館の主人
オリヴィエが目を覚ましたのは、彼女が倒れてから一時間ぐらい経過した頃だった。
ぼんやりと天井を見上げる彼女に気づいたリーファが顔を覗き込む。
「オリヴィエさん、大丈夫?」
「リーファさん……? わたくし、どうしてこんなところに……」
体を起こした彼女は辺りを見渡した。もしかして鏡のフロアで倒れて、丁度こっち側に倒れてきたから出てこれたのか?
「一面が鏡だらけのフロアは覚えてるか? そこから倒れて出てきたんだ」
「鏡……?」
体を起こした彼女は何かを考えるように口元を押さえた。
「いえ……覚えていません。そのようなフロアがあったんですか?」
「えっ? ええと……どこまで覚えてる?」
「赤い転移ノ紋に乗ったところまで、ですね」
「そこまでか……」
まるまる一フロア分の記憶がぶっ飛ぶって、本当に何を見せられたんだ? それとも彼女だけ別のところに飛ばされたとかじゃないよな?
立ち上がったオリヴィエをリーファが支える。
「オリヴィエさん、大丈夫?」
「ええ、もう大丈夫です。ありがとうございます、リーファさん」
オリヴィエは小さく微笑む。自分の記憶が吹っ飛んでるっていうのに、なんか落ち着いてるなあ。
「なあ、オリヴィエ。もしかして記憶がなくなるのってよくあるのか?」
「ええ、お恥ずかしながら……度々起きてしまうのです。階段から落ちた時の後遺症だと言われました」
「後遺症、ねえ」
そういうものなのか? 俺にはよく分からない。そんなに頻繁に記憶が消えるなんて恐ろしくないんだろうか?
元通りの微笑みを浮かべた彼女は杖を持ち直し、通路の奥を見た。
「さあ、行きましょう。わたくしのせいで遅れてしまうだなんて申し訳ないですもの」
「あ、ああ。まあ、オリヴィエの体調が問題ないなら行こうか」
「大丈夫です。お気遣いありがとうございます、エスカさん」
にこりと笑った彼女は杖を持ったまま進んでいく。俺達もその後に続いた。
そういえば、ここは宝箱の類がなかったな。もしかしたら鏡のフロアのどこかに置いてあったりしたんだろうか? 一本道かと思ったが、見逃した道があったのかもしれない。
通路を進んでいくと大きな扉が見えた。いかにも奥になにかありますよと言わんばかりの重苦しい扉だ。
「この先、絶対ボスいるよね? だよねっ?」
「ああ、その可能性は高そうだな」
扉にそっと手を伸ばす。その重々しい見た目通り、ギィと音を立てて少し開いた。
「気を引き締めて参りましょう」
「おーっ!」
ケイトが腕を突き上げる。やる気は満々だな。
一気に扉を開くと、鏡に囲まれた部屋が広がっていた。隣で息を呑む音が聞こえる。見ればリーファとケイトが身構えていた。
こりゃ暫く鏡見られないな。しっかり恐怖心を植え付けられたみたいだ。
「行こう」
「う、うん」
部屋の奥へ進む。天井には大きなシャンデリアが吊り下げられており、床に影を落としていた。
こういうのって部屋の中央に行くとボスが現れるんだよな。灼熱ノ渓谷でもそうだった。
「さあ、来るぞ」
正面の鏡から黒い影が滲む。段々と大きさを増したそれは、人の形をとって外へ飛び出した。
黒いハットを押さえ、黒いマントをひるがえして登場したそれは、老紳士の姿をしていた。杖をくるりと回して床を叩く。
ぱっと見人間に見える老紳士だが、その顔をよく見てみれば人じゃないと分かる。黒く塗りつぶされた顔に赤い目が浮かんでいた。
「人型の魔物か」
「言葉は通じるでしょうか……? 魔物さん、わたくし達はこのダンジョンを攻略したいのです。なんとかなりませんか?」
「いやあ、何とかならないんじゃないかなあ……流石に倒すしかないと思うぞ」
「そう、ですか。残念です。それでは防御力を上げておきますね」
オリヴィエは金色の杖を構えて呪文を唱える。なんだか体が温かい何かに包まれた気がした。これで防御力が上がったってことなのか?
