決裂
レイスの母親は冒険者を『そんなお遊び』と言い放った。途端に空気が固まる。それに気づいているのかいないのか、母親は立ち上がるとレイスの前に立ち、彼の両肩に手を置いた。
「どうか思い直して、レイス。貴方はただでさえ二十五年も遅れているのよ? そんなお遊びはすぐにやめて、貴方の人生を取り戻すべきだわ」
「母さん、遊びと言うのはやめてくれないだろうか。これは私達の目的であり、私の遠い夢でもある」
「夢……? 違うでしょう? 貴方はアカデミーを出たのよ? それも首席で。理想の未来が待っているはずだったのに、どうして……」
引き攣った笑顔を浮かべた母親は、どうにかレイスを引き止めようとしているように見えた。アカデミーとか首席とかよく分からないけど、どうやらレイスは過去に素晴らしい功績を残しているらしい。それが何も言わずに家を出たってなったら……そりゃあ心配で仕方ないだろうし、勿体無いって思うかもしれない。でもさ、遊びだって言い切るのは違うと思うんだよな。冒険者だって立派な仕事だぞ。
「……ああ、分かったわ。あの出来損ないのせいね。死んだ後まで迷惑ばかり……」
「母さん……?」
母親は俯いて「そうに違いないわ」と呟く。顔を上げた彼女はそっとレイスの頭を撫でた。
「もういいのよ、レイス。レギネの夢なんて気にしなくていいの。貴方は貴方の夢を追いかけるべきよ」
「レギネ……? どうしてそこでレギネが出てくる?」
困惑した様子のレイスを置いて母親は続ける。
「あの子、剣術なんてどうでもいいお遊びに夢中だったものね。そんなことより勉強するべきだったのに、挙句の果てにはあんな逃げ方……あれを見た貴方がショックを受けたのは分かるわ。でもだからって貴方があの子の夢を背負わなくていいの」
彼女が一体何の話をしているのか、俺にはさっぱり分からない。ただ分かるのはそれがよくない言葉だったということ。現にレイスは拳を強く握りしめ、唇を震わせている。
「だからね、レイス。貴方は貴方がしたいことをするべきよ。貴方ならどんな道にも進めるわ。魔法の才を活かして魔導工学の研究員になってもいいし、貴方の学力なら政治にだって――」
「いろいろと、言いたいことはあるが」
レイスの声は酷く震えていた。ギリ、と歯を食いしばった彼は苦しそうな表情で母親の手をそっと握り、肩から離させた。
「母さんは何も分かっていない……」
「……何を分かっていないっていうの?」
母親の声がひどく冷たく聞こえるのは気のせいだろうか。いや、きっと気のせいではないのだろう。とても空気が重たい。息が苦しくなりそうなほどに。
「レギネの死は私のせいだ。いや、私達のせいだった」
「何を言っているのかしら」
……レギネ。死。まさかレギネというのは、死んだっていうレイスの弟なのか? もしそうなのだとしたら、母親はとんでもないことを言っていなかっただろうか。困惑する俺達をよそに、二人の会話は進んでいく。
「レギネは私と比較されることに苦しんでいた」
「それはあの子の出来が悪いからでしょう? せっかく貴方の分まで保有魔力量が多かったというのに、魔法の一つも使えないどころか普通の勉強もままならないなんて。遊んでばかりいるからだわ」
「それが良くなかったと言っているんだ。それにレギネはずっと努力していた。どうして分かってくれない」
「どうしてしまったの、レイス。そんなに聞き分けが悪い子じゃなかったじゃない」
母親はレイスの頬に手を添えた。骨ばった手が痩せ細った手を払いのける。
「母さんには悪いと思っている。でも私は私の進みたい道を歩みたい。それは冒険者の道……彼らと歩む道だ」
「……その人達にそそのかされたのね?」
「違う。私が元々持っていた夢が彼らの進む道と重なっただけだ」
「そんなはずないわ。だって貴方は――」
「あのさ」
これ以上聞いていられない。これ以上、苦しそうなレイスを放っておけなかった。口を挟んだせいか、それとも違う理由か。母親は冷たい目で俺を見据えた。
「さっきから聞いていれば……貴女はレイスの言葉を否定しかしていないじゃないか」
「何が言いたいのかしら」
「貴女がレイスの母親で、本当にレイスを愛しているのなら……彼の言葉にもっと耳を傾けるべきだ。そうだろ、レイス」
気を取られたように俺を見ていたレイスは、目をつぶると静かに頷く。震える手を握りしめた彼はまっすぐに母親を見つめた。
「どうか私の話を受け止めてほしい。心配をかけた詫びとして、そしてこれから好きなことをさせてもらう対価として、私が二十五年間続けた魔法の研究結果については母さんの好きにしてもらって構わないから……その代わりに私がしたいことを認めてくれないだろうか」
母親は目を閉じると深呼吸し、肩を落とした。開かれた目にあるのは……失望。
「残念だわ、レイス」
「母さん……?」
「本当に、どうしてこうなってしまったのかしら。貴方はあんなに優秀で、努力家で、才能もあって、聞き分けだって良かったのに……どうしてこんなに落ちぶれてしまったの?」
母親はまるで吐き捨てるように続ける。
「大体……仲間だかなんだか知らないけれど、マナーもなっていない低俗な人間と関わるのも間違っているわ。普通、部屋の中では帽子を脱ぐものでしょう?」
母親の視線が俺とケイトに向く。どうしよう、そう言われても帽子を取ると亜人だってバレるし……でも、母親は早く脱げと言わんばかりに俺達を見つめている。
「……エスカァ」
少し震えた声で名前を呼ばれる。ケイトの目には雫が浮かんでた。
「まさか言葉も分からないなんて言わないでしょうね」
どうやら彼女は見逃してくれないようだ。俺とケイトは帽子を掴み、そっと取った。俺達の姿を見た彼女はみるみるうちに顔色を変える。
「あ、亜人……!? なんて穢らわしい……ッ」
一歩二歩と後ろに下がった彼女の足が机に当たる。わなわなと体を震わせた彼女はバッとマグカップを手に取り、俺達めがけて中身をかけようとしたところで――暗い青が目の前を遮った。バシャリと音がする。
「レ、レイス……」
ぽたぽたと黒い液体が彼の髪から滴る。崩れた前髪をそのままに、彼は母親へ強い声色で言葉をぶつけた。
「私の仲間を害さないでくれ。いくら母さんでも許せない」
信じられないものを見るように目を見開いた彼女はレイスの汚れたケープを掴んで強く引き寄せる。
「私に逆らうの!? それは亜人よ、薄汚い獣なのよ。分かっているの!?」
「私にも譲れないものはある。大切な仲間を否定されることは苦痛そのものだ……ッ」
パッと手を離され、レイスの体が傾く。床に尻をついてソファの足に背をぶつけた彼を見下ろし、母親は冷たい声で言い放った。
「出ていって」
体を起こそうとするレイスに怒声が浴びせかけられる。
「出ていって!!」
「……言われずとも。行こう、皆」
立ち上がった彼はぽたぽたと雫を垂らしながら扉を開ける。帽子を被ってからレイスの後に続いて外に出る。扉が閉まる瞬間……呪詛のような言葉が耳に届いた。
「貴方なんか産むんじゃなかった」




