010 師
ロディと一緒で優しくて、かっこいい人よね。
そう言って愛らしく笑うフェルミナに「そうかな」と笑顔を返しつつ、私の腹の底ではジークレインへの怒りがぐらぐらと煮え立っていた。
「俺は優しい訳ではない。平民だとかは関係ない。フェルミナが将来有望であることが確かだったから、入学試験を受けることが認められたんだろう。……俺は実力のある人間に真摯でありたいだけだ」
「そ、そうかな?ありがとうジークレインくん」
かっこつけやがってこの野郎ぺっぺっ――と、私の中の幼い『クロード』がジークレインに向かって唾を吐きかけている。
……駄目だ。この二人を見ていると、精神年齢が幼児返りしてしまう。
「では、そろそろ私の順番だ。私は行く」
「あ、うん! 頑張って、ロディっ!」
フェルミナの声援を受けながら、私はさっさとその場を後にするべく歩き出した。精神衛生上良くないものは見ないに限る。
しかし、そうはさせてくれないのがジークレインだ。
試験時間が近づいた受験者の待機場所へ向かおうとしていた私を、「リヴィエール!」というよく通る声で呼び止めてくれたのである。
「……なんだ、イグニス」
修練場に屯していた見学者と受験者が一斉に動きを止め、私とジークレインに傾注しているのがわかる。
頭痛を堪えながら返事をすると、ジークレインは「わかっているよな」と低い声で言った。
「あれだけの大口を叩いたんだ。必ず合格するような戦いをしろよ」
「……わかっている」
お前に言われずとも。
悪目立ちするつもりはないが、できる範囲で借りは返してやるつもりだ――フェルミナの分と、自分の分。
それに。
「私の狙いは主席の座だ。お前も油断してくれるなよ、天才様」
私はそう言って片方の口の端を吊り上げると、今度こそ待機場所へと足を向けた。
*
「おやおやこれは、奇遇だなあクローディア嬢」
「ええ本当に奇遇ですねミスター・ディクソン」
臙脂のマントに簡易な鎧を纏い、蛇のような笑みを浮かべる目の前の男の言葉を、こちらも笑顔を浮かべて肯定する。それが誰かなどとは語るまでもないだろうが――。
……全くもって、汚い手を使う男だ。
それほどまでに家名とプライドが大事なのか。これだから貴族派は嫌になる。
「あの方って、ディクソン家のご長男よね。あの火のイグニスの分家筆頭の」
「優秀な騎士であるとか。それで相対する受験生が、ああ、あの水のリヴィエールの『落ちこぼれ』……あーあ」
「確か、あの『落ちこぼれ』のお嬢様、この試験以前にあのディクソン家の人に喧嘩を売ったとかなんとか」
「だからそれで、わざわざ挑戦を受けてあげようって言う話になったんだって。まあ、噂なんだけど」
「ご自分で蒔いた種とはいえ、クローディアさま、かわいそうねえ」
「でもこれで、自分の未熟さがわかるんならいい勉強なんじゃないか?」
憐れみの言葉を吐きながらも、ふふふくすくすと楽しげに笑い、全く憐れんでいない様子の外野(受験生たち)は、完全に私が叩きのめされる光景を想像しているようだ。
それはまあよしとして、さすがはガブリエル・器の小さい男・ディクソン。事前に外野に私が叩きのめされるべき理由を吹聴していたか。
「さて、そろそろ試験時間だ、クローディア嬢。準備はいいかね?」
歌うようにそう言ったガブリエルが、大袈裟な仕草で両手を広げる。
実戦形式の実技試験においての持ち時間は、受験生一人につき五分。つまりその五分間が、受験生にとっては自分の実力をアピールする時間になる。
五分間の間であれば、気絶しない限り何度でも試験官たる二級騎士に挑んでよしとされている。勝つことが求められるのではなく、限られた時間内でできるだけ、強さだけではない『実力』を示すための立ち回りが求められているのだ。
ただ――採点をするのは、確か近くで見守ってる一級騎士だったな。なら、採点に不正が行われることはほぼないと見ていい。
よし、問題なくやれそうだ。
「実技試験となる模擬戦のフィールドは、ここ第三修練場の、ラインが引いてある範囲内だ。ここから出てしまった瞬間に、場外失格となる。大丈夫か?」
「はい」
「では、制限時間は五分だ。始めるとしようか――スタートだ!」
言うなり。
ガブリエルが地を蹴り、剣を構えて突進してきた。
「おおおおおっ」
叫び声と共に、ごう、と抜身の剣に炎がともる。
魔法を剣に纏わせ、剣による攻撃そのものを強化する――魔法剣。騎士にとっては基礎的な攻撃手段の一つだ。
「おいおい」
思わず零れた呆れたような声は、誰かに聞こえてしまわなかっただろうか。
……基礎的と言ってもあくまでも騎士としては、だ。アカデミー入学前の子供に対して使う技ではない。
というかそもそもわたしは抜剣すらしていないのだが。スタートの掛け声を掛けてすぐ動き出して相手に先んじる、なんて幼稚園の徒競走じゃないんだぞ。
卑怯っぷりもここまでくるといっそ清々しいな。
「これで終わりだっ」
振りかぶった剣が勢いよく振り下ろされる。剣に纏った炎が尾を引いて赤い軌跡を描く。
子供相手に、初撃で戦闘不能を狙うとは。
お前こそ、アカデミーから騎士の精神を学び直してくるべきなんじゃないのか。
「きゃあああロディ!」
――ま、私の言えたことではないがな。
ふん、と短く息を吐くと、私はバックステップで振り下ろされる剣を躱した。長い黒髪が空中に舞い、ふわりと背中に落ちる。
