012 ロイヤルナイツアカデミー入学式
春。
出会いと別れの季節。全ての始まりの季節。
そして、全ての騎士候補の貴族の子女のハレの日――ロイヤルナイツアカデミー入学式。
私は。
盛大にトラブルに巻き込まれていた。
*
――事の発端は入学式直後にまで遡る。
その時私は新入生総代、つまり主席入学者として挨拶を終えたジークレインに絡まれていた。
久々に顔を見た瞬間から、ジークレインは不機嫌オーラ全開で、文句をつけてきたのである。
「意味がわからない。なんでお前が主席じゃないんだ」
「知るか」
意味がわからないのはこちらの方である。
不機嫌オーラ全開のジークレインに対する私も不機嫌オーラ全開であった。
式を終え、寮分けが済み、各寮ごとに行われる新入生歓迎会まで時間があるということで、フェルミナと一緒に学内にある食堂で昼食を摂ろうとしていたところだったのだ。それを邪魔されたのだから不機嫌にもなろう。
「俺はたしかにいい戦いをしたと思ってる。相性がいい相手だったとはいえ、二級騎士をうまく翻弄し、押していたとさえ思う」
ジークレインは海老のビスクとパンを載せたトレーを、私とフェルミナの座っているテーブル席に置きながら言う。
おい待て。何を勝手に割り込んできている。しかもなぜ勝手に同じテーブル席に座ろうとしている。
「だが、全受験生の中でも、二級騎士を降したのはお前だけだった」
しかしフェルミナは何も言わず、むしろニコニコして場所を開けている。その様子を見て更にジークレインへの苛立ちを募らせながら、私は深い溜息をついた。
「降していないからこそ次席になった。お前も見ていただろう? 私が失格になった瞬間も」
「あれは攻撃の余波で立っていた位置が後ろにズレただけだろ!」
その通り。
だが失格は失格である。
「私は手元を狂わせ、自分の攻撃のコントロールもろくにできず、余波を自分で受けてしまったんだ。それはつまり未熟の証、お前が主席入学なのは正当な評価だよ」
その成績をぶんどることができなかったのは大きな損失だが、アカデミーを早期卒業するくらいであれば刀がなくとも問題ない。
アカデミーの飛び級卒業が認められれば兄も私に刀を寄越してくれるだろう。
まあ、『水』の名門であることを誇りに思っているであろう兄は私が近衛騎士隊を目指すと言えば嫌な顔をし、約束を反故にするかもしれないが――全ては姉とフェルミナの命を奪わんとする者の情報を掴み、先回りして不穏分子を叩き潰すためだ。
進路希望は敢えて隠して、刀を貰ってから勝手に近衛騎士としての道を歩むことにしよう。
女子禁制の近衛騎士隊に入ることは勿論、簡単ではないだろうが。……まあ最悪、男装でもして身分を偽ろう。
私がいた時の近衛騎士隊では、団長は戦犯貴族であろうが使えれば子飼いにしていた。割と無法地帯の暗部だったので、男の振りをした上で、力を示せば入隊自体はなんとかなるように思える。
「だが……俺は納得できない」
「そうか。なら勝手に悩んでいればいい」
苦虫を噛み潰したような声で言うジークレイン。そう、勝手に悩んでいればいい。そしてできれば今すぐここから去れ。
「ジークレインくんもロディも、本当にすごいね。わたしも頑張ってもっと強くならなきゃ」
「フェルミナならきっとなれるよ」
私は頬を緩めて言う。
それは願いでもあったが、本心だった。『前回』でもフェルミナは優秀だったが、『今回』のフェルミナは更に優秀だ。それが、これ(ジークレイン)との約束のお陰かもしれないと考えると噴飯ものではあるが。
すると何故かジークレインがひどく微妙な感情を乗せた瞳でこちらを見ていることに気がつく。
「……なんだ、イグニス」
「お前……フェルミナと俺で態度が違いすぎないか?」
「はあ?」
何を言っているのだこの男は。お前とフェルミナを同列に扱うわけがないだろう。
