011 合否
*
「ロイヤルナイツアカデミーから、入学試験合否判定の通知が届いた」
――数日後。
王家の紋章の蝋封がなされた水色の封筒を掲げた兄は、書斎の椅子に寄りかかったままそう言った。
「つ、ついに届いてしまったわね……!」
「姉上、そんなに緊張しなくても」
私の隣で小さく震えている姉が、「なんでロディはそんなに冷静なのっ?」と言いつつ恐る恐る水色の封筒を手にする。
「私と兄様は、入試の時は仕事で見に行けなかったから、どんな感じだったのかはわからないのに、ロディは上の空で特に何も話してくれないし……」
「はは……」
「もう、自信があったのなら姉様に話してくれたっていいでしょう!」
緊張した面持ちのまま怒る姉に、「ごめんなさい」と謝罪を口にしつつ、私は目を伏せて実技試験の後に思いを馳せる。
試験後ずっと、上の空だったのは確かに事実だ。
しかしそれはうまくいかなくて茫然自失していたという訳ではなく、ツェーデル前騎士団長――師のことを考えていたからだ。
……私の、一番初めての剣の師。
かつてただの落ちこぼれであった『クロード』を、短い時間でロイヤルナイツアカデミーに入学させるほどの剣士に育てた王国最強の剣豪。
そして、かつて裏切り、恩を仇にして返してしまった人――。
『クローディア・リヴィエール、失格。これにて君の実技試験を終了す――リヴィエール!?』
腰を抜かしたまま動けないガブリエルを立たせた試験官の一級騎士たち。
その言葉を全て聞く前に、私は走り出していた。
師匠。何故、ここに。
役目を終え、自由気侭に生きているはずのあなたが、どうしてアカデミーの入試を見に来ている?
これまでの鍛錬で、あの広場で一回も顔を見なかったことから、私は『今回』、あなたの弟子ではないのだろうと考えていた。
だからこそ、あなたにはもう二度と会わないだろうと、あなたの顔を見ることもないだろうと、そう思っていたのに。
それに、先程口走っていた「アイ」という名前は――!
『くそっ』
いない、どこにも。
私は走るのをやめ、辺りを見渡して舌打ちした。
修練場のどこを見ても、見つからない。少し目を離した隙に離脱したか。もう六十五、六の筈なのに、どれだけ素早いのだ、あの人は。
気を落ち着けて気配を探ってみるが、やはり気配の残滓すら残っていない。そもそも気配を消して近づいてきたのだろう。
『ろ、ロディ! どうしたのっ? いきなり走り出して!』
『終了宣言くらい聞いてからその場を離れたらどうだっ!何を考えているんだお前は!』
『フェルミナ、イグニス……』
後ろからいつの間にか私を追ってきていたらしい二人が、肩で息をしながら怒ったようにこちらを見ている。
……そういえば、ろくに試験官の話を聞かずに飛び出してきてしまったな。
まあ、構わないだろう。師匠の声がしたせいでおかしな終わり方になってしまったが、実力は示せた――あ。
そこまで考え、私は青褪める。
文字通り負かした訳では無いものの、あれでは実質ガブリエルを降したようなものだ。そして完全に圧倒して場外で失格――まるで試合に負けて勝負に勝ったように試合を終わらせてしまったのではなかろうか。
『まずい……』
呟く。
冗談抜きでまずい。アカデミー入学前の子供が、二級騎士に尻をつかせて目立った上に、失格の烙印。……場外失格では――合格だけならば有りうるかもしれないが――主席は難しいだろう。
試合にも負けて勝負にも負けておまけに心の平穏まで失った気分だ。
それもこれも全ては、自由気侭師匠のせいだ。あの人さえ、顔を見せなければ。
しかし私の呟きを違う意味で捉えたのか、ジークレインが目を怒らせて怒鳴った。
『まずい? 当たり前だろ! 一級騎士は聖騎士に次ぐ地位のエリートだぞ! そんな彼らを前にあんな非常識な振る舞い、有り得ない。いいからとっとと試験官のところに戻って謝ってこいっ! せっかく主席間違いなしの試合だったのに、減点されたらどうする!』
『そうだよロディ! 減点されたらもったいないし、早く謝りにいこう? わたしも一緒に行くから』
『いや、私は……』