炎の残滓にすら掠りもせずに避け切ったことが意外だったのか、ひそひそとざわめいていた修練場の外野が、水を打ったように静かになる。
「身のこなしはいいみたいだな、クローディア嬢」
素晴らしいじゃないか。
そう言って嗤ったガブリエルを冷えた目で見返し、未だ鞘に収まったままの剣の柄を握り締める。
「とはいえ、早く剣を抜かないと始まらないぞ!」
言うなり、今度は手のひらをこちらに向けた。
瞬間、翳した手の前に生まれた炎の玉が、勢いよくこちらに飛んでくる。
……まったく、何が『早く剣を抜かないと始まらないぞ』だ。
お前が、私がまだ抜剣していないにも関わらず攻撃を仕掛けてきたんだろうに。
雨のように降ってくる炎の玉を器用に走りながら避けていく私に、ガブリエルは「逃げるだけか、クローディア嬢?」と鼓舞しているように見せかけた嘲りの言葉を吐く。
「逃げているだけでは騎士とは言えないぞ?」
お前が騎士を語るなガブリエル・器の小さい・ディクソン。
舌打ちと共に、眼前に飛んできた最後の炎の玉を、首を傾けて躱す。
「ほら、早く水魔法を使うといい!私の火魔法には、君の水魔法が相性がいい。そのために、水の受験生には火の騎士が宛てがわれるのだから!」
さあ! とガブリエルが大袈裟に右手を頭上に掲げ、今度は先程とは比べ物にならない大きさの炎の球体を生成した。直径一メートルは優に超える代物だ。
きゃあ、あれはもう無理だろ、終わりね、ガブリエルさまも酷いことするよな――外野が俄に騒がしくなる。
「あのリヴィエール家のご令嬢の水魔法ならば、このくらいの炎の玉、なんということはないだろう!」
知っているくせに白々しい。
ロディ!と私を呼ぶ、悲痛なフェルミナの声が耳に届いた。
「水の名門の魔法ならばこの程度どうとでもなるだろう?まさか“君”が水魔法を使えない、などということはあるまい?」
この男、
「そう。リヴィエールたる君にとっては、水魔法を使うことなど、『歩く』ことと同義のようなもののはずだからな!」
……いい加減、鬱陶しいな。
すう、と息を吸い込み、吐く。腰を落として、居合の構えに入る。
そして真っ直ぐガブリエルを見抜くと、かの男は不愉快そうにぴくりと眉を動かした。
「ほう、受けて立とうということか。いいだろう」
この太い両刃の剣で、どれ程上手く居合が出来るかは未知数だ。しかし、私はアカデミーに入ってから近衛騎士隊に在籍していた時期まで、ずっと師範に教わった騎士剣で戦ってきたのだ。きっと両刃の剣でも、同じ技が出せるはずだ。……あの男のあの魔法を受けるくらいならばどうということはない。
それに、私がかつて相手にしていたのを、誰だと思っている。
歴代最高の天才――火の聖騎士長たるジークレイン・イグニスだぞ。
「――蒼月流抜刀術」
ただ、魔法ごと叩き斬り、かき消してしまうのはさすがに控えよう。闇魔法と併用せずとも、あんな炎の玉ごときではそうしてしまう可能性の方が高い。
うまく加減をした斬撃で、魔法の軌道を逸らすことを考えるのだ、
「喰らえェ!」
「ウの型拾八番」
「……ほお? 面白い。アイの奴の抜刀術に似た構えだな」
刹那、不意に。
愉快そうなその声が、耳に届いた。
それは大して大きくはない声だったが、その呟きが、間違いなく動揺を誘い、私の手元を狂わせた。
しかし、修正しようにも、もう遅い。
私は既に、技を放つ動作に入ってしまっていた。
「――『修羅』!」
抜剣とともに放たれた目にも留まらぬ斬撃が、大気を切り裂く空気の刃となって炎の玉にぶつかった。
そして次の瞬間、炎の玉が、真っ二つに割れて弾け飛ぶ。
「なァっ……!?」
ガブリエルがこれでもかと大きく目を見開いた瞬間、斬撃と炎の玉が衝突したことによって生まれた衝撃波が、修練場全体に襲いかかる。そして視界を塞ぐように、大きく砂塵が舞い上がった。
……まずい。咄嗟にコントロールを誤ったから、踏ん張りがきかない。何とか倒れないように力を入れてはいるものの、体が後ろに流されるのを止められない。
「ぐっ」
……どうして、貴方がここにいる。
今は、騎士団長をやめてから、国中を旅して好き勝手している頃の筈だろう。
今回は、私と共にいる時間はなかったはずだ。
それなのに。
――やがて、砂塵が晴れ、視界が元通りになる。
ガブリエルは気絶こそしていないが尻もちをつき、唖然とした表情だ。そして私は。
「……あ」
場外にいた。
立ったまま、しばらく後ろに流され、そのまま場外に出てしまっていたらしい。
場外は失格。つまりここで、私の実技試験は終了となる。
「お……おおおおっ!」
「な、なんだよ今の!炎の玉が真っ二つになった……!?」
「あいつ、な、何やったんだ? 魔法か?」
「で、でもリヴィエール家は風魔法の家じゃないはずじゃ」
どよめく外野と、呆然としたまま動かない様子のガブリエルを放置し、私は抜いた剣を鞘にしまう。
そして、先程の『声』がした方に目を向けた。
「あ……」
そして、視線がかち合う。
記憶と全く違わない、青灰色の目が、愉しげに細まる。
右の顎の下から、左目の下まで広がる大きな顔のキズ、整った顔に刻まれた皺、無造作に纏められた灰色の髪。
前騎士団長にして、『クロード・リヴィエール』であったころの最初の師匠――ツェーデル・ド・アルフィリアがそこにいた。