いくらかつての親友とはいえ野郎と、初恋の少女では対応に差が出るのは当然ではないか……とは勿論言わないし言えないが、
「初対面から上から目線だったやつに好感なんて持てるか。天才だかなんだか知らんが偉そうなんだお前は」
「なっ……おま」
「礼儀を知らんやつに礼儀を尽くす道理はない」
私がフン、と鼻を鳴らして顔を背けると、ジークレインは怒りのためかワナワナと小刻みに震えて叫ぶ。
「それ、お前が言うか!? お前だって十分失礼だろう、初対面の時といい、入試の時といい、今といい!」
「違う。私はお前の態度を見て、相応の対応をしているだけだ」
意図的に冷ややかに言い切り、紅茶を口に含む。反駁の言葉が見つからずに唸っているジークレインを一瞥し、溜飲を下ろす。
ふふ、なかなかにいい気分だ。
十一歳の子ども相手に大人気ないなどという思考は早々に放棄し、私は澄ました顔を取り繕いつつも内心で笑みを零す。
かつてクロードであった時には味わえなかった愉悦だ。ジークレインを言い負かすことなど、長いことライバルをやっていたが、そうできたことはなかったからな。
「ふふ、二人とも仲が良いのね」
フェルミナが嬉しそうに目を細めて笑う。
冗談抜きでとんでもないことである。
「「よくない……あ」」
「ほら、息ぴったり」
ますます楽しそうなフェルミナ。
満面の笑顔の彼女はやはり大層可愛らしいが、今のこいつと仲がいいなど冗談じゃない。
すぐに訂正を求めようとした、その時だった。
「オイ、そこにいたのかよ、クローディア・リヴィエール。探したぜ」
――トラブルが剣を背負ってやってきた。
そいつは十一歳にしてはなかなか大柄な男だった。さすがに歳を考えれば少年と言うべきなのかもしれないが。
縦にも横にも大きい。貴族の子息らしく身なりはいいが、スラムのガキ大将を思わせる雰囲気を纏っている。なかなか迫力があるな。
「誰だお前は」
……が、こいつは一年生である。
五年制のアカデミーには騎士服に似たデザインの制服があり、タイの色で学年を、腕章の色で寮(属性)を判別できるようになっている。
そしてこいつの、外れかけたタイは私達と同色の紫苑色――要は同学年だ。
王族や公子公女を除けば親の爵位の差など気を使わなくていいのがこのアカデミーだ。
そもそもうちの王国は、騎士団系の貴族は爵位ではなく、どちらかと言うと家長または次期家長の騎士団内の地位であらかた『扱い』が変わる。
こいつが伯爵家より上の爵位である侯爵家の子息であっても、先程のような無礼な態度を取られれば、お前呼ばわりをして一向に構わないのである……そもそもこいつが侯爵家の息子であるかどうかも不明なのだが。
「初対面からお前呼ばわりかよ」
「気に障ったか? それは悪かった」
目を合わせずに答える。
ジークレインは眉を寄せて男を見ているのだが、これはこいつの態度がどうというより、どこの誰だったかを思い出そうとしている顔だろう。
とっととこの場を去りたいところだが、離れたら離れたで後からまたうるさいのだろう。面倒極まりない。
「初対面で上から名を呼ばれたもので、ついな。それで『君』はどこの誰なんだ?」
「ウィンダム・アグアトリッジ。水の寮の新入生の中で、お前の次の成績で入学した」
「へえ……」
興味がない。
が、本当にこいつは侯爵家の子だったようだ、驚いたことに。
アグアトリッジ侯爵家と言えば、リヴィエール伯爵家の次あたりに水の聖騎士を多く輩出している騎士団系の貴族だ。爵位の高さも相まって、名門と呼んで差し支えない家門だろう。
となると、私が『クロード』であった時は、水の新入生の中では最も成績がよかった子供ということか。
当時の私はジークレインの背中しか見ていなかったため、ほとんど記憶にないが。