主席間違いなしなんてことはないだろうし、減点されても合格には変わりないはずだし、そもそも失格と言うだけである程度の減点はされるはず。今は師匠を探し出す方が優先だ。
そう思って断ろうとするが、私が何かを言う前に、ジークレインがこちらの手首を素早く掴んだ。
『……なんだ、離せイグニス』
『さっきの、なんだ』
『はっ?』
怒気を孕んだ目が、こちらを真っ直ぐに睨みつける。
赤い瞳には、敵意とは似ているものの少し違う……対抗心と怒りが綯い交ぜになったような炎が、爛々と燃えていた。
『あんな剣技、今まで見たことがない。風魔法による風の刃とも違う、斬撃と……衝撃波』
『……』
『もしかして、あの公園の林をあんなふうにしたのは、お前だったんじゃないのか?』
こいつ……。
私は目を細めてジークレインを睨み返す。不穏な空気にフェルミナは、眉を寄せて戸惑った表情を浮かべている。
『そんなはずないだろう。木をああまで切り飛ばす力は、私にはない。さっきの斬撃では、あんなふうに木を何本も切り倒すなんて無理だということは、お前にだってわかったはずだ』
『他の技だったかもしれないだろう』
『いい加減くどいぞジークレイン・イグニス。離せ!』
力任せに手を振り払い、ジークレインを冷たく見返す。
……実際は、くどいも何もない大正解なのだが、ここで認めるわけにはいかない。
これ以上悪目立ちして、クローディア・リヴィエールには得体の知れない力がある、などという噂が王の耳に届いたらまずい。
『お前は』
振り払われた手を見下ろしてから、ジークレインはやはり敵愾心に近い対抗心を燃やした目を向けてくる。
『お前は、落ちこぼれだったんじゃなかったのか?ただの演技か?なら、どうして今までそんな振りをしていた?あんな力を隠していたのは何故だ?』
『別に、隠していないだろう。だから試合は、ああなった。……まあ失格にはなったが』
結果的に隠さないことになってしまったのは、完全に予定外だったけれども。
『どこで、そんな力を手に入れた?落ちこぼれのフリをしていたのはどうしてなんだよ』
『フリじゃない。現に、水魔法は全く使えないからな。私はリヴィエール家の次女にも関わらず、才能が欠片もない』
そこだけは、ガブリエルの言う通りだった。
本来、水魔法の名門リヴィエールの子女であれば、水魔法を扱えることなど幼児でもできること、つまり『歩く』こととほぼ同義なのだ。
難易度で勿論差は出るが、簡単な水鉄砲くらいならば三、四歳からできるようになる。
……だが私は、十一になっても水滴をひとつ出すので精一杯だった。そしてそれは、今でも同じ。
『それを挽回するために剣の腕を磨いた、それだけだ。……天才と持て囃されてきたお前には、私の気持ちはわからないだろうがな』
言葉を失ったイグニスを見て、私はふうと息を吐く。
何とかごまかせたか。剣の腕を磨いたのはあくまでもクロードであった頃の自分であって、今の私の努力はそれに少し上乗せした程度のものだが。
『とはいえ、失格になったのは残念だが、不合格にはならないだろう』
まったくもって本当に残念だ。恨むぞ師匠。
『主席はお前に譲るよ、天才様。じゃあフェルミナ、試験、頑張って』
『ろ、ロディ……』
フェルミナに笑いかけてから、さっさと二人から離れるべく、私は踵を返す。
そして背中にジークレインの鋭い視線が突き刺さっているのに気づかないフリをしながら、そのまま歩き続けた。
「――持ち時間を待たずに失格になったのだ。リヴィエールの者として自覚が足りないとしか言いようがない」
冷ややかな兄の声に、ハッと我に返る。
どうやら、少しばかりぼんやりしてしまっていたようだ。話の途中で呆けているなど、弛んでいる証拠だな。
……全く、それもこれも師匠の行方がその後掴めなかったからだ。
恐らく、この世界では『クローディア・リヴィエール』と彼は師弟関係を築いていない。
しかし、何故か試験会場に来た。それは、『前回』でもなかったことだ。
あの人は、一体どういう目的でここに来たのだろう。
またも『齟齬』か……それとも他に弟子を取っていた、のか?
