ姿。
しかし今日は、少しだけ違う。
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「朝食、一緒に食べてもいいですか」
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その一言は、確認ではなく提案だった。
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菫は一瞬だけ驚く。
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「……もちろん」
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桜が嬉しそうに顔を上げる。
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「三人でごはん?」
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榮助は小さく頷く。
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「はい」
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そのまま食卓は、自然に“家族の形”へと揃っていく。
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味噌汁の湯気。
焼き鮭の匂い。
卵焼きの甘さ。
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静かだが、確かな朝。
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食事中。
榮助は淡々と言う。
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「これからの送り迎えは、基本的に一緒に行きましょう」
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菫は箸を止める。
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「一緒に?」
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榮助は頷く。
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「負担を分散した方が合理的です」
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桜は目を輝かせる。
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「やった!お兄ちゃんも一緒!」
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菫は少しだけ考える。
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そして小さく頷く。
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「……お願いします」
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その瞬間。
“送り迎え”は単なる移動ではなくなる。
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家族の時間に変わった。
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保育園。
朝の門前。
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桜は元気に手を振る。
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「行ってきまーす!」
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菫も手を振る。
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「行ってらっしゃい」
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榮助は短く頷く。
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「行ってらっしゃい」
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桜が中へ入るのを見届けると、二人は車へ戻る。
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車内。
エンジン音だけが静かに響く。
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しばらく無言。
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だが、それは気まずさではない。
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“慣れ”に近い静けさだった。
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榮助が視線を前に向けたまま言う。
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「少しだけ確認します」
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菫が振り向く前に。
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榮助の手が自然に菫の腹部へ伸びる。
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一瞬の接触。
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それは確認というより、習慣に近い動作だった。
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菫は少しだけ息を止める。
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「……車の中ですよ」
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榮助は淡々と答える。
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「問題ありません」
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そのまま、少しだけ距離が近づく。
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そして、短くも深いキス。
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車内の空気が一瞬だけ変わる。
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しかし外から見れば、ただ座っているだけの二人。
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榮助はすぐに離れる。
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エンジンを入れ直しながら言う。
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「会社へ向かいます」
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菫は顔を少しだけそらす。
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「……はい」
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走り出す車。
街の流れに混ざっていく。
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しばらくして。
榮助が静かに言う。
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「偶には、お腹の調子も聞きます」
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菫は少しだけ驚く。
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「今まで聞いていなかったみたいな言い方ですね」
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榮助は一拍置く。
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「確認頻度が上がるだけです」
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その直後。
もう一度、短いキス。
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今度は少しだけ優しい。
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菫は小さく息を吐く。
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「……仕事前ですよ」
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榮助は前を見たまま答える。
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「問題ありません」
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そのやり取りのまま、車は会社へ向かう。
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龍雷神本社。
到着。
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いつものように、それぞれの世界へ戻る時間。
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だが今日は違う。
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“戻る”のではなく、
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“繋がったまま分かれる”。
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榮助は最後に一言だけ言う。
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「午後も、無理はしないでください」
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菫は小さく頷く。
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「はい」
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扉が閉まる。
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朝は終わる。
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だがその朝は、もう以前の朝とは違っていた。
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家族の形が、少しずつ固定され始めている朝だった。
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