「改めて、クローディア・リヴィエールだ。よろしく」
言いながらちらりとジークレインを見れば、「ああ」という顔をしていた。どうやらジークレインは彼がどこの誰であったか思い出したらしい。
本来ならばジークレインのように、高位の貴族の子弟の顔くらい覚えておくのが貴族の常識なのだろうが、私は生憎こいつほど頭の出来がよろしくない。興味のないことを覚えて脳の容量を使うのはごめん被る。
「それで、私に何の用だ? アグアトリッジ」
しかし、面倒だとはいえ無視をするとさらに面倒になるだろうと感じたため、一応用事は何かを聞いてみる。
すると、ウィンダム・アグアトリッジは腰に提げた剣の切っ先を――さすがに鞘に入れたままではあるが――私に突きつけた。
しん、と静まり返る食堂。
周りの学生たちが、目を見開いてアグアトリッジを見ている。
「ちょ、ちょっと……! アグアトリッジさん、何を」
「うるさい、平民は黙ってろ!」
困ったような顔をしていたフェルミナが顔色を変えて立ち上がり、私の前に立とうとして、アグアトリッジに怒鳴りつけられる。
そのがなり声を聞き、みし、と持っていた紅茶のカップの取っ手が嫌な音を立てた。子どもとはいえ、フェルミナを下に見る発言だ、腹が立つものは腹が立つ。フェルミナが傷ついた顔でもしたら、事故に見せかけて拳の一発くらいくれてやるからな。
ディクソン兄弟といい、こいつといい、なんでこうも貴族というのは身分に拘泥するのが多いのか。家の誇りを守ることを第一にしている頭の固い兄上ですら、ここまで露骨ではないぞ。
「ここは、食堂なんですよ! 食事の場です。いくら鞘に入ってるからといって、剣を人に向けていい場所じゃないです……!」
「そうだ。アグアトリッジ、入学式当日から問題を起こすつもりか? しかも、初対面の女子にいきなり剣を突きつけるなんて、仮にも騎士を目指す者の振る舞いじゃないだろう。何を考えてる?」
しかし予想に反してフェルミナはきちんと言い返し、ジークレインもそれに加勢する。
ジークレインに庇われた形になったことは多少意外だったが、入学式直後の食堂のため先輩方もおらず、運悪く教師も食堂内には姿がない。きっと、止める者がいないからこそ、前に出たのだ……こいつにとってはまだ、私やフェルミナはか弱い女子供なのだろうから。
とはいえ、かつてのライバルとしてはジークレインに庇われるというのは癪だ。
私は一つ息をつくと、「なんのつもりだ」とアグアトリッジに視線を返した。
彼はギロ、と私を睨むと地を這うような声で言う。
「納得がいかねえんだよ……!」
「は?」
「お前が俺より成績がいいってことがだ!」
「は?」
……ちなみに一度目は私、二度目はジークレインによる「は?」である。
ジークレインと全く逆の文句をつけたアグアトリッジは、ぶるぶると剣を握る手を震わせている。
……成程、まあ魔法が使えない落ちこぼれが次席になっているのならそういう文句をつけたくもなるか、と私は半ば納得したのだが、ジークレインは逆に「こいつはバカなのか……?」とでも言いたげなドン引きの表情だ。
「有り得ないだろう、実技を見ていたが、お前は失格になっていた。避けるばかりで……最後におかしな剣技で魔法を斬ったとはいえ、すぐに『失格』になっていた! そんな半端なやつが次席だなんて、水の新入生の第一位だなんて認められるか!」
なるほど真っ当な主張だ。ここでの振る舞いの是非は全く別としての話だが。
確かに私も次席という成績になるとは考えていなかった。
ジークレインはさらに意味不明なものを見たという顔だが、私としてはジークレインの主張より、こちらの主張の方が納得できる。
「……何が目的だ」
ので、私はそう聞いた。
するとアグアトリッジはこう叫んだ。
「――翌月の新入生交流試合で、お前に決闘(試合)を申し込む!」