「大口を叩いた割には無様な結果だったな、クローディア」
「兄様……」
兄の蒼い瞳には、いつもの通り何の感情も浮かんでいない。姉が苦々しい顔で窘める素振りを見せるものの、響いていないのは明らかだ。
だがまあ、このくらいの嫌味を言われることはわかっていたので響くことはない。
むしろ、いつもの通りの兄で落ち着いた気分だ。
「わかっております。今回、失格となって実技試験を終わらせてしまったのは残念ですが、全ては私の油断から。返す言葉はありません」
「ふん」
「ロディ……」
そう、死ぬほど残念だ。せっかくの、刀を得るいい機会だったのだが。
「じゃあ、開けるわね」
姉が緊張した面持ちのまま、ペーパーナイフで封を切る。
そして中に入った紙を取り出すと、裏返したまま書斎の檜の執務机に置いた。兄は無表情で紙を取り上げ、躊躇なく表に返し、一度瞬きをした。
そして表情を変えないまま、その紙を姉と私に渡す。
「兄様、表情がお変わりないわ……」
「姉上、早く見ましょう」
戦々恐々とした様子で耳打ちしてくる姉を急かし、渡された通知の紙を見る。
そして、そこには。
『合格
右の者のロイヤルナイツアカデミー入学を、学長アレイスター・スケアクロウの名の下に許可する。
クローディア・リヴィエール』
合格か、それはいい。私は名の横にある、金のインクで記された数字に目をやる。金の文字で書かれたそれは、成績優秀者の席次を表す数字だったはずだ。
そして、私はその数字を見て、僅かに眉を寄せた。
「第、二席……」
「えっ、ええええっ!?」
通知書の合格の二文字を見て、唖然と固まっていた姉が、呟きを拾ったのか慌てたように名前の横を見て「まああっ」と声を上げる。
「すごいわロディ、次席合格だなんて……! 姉様もギリギリ第十席だったのよ!」
「あ、ありがとう姉上」
しかしまあ、なんと言えばいいのかわからないな。
姉の抱擁と称賛を受けつつ、内心で溜息をつく。
姉の喜ぶ顔が見られたこと自体はよかったが、『今回』アカデミーの入試を受けようと決めた時から、私が狙っていたのは主席の座だけだったのだ。
それに。
「お前はあの時、主席を取ると豪語したようなものだった。次席だろうとなんだろうと、結局、口にしたことを実現できなかったことには変わらない」
……兄上は、主席でアカデミーに合格しているしな。
だから何だと思われるのは当然だろう。
「兄様、そのような言い方は……。ロディが素晴らしい成績で合格したというのに。あれ程水魔法が苦手だったこの子が」
「……水魔法で勝ち取った次席であれば、認めてやってもよかったのだがな」
「えっ」
予想外の兄の言葉に、私と姉は揃って目を見開いた。
水魔法で二位となったのなら認めてやったということにも驚いたが、何より……何故、兄上は私が水魔法を使っていないことを知っている?
認めないというのは、私が試験で『やらかした』ことを知ってるから、なのか。
「魔法をほぼ使わず、剣のみでディクソン家の火魔法を退けたそうだな」
「……っ」
まずい。
疑われている、ということを肌で感じ、思わず身構える。
兄は、私がいきなり『変化』しすぎていることを警戒している。
それにしたって、どうして知っている? 試験官が部下か何かだったのか?