弓を構える。先手必勝、試しに魔力を込めた矢を放ってみた。
老紳士は杖を前に出す。すると無数の鏡が現れ、鏡に当たった矢は方向を変えて俺目掛け飛んでくる。
「うわっ!?」
慌てて避けたが肩を少し掠ってしまった。じくりと痛む肩を押さえて老紳士を睨みつける。まあでも、あれだけ魔力を込めた矢が当たった割には傷は深くないな。防御アップさまさまだ。
「飛び道具は効きそうにないな、ありゃ」
「それならアタシが……!」
杖をかざしたリーファがファイアボールを唱える。数メトル先まで伸びた炎は、球を形成する前に鏡に跳ね返され、リーファを襲う。
「うわわっ!?」
「リーファ!」
跳ね返った炎の球がリーファのケープに当たる。燃え広がると思われた火は、ケープの上から広がることなく消えた。
「あ、あっつーい!! よかったあ、防火のケープ買ってて!」
まったく、ヒヤヒヤさせてくれる。っていうかあのケープって防火性能あるんだ。知らなかったな。
「今度はオイラがッ!」
巨大な肉切り包丁を構えたケイトがダッと加速する。振りかぶった刃が鏡のバリアを切り付ける。パキンと音を立てて鏡にヒビが入った。
「いけっ、ケイト!」
「おおおっ!!」
ぐぐぐと押し込めば、鏡を割って老紳士に一撃が入る。よし、近距離ならいけそうだな……!
短剣を抜いて駆ける。リーファとオリヴィエも杖を構えて走り出した。
「はああっ!!」
新たな鏡のバリアを張られる前に決める! 突き出した刃は老紳士の脇腹を貫いたが、老紳士の杖も俺の腹に食い込んだ。薙ぎ払われ、端まで吹き飛ばされる。
「ぐぅっ!!」
っくそ、あの見た目でどこにそんな力あるんだよ!!
挟み込むように走ったリーファとオリヴィエが双方向から杖を振りかぶる。老紳士は後ろへ下がり、あわや二人がぶつかりそうになった。
「あっぶない!」
「すみませんリーファさん」
「大丈夫! ガンガンいくよっ!」
四人がかりで老紳士を追い詰めていく。時折放たれる鏡の破片が肌を裂く。いくつかは防げたが、全部は防げなかった。
それでも老紳士の方だってかなりダメージが入っているはずだ。このまま押せばいける!!
駆け出した時、老紳士は杖の取手を引き抜いた。杖の断面、ぽかりとあいた穴が俺を向く。
「なんだっ!?」
撃ち込まれた球が肩を貫く。ここで止まるわけにはいかない。痛みに呻きながらも短剣を胸めがけて突き出した。
「これで終わりだッ!!」
二発目が撃たれると同時に老紳士の胸を貫く。腹から広がる痛みと熱にふらつきながらも、短剣を引き抜いた。床に伏した老紳士は光の粒子となって消えていく。
完全に消えたのを見届けると、体から力が抜けた。ぐらついた体を細い手が支える。
「エスカくんっ! 大丈夫!?」
「ッ、いや……結構まずい、かも? なんだよあの武器、魔道具か何かか……?」
「今すぐ回復します」
駆け寄ってきたオリヴィエが杖をかざす。何やら長い呪文を紡いだ後、温かな光が体を包んでいく。すうっと痛みがひいていき、見れば傷一つ残っていなかった。
「すごいな、これが回復魔法か……」
「わたくしでも治せるレベルでよかったです。もっと酷い怪我だったら教会に行くしかなかったかもしれませんね」
「教会なら治せるのか?」
「高位の回復魔法を扱える者がいるはずですから。問題はそこに辿り着くまで生きていられるかと、高額の治療代を払えるかどうかですが……」
さすがにタダとはいかないらしい。そりゃそうか。
なんにせよ、こうして怪我は治ったわけだ。同じように怪我していたリーファとケイトにも軽い回復魔法をかけたオリヴィエは、ふうと息をはき出した。
「ただ、わたくしはそこまで扱える魔力量が多くありませんので……これくらいがやっとです」
「それでもありがたいよ。ありがとう、オリヴィエ」
「わあっ、痛くなくなった! ありがとね、オリヴィエさんっ!」
ぐるりと腕を回したケイトは少し困ったように笑う。
「オイラのは擦り傷だったからいいのに。でもありがとう、オリヴィエ」
「ふふ、皆様のお役に立ててなによりです」
そうしてダンジョン『心境ノ鏡館』を踏破することができた。
残された報酬を拾い上げる。これは……本?
「魔導論学・中級……」
「あの本の続きかなっ?」
「ああ、多分な」
覗き込んできたリーファはどこか嬉しそうだ。
「これでもっと魔法が上手くなったら……そしたら、きっとみんなのことも守れるよね」
「……ああ、もちろん」
本を収納鞄に収めて転移ノ紋に乗る。今度はちゃんと青白い光を放っているものだ。これでダンジョンの外に出られる。
それにしても、酷いダンジョンだったな。俺はまだいいとしても、みんなを連れてもう一度入りたくはない。主にあの鏡のフロアのせいだ。
ダンジョンを出るとまだ昼ぐらいだった。案外時間はかかっていないらしい……といっても入ったのが朝一番だからな。まあまあ経ってはいるのか。
「よし、ギルドに行くか!」
早速オリヴィエの加入申請をしないとな!