いや、一級騎士のあのマントは、土の騎士隊のものであったはず。兄は水の聖騎士だ、他隊の騎士と懇意にしているということは恐らくないはずだ。
では、何故――。
「クローディア」
しかし、兄はふと纏う空気を和らげると、書斎の椅子に背を預けた。
そして、深い青の目をゆっくりと細める。
「お前が、何を隠しているのかは知らん。一つ聞きたい」
「……なんでしょう、兄上」
「お前の心は騎士の道と共にあるか?」
それは、滲ませた警戒こそ緩ませたものの、偽りを許さないという声音だった。
兄の真意は測りかねるが、下手なことを答えれば、妹であること関係なしに、兄は私を捕縛し、最悪の場合は殺すだろう。国と、騎士団に対する不穏分子として。魔法を使えないのに二級騎士を退けた異端者として。
何にせよ、兄は今、私が『何』であるか、見極めようとしている。
ここは、『はい』と頷いておいた方がこれからのためにも賢明だろう。
しかし。
「――この国の貴族と王族が、民と国に対して誠実である限り」
私は、本音を述べた。
それが兄に、さらなる疑念を抱かせる危険性があったが、それでもその場しのぎの嘘を吐くことはしなかった。
……私は未だ貴族への絶望と怒り、そして憎悪を捨てきれていない。私は『クローディア・リヴィエール』にはなり切れていないのだ。
もし姉やフェルミナが貴族の手にかかれば、私はまた、闇へ堕ちてしまうかもしれない。それが今の私だ。
だからこそ、本音を語るのが私の『誠実』だと思った。
何より――それがかつて私がこの手で殺してしまった、『前回』の兄上への礼儀であるのではないかと。
「そうか」
言うなり、兄は目を伏せた。
「ならば、強くあれ。この国の『不誠実』を正したいと思うのなら。崇高な意志も力がなければ無意味」
「兄上、」
五年だ、と、彼はそれだけ言った。
「アカデミーの五年の間に、私を認めさせるような功績や結果を上げてみせろ。……そうすれば、お前の欲しがっていた刀を与えてやる」
精々励むことだ。
それだけ言うと、兄は腕を組んだまま沈黙した。
……はっ?
「刀を……?」
予想外の言葉に目を見開くと、兄は目を伏せ「なんだ、不満なのかクローディア」と低い声で言う。
「い、いえ、不満というわけでは。ですが……」
動揺して、つい、言葉を詰まらせる。
まさか兄上が妥協した? 信じがたい。あの、兄上だぞ?
リヴィエール家の人間は冷静沈着で慎重かつ頑固な性格になりやすいが、その中でも指折りに頑固なのがクロヴィス・リヴィエールという男のはずだが。
「まあ、兄様! やはり、妹の奮闘を嬉しく思ってらしたのね」
「くだらんことを言うな、ノエル」
「どうしてそう頑固なの! 少しは素直にロディを褒めてあげればよろしいのに」
嬉しそうな姉と、姉を鬱陶しそうにしている兄のやり取りを見て、呆然として何も言えない。
本当に、兄は私が功績を挙げれば、刀を与えるというのか。
どうにかして手に入れなければと思っていたので、有難くはあるが――。
「よかったわね、ロディ。兄様はあなたに期待をしてらっしゃるのよ」
兄上が、私に?
ちらりと兄に目を向けるが、彼はやはり黙ったまま仏頂面を崩さない。
いや、何にせよ、刀を貰えると言うのであれば、私のやることは一つだ。
「……わかりました。必ず、ご期待に添える成績を叩き出してみせましょう」
私はそう言うと、頭を下げた。
期待される、なんて感覚は随分と久しぶりだ。革命軍では同志たちの期待を背負っていた自覚はあるが、それとはまた別の感覚。
「それでは失礼致します、兄上」
少しの逡巡ののち、騎士礼をしてその場を辞す。
書斎の扉を閉める時、隙間からちらりと、こちらを見て軽く呆れたような溜息をつく兄の姿が見えた。
次回から学園編となります。
更新は一日開けて明後日です。




